第8話『人は変わることができる』



 冒険者は無骨なハンドガンに視線を送り、過去を振り返る。



「魔法が使えない俺にとって、このハンドガンは頼もしい味方だ。最初は必要ないと思っていたけど……この世界は、諸行無常感もれなく6割増な世の中だ。自衛手段がいかに大事かを、嫌というほど学んだよ。これのおかげで、どんな窮地に立たされても勇気が持てた。本当に、助かったよ」



「それはよかった。そこまで言ってくれるのなら、渡した甲斐があったというものだ。なにせここらも、随分ときな臭くなってきているからな」



「きな臭く? そんなどの街も村も、そんな雰囲気はなかった。まぁ、絡まれたりしましたけど……」


「実は、ベルカの連中がここまで足を運んでいるそうだ」


「ベルカ……列強国の総本山が動くなんて」


「しかも、見慣れぬ新兵器を随伴しての遠征だそうだ。ふむ……どうやらただ事じゃない」


「じゃあ近々、この近辺でテストを……――いや、秘密裏に兵器譲渡を企てているのか? じゃなきゃこんな場所まで、あのベルカが遠征するわけがない」


「その可能性もある。ロボットアニメでよくあるシチュエーションだな。軍事力の均衡を保つため、あえて第三国に新兵器を譲渡する。表向きは『強奪された』というシナリオの元に……――。とにかく。演習にしろ単なる偵察にしろ、警戒するに越したことはない。身を守る武器はあるに越したことはない。なにせ歯と爪の抜けた獣は、格好の獲物だからな」




「それには激しく同意だ……」





 冒険者は元の持ち主であるペストマスクの男に、DW Valkyrieを渡す。そして武器を有効に使えない己を嘆きつつ、ある悩みを打ち明けた。




「実は、いざ撃とうとすると……どうしても引き金が引けないんだ。ほんと情けない話さ。撃てたとしても、射線を下にして敵の足に向けしまう。その癖が、どうしても抜けなくて――」



「それはそうさ。君は専門の訓練を受けていない。大東亜戦争時、米軍で歩兵発泡率の調査が行われた。すると米兵も君と同様に、人に撃つのを躊躇う傾向があった。訓練を受け、人を殺す覚悟を決めた人間でさえ、そうなんだ。


 君のような民間人が、銃を手にした途端、見違えるような殺人のプロフェッショナルになることは有り得ない。


 考えてみたまえ。


 いきなり異世界に召喚された平凡な少年が、なんの躊躇いもなく人を殺せるものか。もしいれば、そいつは明らかな精神異常者か、殺人を愉しんでいるサ純然なイコパスさ。 だが君は、銃口を向けるのを躊躇っている。君の精神は、間違いなく普通の人間であり正常だ。他でもない私が保証する。安心したまえ」



 冒険者は、敵を屠る覚悟のない自分に、ある種のコンプレックスを抱いていた。


 アニメやラノベに登場する主人公は、全部が全部ではないが、敵を颯爽と屠り、読者や視聴者を魅了する。――しかし自分はどうだ? 殺すのを躊躇い、いつも安全策や無難な道を模索している。


 自分が度胸のない腰抜けなのは自負している。


 『しかしこれで良いのか?』 

 『現実から目を背けているだけではないのか?』


 彼はいつもそんな問いを投げかけ、己に自問自答していた。 



 だがドクターの言葉が、そんな彼の迷いを払拭させた。





 殺すのを躊躇わないほうが異常なのだ。 




 そう。これは現実であり、フィクションとは違う。



 今日出逢った人々は人の腹から産まれ、それぞれに今まで生きてきた物語がある。小説のように昨日今日、突如この世に創生された架空のキャラクターでもなければ、ゲームを盛り上げるモブキャラでもない。



 誰もが息をし、心臓の鼓動を刻み、この世界で生きている存在である。



 銃口を向ける際に抱く、あの良心の呵責。それは抱いて当然のものだった。




 

 悩みが晴れた冒険者は、ドクターに感謝の言葉を贈る。その言葉の横に、今まで彼に対して抱いた疑問を添えて。





「ありがとう、ドクター。――そうだ。前に訊きそびれたが……あんたいったい何者なんだ? その身なりからして常人とは違うけど、俺の素性もすべて知っている。あの場に居合わせたのも、きっと偶然じゃない。それにこのハンドガンだって、この世界で手に入れられるシロモノじゃない。絶対に」



