第3話『ママと肉体言語(物理編)』※



 少年の足は早かった。人混みの間をすり抜けるように走り、距離を離していく。



 少年は隙を見て路地裏へと逃げ込む。そして人一人がやっと通れる狭い道を通り、裏通りの袋小路に入った。



「ハァハァハァ……」



 少年は木箱の影に隠れ、必死に息を整える。そして追ってこないかを確認するため、木箱の影からそっと顔を覗かせようとした――その時、



 「うわ?!!!」



 少年は何者かに首根っこを掴まれ、ひょいっと持ち上げられたのだ。

 持ち上げた人物は、少年を追っていた冒険者だった。



 「かけっこしたいのか? わざわざ金盗まなくても、頼めばいくらだって付きあってやるのに」



 そして少年の手から路銀の入った袋を回収する。



「――で。なんでこんなことしたんだ? 金を盗むにしても、もっと狙い目の奴らは、大通りにゴロゴロいる。なにせ景気のいい、こんなご時世だからな。貧乏丸出しの俺を狙うのには、それなりの理由があるはずだ」


「そ、それは……」


 何かを話そうとするが、少年は押し黙ってしまう。


 なにか嫌な予感がする――彼の直感がそう告げた時だった。



 裏路地のドアが開き、ゴロツキ共が姿を現す。

 そして冒険者の退路を塞ぐように、彼らの仲間が


 冒険者は袋小路に閉じ込められてしまった。



「……罠かよ」



 少年はか細い声で、冒険者に「ごめんなさい」と告げる。


 その少年の雇い主であるゴロツキ。彼らを束ねている頭が、冒険者にいちゃもんをつけ始めた。



「おいおいにーちゃんよぉ、ずいぶん見せつけてくれるじゃ~ん、あんな上物の娼婦を連れ回してよぉ~。昨日からあの女が、俺の脳裏に焼き付いて、離れねぇんだよ。これさ、どうしてくれんの?」



 それに続けと、ゴロツキ達が口々に提案を突き付けた。



「別に脅しているわけじゃないんだ。俺たちもよぉ、ちょ~とだけ、あの娼婦といいことしたいな~――て、思っているだけなんだ。なぁ? みんなもそうだよな?」


「そうそう! 騎士道の助け合いの精神ってやつよ。ちょっと穴とでっかく実った胸を貸してくれるだけでいいんだよ。な? いいよな?」


「お前も昨日、楽しんだんだろ? あのデカイ胸にむしゃぶりついてよぉ~! へへへへへッ! なんならちょっと小遣いやるからさぁ、あの女と一発ヤらせてくれよぉ~」




 ゴロツキ達はナイフやカットラス、ウォーハンマーを手にしている。もちろん冒険者に向けてはいないが、その手つきは明らかに『逆らえば殺す』と名言していた。



 要するに彼らの要求はこうだ『あの女を俺たちに譲れ。さもなければ殺す』だ。


 実に分かりやすい要求。身なりに合ったなんの捻りもない要求――いや、実質脅迫だった。



「あー、もし『断る』――と言ったら」



 冒険者がその言葉を口にした瞬間。へらへらと笑っていたゴロツキから笑顔が消える。その下から出てきたのは、人を見下した視線と、明確な殺意だった。



 冒険者は殺意の視線を注がれつつ、この不気味な沈黙の中で佇む。攻撃魔法どころか、仲間の能力強化を付加させる、エンチャントやバフすらも使えない。


 そういった意味では、彼は平民であり、普通の人間なのだ。


 魔法の使えない、ヒエラルキー最下位の冒険者。――しかし彼は、この世界の多くを占めている普通の人間ではない。


 異世界から召喚された勇者なのだ。


 本来、異世界から召喚された勇者の多くは、人外な魔力を授かって召喚される。



 しかし彼は、それを授かることはなかった。


  

