第5話 青年医師

「君があたらしいお手伝いさん? ずいぶん若いんだね」

 まったくおなじことを夏枝も相手に言いたくなった。

 主治医というからてっきり白衣の初老の医者を想像していたのだが、広間のソファに優雅に腰かけている青年は、二十四、五歳ぐらいだろうか、すずしげな目にすっきりとおった鼻梁の、なかなかの美青年だったのだ。医者だというのに、いや、だからこそかもしれないが高価そうなグレーのスーツすがたで、すらりとした脚をちょっとキザに組んでいる。これはさぞ看護婦にもてるだろう。

「久原夏枝です。よろしくお願いします」

「こいつ、ちょっとキザだなって、思ってるだろう?」

 いたずらっぽく笑う。なんとも魅力的で、夏枝は悔しいがドキドキしてしまった。

「いえ。きっともてるんだろうなって、思ってました」 

「おもしろい子だね。いくつなのかな?」

「十六です」

「ということは、秋ちゃんとおなじ歳だね。おなじ年頃の子がそばにいれば、秋ちゃんもたのしいだろうね」

 どう答えていいのかわからず、夏枝はとまどってしまった。

「わたしは使用人ですから」

「学校はどこなの?」

 またおもしろそうに目をほそめながら西明寺がたずねた。

「行ってません」

「え? 行ってないの?」

 医者になるような頭がいい人間から見たら、今どき中卒なんてめずらしいのだろう。

「勉強、きらいなんです。はたらいている方が好きなんで」

 後半の言葉は、わざとおどけるようにいったが、これは嘘でも見栄でもない。学校へ行くよりかは、まだ身体をうごかしてはたらいている方がました。

「勉強きらいかい?」

 西明寺が笑みのうせた顔で訊いてくる。

「大きらいです。っていうか、わかんないんです。とくに数学とか、理科とかさっぱり」

「理数系が苦手なんだね」

「はい」

 自信をもってこたえてやった。

「ふうん。国語や英語は?」

 なんだか学校で面談でも受けているみたいだと思いながらも、とりあえずこたえた。

「国語は……まだましだったけれど、英語はやっぱりわからなかったです」

「社会は?」

「数学とか英語にくらべたらずっとましでした」

 夏枝の中学時代の成績は惨憺たるものだった。なんといっても定期テストの成績はつねに学年一三八人中、一三七位だったのだ。

「じゃ、体育は好きだったのかな?」

「勉強にくらべたらましだったけれど、それもあんまり好きじゃなかったです。集団行動とかも苦手だったし、チームプレイもまるで駄目で。……よく協調性がないって言われて」

 言っていて夏枝は自分でもうんざりしてきた。要するに得意なものがなにもないのだ。学校でも落ちこぼれだったし、学校以外の場所でもみごとにこぼれて、あげくにそういったこぼれた子どもの行きつく最後のはきだめのようなところへ押しこまれてしまった。

 口調がくだけてしまったのがまずかったのか、西明寺が不思議な生き物でも見るような目で見ている。    

「授業とか、聞いていておもしろかったかい?」

「まっさか!」

 思わず笑ってしまった。

 世のなかに、あんなつまらない話を聞いてよろこべる人間がいることの方が夏枝には不思議だ。頭のいい人間が頭の悪い人間の気持ちが理解できないように、中学で完全に落ちこぼれてしまった夏枝には、医者になるような人間の頭脳というは、まったく理解できない。

「話、さっぱりわからなかったですよ。先生がなに言ってんのかも、さっぱり。もう、だるくて、めんどうで、うざくて、とにかく一分一秒でもはやく終わってくれないかなって、そればっか考えてました」

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