第16話 ダクトテープを巻く

「これからの予定は?」


 ユーハさんは体を洗った僕たちを教室の一つに通して、体育館で使うマットを貸してくれた。椅子にかけて、入り口から見えない角度へ懐中電灯を点けた。さっき持ってきたハンバーガーを二つずつ置いた。


「これだけしか渡せないわ。あとは全員に分けてあげないと」

「いや、これで十分だ。店に入ったのもそっちが先だったしな」


 ぶっきらぼうな口調だけれど、ショウさんはユーハさんに気を使った、距離を置いた声で答えた。


 僕たちがマックを食べている最中に、ユーハさんのほかにも何人か、必ず二人ずつで教室に来た。これも警戒されているからなんだとはっきりわかった。


「邦彦君は友達を助けに相模原へ行くんだ。俺たちは成り行きだけど手伝おうと思ってる」

「そう……」


 ユーハさんとはほとんどショウさんが話した。僕は彼女たちの話し方に合わせることができないから。あてもなく教室を見まわした。なんか落ち着かない。ショウさんにお前の剣道を見せろと言われた時にも感じた緊張だ。これは新しい人や場所にふれる時、いつも迫ってくる空気なんだろうか。


「ここは何日くらい大丈夫そうに思ってる?」

「人数が増えなければ学校の備蓄と向かいのコンビニとさっきのマックでもう少しは行けそうね」


 ユーハさんが僕たちを交互に見ながら答える。言葉の中に、慌てていないっていう態度を見せようとしているのがわかった。


 僕はハンバーガーを食べ終わると、役に立つかと思ってこれまで泊まったホテルや大学の話をすると、すぐにそこまでの道やいろんなことを早口で聞かれた。丁寧に話を伝えて、そっちに行くのも手だといった。ユーハさんはまだここから動く予定はないと答えたけれど、少し迷っているように見えた。


「さて、食ったし休んだし、少し、こいつをやるか」

「そうだな。あたし様も入るぜ」

「はい、お願いします」


 三人で立ち上がる。携帯はまだつなげたばっかりだし、もう少し充電させてから確認しよう。


「何をするの?」

「武術さ。見てェか?」


 それを聞くと、それまでの声を変えてユーハさんが立ち上がった。


「そうね。見学させてもらうわ。フォワイエなら電気が点いてる」

「フォワイエ? ってなんですか?」

「多目的ロビーよ」


 電気はまだ通っているのに他の部屋でそれを使っていない。死にかけや不審な人が押し寄せてこないようにということらしい。階段を下りると、綺麗なカーペットが広がったホールが見えた。


 刀を床に置いて、ネコが伸びをしてからホールを見渡した。


「こんな瀟洒しょうしゃなところで稽古は初めてだな」

「洒落た言い回しをするのね」

「兄貴と違って育ちが良くてさ」


 しょうしゃなんて言葉、僕も意味がわからなかった。なんかのゲームのキャラの二つ名がそんなだった。おしゃれとかそういう意味だろうか。


「同じ家に住んでて何いってんだよ」


 ネコがショウさんのツッコミにくくっと声を出さずに笑い、刀を大げさに高くかまえた。


「じゃ、最高にインスタ映えする剣術を教えてやるよ」

「うん。でもさ。ネコもショウさんも新東館やめたの?」

「まあな。剣道からはいろいろあって卒業した。あたしは中国武術の長剣と査拳ってのをやってたんだ。兄貴は古武道の道場に行った。で、時間がねェし型は抜きだ。単純な技を二つだけ教えとくぜ。チャンダオとグオダオだ。あたし様は中国語はできねえから発音はご愛嬌だけど、刀術を習った奴でこいつを知らねえ奴はいねェ」


 言うと、ネコが右手に刀を抜いて離れた。


「スコップなら先に重量があって中国刀と似てるから同じ要領でいける。日本刀でもいけるんだけど、思い切りが悪いと刃筋がうまく立たねェかもだから、やるなら素振りしてからにしな。まず右手に順手で持つ。それをかついで、ぶーんと右から左へ横なぎに振る。左まで持っていったら、頭の周囲を囲むように振って戻す。これがチャンダオ」


 かついだ刀をぶんと風を切って頭を超えて一周させる。剣道とは全く違う動作だ。


「刃が相手に対して常に垂直になるように振りな。次にグオダオ。逆をたどって元に戻る。これだけだ」


 ひゅんひゅんと音を立てて、今度は左から横なぎに外へ払う動作を見せた。中国武術というと持ち替えたり激しく飛んだりするイメージがあったけれど、この二つは腕の動きだけで斬るらしい。


「一対一でも囲まれても使える。遠心力が働くように振り回して、切っ先で気道か頸動脈を斬る!」


 ノートにメモを取って、棒人形で絵を描く。すぐにできそうに見えた。


「それと蹴りだ」


 ネコがふっと左脚を抱えると、それを鋭く横へ蹴り出した。


「蹴りってのは格闘技なら空手やキックの回し蹴りが最強だ。当たりやすいし威力があるからな。でも死にぞこない相手なら、このサイドキック、側踹脚スーチュアイトゥイだ。打つ場所はベルトの下、膀胱ぼうこうを狙う。理由はわかるか?」


