終幕 - 彼女だけを思う

第20話 先のことを考えたい

 セント・ポールを出て、ユーハさんと一時間ほどゆっくり進んだ。ほとんど死にかけとは戦わずに避けたけれど、前後左右を見ながら歩くのはきつかった。マラソンなら終わってしまえば終わりだ。遠足なら横になって寝て休むこともできる。今はそれが許されない。


 一方で、ユーハさんは僕ほどは緊張してないみたいだ。雑談をする余裕まであった。


「ね。ユミさんってどんな子なの」

「どうって……子供の頃一緒に剣道やってて、中学から薙刀はじめて……」


 僕が短く答える。それを聞くと、ユーハさんがくすっと笑った。


「そうじゃなくて邦彦君にとってよ。なにをしてる人かはいいのよ。どう思ってるかを聞きたいのよ」

「どう……うーん、親切で……明るくて……まあ、いいやつですよ」


「あ、隠しちゃうんだ」

「なにを?」


「女の子を知らないなあ。好きな人のことを『いいやつ』っていうのはないわよー」


 こんな状況になっても、明るい話ができるんだ。それが新鮮だった。彼女はさりげなく周囲を見渡して、歩道を歩いている死にかけたちへ目をくばってはいるけれど、体に力が入っていなかった。


「怖くないですか? あいつらの事」

「ずっとネットにあげられた動画を見て考えてたから、思ってたより冷静ね。それより気になるのは将来。あと何年もみんなで生きていけるかよ」


 少しはっとした。これまではユミと生き残ることばかりだった。先のことまでは考えられなかった。


「ほとんどの人は消えたんだから、今あるものは当分使えるわ。ジュースや缶詰は多分一年以上。でもそれじゃダメ。缶詰とジュースだけ食べてたら飽きるし、つまらないし、すぐに疲れてしまう。病気のことはよくわからないけど、体が弱くなるし、うつ病みたいなのになるわ」

「それは……そうかもですね」


 きつくしめていたベルトを少しだけゆるめながら言った。これまで他の人と話してきたのは生き残る話だったけれど、ユーハさんが言っているのは生き続ける話だ。


「作らなければならないのよ。畑も田んぼも。私たちは水の入れ方も農薬の使い方も知らない。今まではググればすぐに出てきたけど、これからは勉強しないと」


 僕はじっと黙ってユーハさんの話を聞いた。じいちゃんに、紙の本を読んで勉強しろ、人と相談しろと言われたことを思い出した。


「ね、邦彦君、ユミさんを助けて、抱きしめて、キスして、それからどうすると思う?」

「え? どうって……」


「セックスをするでしょう?」

「えええっ?」


 予想してなかった単語が出てきて、思わず聞き返した。


「なに驚いてるの。当たり前のことよ」

「ユーハさん、したことあるんですか?」


 あわててとんでもないことを聞いてしまった。もう一度顔を赤くする。ユーハさんがくすっと笑った。


「ないわよ。それにそんな話してないわ。セックスすると子供ができるっていう話。邦彦君、お父さんになるのよ」

「いや、それは、そうかもしれませんけど、そんな先の話」


「考えなければだめよ。その子供はどうなるの? 襲われたらすぐに殺されてしまう。生まれてからまともに逃げられるまで十年。武道や格闘技を覚えて身を守れるまで十五年。誰が守るの? 誰が生き方を教えるの?」


 子供。そんなことまでとても考えが回らなかった。自分がまだ子供なのに。


「教育しなければならないの。火の起こし方。食べ物の作り方。戦い方。教育しなければ、あなたの子供はただのお手伝いさん。あなたの孫はお手伝いさんにもなれない。原始人よ」

「ユーハさんは、どうしてそこまで考えられるんですか?」


「さあ、どうしてだろう。成績は良くなかったけど、学校の先生になりたかったのよね。もう無理だけど。でも、できることはやりたいわ」


 ユーハさんが教壇に立っている姿を思い浮かべた。なんとなく似合ってるように思えた。


「……そうですね。僕もです。僕も協力しますよ。ユミと」


 それを聞いて、ユーハさんがふふっと笑った。夏の風が久々に僕たちの顔をなでた。広い道路の先へ目を向ける。僕の北極星へ向けて。ユミのいるところまであと半分。


「いいわね。あたしもそう言える相手を探したいな……」


そこで、ふと気になったことを口に出した。


「そういえば学校にいたとき、どうして誘う相手に僕を選ぼうとしたんですか? ショウさんじゃなくて」


 あー、と、微妙な顔をされた。


「ネコさんって人がいたでしょ。彼女が怖くてよ」

「兄妹ですよ?」

「らしいけど、なんかなー。あれはどうなんだろう。いやね。私、最初はショウさんかなって思って狙おうとしたの。でも、実はネコさんにクギ差されたのよ」


「クギ?」

「あの広い刀を私の首筋にあてて『なあねェちゃん。何を考えてようがかまわねェけど、一つだけ例外を先に教えとくぜ。兄貴に手ェだしたらコロす』ってね」


「まさか」

「信じるかどうかはお任せだけど……ん。来たわね」


 道路の中央をかなりの死にかけがふさいでいた。ガードレールに激突して止まっている自動車の一つを開ける。発煙筒を取りだして蓋をこすりつけた。ばらばらに動いていた死にかけが一斉にこちらへ目を向ける。横へ大きく放り投げた。煙がアーチを描く。転がった先に死にかけが集まった。


