第16話 シンデレラの夢

 精一杯やってきたつもりだった。

 幼稚園のころから自分がすこしずれていたのを覚えている。おなじ年頃の子が上手に折り紙をおれているのに、なぜか夏枝だけはできなかった。星の絵をみんなが描いていても、夏枝の星だけはひどくねじまがった奇妙なかたちの星だった。靴の紐をきちんと結ぶこともうまくいかなかった。授業で発言すれば、まったく的はずれなことを言って教師をいらだたせた。どうにかして勉強についていこうとして参考書をめくってみても、まったく理解できず、すぐに気が散ってしまい、机にむかっていることすらできなかった。

(なんで、あんたはいっつもそうなのよ!)

 母の嘆きをこめた罵声を何度もあびているうちに、劣等感にがんじがらめにされてしまった。その母も夏枝が中学にあがるころに家を出た。父が外に女をつくってあまり家に帰ってこなくなったのが原因だったが、夏枝のような出来の悪い娘に愛想をつかしてもいたのだろう。

 なにをやってもうまくいかない。なにをやっても周囲についていけない。学校では落ちこぼれ、家庭はこわれ両親には見限られ、孤独と、そのころすでに芽生えつつあった絶望感にうちひしがれ、家に帰る気にもならず夕暮れの公園でぼんやりブランコにのって時間をつぶしていたとき、声をかけてくれたのがとなりのクラスの、美里という名の、ちょっと不良っぽい少女だった。

(なにしてんの?)

 美里はくりくりした目をさらにまるめてたずねてきた。学校ではほとんど口をきいたこともなっく、そのときの美里は茶髪にひとめ見て不良少女と断定されるようなかなり派手ないでたちだったと思うが、夏枝はすこしも怖いとは思わなかった。むしろ、美里の目がやさしげにすら見えた。

(……べつに。ブランコに乗っているだけ)

(ふうん)

 美里はとなりのブランコにのった。

(へー、けっこうおもしろいね)

 きっと彼女もさびしかったのだろう。さびしい子は、やはりどこかでさびしい子とつながりたがる。

(今から集会行くんだけど、あんたも来ない?)

(集会って、暴走族の……?)

 さすがに一瞬ひるんだ。そのときの夏枝は、勉強はできないものの、煙草だって吸ったことのないごくおとなしい地味な少女だったのだ。

(けっこうおもしろいよ。うちのヘッドってさ、達也って、けっこうこのあたりの顔なんだよ。うちの中学の卒業生でさ、このあたりの不良連中みんな仕切ってるすごい人なんだよ。おまけに、めっちゃ、かっこいいの。ね、あんたもおいでよ。暴走族ったって、みんないい奴らだよ)

 おしきられるかたちで、その日はじめて夏枝は暴走族の集会というものにつれて行かれ、そこで達也と出会い、ひとめ見て恋に落ちた。

 集会に出ていたレディースたちのほとんどが、程度の差こそあれみんな達也に恋をしていた。美里も例外ではなく、初対面でいきなりバイクの後に乗せてもらった夏枝をうらやましげに、すこし恨めしげに見ていた。

 はじめてくりだした夜の街。街の不良少女たちがあこがれる年上の少年の背にしがみつきながら、ときめきと興奮と、得意さに夏枝は舞いあがってしまった。夜の道路は彼らにとってステージなのだ。主役は達也。そして、その夜のヒロインは夏枝だった。生まれてはじめてお姫さま役を演じたのだ。

 それは麻薬のように刺激的で夏枝はぬけだせなくなってしまった。集会にはかならず顔を出し、彼らになじんでいき、やがて髪を茶色に染め、派手なピアスや指輪ををじゃらつかせ、太ももまるだしのミニスカートをはき、平気で人前でタバコをふかすようになっていった。

 自分でもそのころのことを思い出すと、地味で暗い女の子が、気恥ずかしくなるほどの変貌ぶりだったと思う。ひたすら恥ずかしい。しかも悪い方向へ変わっていってしまったのだ。もちろんお金もかかる。そのころ父はたまに帰ってきてはいくばくかのお金を置いていってくれたので生活には不自由しなかったが、お洒落についやすお金には限度がある。

 さすがに夏枝はまだ万引きや援交にはしるまでは変われなかった。美里がファミレスのバイトを紹介してくれたので、年齢をごまかして、週四日、そこで九時から十二時の深夜勤務に入った。仕事が終わると、ときどきは達也がむかえにきてくれたことがあり、彼のバイクの後ろにのって夜風に髪をなびかせながら夏枝は生まれてはじめての恋に酔いしれた。

 人気のない道路わきでバイクに乗ったままキスをした瞬間、世界一幸せだった、と思う。まるで映画かドラマのヒロインになった気分だった。

 大人たちは目をひそめるような光景かもしれないが、年上の不良少年にエスコートされてシンデレラさながらに夜道をかける夏枝は、きっと生まれてから十五年間のそれまでの人生のなかで、一番幸せだったと思う。

 学校からも家からも排斥され、どこにも行き場のなかった子どもが、やっと自分の居場所を見つけたのだ。しかもそこには初恋の甘酸っぱさとせつなさがまざりあい、いっそう夏枝の心をとろかせ甘やかす。はじめて知った蜜月のとき。だが、崩壊もまたはやかった。

(金がいるんだよ)

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