第9話 責任を受けとる
ホームセンターの中で、三体目を相手にしていたとき。とどめと思って大きく振り下ろしたところで、鋭い痺れが手のひらにはしった。
「うわ……やっちゃった……」
力を込めるのに夢中で、思わず床を打ってしまった。黒檀の木刀はばきっと音を立てて、物打ちの部分が飛んでいった。それが結構大きな音だったせいか、かなり人数が来た。あわててじいちゃんのほうを見た。
「呼んじまったな」
休んでいたじいちゃんが立ち上がった。集まってきた相手は四体。じいちゃんが何度か立つ位置を変えながら腰に手を当てた。
「おおらあ!」
相手の右端に回り、じいちゃんが兼定を抜く。学校で見て以来だ。一瞬で一体の首を吹き飛ばし、胴体を蹴り飛ばしながら一体をまきこんで階段の下へ叩き落した。素早く左へ向くと一体の喉に突きを入れて殺す。背を向けずにこちらへじりじりと下がる。兼定を納めると、僕の折れた木刀を手にとった。
「邦彦、折れたらこう使う。見とけ」
最後の一体へ向かうと、木刀の折れてギザギザになった部分を顔のど真ん中に突きこみ、続いて柄を拳骨の小指側で殴りつけた。鼻の軟骨がボコッと顔へめり込み、頭から倒れる。折れた木刀は、そいつの墓標みたいになった。
じいちゃんは嬉しそうな顔一つせずに戻ってくる。どっかりと床にあぐらをかいて、兼定を抜いて血をふきとった。おどおどともたつきながら倒す僕の剣とは全然ちがう。まだまだ神業にしか見えなかった。
「ごめん」
「木刀はいずれ折れる。気にすんな。けど、次の武器を考えないとな」
「うん……なにがいいかな……バットとか?」
「自分で選べ。邦彦の武器を」
二人でホームセンターの棚を歩く。駒澤大ではモップの柄に包丁をつけていた。でもあれじゃ長すぎて屋内で振り回すのは無理だ。ナイフや包丁は短すぎる。相手よりも長く、けれど取り回しができるもの。のこぎり? バール? ハンマー? キリ? 鉄パイプ? どれもしっくりこなかった。ナタやマサカリ、斧はよさそうだけど、もう少し長さがあるものが欲しい。両手でも片手でも使えて、できるだけ長いものが。剣道の技術を生かせて、頑丈で、刃がついている武器が。
棚を何度も行き来して、工具や手に取って考える。そしてついにうってつけのものが見つかった。
「スコップだ」
木柄で先端は鉄製、刃先がとがっているスコップを手に取った。
「金属でできてるし長さもある。木刀よりいいかも。あんまり格好良くないけど」
スコップを握りしめる。
「格好気にするのはユミちゃんに会ってからでいいだろ。いい選び方だ。自衛隊でもこいつで白兵戦やる方法を習った。兼定の重さにも近い。攻防の間合いやタイミングはこいつで練習しろ」
他にも腕と足に雑誌をバンテージで巻き付けて防具を作ったりした。これで噛みつかれても歯が通らない。あとはリュックに腰まで届く布を継ぎたしたりした。切ったベルトを首に巻いてスカーフでおおう。外へ出て、スコップを構えてみた。
「スコップでどう倒すかな。先端を水平にして喉を突く。倒れたら首に刃を当てて上から踏みこむ。で、どうかな」
「武器の使い方そのものは悪くねえ」
じいちゃんが僕の素振りを見て言った。
「ただ、倒れてからもブーツで頭ふんでおけ。勢いつけてなんどもな。動かなくなったら、最後に左右みて後ろみて残心だ。わかるな」
「あ……そうだね」
残心という言葉は知っていた。剣道では、打ち込んだあとも相手の復活にそなえて構えをととのえないと一本をもらえない。でも、それは試合のための形式だと思っていた。今、ここではそれが生きるための基本だ。
練習のために、店の中で群れにいない奴をねらうことにした。灰色のワイシャツを着た元サラリーマンだ。髪が半分抜け落ちて白い頭蓋骨がのぞいている。三歩の距離をからぐっと踏み込む。上からスコップで踏み込んで首の骨をつぶすと、がっくりと動かなくなった。
「それでいい」
じいちゃんが死にかけの心臓が動かないのを見て、目をこじ開けた。
「瞳孔は最初から開いてんだな」
僕もそれを見に近づいた。死んだ人の臭いが鼻に直撃して、突然気分が悪くなって吐いた。殺し合っている最中は興奮して意外と平気だけど、気を抜いた時がダメだ。
「大丈夫か」
「ごめん……自分がすごく悪い人になったみたいに思って……突然、ウッてきた」
「うん。じゃあお祈りだ。成仏して、幸せになれって言ってやれ」
じいちゃんが僕を起こす。口をもう一度ゆすいで吐き出し、丸い血だまりに沈む死体の前に立った。手を合わせる。
「神様なんているのかな」
「分からねえな。でもこうでもしなきゃ辛くてしょうがねえだろう。お祈りはな。本当は死んだ人のためのものじゃねえんだよ。生きてる俺たちのためのものなんだ」
両手を合わせて目を閉じた。初めて心からお祈りをした。自分を救うために。
外へ出ると、もうすぐ日が暮れそうだった。街灯はまだ点いているし、信号も動いている。店と住宅の灯りはほとんど消えていた。
「ホテルに入ってみるか。あいつら何階も上れないようだし、上の階なら大丈夫かもしれねえ」
二人で近くのホテルに入った。フロントには二体いた。スコップで殴り殺して三階に上がった。
「いい寝床だ。ルームサービスは期待できないけどな」
じいちゃんが言いながらベストを脱いだ。
「携帯充電しとけ」
じいちゃんは体を拭きにバスルームへ行った。長いコードを電源につないですぐにチャットを開いた。朝の連絡はできなかった。八時にはユミからの連絡が来ていた。今はもう昼を過ぎている。
(邦彦。いるかな?)