 もしこれがライトノベルなら、今頃、人外じみた魔法でゴロツキどもを蹴散らし、主人公補正を披露しているだろう。


 しかし現実はラノベのように上手くはいかない。


 魔力0 戦闘能力皆無な彼に、ゴロツキと肉体言語で語り合うのは不可能な話だった。



 だが冒険者の都合など、ゴロツキどもにとって、どうでもいい事なのだ。


 彼らの脳裏にあるのは、あのグラマラスな女を手に入れ、性欲を満たす――ただそれだけだった。


 その時ゴロツキの間から、一人の少女が飛び出す。少女は布で体を隠しているが、その下は下着すら履いていない有様だった。


 少女は泣きながらある場所へと走る。路銀を盗んだ、あの少年の元へだった。彼女は少年の胸に飛び込み、そのまま胸の中で泣き崩れた。


 その様子にゴロツキ達は同情しない。それどころか少年を煽り、少女の心を踏みにじる言葉を投げつけたのだ。



「なに泣いてんだよぉ! 昨日はあんだけ盛ってたじゃねぇか!!」


「女って怖ぇ~。 なぁなぁ、昨日ベッドの上で俺たちに言ったセリフを、そいつに聞かせてやれって!」


「その娘はよぉ! 俺達に感謝しまくってたんだぜぇ!『大きくて』『気持ちいい』んだとよぉ!! だよなぁ!!」


 下劣な者たちの嗤い声。その大合唱の中、少女は嗚咽し、少年は助けられなかった罪悪感を共に、強く、その少女を抱きしめた。泣きながら。何度も『ごめんね』と謝りながら……。


 おそらくゴロツキ達は昨日の夜、冒険者をおびき寄せる役として少年に目をつけ、その近親者である少女を拉致、暴行。『彼女を解放してほしければ、男をここまで連れてこい』と脅したのだろう。


 盗みをした少年に罪はある。だがそれは、人質に取られた少女を救うための行為だった。


 罪を憎んで人を憎まずと言うが、その罪を創り上げ、人の尊厳を侮辱し、踏み躙る者達――そんな人間の風上にも置けない輩を許すほど、冒険者は寛大ではない。



「なんて酷い事を……あんたら、人の心はないのか!!」



 冒険者は目を細め、ゴロツキ達に睨みをきかせる。


 それを見たゴロツキ達は、怯むどころか『それがどうした』と鼻で嗤った。

  


「俺達は人間様だ。ハーフエルフのガキをどう使おうが、勝手だろ」



「ハーフエルフ?」



「おいおいにーちゃん、目をどっかに落としたのか? そいつらはハーフエルフだ。耳を見てみろマヌケぇ!」



 ゴロツキの言う通りだった。二人の耳は尖っており、俗に言うエルフ耳と呼ばれる形をしていた。



 追うのに必死なあまりに、肝心な部分を見落としていたのだ。



 それでも冒険者の怒りは収まらない。例え人間だろうがエルフだろうが関係ない。

 それが子供たちを巻き込み、二人の心を傷つけて良い理由にはならないからだ。



「だからどうした! 子供にこんな非道なる仕打ち。人の道に反する行為だ!!」


「おうおう勇ましい~。でも声が震えまくりで、ブルってんぞ!」



 痛いところを指摘され、思わず押し黙ってしまう冒険者。それもそうだ。こうした喧嘩越しの会話は、人生に一度や二度しかない。彼らのように日常的に恫喝を行っているわけではない。不慣れなのだ。


 冒険者は声だけでなく、その脚はガタガタと震え、立っているのがやっとだった。



 それでも引き下がれない。



――自分の後ろで泣いている、ハーフエルフの少年と少女。



 その存在が、砕けそうな心を繋ぎ留め、立ち向かう勇気を与えていたのだ。



「話し合いで解決してやろうと思ったのに、ほんと残念だ」



 ゴロツキの頭がそう言いながら、目配せで『殺せ』と指示を出す。部下は頷くと獲物を手に、ゆっくりと冒険者に向かって歩き出した。


 冒険者は万事休すと覚悟を決める。そして自らの手を血に染めるべく、隠し持っていた獲物へ手を伸ばそうとした。





「かずくぅうううぅううう――――――ぅうん❤」





 この殺伐とした緊迫感に水を差すならぬ、水をぶっかける声が、裏路地に響き渡る。その元凶は胸を揺らし、男たちの視線を奪いながら、かずくんこと冒険者の元へ駆け寄ってくる。



