第12話 帰り道

「というより、院に来るガキでそういう病気もトラウマもなにもないっていうガキはまずいないやな。おまえらは、病気だから院の世話になったんだよ。あのな、誤解するなよ。これは決して悪気で言ってるわけじゃないんだからな」

「うん」

 鹿島は口は悪いが気はいい男だということは夏枝も知っている。

「たしかに、それは不幸なことだよ。もしお前の親が――、いや教師や、まわりの大人がちゃんとおまえの病気に気づいてやっていたら、もっとお前の人生はちがっていたかもしれない。けれどADHDやPDDが世間に認識されてきたのはごく最近になってだし、年配の人のなかには今だってまだまだそんな病気を知らない人だっているんだ。たいていの大人から見たら、なんべん注意されても言われたことができなかったり、落ちつきがなかったり、いきなり授業とはちがうことをしゃべりだす子どもはみんな、たんに不注意で、そそっかしくて、我がままなだけなんだと思われてるんだよ。実際、そういう子もいるし、本当に病気の子もいる。素人にはなかなか判断できないんだよ。教師にしたら、なんべん注意しても聞かない子どもは、だんだんやっかいになってくるし、それを感じて子どもの方だって教師が嫌いになってくる」

 それは、まさに夏枝がたどってきた経緯だ。

「教師だって人間だ、あんまり腹がたってくると、ときには必要以上に怒ったり、手をあげたりしてしまうときもある。そうやって勉強ぎらい、学校ぎらいになってぐれてしまう子どもは大勢いる」

「あたしもそうだった」

「……そうだな。……だけどな、だからって、学校がきらいだからって、学校行かなくていいってわけにもいかないし、ぐれていいって理由にならないし、ましてや犯罪を起こしていいっていうわけじゃない。病気なんだから、人のもの盗んだってしかたないってわけにはいかないんだぞ」

(ちがう、ちがう、そうじゃない)

 夏枝は急に、たまらないさびしさを感じた。そんなことを言いたいわけじゃない。

 べつに病気を理由にして自分の犯した罪を正当化しようとしているわけじゃない。

(そうじゃなくて……、そんなんじゃなくて、ただ、あたしは、あたしは……)

 誰かにわかってもらいたかったのだ。自分なりに大変だったということを。

 自分なりに、必死にがんばってきたのに、それがうまくつたえられなかったことを。けっして大人や周囲にさからってきたわけではなく、自分でもどうにもできずに、苦しんでいたんだということを、誰かひとりでもいいから理解してほしかった。わかってほしかった。夏枝のまわりでそれをつたえられる大人は保護司の鹿島だけだったのだ。

 だが、話す相手をまちがえてしまったようだ。そもそも、誰にも言うべきことではなかったのだ。目の前のアイスティーの氷がどんどん溶けて、あわくなっていく琥珀色の液体をぼんやり見つめながら、夏枝は、今までになん十回、なん百回と噛みしめてきたむなしさをまたひとつ噛みしめた。


「君、ねえ、君、ちょっと待ってくれないか?」

 鹿島とわかれて屋敷へもどろうと坂をのぼりはじめたとたん、若い男の声に追いかけられ、夏枝は、道でも訊かれるのだろうかといぶかしげにふりかえった。そこにいたのは、さっき喫茶店にいた客だ。他の客は彼ひとりしかいなかったので、なんとなく服装を覚えていたのだ。

 横じまの青い夏用のジャケットをはおったジーンズすがたの青年は、どこかの大学生らしく小脇に参考書と本をかかえている。

「なんですか?」

 まさか自分を追ってきたのかと思うと、警戒心がわいてきた。

「君、伊塚家のお手伝いさんなんだろう? あの屋敷から出てくるのを見たんだ」

「はい」

 額にたらした前髪のしたで黒い目が気弱そうにまたたいている。相手がなにか言うより先に夏枝は彼がなに者なのかさとった。

「あなた、もしかして電話してきた人?」

 相手は困ったような、けれどなにか訴えたそうな、せっぱつまった表情で夏枝を見ている。年齢も身長も彼の方が上なのに、まるで途方にくれる迷子の子どものようだ。

「あの、僕は」

 相手の気弱げな態度に夏枝はつい強気になった。

「秋奈お嬢さまのストーカーでしょ? お嬢さま、迷惑してるのよ」

「ご、誤解だ!」

 色白の頬が真っ赤になっている。

「むこうじゃ、そう思っているみたいだけれど、とんでもない話だよ! むしろ僕の方が被害者だ」

「どういうわけ?」

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