第17話 スカートへ手を伸ばす
「その棒で適当に打ち込んでみな」
ショウさんは無造作に木刀二本を構えている。ユーハさんから雑巾を落としたモップを借りて、剣道で禁止されてる左手を打ちにいこうと考えた。中段に構えた僕の視線は正面に向いている。狙い目はわからないはずだ。
呼吸を読みながらすり足で近づく。ショウさんが右手に握る上段に置いた木刀は、おそらく面を狙っている。受け返さず先に手首を打てばいけるはずだ。
掛け声を出さずに仕掛けた。
最初の動作が下から来た。僕の仕掛けた逆小手打ちに対して、その軌跡をそらすように短い木刀を跳ね上げる。巻き上げとも違う不思議な動きだった。癖で面につなげようと前に出たけれど、その瞬間、ショウさんは交差した木刀で僕の棒を抑えていた。
「んっ!?」
動きが止まる。次の瞬間には僕の首にぴたりと木刀が止められていた。姿勢を戻そうとしたけれど、ショウさんはそれより早く僕の首を圧迫した。ううっと声を出しながら床に転がる。
「立ちな。刃が付いてたら斬れてたぜ」
「なんですか、これ」
「言った通り、宮本武蔵で有名な二天一流って武術だよ。スコップでも使える」
床に手をついて立ち上がる。
「もう一度、お願いします」
「いいぜ」
今度はフェイントを入れながら上段を狙った。片手だし素早くは動かせないはずだ。そう思ったけれど、僕の棒はまたも十字に組まれた二刀にさえぎられて頭まで届かない。ふわりと刀を横に押しのけられ、突きが喉の手前で止められた。驚きでうめき声が出た。知らない技術だ。まるで歯が立たない。
「これが二刀だ。片手持ちの木刀であいつらの突進を止める力はねえし、二天一流で使う木刀は普通のやつより細くて軽い。だが、十字に組んで近づいてくる敵の喉首をぶち上げて止め、そこから崩して倒すのは簡単にできる。噛みつきが主攻撃なんだから、首を止めちまうのは効果的だ。反射的に木刀を掴むような反応があっても、一刀と違って交差した二刀なら外すのも簡単だ。特に口や喉に片方を刺してから、もう一方の木刀で抑えながら抜く、こいつが最高に使える」
ショウさんは僕の横に並ぶと木刀を渡し、スコップと十字に組ませた。
「回数が自信に代わる。百回はやってみろ」
ショウさんが、今度は一本の木刀で打ち込んでくる。言われた通りにバツを作って繰り返した。剣道と違って、反復練習はそのまま技術の向上につながるように感じた。剣道は当たりに行くときにどうしてもセンスみたいなものが必要に感じたけれど、この技術は当ててからが重要みたいだ。それを補うのはセンスよりも、反復の回数だった。
「しっかり十字で受けろ。それから小刀で相手の武器を払い、大刀で打つ」
「なんかフラフラしますね」
「かもな。それはまだ手の内が冴えてねえんだ」
剣道では握りのことを手の内という。左手薬指と小指で強く握り、あとの指と右手は軽く握るのが基本だけれど、なかなかうまくいかない。今は片手だったから、なおさら一刀よりも難しく感じた。
「手が痛いです。重くて疲れる」
「最初はな。ただ、それでも二刀の価値は知っておいたほうがいい。ほとんどの連中は刀と言えば一刀をイメージするけど、まともに振れるなら二刀の方が圧倒的に有利だ。空手や拳法で片手だけで戦う奴がいねえのと同じだよ」
「でも日本刀って、もともと両手で使うものでしょう?」
「いや、そうは決まってねえ。室町時代の中条流でも、小太刀を片手で使う技はかなりあった。片手で刀を使って、左手は相手の手や刀を払ったりつかんだりしてたんだよ。その代わりに棒や脇差を使うようになったのが二刀流で、それも戦国時代より前だ。江戸時代の二天一流でも、左手に心なく太刀を片手で使うって言ってな。コツはあるのさ。やる奴が少ねえだけでな」
意外な事実を知ることができた。よく言わない先生が多いから二刀はあまりいいイメージがなかった。それに二刀は高校だと禁止だし、力がいるとか、引き分け狙いだとか言われていた。
「二刀って普通にアリなんですね」
「評判は悪いけどな。誰かが重くて使えねえって言えば、別のやつは卑怯だとかよ。でも二刀は剣の視野を広げる。手の内、虚実、体さばき、足さばき。一刀だとごまかせた部分を自分に分からせてくれる。学びの多い経験になる」
ショウさんはそこまで一息に言うと、 僕にスコップと木刀で素振りをさせた。ショウさんはじいちゃんみたいにやらせて直すタイプじゃない。まずは理論で、次にその通りできるかチェックする。少しでも悪いところがあれば、もう一度丁寧に意味を教えてくれる。技術が自分の中に積み上げられていくのがわかった。
「素手の相手をするから一刀とも違う間合いが必要になる。俺は本来の二天一流じゃなく、少し作り変えてるんだ。あと、集団相手に戦う方法もあるから、そいつも別の時にやろう」
練習しているとき、ふと柱にもたれかかって腕を組んでいるユーハさんを見た。何も口出しはしなかったけれど、じっと僕たちの練習を見て、時折小さく手を動かしていた。かなりの時間が過ぎて、夜の十時に僕たちは切り上げ、二階へ戻った。
