第23話 言えないことがある

 一階がコンビニになっているマンションに入った。ネコがやたらうれしそうに食べ物をかき集める。


「あぁー! お客様! 困ります! あー! あーっ! 富士の天然水! お客様! きのこの山!」

「うるせえ」


 ショウさんに小突かれても気にせず駄菓子を詰めこむ。聞いたことないけれど、ネットで流行ったギャグかなんかなんだろう。ビニール袋を山ほど抱えて階段へ。鍵があいている部屋を見つけて、誰もいないのを確認して入った。多分大学生の一人暮らしだ。


「邦彦、お前ちょっと休んでろ。その間にできることやってやるぜ」


 ショウさんが布団を指さした。生活感のある部屋の中で、おずおずと横になった。


「すいません」

「すまなくねえよ」


 それでも何かを言いたかった。何を言えばいいのかわからなかったけれど、自分の落ち度を二人に埋めてもらったのは間違いない。あおむけになって目を腕で覆いながら言った。


「一人でできるってうぬぼれてたんです。それにクラスメイトに会って、そいつもユミを……」

「寝てろって言ってるだろ」


 ショウさんは白樫の木刀の切っ先を金やすりで削っている。目は武器へすえられていたけれど、心がこっちを向いているのがわかった。これ以上謝ったらかえって悪いだろうか。と、口を閉じたところでネコが助け船を出してくれた。


「邦彦、兄貴は口下手なんで許してやんなよ。ツイッターで『私は話しかけやすい・話しかけたい・話しかけにくい・怖いでどれですか』ってやって、一番下がぶっちぎり優勝でさ」

「なんで俺のアカウント知ってんだよ!」


 思わず吹きだして、さすがにショウさんも顔を崩した。ネコが一番高い声でゲラゲラ笑った。世の中がどうなろうが知ったことかっていう、陽気な笑い声が頼もしかった。僕は助かったんだ。


「セント・ポールの人たちは今は?」

「多摩川渡って駒澤よ。こっちの途中でユーハさんにも会ったぜ」


「全員助かったんだね。全員」

「邦彦のアイデアが大当たりで、うまくいったよ」


 雨が止まず、結局僕たちはそこへ一泊することにした。ワンルームに夜が来ると、またスマホを立ち上げた。八時になっても連絡がない。ついに電池も充電も切れたんだろうか。消して、少し寝て、一時間くらいで目が覚める。電源をいれて消してまたつけた。同じことを三度やった。目をきつく閉じた。


 電池が切れただけだ。それだけだ。寝返りをうっても眠くならない。くそっ、と、悪態をついて目を開けた。ユミは今、どうしてるだろう。


 イラつきながら窓へ顔を動かして、あれっと思った。


 隣にいるはずの二人が布団にいない。どうしたんだろう。二人でトイレって言うのも変だ。スマホの光をドアへ向けると、外への鍵があいていた。見捨てられるにしてもおかしい。ドアに近づくと、小さな声が聞こえた。


「明日もあるんだ。もうやめろよ」

「冷てェなあ。あたしたちの時間はどうなるんだよ」


 わずかにあいたドアの隙間から様子を見る。ネコが、ショウさんの首へ手を回していた。何やってるんだろう。のぞき見なんて失礼かなと思ったけど、思わず声をひそめてスマホも消してしまった。二人はパジャマのまま向かいあっている。