 

 ペストマスクの男は、話を聞きつつハンドガンから弾倉を抜き、スライドを引いて薬室から銃弾を排出させる。そしてDWヴァルキリーに異常がないか、軽く点検しながら、こう告げた。そつなく、本題を避けるように……。




「謎は謎のままでこそ、人の心に残り続ける。真実も魔術のトリックも、知ってしまえば、実に他愛もないものさ」



「つまり……知らぬが仏?」



「君が皮肉とは、珍しい事もあるものだ」



「いや別に、皮肉で言ったわけじゃ――」




 ペストマスクの男は、『おっと忘れるところだった!』という口調で、冒険者にある提案を告げた。




「ああそれと、ドクターという名前を変更したい。もっとこう…… この身なりに合った名で、自らに相応しい名乗ろうと思う」




「身なりに合った? じゃあその格好なら……レイブン――とか?」




 冒険者がなんとなくて言った仮提案。ペストマスクの男は、思わず吹き出してしまう。




「ハハハハッ! 大鴉レイブンか。実に良い! 懐かしさすら感じる心地いい名じゃないか。多銃身機関砲バルカンが似合いそうだな。――あぁしかし、もっと見たままの名にしたい」



「じゃあどんな?」



「スチームクロウ。私の名は、蒸気男爵スチームクロウだ」



 スチームクロウはそう言いながらマントを翻し、ハットを外し、深々とお辞儀をする。その上品な仕草は、まさに紳士だ。


 そしてその名前や風貌も相まって、人の命を救うドクターというよりも、蒸気都市を騒がす怪人である。もともと怪しさ100%だったものが、純度200%の怪しさにパワーアップしてしまった感じだ。



 ペストマスクの男こと、蒸気男爵スチームクロウ――彼はあることを思い出し、冒険者にこう訪ねた。

 


「――そういえば、君も名を変えてみたらどうかな? せっかく姿を変えたんだ、後生大事に、元いた世界の名を使う必要もあるまい。それとも、両親から貰った名が捨て難いか?」



 その言葉に、冒険者は名を変えることを選択する。もともと痕跡を残さないよう、本名を名乗らず、偽名ばかりを多様していた。しかしこれを機に、自分に新しい名を付けよう。新たな人生の門出として――。彼はそう思い立ったのだ。



「良い提案だ、乗ったよ。……俺も名を変える。そうだな――」



「今後しばらく世話になる名だ。心から納得するものを選ぶといい」



「…………決めた」



「おやおや。これはまた、ずいぶんと早い」



「実は、前々から使いたい候補があってね。とっておきの」



「ほほう。で? 君の新たな名は?」



「ハルト。俺の名は、今からハルトだ」



「ほう……ハルト。良き名だ。この異世界では、ハルトは民謡楽器の名称だったかな? それでは改めて。よろしく勇者ハルト――、いや、元勇者だったな」



「まぁ、まだ勇者だけどな。けど事実上の放逐処分受けた身だから、元勇者でも、なんら間違いじゃない」



「魔力がないからとはいえ、国から放り出すとは……。いやはや、なんと失礼な王だ。勝手に呼びつけておいて解雇か。無礼にもほどがあろう」



「国の内情を知っているのに、俺は殺されなかった。それだけでも、運がよかったよ。まぁあれだ。俺に新たな人生をくれたと思えば、腹の虫も少しは収まる。現に昔の俺じゃ、こうして普通に喋ることもできなかった。その点、異世界に召喚されたことは感謝しているよ」



「喋ることができない……吃音症か?」



「さすがドクター、まるで千里眼だ」




 ハルトは落ちぶれていた時のことを思い出す。


 それは人生の汚点であり、彼が隠したい恥だった。話すつもりはなかったが、心を許す存在であるドクターゆえに、自分の過去を曝け出してしまう。





「鬱がきっかけで軽度の吃音症を患い。もともとあったADHDも悪化しやがった。それはもう最悪だった。正直、もう一生あのままだと思っていた。だが、まさかこうも簡単に治るとはな。あの苦労は……死ぬほど悩んだあの日々は、なんだったんだか」