「走りましょう」


 群がる死にかけの横をすり抜けた。集団の外側のいくつかが、こちらへ向けて歩み寄ってくる。二体。スコップを肩に担いだ。


「戦います。離れてください」


 棒を相手に向けて、ユーハさんが僕から離れて歩道側を走った。それを確認してから、ネコから習った通り、遠心力を活かして全力でスコップを振った。


 口から何かをまき散らして、死にかけの一つがもう一つにぶつかった。上ずって命中したせいで、首は折れなかった。でも追ってはこないようだ。


「邦彦君。この先はかなり人数が多くなりそうよ。いつまでもは走れない。麻生図書館の敷地に入って一度休みましょう」

「わかりました」


「あの先にいるのは私が倒すわ」


 先端に包丁を縛ったモップを手に取ると、ユーハさんが正面の相手へ近寄った。少し腰を落として、剣道と異なる歩みよりで近づいていく。死にかけがばっと手をのばすタイミングで踏み込んだ。相手の横から手首へ包丁を当てて下に落とし、踏み込みと同時に口の中へ刃を突き立てた。しばりつけたタオルが歯を止めている。スムーズに槍を引くと、死にかけは痙攣しながら転がった。


「とどめはいらないわね。急ぎましょう」

「すごいですね。フェンシングで人を倒すの、初めて見ました」


「私なんてすごくないわよ。知ってる? 剣の達人に殺されると、斬られてから何度か瞬きをして、それから微笑んで亡くなるらしいわよ」

「本当ですか?」


「わかんない。迷信かも。でもなんにしても、私の腕じゃまだまだね」


 ユーハさんの声はわずかに震えていた。足もそれまでとは違う歩幅になっている。技術は体にしっかり組み込まれているように見えたけれど、彼女もまだ自分と同じで、習ったものを磨いている途中なのがわかった。


 *


 図書館に入ると、そこは電気がまだ通っていて冷房が効いていた。熱中症を防ぐためにも、エアコンが動いている建物にちょくちょく入るのも手かもしれないと思った。そこで、死にかけが僕たちを追って入ってきたけれど、ふっと動きが鈍くなって、きょろきょろと周囲を見て立ち止まる。そのすきに僕はスコップを手に取り、浴びせ倒して首に踏み込んだ。頸椎をがつっと折る感触が手に届いた。


「寒くて驚いたのかしら?」

「なんかそう見えましたね。でも夜は普通に歩いていたんですけれどね……」

「少しずつじゃなくて、突然寒くなったからかも」


 たしかに人間には、いや、多くの生き物にはそういう特徴がある。だとすると、エアコンの効いてるところがあれば、そこへ逃げ込むのも手なのかもしれない。ノートにメモを書き込んでおいた。自分の考えや相談したことを次々に書き足していく。学校よりも勉強することはずっと多かった。


 五階建ての図書館から見下ろすと、思ったほど死にかけは多くなかった。僕たちは内側から鍵がかかる資料室へ入って襟元や袖口をゆるめて靴を脱いだ。靴下を脱いだユーハさんの白い素足に目がいった。


「ユーハさん、足を見せてもらえますか」

「なに? エッチなこと?」


 思わず顔が赤くなる。


「そういうのやめてください」

「真面目ねえ」

「テーピングですよ。捻挫をしないで済みます。やり方は簡単だから、見ながら覚えてください」


 半分くらいになったテープを惜しまずに使って、ユーハさんの足を固定した。残りで自分のテーピングを補強して使い切った。


「怪我や体調不良は大丈夫ですか。次に目についた薬局に入ってサプリとかといっしょにテープや薬を足します。他に……なにが必要でしょうね」

「ウェットティッシュ。あと歯磨き粉とドライシャンプーと生理用品かなあ」


 言われてひっくり返るかと思った。何一つ自分の頭になかったものばっかりだ。


「そうか……女子はいりますよね」

「生理用品以外は男子でもよ? なければ即死ってわけじゃないけど、いずれは必要になるわ。震災の本にそういうのが役に立つって書いてあった。それに、ユミちゃん助けても嫌われたら悲しいでしょ? 汚れてるんだから、いきなりくっついたりしちゃダメよ」


 言われてみればそうかもしれない。剣道もなぎなたもひどい臭いがするものだけど、今の話はそれとは違う。剣道場へ一緒に剣道しにいくのと、男子として女子に会いにいくのは話が違うんだ。


「覚えておきます」

「覚えておきなさい」


 言いながら、ユーハさんがソファにころっと横になる。僕も少し離れた別のソファにあおむけになった。スマートフォンを見る。約束の時間じゃないけれど、メッセージが入っている。


 起き上がって、三度その文字に目を走らせた。


(ごめん)

(病院の電気きれた)

(充電できないから、一回シャットダウンする)

(夜と朝の八時だけつけるね)

(昨日はすごく元気出た)

(ありがとう)

(邦彦、大好きだよ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る