別離 - 彼女と話せなくなる
第13話 兄妹剣士が来る
「正吉先生ですか? あたしですネコです! 今どこっすか?」
「あ、えっと……」
混乱していた頭の中に勢いのある声が差しこまれて、言葉が何も出てこなかった。電話の向こうでガタガタと音が鳴った。
「かわれ! 誰だあんた、携帯拾った人か?」
今度は鋭い男の声だ。ようやく話せそうになってきた。
「あの、僕、上町正吉の孫の邦彦です。上町正吉は僕のおじいさんです」
「孫……正吉先生は?」
「……死にました。さっき」
「亡くなったあ?」
受話器の奥から二つの声が話しはじめた。
「どうしたバカ兄貴?」
「おい正吉先生死んだぞ!」
「うそつけバカ兄貴! 誰が出たって?」
「知らねえ孫だがなんだか」
「いいから返せ、あたし様のだ!」
受話器の向こうで、別の声が聞こえた。
「正吉先生の孫って、玄静館の邦彦かよ?」
「あ、はい! あなたは?」
「このあたし様がわからねえかマヌケ! ネコだ! 新東館の二宮美弥子だよ!」
あれこれ考えてから、ようやく思い出した。小学校の頃、ユミがいつも大会の決勝でぶつかってた二宮だ。あたし様なんていう変な一人称、この人しか知らない。
「邦彦、お前どこにいる?」
「えっと、多摩川脇のホテルで」
「そのホテルの名前を聞いてんだ!」
押し切られて、たどたどしくホテルの名前を言う。直後に鼓膜を引き裂くような大声が受話器の向こうに響いた。
「よろこべ! すぐそばだぞ!」
「貸せ! おい、いいかそこにいろよ。すぐ行くからな!」
一方的に電話は切れた。
二〇分くらいかけて荷物をまとめ、じいちゃんの血を拭いてからドアの外に出た。しんとして廊下には誰もいない。スコップを右手に、胸の電話を何度も見つめる。
階段に座ってじっと耳を澄ませたとき、不意に外が騒々しくなった。人の声だ。誰か襲われたのかと窓に駆け寄った。その中、無人の道路を駆けるような二つの影。同時にじいちゃんのガラケーにSMSが来た。
(あたしさまとうちゃく!!!!!)
あわてて荷物を持って一階に降りた。廊下にいた死にかけが、僕に背を向けている。遠くの入り口に誰かの姿。
「くにひこーッ! どこだーッ! いたら返事しろーッ!!」
甲高い怒鳴り声に反応して、うめき声の合唱が始まった。
「うるっせェんだよ、てめえらァ! ザコは……すっこんでろや!」
助走をつけて集団に小柄な姿が突っ込む。飛び蹴りが一人の鼻っ柱にめり込んだ。姿がはっきり見えてきた。白赤金、三毛の髪をきつい三つ編みにまとめている。ライダーの着る真っ黒の革ジャン革パン、銀色のリベット。
「ネコ!」
「おひさァ、元気してっかァ! 拍手と喝采の準備はできてっだろォなあ!」
巨大な片刃の刀。映画に出てくる青龍刀みたいな武器だ。体の周囲に刃をめぐらせ、遅れて組みひもみたいな髪が跳ねる。
「つェいりゃああァ!」
シィン、シィンと響く金属音に合わせ、灰色の群衆が斬り殺された。
「もっと歯ごたえのあるのはいねェのか! 正吉先生を殺したヤツはどこだァ!」
ネコが刀を振って血を飛ばす。
「代われ!」
後ろから別の声。燃えるような逆立った赤い髪。ネコと同じ真っ黒なレザーファッション、全身にシルバーアクセサリ。この人もギャングか何かにしか見えない。二刀流だ。二本の木刀で大きな八の字を描いて正面を向いている。体軸を揺らさず、歩みはなめらかに。大上段に構えた二刀が、舌先から出すような声をそえて間を詰める。
「イヤーッ!」
白樫が風を薙いだ。ボーリングのピンのようにバタバタと死にかけが倒れて行く。赤毛の人は一体の口に木刀を突きこみ、その体をコントロールして別の一人に叩きつけた。反対側からも近づいてきたけど、俊敏に振り返ると今度は鮮やかな返し技を繰りだした。
「ターン!」
聞いたことのない、珍しい気合だ。荒々しい声とは対照的に動きは無造作で、誰にもぶつからずに新宿の大通りを歩いてるサラリーマンみたいだ。けれど左右の木刀が振られるたび、死にかけはバタバタと突っ伏していった。二分もかからず全滅だ。廊下を埋めつくしていた死にかけは、瀕死の虫みたいにのたうち回っていた。
「口がきける奴に会えたのは三日ぶりだ。しかも妹の知り合いだなんてな。俺はショウ。二宮将馬。こいつの兄貴だ。剣道部にいた頃、正吉先生に習ってた……」
言いながら、ショウさんが血でまだらに染まった木刀をボロボロの厚いベルトに差す。ロビーの椅子へ親指を向けた。
「起きたことを言いな。その真っ青な顔がまともな色に戻るまでな」
*
左にショウさんが腰かけ、目の前の床にネコがあぐらをかいて座った。ほっとしたのか、緊張の糸が切れた。しゃべって、しゃべって、しゃべりまくった。普段は全然使わないような早口で、今まで起きたことをまくしたてた。
「僕は、僕は……僕のせいで死んだんです。じいちゃんは。僕が殺したんです。包丁を首につきたてて。本当は……」
その勢いが止まらなくても、二人ともじっと黙って僕の話を聞いていた。ショウさんもネコも、じいちゃんの事は知っている。許されると思った。
息をついて話を途切れさせたところで、ショウさんが言った。
「終わりか」
ショウさんは腐った血と肉の臭いが残る廊下に立ちあがり、あまり重さを感じない声を出した。ネコがへーっと、感心したような顔を作る。