二階へ戻った。スマホはみたけど、寝たよと食べたよだけで、ほかに連絡は入っていない。多摩川は超えたよって打ち込んだ。歯を磨いて着替えて布団をひく。本当に合宿みたいだ。小学校のころに線香花火を持って、じいちゃんたちとお寺の庭で遊んだ時のことを思い出した。
*
布団に入ってから少したって、二人のいびきがうるさいなと思ったころ。頬を小さく叩かれて目を開けた。ユーハさんだ。片手の指を口に当てて、もう片手で教室の外を指していた。
静かに教室のドアを閉めた。ユーハさんはまだ制服だった。壁に掛けてある大きな時計は十二時だ。
「どうしたんですか?」
「少し話したくて」
ユーハさんの声はそれまでと少し違うような気がした。空き教室に入って椅子に座るように言われた。廊下の電気はついていたけれど、教室の電気は点けない。ユーハさんは机に座って、白い足をくるりと回して組んだ。
「明日になればすぐ出てしまうの? もう少し、ここにいない?」
意外なセリフだ。この人は、僕たちに出ていって欲しいんだと思っていたのに。泳ぐ僕の目を、ユーハさんが捕まえるように追った。
「どうしてですか?」
「わからない?」
言いながら、ユーハさんの右手が紺のスカートを少し引いた。暗い中でも綺麗に伸びる脚がすっと前に出た。どきっとして目を逸らす。僕の左手をつかんで、顔を近づけてきた。
「キスしたことはあるの。これから助けようとしてた子と」
「え、ちょっと……」
「ちょっと、なに?」
ユーハさんの口の端がわずかに形を変えた。笑ってるようだけれど、目からは何も読み取れない。
「その子は、君に何をしたの? どうやって楽しませたの?」
言葉が続かなかった。言われたことをそのまま考えた。ユミとは最近、そんなに親しく話してない。うろたえる僕の目をユーハさんは逃がしてくれない。月明かりが窓から差し込んできた。綺麗な横顔に光が落ちてくる。
「ね、楽しいところにいたいでしょう?」
「だめですよ」
「だれがダメって言ったの。先生? それ以外の大人?ここにいるのは女の子ばっかりよ。それにとっても親切で優しいわ」
ユーハさんは椅子から立ち上がると机に腰かけて、そして制服のスカートを右端からゆっくり引く。彼女が目を一瞬だけ僕にむけて、もう一度下に落とした。その先に淡い色の下着がかすかに見えた。
「え、ちょっと」
盗み見るようにユーハさんを見るたびに、彼女は僕だけに見える角度で微笑んだ。そのたびに目を逸らした。どうしてそんなことをするのか全くわからなかった。
「女子高に入るなんてこと、こんなことでもなければ無理よね」
ネコとショウさんは隣の部屋で寝ている。大きな声を出せばすぐに二人は起きる。それなのに、そうできない。期待してるんだろうか。このまま黙っていれば続きがあるかもしれないって。そんな事を考える時じゃないはずなのに。
顔が赤くなっていくのがわかる。自分の隠している気持ちが伝わっているようで怖い。見ないようにしていたショーツに目が寄っていく。暗くて色ははっきりしていないけれど、たぶんブルー。端にはかわいらしいフリルがついてる。
「ここで遊びましょう、ずっと。もう、外は見てきたでしょう。無理よ。ここでやっていくの。ここにいればとっても楽しいことができる。今までしたことがないこと」
「したことがないこと? 何を言ってるんですか?」
それを聞くと、ユーハさんが待ってましたとばかりに手を頬へ伸ばしてきた。上目遣いを続けたまま、声を抑えて耳元でささやく。
「すごく簡単なのよ。私をいじめるの」
「いじめる? なんでですか?」
「すぐにわかるわ。どんなに私がいやがってもやめないの。すごく楽しいわよ」
ユーハさんの手が、僕の手に重なる。とまどっている僕の指に素早く指を絡みつかせると、それをすっと自分の胸に持っていった。
制服の上に手を連れていかれた。固い。えっ、と少し不思議な気がしたけれど、よく考えるとそれは胸そのものじゃなくて、ブラジャーの感覚だとわかった。考えたことがなかったけれど、体を固定するんだからしっかり作ってて当たり前なんだろう。
「女の子にしたいこと、あるでしょう。それをしていいって言ってるの。むりやり押さえつけて、服の中に手を入れて、好きなように……」
ユーハさんがまっすぐ僕の目を見つめて、ほんのわずかに口の端を上げる。見えない力を感じた。
「明日また話させて。私、もう寝るわね」
すっと立ち上がると軽くスカートを払って、ユーハさんは教室から出ていく。背中に小声のおやすみなさいが届いた。
ユーハさんがなんであんなことをしたのか、それがどういう意味なのか、いろんな事が頭を巡った。月明かりが雲に隠れると同時に、外でパチンと音がして廊下の電気も落ちた。ユーハさんが消したんだろう。真っ暗な教室の中でしばらくぼうっとして、何も考えられなかった。
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