第32話 エピローグ
朝日が上がろうとしている。
そんな中、まだ陽が届かない場所があった。鬱蒼と生い茂る森である。
靄が漂う森の中で、せわしなく人が行き交う場所があった。テントや補給物資が並んでいる野営地だ。そこでは、騎士や従者たちが撤収準備に入っている。馬車に次々と荷が積まれ、慣れた動作でテントを畳まれていく。
なぜなら彼等の目的は完遂し、もはやここにいる理由がないのだ。
本国への帰還――懐かしの
そんな中、野営地に騎兵隊が到着した。馬から降りた騎士の顔は、緊張で顔が強張り、その口は真一文字に結ばれている。その騎士は課せられた使命を全うできず、しくじったのだ。
騎士は野営地の空気と相反する、重い空気に包まれながら、目的地を目指す。一番大きなテント――作戦司令本部だった。騎士はテントに入ると、即座に立て膝をつき、頭を下げた。
「申し上げます! 目撃者を……取り逃しました。馬での追撃を試みたのですが、足の速さに撒かれました。力及ばず、申し訳ありません! ゴウェイン卿!!」
部下からの報告に、一人の騎士が振り向く。
ブロンドの美青年――ゴウェイン卿が、良くない報せにも関わらず、笑顔で報告を受け取る。彼は片付けようとしていた地図を、一旦テーブルの上に置き、無事に帰還したことを喜んだ。
「よくぞ無事、戻って来てくれた。追撃が叶わなかったのは、あなたのせいではない。何分今回は、あまりにも不測の事態が多すぎました。勇者との予期せぬ邂逅に、あの俊敏な神機の登場。むしろ全滅しなかったのが不思議なくらいだ」
「ですが! 見られてはならない魔装騎兵が、世に知れ渡ってしまいます!」
「彼等は神機に乗っていた。つまり世に顔が効く連中ではない。陽の当たらない……いや、当たってはならない者たちが、自らそんなリスクの高い噂を広げるか? そんなことをすれば、己の首を絞めるようなものだ。――指名手配犯が、賞金稼ぎになるはずがない」
「では……秘密は守られたと?」
「私はそう判断している。だからそう自分を責めるな。むしろこのような悪状況下で、よくぞ奮闘してくれました。今回の無茶な作戦――その成功は偏に、優秀な部下の働きがあってこそのもの。私は部下に恵まれている……ありがとう。我が同志よ」
ゴウェイン卿は、結果を出せなかった部下を責めるどころか、逆に褒めちぎった。その言葉に部下は感極まり、目に涙を浮かべた。
「恐れ多き御言葉……恐悦至極であります」
「頭部を損傷した魔装騎兵を除けば、損害は軽微。あとは出来る限り、我々がここにいたという痕跡を消すことに注視しよう。魔装騎兵はまだ、世に出るべき存在ではないのです。誰にも……誰にも知られてはならないのだ」
「ベルカ本国からの指示ですね」
「直々に念を押されてね。どうやら魔装騎兵は、戦場で華々しくデビューを飾るシナリオらしい」
「やはりベルカ……いえ、列強国の面々は、どこかで戦争を?」
「画策しているだろうな。各国の自治領にある兵器廠が、すべてフル稼働している。あの生産量から見るに、今度の戦の相手は、魔族か、亜人か、それとも……」
「それとも? いかがなされましたか?」
ゴウェイン卿は口を紡ぎ、口にしようとしていた言葉を隠す。そして部下を不安にさせないよう、自然に笑顔を取り繕う。
「すまん、なんでもない。この場を和ませる冗談を言おうとしたのだが、思いつかなかっただけだ。気にしないでくれ」
騎士もゴウェイン卿の自然な笑顔に釣られて、笑った。
「――ところでゴウェイン卿。あの……私が捉えられた、少女たちの処置は? 本国からの指示では目撃者の口は、なんとしても封じよとのことですが……」
「アンファング公国のギルド ミュスティカ・ヒルシュ義勇旅団 の少女たちだな?」
「ハッ! 彼女たちは、その……あまりに若すぎます。どうやら冒険者になって日は浅く、駆け出しの新人と見受けします。できることなら――」
「どうか寛大な処置を――か? 安心したまえ。彼女たちは我々が引き取る。なぁに、いずれあの魔装騎兵は世に知れ渡るであろう。そうなれば、彼女たちがなにを口にしようが問題はない。これでどうかな? 不服か?」
「ハッ! ありがとうございます!!」
二人はテントを出る。すると魔装騎兵に登場していた騎士が歩み寄って来る。
その騎士は、兵器廠の戦術研究評価長だ。魔装騎兵の弱点を研究し、その戦術情報を本国へ報告。改善点を、それぞれの自治区の兵器廠に知らせる役割を持っていた。
これを怠れば、バラけた性能の魔装騎兵が配備されることになる。すべての魔装騎兵が一定の性能水準を維持し、過不足なく
平たく言えば、ベルカ本国に属する、テストパイロット兼、連絡員だ。
「捕獲目標を発見。実験施設へ搬送する必要はない。もう死んでいるからな」
「亡骸が見つかったのか?」
「ああ。実験施設から逃げたイヴィルリザード。その死体が、森の谷間で見つかった。どうやらミュスティカ・ヒルシュ義勇旅団の連中が、俺たちよりも先に仕留めたようだ」
「魔装騎兵に立ち向かって来たという、あの少年の仕業か。子供とはいえ……やはり勇者は勇者か」
「殺すのは忍びなかったが。あそこまで抵抗されては殺るしかなかった」
「正しい判断だ。少年とはいえ戦士は戦士だ。勇猛果敢な者には、同じように断固たる騎士として挑むべきであろう。そうでなければ、剣を握る相手に失礼だ」
「そう言ってくれると……罪悪感が薄れて助かる。亜人の子供を殺すのは、それほど罪悪感は抱かない。だが同族の子供となると、心が痛むものでな」
ゴウェイン卿は彼の肩に手を置き、「気持ちは分かる。だが君は悪くない」と念を押す。
「ところでゴウェイン卿、貴公の国で製造された魔装騎兵なんだが――」
「なにか不具合でも?」
「ああ。神機に乗っていた連中を、最後の最後で追い詰めた時だ。女を目の前にして、あの魔装騎兵の操縦が効かなくなった」
「操縦が効かない?
