第26話 秘密

「なに……これ」

 夏枝はふるえる指で履歴書をとってみた。

 まちがいなく自分の顔写真が貼ってあり、中学までの学歴と、短期間のアルバイトの職歴ともいえない職歴が記してある。自分が少年院帰りである事実は、当然伊塚氏も知っているのだから、べつにおどろくことではないかもしれないが、こんなふうにあからさまに乱暴に書かれていることが、ひどく残酷で無神経に感じられたのだ。

 さらにふるえる指で履歴書を手にとったとたん、夏枝は目に入ったものにおどろいた。

 べつの履歴書には見知らぬ女の子の写真と経歴が記載されており、おなじ色のペンで〝鑑別所、薬物〟と記されていたのだ。

「どういうことよ、これ?」

 べつの履歴書には〝家出少女、保護観察処分、不純異性交遊〟、またべつのものには、〝養護施設出身、素行問題あり〟。他にも何枚かあり、最後に一枚、和之の写真ののった履歴書には〝精神不安定、通院歴あり〟とある。十数枚ほどの履歴書すべてを見てみて夏枝はひとつ納得した。

 つまり全員、なにかしらの問題や事情をかかえた子たちばかりのものなのだ。伊塚氏はあえてそういった問題のある子を雇用していたか、もしくは雇用の候補にあげていたのだ。そういった子たちを支援する篤志家なのかもしれないし、たしかに最初に須賀からもそういうふうに聞かされてはいた。だが、赤くどぎつい文字からは、そんな少年少女たちを救おうという思いやりなどかけらも感じられない。感じるのはほとぼしるような悪意とすさまじい侮蔑だ。

「これって……、いったいどういうことよ」

 口に出してぼんやり履歴書の束を見ていると、もう一枚、べつの茶封筒に入れられていた履歴書があった。ほかのものと別にしてあることにいっそう興味をひかれてとりだしてみた。

 一目見て、夏枝はまた息をのんで、呆然とした。

 医療少年院、尊属殺人。

「そ、そんぞく……殺人?」

 尊属そんぞく殺人、難しい言葉だが、院にいたとき誰かが冗談半分で、「親と喧嘩したとき、マジやばかったぁ。下手したら尊属殺人だよ」と言っていたのを聞いたことがある。テレビドラマでもこの言葉を聞いたことがあるが、つまり親を殺害することだろうと夏枝はうっすら認識していた。 

 その言葉の意味もどぎつく衝撃的だったが、さらに夏枝をおどろかせたのは、その写真――、

 夏枝は背に汗がしたたるのを感じていた。


「嘘……お嬢さま……?」

 貼ってある顔写真は秋奈そっくりだ。 

 驚愕のあまり夏枝は気づかなかった。ひらけっぱなしのドアのむこうにせまってきた人影に。

 かすかに物音がたち、びっくりして身をすくませたその瞬間、夏枝は後頭部にはげしい耐えがたい痛みを感じた。

 意識はそこでとぎれた。


(男の方は?)

(薄情なものさ、さっさと逃げだしたよ)

(ほっといて大丈夫かしら?)

(どう考えても窃盗目的で入ってきたんだよ。警察に通報することはありえないね)

(はやくすませてしまいましょうよ)

(適合するかどうか調べないといけないんだ) 

(まどろっこしいわ。どれぐらいかかるの?)

(焦らないで。一歩まちがうと命にかかわるんだ)

(死んだってべつにいいじゃない。このまえの子みたいに)

(簡単に言うもんじゃないよ。つづくと、やっぱり周囲の目もきびしくなる)

(少年院帰りで身よりのない不良少女が失踪しようがどうしようが、だれも気にとめやしないわよ)

(この子の場合は一応父親がいる。まぁ、ほうったらかしみたいなもんだけれどね。それに、保護司がけっこうあれこれ言ってきているんだ。どうもうるさそうだよ、あの男)

(うっとおしいわね!)

 いらだった女性の声が鼓膜にじりじりひびいてくる。闇のなかにうっすら光がさしこむように夏枝の意識はゆっくりとよみがえり、同時にいっそ死んでいればよかったかも、と思うほどの頭痛も知覚した。

「あら、この子目をあけてるわよ」

「まずいな。聞かれたかもしれない」

「いいんじゃない、どうせ殺すんだから」

「口が軽いよ」

 ぼんやりと頭を上にむけてみたが、視界は闇だった。

 どうやら目にタオルかなにかをまけれているようだ。腕は身体の下でしばられている。ひどく痛くて動きにくく、床に横にされているだけでも全身がみしみしと音をたてるように痛む。

「うう……」

「うごかない方がいいよ」

 男の声は西明寺のようだが、もうひとつの声は今ひとつよくわからなかった。秋奈のようにも聞こえるが。 

「お嬢さん、お目覚め? ご気分はいかが?」

 毒々しいあざけりがふってきた。

「こんなことになってしまってご免よ」

 西明寺が身をかがめて夏枝をのぞきこんでいるのだろう。せまってきた体温に夏枝はうろたえた。

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