第30話『ママ と ハルト』
「……う。 ここは?」
ハルトは自分がどこにいるのか分からず、周囲を見渡す。自衛隊の73式小型トラックに座っている――そして目の前には、彼女が座っていた。
「森じゃない……平原? 魔装騎兵は?」
車の前で口論していたクロエとスチームクロウ。二人が、ハルトの声に気付き、後部座席へと駆け寄った。
「勇者ハルト、お目覚めかな?」
「スチームクロウ……ここは? まさかの天国?」
「冗談が言える元気があって、大変よろしい。無事でなによりだ」
「俺は魔装騎兵に潰されたんじゃ?」
二人の会話にクロエが加わる。彼女がその時の様子を語った。
「彼女が、あなたのことを助けたの」
「なんだって?! いったいどうやって?」
「声の一喝だけで、あの巨人を静止させ、平伏させたの」
「声で? 魔法とか、そういったものを使ったんじゃ――」
「た、たぶん……魔力は感じなかったから」
その光景を目にしていたクロエは、さすがに声だけで、魔装機兵が無力化したとは思えず、再度考察する。そしてある可能性が浮き彫りになり、先の発言を取り下げた。
「――いえ、そもそも魔装騎兵の挙動が不自然だったから、もしかしたら……土砂崩れの際に、内部機関が壊れていたのかもしれない」
「偶然に助けられたか……。土砂の下敷きになれば、そりゃ壊れるわな。――にしても、そんな無茶するなんて」
「きっとハルトのことが心配だったのね。すごく威圧のある声で叫んでいたわ。『騎士である者が礼儀を忘れたか!』――ってね」
「そういう喋り方もできるんだな。俺との会話では、ほとんど猫撫で声っていうか、こう……なんていうか、甘えた声しか出さないから……意外だよ」
そして噂の渦中にいた彼女こと、ママが目を覚ます。
「ん、んん……」
ハルトがそれにいち早く気付き、急いで彼女に駆け寄った。
「大丈夫か!」
「……? あなたは……誰?」
女性のその言葉に、ハルトは凍りつく。
それは今までの旅の記憶が、彼女の心から消えてしまったことを意味していたのだ。ハルトは動揺することさえできなかった。ただ空虚に、心にポッカリと穴が空いたような感覚に陥る。
しばらくの沈黙の後、ハルトは女性の頬に手を乗せる。そして優しく、慈愛に満ちた言葉を捧げた。
「大丈夫……私は、貴女の味方です。だから……だから安心してください」
ハルトは言葉を詰まらせながらも、彼女にそう告げた。
女性は「なんて紳士な子なの」と優しく微笑みながら、その言葉に礼を述べる。
「嬉しいわ。そのお心遣い、感謝します」
「礼を言うのはこちらのほうだ。ありがとう」
「え?」
「あ。いやなに……こちらの話です」
「そうですか。あ、あの!」
「?」
「大変恐縮なのですが、私、記憶が……ないのです。不躾けは重々承知の上。どうか! 私の願いに耳を傾けてはもらえないでしょうか!」
もはや女性に、彼女の面影はなかった。まるで貴族の女性のような丁寧な口調で、願い事を申し出ている。その時、改めてハルトは、ママを名乗る彼女には永遠に逢えないものと思い知る。とてつもない寂しさが、ハルトの心に広がる。
しかしハルトは気丈にも、涙を堪え、彼女と同じように紳士的に対応した。
彼女は死んだ。
しかし、こうして無事に生きているではないか。
これ以上のことを求めるのは、贅沢の極みというものだ。
互いの無事に、神に感謝する。そしてまた新たな門出に、決意を固めた。
「そんなに畏まらないでください。なんなりと、お申し付け下さい。貴女の記憶が戻るのなら、どんなことでもします。どんな……ことでもね」
「なんと……なんと身に余る御言葉。ではその言葉に甘えてもよろしいでしょうか?」
「ええ。なんなりと」
「もしかしたら、お伽噺のように息子の……じゃなくて、王子の愛あるキスをすれば、記憶が蘇るという王道的な展開があります。失礼は承知の上。どうか私の頼みを聞いて下さい。私と愛ある、夫婦のような濃厚なキスを――」
「おいちょっと待て。今なんつった?」
「『王子の愛あるキスをすれば記憶が蘇る』」
「違う。その前だ」
「『じゃなくて』?」
「違う! その『じゃなくて』の前!」
「…………『の』」
「その前だ! 見苦しい抵抗すんな! お前バッチリ『息子』って言ったよな? しかも言った後に『王子』って言い直したよな?! 記憶消えてねぇなこれ! ガッツリ残ってんなぁこれ! そもそも『夫婦のような濃厚なキス』ってなんだよ!! つーか、初対面の人に普通要求しねぇよなァ!!!」
「いえいえいえ! 消えてます消えてます! 綺麗さっぱり! でもほら。今ならキスすれば奇跡的に蘇るかも? いえ蘇ります! 今ならキャッシュバックできます!! 蘇るに決まってるんです! 愛する息子と一線越えまくりのディープキスでフォーエバートゥルーエンド、待ったなしです!!」
「待てよ! 俺の気持ちの整理つかないから、待てよそこは! こっちは本気で心配したんだぞ! 俺のこの気持の行き場のなさ。分かる? すげぇモヤモヤしてるんですけど!!」
「だって絶好のチャンスだと思ったんだもん! 息子と距離縮めるチャンスだと思ったんだもん! ママ悪くないもん!」
「時と状況と場所を考えんか! この馬鹿者!!」
ママがボロを出す。
記憶喪失を装って息子とキスする魂胆だったが、致命的にも肝心要なところで、王子と息子を言い間違えてしまったのだ。慌てて繕ったが、もう後の祭りである。
二人は、今までできなかった分の会話をするかのように、互いに言葉のボールを投げつけあう。
――その押収は、どこか幸せで、絶えず笑みが零れていた。
それを見守るクロエが、スチームクロウに訪ねた。
「あの……これ、止めなくていいのでしょうか」
「まぁここは、好きにさせてあげましょう。これが、家族水入らずというものですかね? ハハハハハッ」
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