「もうよせよ。こんな時だぞ」

「いまさら誰の顔色うかがってんだよ。もう法律も規則も関係ねェだろ。酒もタバコもえっちもやり放題さ。もう少し楽しんだらどうかと思うね」


 えっちって、エッチのこと? 自分の脳内でひらがなをカタカナに変えて、そして勝手に赤くなった。


「邦彦を手伝いたいって言ったのはネコだろう」

「目的ないままだと、兄貴、死んだみてェだからなあ……あたしらの関係バレて道場から逃げて、流派変えて、今度は先生死んで……」


 言いながら、ネコはショウさんの手を取って、赤いシャツの中に連れ込んだ。ばっとショウさんがそれを引っ込める。


「よせ」

「やだね」


 へっと笑って、ネコが手すりから空へ目を向ける。なんだ、これ。ラブシーンみたいな……いや、みたいじゃなくてラブシーンなんだ。でも兄妹だって聞いてたのに。


「根性ねェの。つまんねェな」

「お前のことは大事だ。でもそういう意味じゃねえ」


「いまさら? 何度もあたしのベロなめたくせに、肝心なお楽しみまで行けないお兄さんが?」

「いい加減にしろ!」


 ショウさんが壁を殴る。ネコが舌でちろっと唇をなめて、伏せた目を戻しながら小さく鼻で笑った。


「今さら兄貴の壁ドンに萌えねェよ。邦彦が起きるぜ」


 冗談じゃない。もう起きてるよ。


「素直にあたしの体でもしゃぶってりゃいいのによ。まだ気にしてんのか」

「決まってるだろ。簡単に割り切れるかよ」


「兄貴のせいじゃねェよ。泣き出してうずくまっちまったからな。お嬢さんはお嬢さんさ。ほとんど生き残ったんだ。そっちを見ろよ」

「一人だけでもやられたんだ」


「忘れろ。ユーハさんにも黙ってたんだ。もう忘れるしかねえよ」

「仲間助けて食われながら、行け、行けって言ってたサエコさんの声をか?」


「そう言って自分を追い詰めて、何か楽しいか?」

「楽しいかどうかじゃねえだろ」


「忘れろ、バカ兄貴。まだ邦彦を助けてやれるだろ。あたしたちの武術で人を助けるのは、あたしたちの呪いを解くための罰さ。そう決めたろ」


 忍び足で寝床へ戻ったけれど、今度は別の意味で眠れなかった。


 死んだ。


 サエコさんが。


 他は駒澤まで行けたにしても、一人でも死んだ。もし僕やユーハさんが一緒だったら? もしかしたら助かったのかもしれない。でもその逆もありうる。色々考えてみたけれど、もう何もできない。諦めるしかない。


 怖かった。事実を重く感じなかった自分に。名前を知っている昨日まで話していた人が死んだのに。かえってそれが不気味だった。


 そしてもう一つのことも心臓を早めた。兄弟のいない僕でも、あの会話の意味はわかる。二人には二人の動く理由があったんだ。僕を助けてくれたのも、ネコが新東館をやめて別の武術をやっていたのも、僕に会うまで二人きりだったのも。兄妹であんなに似た個性派ファッションっていうのも。自分たちがやってはいけない生き方をしているっていう自覚があったからなんだ。


 人を救うことで自分を許してもらう。それがあの二人の理屈だ。いや、宗教だ。どう考えればいいんだろう。あんなことしていいんだろうか。でもどんな事情があっても、二人は僕を真剣に助けてくれた。ネコのいう通りだ。気にしていられない。生きる人が生きる。愛し合う人が愛し合う。いいかどうかじゃなくて、それしかない。


 考える時間は短かったけれど、布団の中でなんとか納得した。死んだサエコさんのことはお祈りする。ショウさんとネコには感謝して、愛し合ってるならそれを応援する。僕にできることはそれだ。それ以上は、僕には無理だ。学校に通ってた頃は気がつかなかった。他人って、なんて遠いんだろう。


 他人って頭の奥底へ沈めて、僕は固く目を閉じた。ユミのことを考えようとした。僕が、今、リアルに感じられるのはそれだけだった。


 *


 翌朝。アンテナが立たなくなって、スマホは完全にシャットダウンした。ユミに告白してから先の会話は途切れた。あとわずか。なんとか無事でいてほしい。


 町田駅の方角には境川へさしかかった時にかなりの人数が見えた。川の水を直に飲んでいるようだ。近くのホームセンターで、新しいスコップを手に入れて外に出る。ネコが道路の先で乱雑に散らばっている車と、その隙間を埋める死にかけを見つめた。


