第21話 悲鳴

「プロジェリアというのはね……、つまり、患者のヒト1番染色体というもののうえにある、ミランA遺伝子の異常が原因なんだ。正常な遺伝子とくらべて、構成塩基こうせいえんきというものが一個いれかわってしまったために核膜がおかしくなり、それが老化を急激にはやめてしまうんだな。遺伝子がほんのすこし、ならぶ場所や順番をまちがってしまったがためにひきおこされるんだね。むかしは遺伝が原因ではないかと言われていたが、現在ではかならずしもそうではないことがわかった。以前は、この病気は親や先祖からつたわる劣性遺伝と見なされていたが、一番の理由としては、突然変異のつよい染色体がおかしくなったためだという説がおおきいんだ。もっとも、インドでは兄弟で発症したというケースも報告されているけれどね」

 ゆっくりとしゃべってくれても、夏枝の頭ではよく理解できない。それでも、その病気が非常に稀で、非常に不幸なものであることだけは痛いほど理解できた。

「この病気になるとね、尿中のヒアルロン酸濃度がふつうの人間の二十倍から三十倍になる。ヒアルロン酸というのは筋肉や皮膚の維持にかかせないグルコサミノグリカンという物質の代謝物なんだが、これらの代謝の異常からプロジェリアになるのではないかと言われているんだ。また、細胞周期をととのえるテロメアの活動がおかしくなったり、成長ホルモンの異常も関係していると言われている。……ある製薬会社が、これに目をつけた」

 そこで西明寺は言葉を切った。

「ヒアルロンの濃度をおさえ、かつテロメアの活動を正常にもどすことができる薬を開発しようとした。成功すれば画期的な治療法としてこの病に苦しむ人をすくうことが出来る」

「……できたんですか?」

「新薬は開発された。だが、まだ保障できないものだった。動物実験では、この薬を投与したマウスは他のマウスにくらべて三倍以上長生きしたんだ。だが、副作用は否定できない。……僕はね」

 西明寺の目は夏枝を見てはいなかった。

「彼女がプロジェリアだとわかったとき、なんとかして彼女をすくってやれないか、道はないかと悩んだんだよ。十五の少女が、脱毛や白髪、皺になやまないといけないんだ。秋奈ちゃんは毎朝鏡を見るのが恐ろしいといって、部屋から鏡をとりさってしまった。悲劇だよ」

 秋奈の苦しみを想像して夏枝は身ぶるいした。想像するだけでも恐ろしい。たしかに悲劇だ。悲劇以外のなにものでもない。

「そんなとき、伊塚氏から新薬の話を聞いた。伊塚氏は迷っていたが、このままではますます彼女の病状は重くなり、やがては死にいたる。可能性にかけてみたんだ。莫大な投資をして、その新薬を入手し、それを夏枝ちゃんに飲ませてみたんだ。薬は、たしかに効いた」

 西明寺の口調ははやくなった。

「つまり、そのまま老いていくのではなく、新薬の投与によって老化をもどすことができるんだ。一時的にだがね。最初は白くなっていた髪がもとどおりに黒くなったり肌が若がえってきたりして、たしかに効いていると思ったんだ。だが、恐れていた副作用は、やはり避けられなかった。いったんなおったはずの老化は、薬の効き目がきれると、もどってきてしまった。しかも、以前よりさらに強烈なスピードで」

 夏枝は首をすくめた。それはどれほどの恐怖だろう。いったん希望をあたえておいて、さらなる絶望の淵へと落とされるようなものだ。想像すると足がふるえてきそうだ。     

 自分は不幸だと思っていた。家庭にもめぐまれず、学校にもなじめず、他の子たちのように勉強も学校生活もうまくやりこなせず、道からはずれてしまい、同年代の子どもたちとくらべると随分苦労をしたと思った。自分は貧乏くじをひいたと思いこんで生きていたが、だが、秋奈の背負ってきた苦しみは、自分よりもはるかに壮絶なものだ。

 自分の今までの人生と秋奈の人生ととりかえるかと訊かれれば、いくらお金持ちのお嬢さまとしての暮らしができるとしても、即決で遠慮するだろう。

「つまり薬が効いている間は本来の十六歳の外見をたもてることができる。だが、きれてしまうと病気のもたらす症状が一気にぶりかえす。それがあのときだったんだよ。君が廊下で彼女、御寮人さまを見たとき、ちょうど薬の効力がきれたときだったんだ」

「あ、ああ……」

 秋奈はさぞかしショックだったろう。

 夏枝はどう言っていいかわからず、また、今つきつけられた現実に対してどう対応していいかわからず、自分でもひどくまぬけな態度をとってしまっていた。もどかしげに口をひらき、なにか言おうとした瞬間、部屋に悲鳴がひびいてきた。


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