第3話 学校が始まる前に終わる

 次の朝。曇り空の下はなんか変な雰囲気だった。路駐の車がやたら多い。しかも車の中で寝てる人がたくさんいる。首輪をしている犬が、リードを引きずって走っていた。


 目からすぐのところを何かが横切った。カラスだ。目の前を飛んでいる。上を見ると電線にずらっと。道路に生ゴミが転がってるのを狙っている。むらがっているハエも目立つ。通りには歩いている人もいたけれど、みんな僕とおなじように、変だなと思いながらしょうがなくいつものところへ歩いてるみたいだった。


 自転車をこぎながら、昨日の夢のことを思い出した。ユミと稽古しなくなって二年半になる。しかもきっかけは嫌な思い出だった。中学に上がる直前の一月に、僕とユミは玄静館っていう剣道の道場をやめた。


 そのころ、隣町の新東館にネコっていうあだなの女子がいて、ユミのライバルだった。ユミは中学でもそいつに勝つために必死に稽古していた。当時の練習量は半端じゃなくて、僕も含めて小学生じゃもうなかなか勝てないレベルだった。そんなある日、試合形式の地稽古で、五本連続ユミに取られたことがあった。周りの人たちもびっくりしていた。そのくらい、その頃のユミは絶好調だった。恥ずかしくてさっさとやめたかった。


 そこでふと、変なことを思いついた。


 ユーチューブで見た警察剣道だ。警察の試合は普通と少し違って、足払い、体当たり、押しだしなんかがある。もちろん普通の試合だと反則だけど、警察の場合はきれいに決まると一本だ。それがなんか格好よくて、こっそり練習していた。


 ユミの面を受けてつばぜり合いになったとき、ふっとやってみたら面白いようにユミはころっと転んだ。ところがその勢いで、ユミは床に頭を打ってしまった。あっと叫んだ。ユミは倒れたまま苦しそうにうなっている。あわてて面を取った。


「おまえ、なにやってんだ!」


 横で見ていたじいちゃんが割って入ってきた。グーで横から思いっきりぶん殴られた。バキっていう派手な音。最後に残っていた乳歯が折れて、血と一緒に床へ飛んだ。


「正吉先生、殴ることはない」


 他の指導員たちも入ってきてユミをかかえた。ユミが面を外してわんわん泣いていた。少し休んでから、先生に、今日は帰りなさいと言われた。帰り道に、じいちゃんは僕をなぐったことをなんども謝った。あとにも先にも、じいちゃんに殴られたのは、その一度だけだった。


 その日から、僕はユミとほとんど話さなくなった。


 二月、二人とも四天王寺神泉に合格して僕は剣道部に入ったけれど、ユミはなぎなたをえらんだ。それ以来、時々ぎこちなく話すときはあったけれど、まともに話したのはこの前が久々だった。


 せっかくきっかけもできたんだし、昨日のことと一緒に、そのときに謝ってなかった話もしよう。そう思って学校に到着した。自転車を置いていつもどおりに靴をはきかえた。


 ところが廊下に入ると、町よりももっと様子がおかしかった。校舎の中がやたら臭い。それも魚や生ごみとは違う変な臭いだ。果物のマンゴーみたいな、それに腐った肉を足したみたいな。


 教室はがらんとしていた。でも、なにかが動いてる気配がある。


「なに?」


 床をみても、最初はよく意味がわからなかった。そこに散らばっている姿へ声を投げた。何人もが床にふせている。違う。倒れている。変な声を出していた。呼吸の音みたいな、しゃべり声みたいな、その間みたいな。


 なんだろう。誰かを驚かす冗談かな。そう思って近づいたとき、背中へ音が届いた。足音じゃなくて物音だ。女子が一人。ワイシャツにスカート。制服。なんか見覚えがある。昨日すれ違った人だ。制服から三色の手足。灰色の肌。紫色の肉。真白い骨。


「なんで?」


 変なことを口走った。そんなことを聞いてどうするんだ。頭の中をめちゃくちゃな順番で単語が走る。暴れる。ロメロ。病気。


 口は半分くらい破れて、歯がむき出しになっている。目はくぼんで、人間と、いや、動物とも思えない。彼女が突然、力まかせに腕を振りまわした。ほっぺたを何かがかすった。壁に跳ね返ってころんと床へ。指だ。指がピストルの弾みたいに僕の横を飛んでいった。ひっと息を吸った。腐った臭いが直撃して吐き気がこみ上げた。


 殺される。


 ロメロだ。死にかけの怪物だ。冗談じゃない!


 集団がわっと集まってきた。巨大な虫の集団みたいに。黒くて臭くて汚い、雑菌や害虫がそのまま人間になったみたいだ。玄関にも大量にいて出るのは無理だ。体育館に向けて走った。なんでこんなことになってる?


