第2話 花園

「こういうところの料理はちゃんと専門の人がつくってるさ。先輩やベテランの家政婦に教えてもらったとおりにきちんとやればいいんだ」

 そんなことを言っているうちに勝手口についた。正門とはくらべものにならないが、こちらも小さめの鉄柵があり、鍵はあらかじめはずしておいてくれたらしく、鹿島が手をかけるとなんなくひらく。

「へー」

 中にはいると一面エメラルド色の芝生、象牙色の敷石、やや遅咲きのピンクのチューリップのゆれる花壇がひろがる。

 雑誌に出てくるお金持ちの名園そのままだ。まだかたそうな薔薇の蕾でかざられた可愛らしい鉄のアーチの下を歩きながら、夏枝はまるで少女マンガの世界に入りこんだような気持ちになってきた。

 本当にこんな世界があるのだ。前を行くのが保護司のごつい背中でなければ、もっと楽しいかもしれないが。こんな素敵な洋館に住めるなら、家政婦というのも悪くない。単純なものでちょっと気が楽になった。

「ご主人の豪蔵氏は不在だが、女中頭で個人秘書の須賀さんという方が会ってくださる。くれぐれも言葉づかいには注意するんだぞ」

「OK」

「それがいかんと言っとるんだ」

 ぽかり、とまたかるく頭をはたかれた。


「わたくしは反対だったんですよ。それを旦那さまが、こういうことも社会奉仕の一環だとおっしゃって。うちの旦那さまは、それはお心のひろい方でして」

 ああ、そうですか、と夏枝は心のなかでつぶやいた。

 だんだん、うんざりしてきたのだ。さきほど庭園を見たときの高揚感がしぼんでいく。

 目の前のおばさん――須賀良江すがよしえという名の、白いブラウスに黒いロングスカートという修道女のようなファッションのその中年女性は、細面ほそおもての顔にふちなしのメガネをかけて、いかにも神経質そうなつりあがった目で、まるで危険な猛獣でも見るような目で夏枝をじろじろ見てくる。たしょう覚悟はしていが、やはり視線がいたい。

「伊塚氏にはたいへん感謝しております。この久原は、根はけっして悪い子ではないんですが……。本人も過去のことはふかく反省して、人生をやりなおすつもりなんで。どうかその意をくんでやってください」

 鹿島がやたらぺこぺこ頭をさげているのも気にいらない。

(なによ、あたしにはあんなにえらそうにしていたくせに)

 テーブルのうえに出された紅茶がさめていくのをながめながら、夏枝は不機嫌さをおもてに出さないように気をつけた。べつにそんなつもりはなく、ただ黙っていただけで、ふてぶてしい顔をして、とあそこでは何度も教官たちからなじられた苦い記憶がある。 

「まぁ……よろしいでしょう。おあずかりしましょう。それではしばらくは研修期間ということで」

「ありがとうございます」

 鹿島がソファから立ちあがって深々とお辞儀し、夏枝は自分も立って頭をさげるべきかどうか一瞬迷ってから、それでもおずおずと腰をあげて鹿島にならんで頭をさげた。

「あの、これはあらかじめ申し上げておきますけれど、こちらには秋奈あきなさんといって、まだ高校生のお嬢さまがいらっしゃいます。今は私立の女子高にかよっておりますが、くれぐれもお嬢さまのお耳には余計なことはいれないようにしてください。多感なお年頃ですし、お身体もあまり丈夫ではないので、週に一回は主治医の先生に往診にきてもらっているのです。……お嬢さまに悪い影響が出ないか、それが心配ですのよ」

「それは、ごもっともです」

 須賀はつめたく光る目を夏枝にむけてきた。

「久原さん、あなたの個人的な事情にかんしては、いっさい他言無用としてください。お嬢さまのお耳にはなにもいれないように。十六歳のまだ世間のことなどなにもご存知ない純情可憐なお嬢さまが、うちの使用人がじつは少年院帰りだなんてことを知ったら、どれほどショックを受けられるか」

「はい。わかりました」

 夏枝は唇をかみしめて、うなずいた。

 

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