「ハァハァ❤ かずくんダメだよ~❤ ママのこと置いてイッちゃうなんて。イク時は、ちゃんと『ママ イクぅ!』って言ってくれなきゃ~」



 冒険者はなんとなくムカき、ママのおでこをデコピンする。



「はわわ! 痛いよりゅうちゃん。子供の前でそんなハードなプレイを見せちゃ。性癖歪んじゃうし、ほら! こんなにも怖がって泣いてるわよ」


「うるせぇバカの助! そうじゃねぇよ、周り見てみろ周りぃ!」


「え?」


「泣かしたのは、ガラの悪いあいつらだ。子供使って盗みを強要させ、俺をここにおびき寄せるために利用したんだ。そして裸の少女は人質。あらかた、『この娘の命を救いたければ、言うとおりにしろ』――的な脅しかけたんだろうよ」



 ゴロツキの頭が拍手をしながら「そのとおりだ」と叫ぶ。



「大正解だ。独りになったその女を、アジトまで拉致る計画だったんだが……。やれやれ、あのバカ共ドジ踏んだらしい。女一人捕まえられないなんて、使えねぇな。まぁあんたから、こっちに出向いてくれるとは運がいいぜ。今日はラッキーデイだ」



「あのバカ共って、私をさらおうとした、あの二人組のことかしら?」



「あぁそうだ。ドン臭い奴らだ。胸とケツにデカイもんぶら下げている女に逃げられるなんてよぉ!! ハハハハハッ!! 笑える! マヌケすぎて超笑えるぜぇ!!」



「そんな事ないわよ~。現に私、不意を突かれて羽交い締めにされたもの。それに本人達の前で、そんなこと言ったら、かわいそうよ」



「本人たちの……前? あんた、なにを言って――」



 女性は無言で、ある方向を指をさす。



 ゴロツキ達は吸い寄せられるように、その指し示された方向へ視線を向けた。


 指された先。それはゴロツキが背にしている裏路地。その建物の屋上だった――。


 彼らが目にしたもの――それはロープでぐるぐる巻にされ、屋上から吊るされている二人のゴロツキだった。彼らは殴打によって顔をパンパン腫らし、屋上から、真っ逆さまに吊るされていたのだ。



 ゴロツキ達はどよめく。



「な?! いつの間に!!」


「クソッ! まだ他に仲間がいたのか?!」


 

 そう問われた女性は「なにを言っているの?」と首を傾げ、それを否定する。



「仲間? いいえ、あれは私一人でやったのよ。彼ら、あなた達と違ってとても素直だったわ。すぐに計画とアジトの場所をペラペラと喋ってくれたもの。だからすぐに、この場所が分かったのよ。屋上でアレを仕込みながら、りゅうちゃんに何度も投げキッスしたけど、全然リアクションくれなかった。あれにはママ、すご~くショックだったなぁ……」


 彼女はしょんぼりとした視線で冒険者を見つめる。そしてリベンジとばかりに、至近距離で投げキッスを「チュッ❤」と放つ。


 冒険者は体を動かすことなく、顔だけを傾け、母からの投げキッスを躱す。


 丹精込めて作った泣けキッスを避けられ、女性は「そ、そんなぁ……」といった顔で、さらにしょんぼりする。息子への無償の愛が、拒否されたのだ。




 まさかの事態に、ゴロツキ達は警戒感を引き上げる。




 ただ上物の女を捕まえるイージーミッション。それが、難易度と危険度がMAXの高レベルミッションへと早変わりしたのだ。


 女を捕まえるよう命じられたのは下っ端だ。しかし口先だけの雑魚ではない。並の傭兵をねじ伏せる力は十分にある。それがこうも簡単に斃され、アジトの屋上に、人知れず吊るされたのだ。




 ゴロツキ達は一様に、『この女、只者じゃねぇ……何者だ?』という視線を向ける。




「てめぇらまさか! ロイファミリアの手先か? ベルカの斥候士スカウト? いや、ハーフエルフを庇うってことは、亜人連合の残党か!!」




 女性は冒険者とベタベタしながら、自慢げに自らの正体を明かした。




「ブッブー! どっちも外れ。私は紛れもなく、ちーくんのママよ❤」




 そのちーくんこと冒険が、乾いた笑みを浮かべつつ、ツッコミを入れる




「かなりガバガバに紛れとるがな。だから名前統一しろって、その毎秒改名はデフォかよ」 


 



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