 部室のドアが開いていた。中に誰かいる。


「あ? 邦彦?」


 ぎょっとして、一歩足をひいた。昨日、僕のことを使えないって言ってた奴だ。


「お前もロメロか?」


 そいつは木刀を持って部室から出てきた。


「なんか言えよ! お前もロメロか?」

「ち、違う」

「じゃそう言えよ! これで頭行くかと思ったろ! お前でいいから持てよ!」


 素振り用の木刀を足元に転がした。


「なんで?」

「なんでじゃなくて!」


 鼻でバカにしたみたいな声で木刀を指さす。


「いや、じゃなくてって……」

「早くしろって言ってんの!」


 そいつは僕が木刀を拾うと、さっさと渡り廊下に向かった。しょうがなく後をついて行く。


「あーなにこれ、マジむかつくんですけど。意味わかんないんですけど」


 答えずに後ろを歩いた。こいつは前から苦手だった。剣道は強いけど、なんでもかんでも文句をつけて、バカにして、それが行動の全てみたいな奴だった。


「うわ、もう来た死ねよクソ。くせえしマジクソだよ」


 渡り廊下の先に、ふらふらとさっきの奴らが歩いている。死体がそのまま起き上がったみたいだ。足を引きずりながら、近くにいたいくつかがこちらへ向かってくる。


「どけ殺すぞおら!」


 大声を叩きつけた。それがよくなかったようだ。かえって何人もがこっちへ足を進めてきた。先頭の男子というか、男子だった奴がぐらぐらと体をゆさぶって間合いをつめてくる。僕にも怒鳴り声が飛んできた。


「お前もやれって言ってるだろ!」


 そんなこと言ってないけど、反論してる余裕がない。腰が引けたまま、木刀を正眼に構えた。端にいるできるだけ弱そうなやつに面を打ち込んだ。がくっと下を向いて、目玉が二つこぼれおちた。


「うわっ!」


 慌てて横を見る。そこでもう一度さけんだ。さっきまで木刀を構えてたやつが、取り囲まれて姿が見えない。木刀がカラン、カランと転がった。


「邦彦なにやってんだ! 早く! こいつら……」


 声を消すように、バキバキバキと聞いたことのない音が響いた。床に赤い色が広がっていく。ぼとりと音がした。鈍い色をした内臓だった。そこでようやくわかった。予想していたよりも、ずっと大変なことが起きているんだ。


 木刀は捨てた。とにかく逃げまくった。みんなロメロで怪物になってる。まともに話せそうな奴が一人もいない。校舎から出られると思った最後の廊下は最悪だった。横いっぱいに広がっている。視線がゆっくり集まってきた。逃げてきた廊下へも戻れない。背中に壁がぶつかった。顔からぼたぼたと涙が落ちた。生まれて初めて、これから死ぬんだと思った。


 なんで。何もしてないのに。


 何かないかとポケットをまさぐった。手ぬぐいしか入ってない。水なんかかけてないし、縛ることもやってない。言われたことなんか全然覚えていなかった。うずくまる。抵抗する気にもならない。ただ、死ぬのを待つしかない。


 ところがそこで、僕に向いていた灰色が一斉に反対を見た。


 ダンと床をふみしめる音が聞こえた。廊下の先。突然、毎朝最初に聞く声が響いた。


「くにひこーっ!」


 校舎の下駄箱の向こうから飛び出した姿。目の前の奴らがそろって動きを止めた。


「じいちゃん?」


 奇跡的に声が出た。じいちゃんの耳はそれを一発で聴き分けた。


「邦彦、うごくなあ!」


 じいちゃんだ。左手に刀を持っている。なんでここに? 


 遠目に三体が体当たりで吹き飛ばされた。大柄な死にかけがそっちへ歩き始めた。担任の先生だ。カミナリだ。じいちゃんがその前で止まり、深く腰を落とした。熊と梟の彫刻を握りしめている。金属がこすれる音と同時に、銀色が駆けた。


「ねいりゃあぁ!」


 地鳴りみたいな大声に合わせて、獣のように刀が踊る。風の音に遅れてカミナリの首がコルク栓みたいに吹きとんだ。


「どうらしゃーい!」


 一声の中、袈裟斬りが連続で三つの胴体を六つに分けていく。遅れて真っ黒な液体が左右へ飛び散った。


 ばたん。ばたん。ばたん。

 ばたん。ばたん。ばたん。


 死体の向こう、横一文字に構えた刀。平行にそろった鷹を思わせる眼。荒い息を刻みながらじいちゃんが刀を振った。刃にからまった臓物がばしゃっと落ちる。血だまりが広がっていく。


 蝦夷拵えぞごしらえ会津兼定あいづかねさだが、その上へ鈍い光を落としていた。

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