「あれはそういった不具合ではない。まるで……魔装騎兵そのものが、俺の意志に逆らっているようだった。正直に答えてくれ。本国の指示に背き、特殊な機能を追加したりしていないよな?」
戦術研究評価長の口調が変わる。それは尋問官のように冷たく。事の真意を細部まで探ろうとする言葉だった。
――疑われている。
それに気付いたゴウェイン卿は、胸を張り、迷いのない明瞭な口調で、こう答えた。
「我々がなにか細工を? ありえん! そんなことを、するはずがないではありませんか! ――ましてや、戦術研究評価長の騎体にそのような事をすれば、ベルカへの敵対行為! 兵器廠の自治区を預かる者として、断固、その可能性はない!」
「その言葉に、二言はないな?」
「分かった。我が兵器廠が潔白である証拠に、帰国後、貴公監視下の元で、その魔装騎兵を解体しましょう。すべての鎧と内部器官を外し、原因を徹底的に調べるのです。無論、兵器廠を預かる私も同伴します。責任者として」
断じて不正なし。ゴウェイン卿の姿は、まるで身の潔白が二本足で立っているかのようだった。
その清廉潔白な姿に、戦術研究評価長は胸を撫で下ろし、いつもの口調に戻る。
「……――信じよう。今回の一件は本国には報告しない」
「感謝します。こちらとしても、早急に状況改善に善処いたします」
「今回の件を黙認する。その代わりと言ってはなんだが。なにか不備な点や改善点が見つかったら、些細なことでも私に報告してくれ。君の立場が悪くならなよう調整し、本国へ報告する。これなら、ベルカ本国への顔が立つだろ?」
「よいのですか? それは、虚偽の報告に該当するのでは――」
「かまわんさ。ベルカの目的は、この魔装騎兵がより、完成された兵器へと昇華させること。だが今のように、秘密主義で監視を強化するのはどうかと思う。
そして責任問題の押し付け合いをすれば、発展の芽をみすみす潰すことになる。時には、こういった特例も必要なのさ。自分の立場しか考えない、本国のお偉いさんには分からないだろうがな」
それは譲歩だった。
戦術研究評価長は、兵器廠自治区を預かるゴウェイン卿の立場を配慮し、今回の件は報告しない事にした。そしてその見返りとして、魔装騎兵強化のため些細な拡張性も見逃さず、自分に報告してほしいと言って来たのだ。
下手すれば、戦術研究評価長としての立場が、危うくなる申し出である。
だが魔装騎兵のさらなる発展と改良に貢献し、その実績が本国に認められるとすればどうだろう。お互いに、多大な功績を上げることができるのだ。
だからこそ、リスクを冒すだけの価値はあった。
そしてなぜ、戦術研究評価長はゴウェイン卿を選んだのか。
それは、彼に過剰な野心がなく、仲間への配慮を欠かさない人材だったからだ。
今の御時世、上層部にヘコヘコとお伺いを立て、部下に無用な叱咤をする者が多い。そんな世の中で、こうした、昔ながらの実直な騎士は少ない。そして政治に関する立ち振舞いや融通も上手く、外交の手腕も手慣れている。
これだけ仲間として、抱き込むのにうってつけの人材は他にない。
戦術研究評価長は「良い返事を期待しているよ」という笑顔で、ゴウェイン卿の肩を叩いた。
「今すぐ答える必要はない。まぁこの件は、帰国してからゆっくり話そう。良い酒がある。共に盃を躱すのに、相応しい酒が――ね」
戦術研究評価長はそう告げると、撤収作業のためその場を去る。
ゴウェイン卿は魔装騎兵を見上げ、物思いに耽る。
「魔装騎兵が、女を目の前にして動かなくなる……か。――まさかな」
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