第18話 乙女の決闘
「……どうしたの? そんなびっくりしたような顔して」
秋奈がさもおもしろそうに笑いながら、トレイにいっしょにのせてあったカブセルの錠剤をあけた。
「夏枝さんだって、いるでしょ? 殺してやりたい、ぜったいゆるせない、っていう人間のひとりやふたり」
水のはいったグラスをとると、さもまずそうに薬を飲みこむ。
「あ、あたしには、そんな人」
殺してやりたい人間なんていない……、そう言おうとするまえに秋奈があざけるように唇をゆがめた。
「いるでしょ? いるはずよ。だって、ときどき夏枝さん、だれかを殺してやりたいっていう目をしているときがあるじゃない?」
今度こそ夏枝は驚愕のあまりかえす言葉がなかった。そんな目をしていたのだろうか?
していたのかもしれない。
「気持ちわかるわ。わたしにもそういう人がいるから」
口紅を塗っていたのだろうか。今の秋奈の唇はどぎついくらい紅く濡れている。お姫さまがいきなり魔女にかわったようだ。
「……お嬢さまの殺してやりたい相手って、だれなんですか?」
好奇心にかられて夏枝は訊いてみた。
「お父さまと、わたし」
前者は予想していたが、後者は意外だ。
「……どうして、旦那さまと自分を殺してやりたいんですか?」
やはり虐待されていたというのは事実だったのだろうか。
「お父さまがわたしをこの世に生み出したから。そして、わたしは生まれてはいけなかったから。……あのね、これ毒なのよ」
真意を問おうとするまえに、さらに意外なことを言われて夏枝は目をまるくした。
「冗談ですよね?」
黒真珠の瞳がきらめく。色はちがうけれど、似たような目を見たことがある。美里の目に似ているのだ。さびしがりやの子どもが、友だちをもとめるときの期待と恐れをひめた目。受けいれてくれることを望み、拒絶されることにおびえた気弱な捨て犬のような哀れさといじらしさのまじりあった目。それは夏枝にも共通するものなのだろう。つまり、自分も秋奈と似た目をしているということだろうか。
「本当よ。これ、毒薬なの。毎日わたしは毒をすこしずつ飲んで、すこしずつ死んでいくのよ。うたがうんだったら、夏枝さんもためしに飲んでみる? これを毎日飲んでいると、楽に死ねるのよ」
「そうやって今野さんをさそったんですか?」
今、確信した。まちがいない。
秋奈が和之に自殺をそそのかしたのだ。いっしょに死のうと誘惑したのだ。そして死にきれず失敗したら、すべてを和之のせいにしたのだ。夏枝はむかむかしてきた。
「お嬢さま、人を殺すのなんて、そんな簡単なものじゃないですよ。だれかを誘って自殺しようとして失敗したら傷害罪になるし、そうなったら警察につかまるんですよ。少年院に行かなきゃならなくなりますよ」
「あら? さすが経験者はよくわかるわね」
夏枝は絶句した。
「知らないと思っていた? 気づいていなかったの? あなたが少年院出だったからこそお父さまはあなたを雇ったのよ」
「どういう意味ですか?」
秋奈の言うことはわからないことばかりだ。
「これ、飲んでごらんなさいよ。そしたらすべて教えてあげる」
紅茶のカップをさしだされて夏枝はたじろいだ。
「だいじょうぶよ。こっちには毒なんて入ってないから。友だちの証しにおなじコップで飲むのよ。ほら、むかしの外国映画で男の人が同じグラスでお酒を飲むシーンがあったじゃない」
それを飲んだからといって秋奈と友だちになったとは思わないが、ことわるのは彼女の言うことを真に受けておびえているようで悔しい。
(こんな、世間知らずのお嬢さまなんかに気圧されるあたしじゃない)
親に見捨てられ、暴走族のヘッドの恋人となった自分だ。人を傷つけ少年院まで行った自分だ。こんな甘ちゃんの、世のなかのことなどなにひとつ知らない、苦労知らずのお嬢さまに侮られてすごすご退散するのはしゃくだった。
だが、そう思った瞬間、秋奈が父親から虐待をうけていたかもしれないという疑惑が胸によみがえる。
もしかしたら、秋奈は自分が思っている以上に過酷なものを経験してきたのかもしれない。
(でも……、だからって、ここで引きさがれない)
夏枝のなかで、みじかいあいだだったが、達也の彼女としてつかのま夜の王女として君臨した記憶がよみがえり、屈折したプライドが頭をもたげてきた。奇妙な話だが、ここで引きさがってしまうと、達也の彼女として本当に失格してしまう気がする。さらに達也を侮辱することになるような気分になってしまう。
「いただきます」
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