第17話 白昼夢
せっぱつまった顔でたのまれて、どうしても出来ないとは言えなかった。
そのころ夏枝は知らなかったが、達也は暴力団の事務所にも出入りするようになっており、彼らの手下としてかなりあぶない仕事に手を出すようになっていた。麻薬の運び屋のような仕事をうけおっていたのだが、品物を盗まれてしまったという。その分の金を補わなければならない羽目におちいっていた。
(まじ、俺やばいんだよ。俺が殺されるかもしれない)
まさかとは思うが、なんといっても相手はヤクザだ。麻薬がもどってこず、お金を用意することができなければ本当に殺されてしまうかもしれない。
バイト先の事務所の鍵を盗んできてほしいとせがまれ、夏枝はどうしてもはねつけることができなかった。店長は店のレジしめをして売上金を事務所の金庫にしまい、翌日銀行へ持っていくことになっている。暗証番号は夜の勤務をする店員は一応知らされていた。
夏枝は休み時間になんとか事務所の机のなかにある鍵を盗みだし、達也にわたし、達也一時間もしないうちに近くの鍵屋にかけこんで合鍵をつくり、ぬすんだ鍵はもとの机のなかにもどしておいた。そして夜、店長が帰ったのを見はからって達也をトイレの窓からうまく店内に入れ、事務所まで入ったものの、間の悪いときというのはあるもので、たまたま忘れものをした店長がもどってきてしまい、はちあわせになってしまったのだ。
「なんだ! なにやってるんだ、おまえ!」
店長はひ弱な四十ぐらいの男性だったが、さすがに大人で責任者だけあって、ひるまなかった。大急ぎで売り上げの札束をつかんで逃げようとした達也ととっくみあいになってしまった。夏枝は恐ろしくてドアのところで立ちすくんでいたが、達也がナイフをとりだしたのを見て思わずふたりのあいだに割って入った。
「やめて! やめっ……」
三人でもつれあううちに、達也からうばおうとしたナイフが、あやまって店長の胸あたりをかすめてしまい、床のうえに血がこぼれた。警報装置が作動していたらしく警備会社がかけつけたときには達也は逃げだしており、床に店長がうずくまり、夏枝はひたすら泣きじゃくって店長にあやまるしかできなかった。
「ごめん、店長、ごめんなさい」
去っていった恋人を恨むより、自分のしでかしてしまったことにただひたすら怯えていた。翌日、達也もつかまった。
初犯とはいうものの、夏枝自身も暴走族のメンバーということで、道路交通法違反のうえに、達也の共犯とみなされ薬物取締法違反、そして傷害罪で少年院送致となった。
つくづく馬鹿だったと思う。仮に店長に見つからなくても、警察が調べれば夏枝が犯罪にかかわっているということなどすぐ露見したろう。だが、そのときの夏枝はまともにものを考えることができなくなっていたのだ。
だが、どれほどなじられても、自分でまいた種だとは思っていても、それでもやはり反論もしたくなる。その瞬間、その瞬間、夏枝は夏枝なりにせいいっぱいやってきたつもりだったのだ。
ただ人を愛しただけなのに、どうしてこんなふうになってしまったのだろう?
夏枝自身、神さまに問いただしたい気持ちだ。考えてみれば、自分には自殺未遂をしたという和之を笑う資格はない。まわりがびっくりするほど愚かなことをしでかしてしまう時代や季節が、人には、子どもにはあるのだ。とくに夏枝のような愚かな子どもには。
(馬鹿な和之、馬鹿な達也、そしてもっと馬鹿なあたし……)
うしなった時代と季節を想うと涙があふれそうになる。
達也の刑期は夏枝より四ヶ月長かったが、それでもすでに出ているはずだ。だがなんど携帯に連絡しても返事はまるでこない。
もう夏枝のことなど忘れてしまったのか、それとも、夏枝がうまく立ちまわらなかったために捕まったと恨んでいるのかもしれない。もう夏枝の顔など見るのも嫌だと思われているのかもしれない。
愛する人のために、あんな危険で無茶なこともしたのに、当の相手から憎まれてしまったなら、自分のしたことはすべて本当に無駄になった気がする。二度とはない十五から十六の時間を無駄にして、いったい自分のしたことはなんだったのだろう?
はたから見たらどれほど愚かでも、それが愛する人のためなら女の子は救われる。けれど、その愛すらうしなってしまったなら、あとにいったいなにがのこるのだろう。
なんど掃除機をかけてもすぐ埃のたまるカーペット、はてしなくモップがけがつづく廊下、秋奈のために持ってきた紅茶セットのトレイをぼんやり見下ろしながら、それがもうすぐ十七になる夏枝をとりまくすべてだと実感したとき、カップたたき割って、叫びだしてこの屋敷を出ていってしまいたくなった。出ていく場所さえあったら、すぐさまそうしている。
「う、ううーん」
長椅子のうえで秋奈が、悪い夢でも見ているのか、苦しげなうめき声をあげた。その声で、夏枝自身も立ったまま見ていた悪夢からひきずりだされた。
「お嬢さま?」
ゆっくりと、秋奈は身をおこして髪をほそい手で気だるげにふりはらった。
「……ああ……、夏枝さん。わたし、なにか寝言言ってなかった?」
ぼんやりと視線は宙にさまよわせたまま秋奈がたずねる。
「いいえ。なにも言ってなかったです」
「そう……。それならいいんだけれど」
秋奈は寝起きのせいか、ひどくだるそうだ。しんどそうに身を起こすと、窓の外にひろがる午後の庭をぼんやりと見ている。
「お嬢さま?」
秋奈はずっと庭を見ている。ほうっておいたらそのままずっと窓を見ていそうだ。
「紅茶、冷めますよ」
「ありがとう」
ぼんやりしたまま秋奈が礼を言った。夏枝は言うべきかどうか一瞬まよった。
「……あの、今日、今野さんという人から秋奈さんはどうしているか、って訊かれたんですけれど」
「今野……? ああ、和之さんね」
そっけなさに気がぬけそうになった。
とても、いっしょに死のうとまで思いつめた相手を思い出しているとは見えない。かといって、ストーカーや、無理心中をせまってきた相手としても、憎しみや疎ましさも感じられない。どうでもいい人。そんな感じだ。
和之の必死の表情や須賀の霜がたっているような目が夏枝の頭のなかでぐるぐるまわる。いったい、どっちの言うことが本当なのだろう。真実を知っているのは秋奈だが、その白い肌にも夢見ているような黒い瞳にも、これっぽっちも事の真相を秘めているような強さは感じられない。そんな夏枝の思いなどつゆ知らず、秋奈はややさめかけている紅茶を一口すすると、おどろくようなことを口にした。
「……ねぇ、夏枝さん、夏枝さんはだれかを殺してやりたいと思ったことない?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます