広がる亀裂
のんびりクーヘンを食べていた事は、あっさり先生に見破ぶられた。
急いで戻って遅くなった事を謝ると、先生はカルテに目を落としたまま「梓、もしかしてケーキ食べて来てない?」と。
バツが悪かったので、そんな事ないよと言ったら、チョコの匂いがすると言われてしまった。慌てて口を押さえたけどもう遅い。
「ごめんなさい」
「いいんだよケーキ食べても。何でウソをつくの」
「だって」
そこから先生が急に不機嫌に。
午後の診察はそのまま続けたのだけど、閉院後わたしは先生に呼び出された。
「仕事中だから早く帰ってきてって言ったよね。話しが長引くのはあると思うよ、じゃ何でメールしないの」
「だって」
相手が先生だけに、立されんぼうで怒られる姿は校長室に呼び出された不良娘だ。
「だってじゃないよ、社会人として当たり前だよ」
「だって、メール出来る雰囲気じゃなくて」
「僕の蒔いた種だから申し訳ないと思うけど、そのくらいちょっと中座して出来るんじゃない」
「けど先生」
「梓、僕に甘えてない? だってとかけどとか学生じゃないんだから。僕らがこの街の医療を担ってる自覚ある?」
また、言い訳が出そうになったが口を紡いだ。これ以上何かを言ったら本気で怒りそうだ。
「大学病院だったら、僕は朝まで正座で反省文書かせてるよ。もういいよ、自覚してね。院内では絶対ウソをつかない! いいね」
「は~い」
私が不満そうに言ったのがよくなかったんだ。その返事に先生の眉がピクっと動いたのが分かった。
先生は徐にイスから立ち上がると、私がのけぞるほどギリギリまで詰め寄って鬼の形相で言い放った。
「不満があるならちゃんと言え、責任が果たせないなら看護師をやめろ!」
腹から響く抑えた男の人の声。
縮みあがった。初めて叩かれるかと思った。
マジ怖かった。
けど、時間がたつにつれてムカムカと腹が立ってきた。
何であそこまで怒鳴られなきゃならないの?
確かに不満があったけど、じゃ言えば良かったわけ?
納得できない。んなの先生の八つ当たりじゃない!
あー、もう!
そらからウチは何だかギクシャク。
お互いに顔の見て話せない。
いま伊藤家も清瀬家も最悪の状況だよ。
・・・・
グルメマップ作りが再会した。
でも最初の頃のワイワイ楽しくだけじゃなく、二人のストレス解消も目的に加わってしまった。
私達のストレス発散は極めてシンプル。
『とにかく食べる』だ。
特に真夏ちゃんのストレスは激しいようで、無理して限界まで詰め込んでくる。
そのせいか、回を追うごとに食べれる量が増えてしまってる。
大丈夫かな。人の事は言えないけど、こういう食べ方はよくないと思う。
グルメマップは、ナポリタン・ベイカリー・お蕎麦まで作り終え、今回はお肉屋さんのコロッケだ。
寒い季節のほくほくコロッケは、私達みたいな食道楽じゃなくても楽しいものだと思うけど、今回の真夏ちゃんは凄かった。
1軒目のお店は商店街でも一番コロッケがおいしいお店。ジャガイモのゴロゴロ感が心地いいのはもちろん、どうやったらそんなにサクッと揚がるのってくらい揚げ方がうまいお店だ。
なにより油がいい!
たぶん動物性の脂だと思うんだけど、食欲をそそるじゅわっとした油って絶対健康に悪いと思う。
ここでは、牛コロッケ、野菜コロッケ、カレーコロッケ、メンチカツ、トリメンチ、最近流行のライスコロッケを矢継ぎ早に注文。
スクールコートに毛糸のミトンを履いた女子高生が、両手でコロッケを持って「あった~い」なんてきゃわきゃわ言ってる横で、私たちは両手にコロッケとメンチを持って、黙々、いやガツガツとそれを交互に食らう。
親のかたきのように食い続ける二人に、女子高生はドン引きだ。
「真夏ちゃん、1軒目から飛ばし過ぎ」
壁にもたれて道路向こうのお店を目で追いながら、横に並ぶ真夏ちゃんに話しかける。
「いいの、今日はとことん食べるつもりだから」
真夏ちゃんもコッチを見ないで遠い目で話してる。
「今日もでしょ」
「……お店ごとに4,5種類あるけど全部食べるから」
「下調べしたら、14軒あったけど」
「全部行く」
仮に全店全種類を食べたら70個だ。本気か!