「まぁそう悄気げるな。これも召喚の恩恵というやつだ。異世界召喚もそう、悪いことばかりじゃない」



「どういうこと?」



「これだけ一気に環境が変化したんだ。環境が激変すれば、脳もまた変わるものだ。君と同じように鬱を患い、自殺を考えていた人がいた。彼は恩師に、『試しに自転車で、日本を旅してみろよ』とアドバイスされ、しぶしぶ旅に出たそうだ。自殺する場所を探すつもりでね。その後、彼はどうなったと思う?」



「え、……まさか、死んじゃった?」



「ところが鬱が治ったんだ。美しい景色を見て、美味しいものを食べて、今まで写真でしか見たことのない世界を、チャリンコこいで旅してまわる。多少の不自由やアクシデントはあれど、縛られるものはなにもない。自由気ままの一人旅。様々な人と出逢い、数多のトラブルを克服して、日本を堪能しまくったんだ」



「それって……今の俺じゃないか」



「そう。彼と君は、今、同じ道を歩んでいる。かつての君は、狭い部屋で悩み、苦しみ、絶望し、地獄を見た。髪は伸び、視線は死者のように虚ろで、服装にも気にかけなくなった。誰とも会わないからね」



「…………」



「『世界は劇場。人は誰しも、みな役者』着飾ることを忘れ、身なりを整えることを忘れた者は、それ相応の存在となる。ハルト。環境は変わった。君を縛り付けるものはもうなにもない。君はもう大丈夫だ。あとはこの世界で、自らの役割を果たすのです」



「自らの役割? 何言ってるんだ。俺は魔力ゼロの、最弱の勇者だぞ。なにもできやしない。そう、なにも――」



「もう薄々、気付いているはずだ。確かに魔力という観点から見れば、間違いなく君は貧弱であり、最弱と評価せざるを得ない。現に、勇者嫌いの君のママは、君が異世界から召喚された勇者と気付かなかった程、その魔力創生量は微弱だった。その点、君は普通の人間だよ」



 スチームクロウはコルトガバメントをマカロニ・ウェスタンのように手の中でクルクルと回転させる。西部劇でよく目にするガンプレイだ。本来オートマチックピストルで行うべき行為ではないが、その動作はあまりに自然だった。



 そしてスチームクロウは、彼の核心を突く。



「――しかし。別の角度から見ても、果たして君は、本当に最弱と言えるのか?」



「まるで俺がラノベの主人公みたいじゃないか。最弱、最低、劣等種。でもそれは偽りの姿で、本気を出せば最強の力が出せる――ってか? よしてくれ」



「なにも珍しい事例じゃない。カードゲームだって最弱のカードが、運用次第では最強カードに勝てるじゃないか。もちろん運も大事だが、自分の持っている手札が、どういう効力を持ち、どの場所で、どれだけ発揮できるのかを見極めるのだ。そうすれば、突破口は開ける」



「人生はカードゲームみたいに上手くはいかない。そんなご都合主義、この現実でまかり通るものか」



「浪漫だよ、浪漫。せっかく異世界に召喚されたんだ、『世界は劇場。人は誰しも、皆、役者』試してみる価値はあるだろう。現に君は変われた。そして君の手にはもう、そのチケットが握られているんだ」



「主人公という役を演じろと? 無茶を言いやがる」



「いいじゃないか、まるで君の好きなライトノベルの、主人公みたいじゃないか。タイトルはそうだな――」



「そんなもん考えなくていい。人生にタイトルは不要だ。生きている内に、墓石に名を彫るようなことはしたくない」



「そうだな……。『バブみ系最強ママ と 最弱の勇者ハルト』ではどうだ?」




 予想外斜め上のタイトルに、ハルトは思わず『ブフゥ!!』と吐いた。




「誰がそんな目に見えた地雷ライトノベル買うかよ! あんたそれ買える? そのラノベをレジに持っていくヤツのほうが、間違いなく勇者だ!」



「是非に買うとも! 見えた地雷は踏みに行くのが吉。恥ずかしげもなく堂々とレジを通って見せよう。それに私は、君のファンだからね」




 彼は笑いながらそう言った。



 

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