「なあ。ずっと考えてたことがあんだけどよ。あいつら、燃やせねェかな?」

「火を近づけたことはあるよ。逃げない。火を珍しいと思ってない。熱い痛いは分からなくなるようだから……見てどう反応するかだろうね」


「にしたって生きてんだし、燃やせば死ぬわなあ。燃やしてみねェか? ガソリンならいくらでもあるぜ」


 ネコが車を指差して、ライターと梱包用テープを取り出した。ナイフで切って火をつける。


「燃えるな。これで車、爆発させてみようぜ」

「ひどい環境破壊だなあ」


 呆れた声をネコにかけたけど、いやいやと首を横に振られた。


「これだけ人間が減ってんだし、環境様はもう大喜びよ。ちょっとだけ、この生きのこりに空気を汚させていただこうじゃねェか」


 ショウさんも、やる価値はありそうだと納得した。ネコがペンチを取り出してショウさんへ渡す。ショウさんがトヨタのRVに近づくと、給油口をペンチで壊してテープを突っ込んだ。


「入ってるな。俺は行けそうに思う。やるだけやってみよう。集まるか、散るか」

「どっちにしろ、それ見てなんかしら思いつくさ。かの名著三国志によると、だいたいピンチになったら火を使えば解決するはずだぜ」


「お前の知識はなんでも三国志だな」

「なんでも戦国な兄貴と大差ねえよ」


 テープを伸ばして移動し、物陰に隠れる。端に火をつけた。


「さてどーなるかね」

「あんまり顔ださないほうがいいんじゃない?」


 テープに着いた火は燃えながら給油口へむかい、そこから勢いよく火が噴きだした。けれど、それはコンロの火のようにぼーっと横へ伸びたけれど、それ以上大きくならないように見えた。


「なんかダメだな。爆発しねェや」


 ショウさんがじっとその火を見てつぶやいた。


「気化してないからだな。液体は基本燃えないんだ。気体になって酸素と混じってようやく燃えるのさ。理科でやったろ。タンクの中はあんまり酸素がないからな」


「タンクから外にガソリンを出せばいいんですか?」


 ノートにメモしながらショウさんに聞いた。ユーハさんの勉強している姿を見てから、それを習慣にしている。スマホも使えないし、手書きに早く慣れたかった。


「バイクのガソリン盗んだときに使ったホースがある。そいつでガソリンを地面にまいてみるか」


 ショウさんが一メートルくらいのホースを取り出し、車からガソリンを吸いだして火をつけた。めらめらと地面が燃えた。ネコがそれを見てちぇっと舌を打った。


「なんかこう、期待してたドカンってのがねえな」

「期待してたの?」

「どうせなら面白いほうがいいのによ」

「そうかなあ」


 言いながらも、僕も本音ではそういう考えはあった。ただ、なんにしても今は役に立ちそうにない。


「爆発ってのは火で温度が上がってから密閉した気体が膨張して、圧力に耐え切れなくなった部分が割れて起きるんだ。密閉してなければ、ただの火事だ」


 炎をみつめながらショウさんがつぶやいた。火は車を包んでしばらく燃えていたが、そのうち小さくなっていった。その中から炎をまとってゆらゆらと集団がやってくる。燃えたまま近づいたらまずいなと思ったけれど、そいつらはすぐに倒れて死んだ。


「そうか。煙を吸って死ぬのか。よし、量を増やそう。ありったけ燃やしてこの中に奴らが突っ込んでくるなら、かなりの数を一気に片づけられる」

「さすが兄貴。面白くなってきたんだろ」

「お前と一緒にするな」


 そこらじゅうの給油口を壊す作業が始まった。片っ端からホースを突っ込んでガソリンをまき散らす。


「ちょうど来やがった。あいつらで試してみよう。あと、ドアを閉めた車なら爆発もあるかもしれねえ」


 ショウさんがビニールテープを引き出して火をつける。そこで車の一台からドンと鋭い音が響いた。ついに車の一台が爆発を起こして、死体が花火みたいに吹き飛んだ。


「たまやー」


 ネコの声に続いて、一体は僕たちを飛び越えて、上半身が後ろに落ちた。その声を消すように、もう一台、背の高いトラックが鋭い音で爆音を立てた。何かが降ってくる。


 上をみて、それからあっと声を出した。


「ネコ、避けて!」

「はん?」

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