油モノだから私でも辛いと思うけど。
ん? 視線。
そこ! そこの女子高生! そんな驚いた顔で私たちを見るな!
そして聞こえてるぞ! そのヒソヒソ話! そうだよ、やけ食いだよ!
私らはチマチマコロッケを食べるJKの冷たい視線を全身に浴びながら、あっという間に6個を揚げ物を食べて次の店に向かった。
彼女らの視線が背中に痛い。
いいのだ。これが模範的なやけ食いだ。よく見とけ!
真夏ちゃんなんかコートのスリットが切れそうな大股でズカズカ次の店に向かってるぞ。見習え!
次のお店もコロッケの有名店。茜商店街のコロッケの双璧と呼ばれてる。
さっきの店が運慶なら、こっちは快慶。さっきのがイザナギなら、こっちはツクヨミ。さっきのが民主党なら、こっちは共和党。すみませんウソですけど、そのくらい対になって語られるお店だ。
で、こっちはコロッケばかりが売れるので肉の扱いは縮小して、ほとんどコロッケ専門店になっている。
なので…種類が凄く多い。
男爵コロッケと牛肉コロッケなんて同じだろうと思うけど、ここでは違うものなのだ。
それに肉屋さんだったのにもかかわらず、かぼちゃコロッケとか、クリームコロッケなんかもある。
カニクリームなんて海のものだよ。肉屋に関係ないよ。
「真夏ちゃんまさか、ここの全部食べる気じゃ」
「食べる!」
「いや、全品制覇したら、ここだけで10個だよ。2軒目でもう16個だよ。14軒行ったら112個だよ。重さにしたら10キロ超えだよ」
「お姉ちゃん、計算早いね」
「そこ感心するところじゃないよ。真夏ちゃん随分食べれるようになったけど、これは私でも限界レベルだよ」
その計算を聞いて、レジの列に並んでた前後のお客さんが、はっと振りかえった。その驚きの波紋がざわざわと伝搬していく。
ですよねー。ケタの違う話をしてる二人ですもん。
「いい、今日は限界超えて食べるから!」
「う~ん、ムリだと思うよ」
「俊介先生もウチで言ってたじゃない! 可能性を否定するのは嫌いって!」
「いや、それとこれとは別でしょ」
「おんなじなの!」
お父さんに似てるなぁ。こういう所。やっぱり親子だ。
外はお母さん似で、中身はお父さん似か。
プンプンすると声が大きくなるところもそっくり。
これは折れないだろうことが容易に想像できたので、ため息まじりに注文を入れる。
10種20個のコロッケをレジで頼むと、店員さんがお持ち帰りだと思い込み箱に詰めようとし始めたので、それを手で制してここで食べますから一つずつ小袋にいれて下さいと伝える。
これが何度やっても慣れない。
これをやって驚かない店員さんは滅多にいないし、気を遣って平静を装われても奇異な目で見られてしまう。
ご多忙にもれずにここでも、本気ですかって顔をされた。
一応フォローで二人で食べますけど、と言ってみたけど今度は、子供じゃないですかって顔をしてるし。
お店の壁にもたれて二人、紙袋に入れてもらったコロッケに手を突っ込み、メモ帳片手に感想を書きつつ、もふもふとコロッケを食べ続ける。
「まだ喧嘩中?」
「うん。お姉ちゃんのところは」
「ウチも」
「俊介先生とラブラブだったのに」
「だって」
また、だってと言ってしまった。これでめちゃめちゃ怒られたのに。
「どうしたの?」
「私が悪いんだけど、素直に認められなくて」
「悪いんだったら謝ればいいじゃない」
正論です。
真夏ちゃんって、時々私と13歳も離れてるとは思えないときがあるんだよね。魂をえぐる事を言うので同い年の子と話してるんじゃないかと思う時がある。
「それができれば苦労しないよ。分かってるけど気持ちが切り替わんないの」
「ふーん」
