第14話 頼まれて

「え?」

「今考えてみたら、本当に馬鹿な真似をしたと思うけれど、そのころ僕も就職活動がうまくいっていなくて、家庭でも両親が離婚してしまい、いろいろ問題をかかえていて、秋奈ちゃんに、死んでしまいたい、どうしたら楽に死ねるか教えてってせがまれて、それなら僕もいっしょに死ぬよ、って話になったんだ。まったく無分別だったと思うよ」

「どうやって死のうとしたわけ?」

「睡眠薬を飲んで」

「ふうん」 

 あっさりとした返事に和之は鼻白んだ様子だが、夏枝の脳裏によぎったのは、睡眠薬を飲んで横たわる和之と秋奈ではなく、リストカットシンドロームになって左手にいくつもカミソリで切りつけた赤い傷をつけていた院で知りあった少女だった。彼女は薬物にはまってしまい、その薬代のために中学時代から援助交際をしていたという。中学時代ひどいイジメにあって、その苦しみからのがれるために薬に手を出してしまったのだそうだ。死にあこがれ自殺未遂をくりかえす子を夏枝は何人か見てきた。神経が摩滅しているのかもしれないが、それがひどく不幸だとも、とんでもなく悲惨だとも感じなかった。睡眠薬なんかで楽に死ねると思いこんでいたふたりが幼稚にすら思える。

「秋奈ちゃんは泣いていたんだ。泣いて、僕にうったえた。ほうっておけなかったし、僕もつらかった。だから、いっしょに死のうとしたんだ。それなのに」

 和之は悔しげにうすい唇をかんだ。その瞬間、草食系というのか、内気で気弱そうで、いかにも今どきの小ぎれいで清潔で物腰やわらかで、まるで芯のない男の子の顔に、強い感情がはじけた。夏枝は彼にすこしだけ興味をひかれた。

「気づいたら病院で……。ふたりとも助かったんだけれど、彼女は僕に無理心中をせまられたんだと言った」

 和之は悔しそうに目をゆがめた。夏枝は無言だった。

「僕は意識が回復してから病院で警察に取調べを受けて……連中、まるで僕がストーカーで一方的に秋奈ちゃんにつきまとって、おどかしてむりやり薬を飲ませたように思いこんでいるんだ」

 和之自身が就職や家庭でいろいろ問題をかかえていたことで、いっそう警察の心証を悪くしたようだが、伊塚氏がいろいろ手をまわし、和之も気の毒な事情をかかえていて同情して、というかたちで事件をもみけしたという。和之の目は悔し涙に光っている。夏枝はだまって聞きつづけた。和之の話が真実なのか、今はまだ判断できない。

「警察は、これはあくまでも伊塚氏の温情なんだから、ありがたく思うように、って。僕は大学を一年留年することになったよ。それでも退学せずにすんだだけまだマシだったかもしれない。伊塚氏は、とにかく事を穏便にすませたいんだ。……後になって思ったんだが、秋奈ちゃんが言っていた虐待の話だけは、もしかしたら真実かもしれないと思うんだ」

 子どもが親に虐待を受けたとうったえても、たいていの親は否定するうえに、躾であり教育だと主張する。じっさい本気でそう信じこんでいる親もいるのだ。また子どもにとっても、性的ないじめや虐待を受けたことを口にすることすら苦痛なのだ。ほとんどの子は、ひどいことをされてもじっと黙りこんで耐えている。そうやってひとりで抱えこんでいたものを、あるときぽつりと隣に座っていた子にもらすこともある。あそこでゆいいつの救いは、不幸なのは自分だけではないと思えることかもしれないけれど、それはやっぱり傷の舐めあいになるのだろう。夏枝はそんな腐ったぬるま湯にいつまでもつかっているのはいやだった。   

「あたしにどうしろっていうの? あたしはただのお手伝いだよ」

 くだけた言葉になっていた。和之はやや怯えた顔になったが、口調はしっかりとしたものだった。

「秋奈ちゃんに訊いてほしいんだ。もう一度だけたしかめたい。もしかしたら、伊塚氏はやっぱり秋奈ちゃんを虐待していて、父親を恐れるあまりに秋奈ちゃんはあんな嘘をついたのかもしれない。もし、そうなら僕もまだ救われるし……、今度こそどうにかして秋奈ちゃんを助けてあげたい」

「助けるつもりなの? もし、あんたの言うことが本当なら、あんたはお嬢さまに裏切られたことになるんじゃない?」

 夏枝はややあきれて和之を見上げた。

 緑の葉のあいだを縫っておりてくる光がやさしく和之の頭上にふりかかり、濡れたように黒い彼の瞳を、弱さよりもやさしさにきらめかせる。なぜか夏枝は地元の不良少年をたばね暴走族のヘッドで、窃盗と暴行で少年院送致された男友だち、達也のことを思い出してせつなくなっていた。目のまえの彼とはまるでタイプがちがうけれど、今は和之の目の方が強い光をはなっているように思えてしまう。

「もしかしたら、今だって秋奈ちゃんはひどい目にあわされているかもしれないんだ。真実をたしかめたいんだ」

 和之の目は真剣そのものだ。

「たのむよ。秋奈ちゃんに本当のことを訊いてくれないか?」

「そんなこと言ったって……」

 厄介ごとをかかえこみたくない。それ以外でもややこしい問題をたくさん背負っているのだから。  

「たのむ! 君しかいないんだ」

(たのむよ、おまえしかいないんだ!)

 状況や事情はまるでちがうが、達也もかつておなじことを言って夏枝にせまってきたことがあった。言われて夏枝は当時アルバイトしていたレストランの鍵を盗みだして彼にわたしてしまった。その結果、達也も自分も散々な目にあった。自業自得だ。鹿島でなくてもすこしでも常識のある人間ならみなそう言うだろう。

 それなのに、肩をつかまれ、必死にたのみこまれて、夏枝はことわりきれなくなってしまっていた。

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