「大したもんじゃねえか。兄貴、同じシチュであたし様の首落とせるか?」
「そりゃやるさ。しょうがねえだろ」
「嘘だね。できねえよシスコン」
「言ってろ。それよりお前、これからどうするつもりだった?」
言われて、ユミの事をどう話そうかを考えた。ショウさんが体を揺らして、じいちゃんが眠る上の階に目を向け、次にガラス張りのドアの先、多摩川へ目を向ける。橋にはかなりの死にかけがどこへ行くともなくさまよっていた。
駒澤大学に人がいるって言いかけたけれど、僕の行く方向は反対だ。どうすればいいんだろう。二人は明らかに戦いなれてる。一緒に来てもらいたい。
「……僕は、北里大学病院に友達を助けに行くんです」
「北里大学病院……ネコ、どこだ?」
「あたし様に聞くなよ。この健康優良美少女に病院とかわかるわけねーだろ」
ネコは相変わらずだ。豪快で強気で、ユミとライバル関係だった小学生時代から変わらない。合同稽古じゃネコとやるのは罰ゲームって言われていて、ユミ以外はみんな逃げ回っていた。二人を交互に見ながら、おずおずと相模原ですと言った。聞いて、ショウさんがスマホを出した。
「どのくらいかな……ってダメだ。地図まで死んだか」
「兄貴のスマホもう全滅じゃん。あたし様のはかなり生きてるぜ」
ネコがスマホを取り出した。同時にブーっと振動する。
「今のはなんだ?」
「なんだかツイッターバズって通知止まらん」
「ミュートしろよ。何書いたんだ?」
「虐殺なう」
「自撮りとかしてんじゃねえ」
ショウさんがネコを小突きながらスマホをひったくる。三人でそれをのぞき込んだ。
「かなりあるな。こんな感じだし、歩くのは一日二日じゃきついと思うぜ……急いだら急いだだけ、命が無くなる確率も上がるだろうな」
言いながらネコは大きな中国の刀をおろすと、ペットボトルの水を口に含んでプーっと刃に吹き付け、タオルで血をぬぐった。
「ネコ、剣道やめたの?」
「去年卒業した。今は中国武術やってるんだ。ンなあたし様のこたァいいんだよ。友達ってのは学校のか。玄静館の誰かか」
「あ……ネコはきっと覚えてるね。ユミだよ」
「えっ?」
ネコが目を輝かせて言った。
「ユミって新関弓子か?」
ネコが僕の胸倉をつかんで言った。
「う、うん」
「なんだあ邦彦? おまえら、まさか、つつつ、つつ、つ、付き合ってんのか?」
「違うよ! 何だよいきなり!」
「いやじゃあそのなんだつまり、あれか? あれなのか? 好きなのか?」
ネコがものすごい好奇心に包まれた顔で聞いてくる。言うんじゃなかったかな。
「うん」
「聞いたかバカ兄貴!」
「聞こえるに決まってるだろ」
「一気にテンション上がったぞ! とらわれのヒロイン奪回作戦だぜ! 邦彦お前、いつのまにそんなになってたんだよ! いやいいんだよ! やりなよ! やりなよ! このあたし様とバカ兄貴がついててやるぜ!」
その言葉にやったと思った次の瞬間、待てをかけるようにショウさんがネコの首を挟んでくるっと転がした。
「なにすんだバカ兄貴!」
「ちょっと黙ってろ。なあおまえ、邦彦って言ったな」
ショウさんが僕の目をじっと見つめて言った。
「昨日までどこにいた? 正吉先生と車で移動してたのか?」
「え……あ、はい」
「途中に避難場所はなかったか。市役所とか……学校とかよ」
びくっと肩をすくませた。ネコの態度とは違う。駒澤大学の事を黙っていたのがバレたような気がした。相模原と駒澤とどっちかって言うなら、間違いなく駒澤のほうが安全だ。あそこには自衛隊の人たちもサラ姉もいる。
「どうなんだ。なかったのか? 渋谷から野宿でここまできたのか?」
「えっと、その」
「言え」
「実は駒澤大学に。かなり」
そうかとショウさんはじっと下を見て、それから僕を鋭くにらみつけた。
「お前それ知ってて、わざと黙ってたな」
ぐっと言葉に詰まった。それを見て、ショウさんが小さく目を細める。僕のズルを見抜いているのがわかった。ぐっと喉を詰まらせる。ネコがあわてて助け船を出してきた。
「おいおいおい! 兄貴、そりゃいけねえ。そりゃいけねェよ。邦彦は好きなコを助けたいって言ってんだぜ!」
「黙れ」
ショウさんはばっさりだ。僕の腰に目を向けた。
「邦彦。その日本刀、使ったことあんのか?」
「え、はい」
「あいつらを斬ってみな」
多摩川への土手に指を向けて、ショウさんが言った。
「……テストってことですか?」
「うまいこと斬れば話も聞いてやる。仲間にもなってやる。けどな、俺はお前の剣道を見たことがねえ。正吉先生の孫だろうが、それだけじゃ信用はできねえ」
ショウさんの眼光に圧倒されて、僕はしばらくそこに立ちつくし、おちつかなく刀の柄を握ったり離したりした。その時になって、すこしずつ、僕の頭に孤独っていう言葉がぼんやりと浮かんできた。霧の中に入っていくような気分に近かった。
ネコは確かに僕を知っているし、こんな性格だ。でもみんながそうだってわけじゃない。僕にはもう、どんなことも頼れるなんでも教えてくれる、そんな都合のいい人はいない。これが、それを最初に感じた瞬間だった。
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