「真夏ちゃんだって同じじゃないの?」
「私は違うよ。むしろお父さんじゃないの。気持ちが切り替わらないの」
「そうかもね。じゃなんで真夏ちゃんはやけ食いなのさ」
上から真夏ちゃんの頭を見ると、前髪の向こうに、ほっぺたと鼻のさっきちょが見える。
真夏ちゃん、ちょっと太ったなぁ。
ほっぺたが、ぷくぷく。
私の天使ちゃんが、ホントに天使画の天使ちゃんになっちゃったよ。
「もう、なにもかも思い通りにならないんだよ。お父さんもずっとツンツンしてるし、お母さんはお父さんを避けてるし。もう何なのってカンジ。言いたいことがあれば言えばいいじゃない!」
また、魂を抉るようなことを。
「お母さんの気持ちも分からなくもないけど」
「お姉ちゃんは、私の見方じゃないの!!」
「もちろんそうだよ。でも、ちょっと今の自分に近いなと思って、真夏ちゃんのお母さんと」
真夏ちゃんは、お父さんよりはお母さんに腹が立ってるみたいで、その話をし始めると食べ方が荒くなる。
もう、口に押し込んでる感じで、がががっと10個のコロッケを食べちゃった。
「行こ! 次っ」
真夏ちゃん、ちゃんと感想も書くんだよ。目的はそっちなんだから。
あっというまに3件目。
茜商店街には、複数のお店が一つの店舗に入ったフードコートみたいな場所がある。
昔、パチンコ屋だったお店を居抜いて、ファストフード的なお店をまとめたものだ。
食べ歩きもいいけど、子供とかお年寄りが一緒だと座りたいってニーズもあったし、飲み物とか利益率の高いものの回転率が上がるからということで、議会でアイデアが出て最近開店したばかり。
ここにもコロッケのお店が入っている。
ここでは普通のコロッケに加え、プリプリエビコロッケと海鮮メンチ、グラタンコロッケを注文。
フードコートの椅子に座り、はむはむコロッケを食べながら、さっきの話の続きをする。
「お姉ちゃんの所も喧嘩長いよね」
「喧嘩じゃないよ、何となくすれ違ってるだけ」
「すれ違いかー。すれ違ってないってどんな感じかな~」
「どういうこと」
「ウチって小っちゃい頃から、ずっとこんなのだったから。普通のウチってどんなんなんだろーなって」
「……」
真夏ちゃんは、紙コップに刺さったストローに口を当てると一気にウーロン茶を飲み干した。
ズズーという音が紙コップに響くと、真夏ちゃんはコップを持ったまま、何かを解き放つように椅子の上でうーんと体を伸ばす。
「分かんないや!」
小さい子の忘却に長けたところを見るのは心痛あまりあるものがある。それが同じ立場にあるものであれば同情の念を禁じ得ない。
「私もわかんないよ」
「ウチのお父さんとお母さんってなんで結婚したんだろうな。あんなにビクビクしてんなら結婚しなきゃよかったのに」
その質問は一撃が重すぎる。
しかもこんなタイミングで言っちゃったら、ここまで築いてきた両親の生活が全部否定されちゃう。
私の天使ちゃんから、その言葉は聞きたくない……。
私はその質問から少しでも身を遠ざけて欲しい一身で、もう寒い季節にもかかわらずアイスを食べることを提案してしまった。
真夏ちゃんは、この時期にアイス? しかも揚げ物と一緒に? なんて怪訝な顔をしていたけど、この悲しい質問を一時でも忘れてくれるなら、私は食い合わせも考えない食いしん坊ちゃんでいい。
よろこんで満腹バカになろう。
奇をてらって一番間抜けなタイカレーアイスを頼んだんだけど、これが予想外においしくて思いのほか真夏ちゃんのテンションは上がったのは僥倖だった。
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