(ガスでなくなった。ごはん固くて冷たくておいしくない)
(でも食べたよ。ジュースとかはかなりあるから、多分一週間くらい大丈夫だと思う。どこにいるのかな。無理しないでね)
あわてて、友達を探すやりかたを打ち込んだ。サラ姉に教わったのが役に立った。
(多摩川の前にいる)
(死にかけが多くてなかなか渡れない)
(なんとかするからね)
(待っててね)
字を見るだけで胸がしめつけられるようだ。ユミはもう僕の中で特別な人になっていたけれど、それはどんどん大きい気持ちに育っていた。
じいちゃんが部屋に戻ってきた。
「邦彦、少し眠れ。じいちゃん荷物を整理するからな」
「眠るって、昼寝?」
「そうだ。休めるだけ休むんだ。絶対な」
言われて、タオルを目に当てて横になったけれどなかなか眠れない。何度も目を開けてスマホを見た。今にも連絡が来るんじゃないかと気になって仕方がなかった。目を無理にとじて、いろんなことを考えた。小学生の頃を思い出し始めていた。まぶたの裏にうかんだのは、ユミを泣かす前、六年生の夏のこと。道場で靴紐をむすんでいた僕の頭に話しかけてきたときのことだった。
*
「中学校、私立受けるんだ」
「あー、知ってる。聞いた」
「邦彦は公立でいいの?
そのころは、武道の部活がたくさんあるところだってしか知らなかった。父さんも母さんも私立を受験しろといってたから、名前くらいは知っていた。
「四天? あそこ、頭良いでしょ?」
「頑張ればいけるよ。受けてみない? 剣道部もあるよ」
「中学になっても剣道?」
「うん、やってほしい」
「なんで?」
「んー、なんとなくかな」
きっかけはそれだった。結局、僕は親のすすめもあって四天をうけた。でもあの時、どうしてユミは僕に剣道をやれっていったんだろう。自転車に乗っていたとき、僕が剣道、自分はなぎなたで勝負したいって言ってた。あのころからそれを考えてたんだろうか。
*
目が覚めたら夕方になっていた。刃物がこすれる音で目が覚めた。常夜灯の下でじいちゃんが兼定を研いでいる。
「眠れや」
じいちゃんが刀をこすりながら言った。
「いつもの砥石じゃないの?」
じいちゃんが使う砥石は何種類もあって、正しく組みあわせて使わないと美しく研げないと聞いたことがあった。
「ああ。もう
じいちゃんは兼定の血を綺麗に落とし、しゃあ、しゃあと研いだ。ただの長い包丁だなんて嘘だ。じいちゃんの大切な宝物なのに、それを僕のために使ってくれているんだ。
「あといくつ斬れるか」
「血がかかると曇って何人も斬れないんだっけ?」
「いや、そりゃ迷信だ。もちろん毎度ぬぐって水をかけたほうがいいけど、相手が刀持ってねえから、かなりいけると思う。怖いのは疲れて骨や壁にぶつけちまうことだな。そいつを下手にやったらおしまいだ」
セスキ洗濯ソーダを混ぜた水をかけながら、じいちゃんが刀を何度も前後に動かした。ソーダは錆びないおまじないらしい。タオルで水を拭くと油を塗って鞘には納めず、刀へ頭を下げてから抜き身のまま枕元に置いた。
僕も転がってスマホを見た。
「あっ」
通知だ。ラインを開いた。
(邦彦、無事なの?)
(ちゃんと食べてる)
(?)
両手でスマホを握り、すぐに返事を打った。
(必ず助けに行く)
(電池いつまでもつ?)
打ち込んでる最中に向こうも打ち始めた。
(ケーブルあるよ。コンセントに繋げられる)
(床だから寝るのきついけど、食堂で冷蔵庫もあるから食べられる)
(内側から鍵かけた)
(多分何日でも大丈夫)
(でも危なかったらやめてね)
(遠いし)
すぐに返事した。こんな状態だ。なんとかなるわけがない。
(もうやめてとか言うな)
(絶対に行くから)
(電話していいか?)
むこうもすぐ打ち込んできた。
(ダメ)
(泣いちゃう)
(会ってから、いっぱい話したい)
涙がこぼれた。明日になるのが待ち遠しかった。勉強にも部活にも真剣にならなかった自分が嘘みたいだ。今は違う。理由がある。ユミは生きてるんだ。
(ユミ)
(会ったら言いたいことあるんだ)
(それまで待ってて)
(あたしもある)
(いっぱいある)
(待ってるからね)
スマホを閉じる。袖で目を拭いた。がんばろう。ユミを助けるためならなんでもやろう。顔をあげる。じいちゃんは僕の顔を見て、小さく笑ってから兼定を鞘に戻した。
「邦彦。明日から兼定はお前が持て。スコップに慣れたらいつでも使えるようにな」
えっ、と、目を丸くして自分を指さした。壊したらおしまいだという言葉が、重く耳の奥に残っている。けれどじいちゃんの分厚い手は、鞘に納めた刀を僕の右手に握らせて離さなかった。
「もう邦彦のもんだ。大丈夫さ。剣士の顔をしてる」
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