 ネコがもう一度蹴りを突き出した。風を切る音がロビーを走った。


「突き飛ばすため?」


「そうだ。あいつら相手に痛めつけたって誰も褒めちゃくれねェのよ。この技術は上体が相手から離れるし、やり方次第じゃ二体以上まとめて飛ばせる。あいつらはアホだから避けねェ。絶対当たる」


 これも絵に描いて、それから少しネコの真似をした。蹴りは生まれて初めてやったけど、低く蹴るなら簡単そうに思えた。


「あいつら一体ずつは弱ェけど、束になったら誰だって無理だ。ゴブスレってラノベ知らねェか? あれに出てくる調子くれた死に役みてェになるなよ」


 そのラノベは知っていた。数が集まればレベルの低いゴブリンも脅威で、普通のゲームに出てくるみたいなキャラはたちまち殺されてしまう。今までも見てきたパターンだ。動きを軽く真似て、まずは何度かスコップを振り回した。


「なんかサマになってねェな。もっとスピード上げられるぞ。自分の体から予想以上の力が出てるのを怖がっちゃいけねェよ。頭使うな。兄貴みたいに」


 そのセリフに素早くショウさんから横槍が飛んでくる。


「一言多いぞ」

「愛情の裏返しさ」


 武術を語っているときの二人の誇らしそうな顔。本当にこういうことが好きなんだろう。試合のためじゃなく、純粋に強くなりたいんだ。僕もその気持ちがわかり始めていた。


「体幹は安定してるからあとは経験だな」


 うっすらと汗がでたところで、ネコがオーケーを出した。


「座って少し休め。その間、お前の刀を見せてくれ」


 ショウさんが手を出した。兼定を他の人へ渡すのは初めてだ。刀を渡すと床に置いて、深い刀礼をしてから手に取った。うん、と、集中した目でそれを見つめる。


「こいつは誰が打った?」

「会津兼定です。戊辰戦争の時に幕府軍が函館へ持っていった刀の一本だとか。鞘と柄は蝦夷拵えぞごしらえっていう、アイヌの人のらしいです。じいちゃんが函館にいたとき、自衛隊にいた剣道の先生にもらったらしいですね」

「こんな鞘に入れててサビちまわないかな。お前、手入れは習ったか」


 研ぎ方はいくらか教えられていたけれど、柄を外したりサビを止める方法は聞いていない。そう言うと、ショウさんはすぐユーハさんに聞いて、小槌や機械油の場所を教えてもらった。


「砥石以外にも工具の類は待ってろ。特にペンチと小さいナイフは何かと役にたつからな。で、こいつだ。正吉先生は普段からこの鞘には入れてなかったよな?」

「はい、白鞘に入れてました。でもそれじゃ振り回せないし、兼定にぴったり合うこしらえはこれしかなくて」


 白鞘っていうのは、ヤクザ映画で見るようなつばのないシンプルな木の鞘だ。それを使っての斬り合いは実際にはありえない。映画みたいに使うと、白鞘はもろいからすぐに壊れてしまう。


つばナシはまずい。突いたときに手が刃へ滑ると掌を切っちまう。こいつを使いな」


 そういうと、ショウさんは自分のバッグから丸い道具を取り出した。


「ガムテですか?」

「ダクトテープだ」

「出たよお得意のマニアックツール。多分ネタの仕入れ元はユーチューバーのカリスマブラザーズ」


 ネコがまぜっかえしたけれど、ショウさんは完全無視だ。くるっと回して床に置くと、真剣な顔でその説明を始めた。


「こいつは軍隊が補強のために作ったテープで、頑丈さは折り紙つきだ。次にホームセンターに入ったら絶対にこいつを取ってきな。ガムテより粘着力が強くて防水性はケタ違い、しかも手で切れる。つなげれば傘や雨具になるし、屋根や壁、窓、バケツ、ホース、あらゆる修繕に使える。かばんや服の補強もできるし、傷も絆創膏よりしっかり止められる。手足に皮なり本なりを巻いて上からとめれば防具も作れる。よればロープ、生ごみを置いておけばハエやゴキブリも取れる」


 ぐるぐるとテープを刀のふちに巻く。厚みを出して、つばのように手の滑りを防げるようにする。本当に詳しい人なんだろう。ショウさんは最後に刃へ慎重に目を落とした。


「かなり粗く研いでるな」

「はい。見せるためでなく、殺すためだからって」


「それでいい。こいつは斬れそうだぞ。よし、ハードの講座はここまで、次はソフトだ。お前、二刀流はみたことあるか?」

「え、いえ……二刀の試合はありますけど。でも高校は二刀禁止ですよね」


「公式試合はな。ただ、俺は部活をやめた時、正吉先生に紹介してもらった道場で始めた」


 言うとショウさんが静かに立ち上がった。


「正面に立て」


 ショウさんが姿勢を正して二本の白樫を体の正面で交差させる。続く静かな声が、ホールに鈍く響いた。


「これは、二天一流という武術だ」

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