第28話 救いの騎士


「そこまでだ!」

 まるでテレビドラマの刑事のような台詞に、西明寺があわてて身をひいたのがわかる。

「その子をはなせ!」

 声には聞きおぼえがあった。のぞんだ王子さまや騎士の声ではないが、まぎれもない。

(クマちゃんが、あたしの騎士だったわけ?)

 

 自分でも後になって感心したのだが、夏枝はこのクライマックスにどうやら笑ってしまっていたようだ。一瞬、鹿島が白馬の騎士にのっているすがたを想像してしまったのだ。


「だいじょうぶか?」

 縄をほどかれ目かくしもとかれて自由と光をとりもどした夏枝のまえにあらわれたのは、なつかしい鹿島の無骨な顔と、その背後に悔しげに自分をにらみつけている少女のすがただった。目は怒りに燃え、どろっと赤く塗った唇は邪悪なかたちにゆがんでいた。

「お嬢さま、ひどい!」

 もうお嬢さまなどと呼ぶ必要もないのだが、夏枝はなにか言わずにおさまらなかった。

「なんてことするのよ! この人でなし!」

「なんのことかしら? どういうことよ、これは? 家宅侵入罪じゃないの。すぐに弁護士をよんで」

 西明寺は無言だ。そのとき夏枝は戸口のところには伊塚氏が立っていることに気づいた。歳のわりにはがっしりとした身体を高価な黒いスーツにつつんで立っている様子は、外国の紳士のようだ。だがその顔はすっかり青ざめ、すべてをあきらめきっているように見える。

「もう、すべて終わったよ。出張はキャンセルになった。新薬は問題が発覚して製造中止になった。警察にも連絡が入っている。終わったよ。……もう、すべて終わったんだよ、母さん」


「ほんとうの秋奈嬢はすでに十五歳のときに病死していたんだな、例のプロジェリアで」

 警官たちが家宅捜査をおこなっているあいだ、台所で鹿島が戸棚をひっかきまわして、ポットで湯をわかし、淹れてくれた熱い紅茶をすすりながら夏枝は身体のふるえをどうにかなだめた。今さら恐怖と痛みがぶりかえしてきたのだ。

「その直後にプロジェリアの新薬が完成したそうだが、今さら無駄になってしまった。よせばいいのに、それをあの化け物みたいな婆さん、つまり伊塚氏の母親の伊塚貴代美が飲んだんだ」

 驚いたことに、夏枝がお嬢さまと呼んでいた相手は、実は伊塚氏の母親だという。

 伊塚氏にはたしかに離婚した妻とのあいだに秋奈という娘がいたが、その娘は十年ほどまえに、プロジェリアが原因で十五歳で亡くなったいる。そのときから伊塚貴代美はおかしくなっていったようだ。

「貴代美という女は今年で七十八なんだが、まぁ、孫の病気を見てきたせいもあって異様に若さにこだわる女で、日ごろからいろんな美容や若返りの薬に興味をもっていたそうだ。そしてその新薬は異常なまでに効いた」 

 あれで七十八歳。見た目はどうみても十代にしか見えなかった少女のすがたをした怪物を思い出して夏枝は心底さむくなった。

「そのころから伊塚邸は使用人を減らし、あの須賀っておばさんと西明寺以外は出入りさせないようにしていたらしい」

「そういえば、須賀さんは?」

「もちろんあいつもぐるだ。口止め料をもらって、連中の悪事に加担してたんだろう。どうも一足先にとんずらしたみたいだが、すぐ捕まるさ」

 鹿島は太い眉のはしを下げて情けなさそうな顔をした。

「こんなことになってすまん。たまたま会ったべつの保護司の人から、以前この屋敷に養女としてひきとられた娘とまったく連絡が、とれなくなったことを聞いて、どうもいやな予感がしていろいろ調べてみたら、おかしな話がいっぱい出てきたんだ。例の心中さわぎを起こしたのは、本名は大川緑という娘なんだが、この子は十四歳のときに気の毒に実父にレイプされて……父親をナイフで刺殺してしまったんだな」

 あの履歴書に書かれていた少女のことだろう。実父から虐待を受けていたという話は事実だったのだ。

「事情が事情なんで、医療少年院で保護されるかたちで療養し、出所となったんだが、それが伊塚邸でひきとられて……、どうやら実験材料みたいにされていたらしい」

 夏枝は背に汗がはしるのを感じた。

「ただ、伊塚氏が言うのは、亡くなった娘によく似た緑をひきとったのは、最初は母親の心の慰めになればと思ってのことだというんだがな……。だが、そのとき貴代美の主治医だった西明寺が、薬の開発に緑を利用することを思いついたんだ。そして貴代美も合意した」

 伊塚氏もとめることはなかった。新薬が完成すれば、莫大な利益を生むのだ。ちょうどそのころ会社の経営が思わしくなかったことも彼を黙認させることになった。

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