私の天使

「先生! 真夏ちゃんが! 真夏ちゃんを助けて!」


 私は真夏ちゃんを抱っこして自分の病院まで走ったらしい。

 らしいというのは、どう店を出たか、お金を払ったのか払ってないのか、なんで45キロ近くもある真夏ちゃんを抱えて走れたのか覚えてなかったから。

 でも幸いなことに先生がいた!


「どうした」

「真夏ちゃんが、お腹いたいって! 凄く痛いって、真っ青なの、息も荒いのっ! 先生、真夏ちゃんを助けて、私何でもするから、ごめんなさい、ごめんなさい、私、私っ!!」


 激痛にあえぐ真夏ちゃんの悲鳴が耳をつんざく。

 ここに来る間に、わたしは真夏ちゃんの荒い息遣いと、あーともくぅーともつかないうめき声しか聞いていない。


「落ち着け! 泣くな! お前も看護師だろ! 患者の前で狼狽えるな!」

「だって! だって!!」

「バカヤロウ! 泣く暇があったら診察の準備をしろ! ベッドに寝かせろ!」

「はひっ」


 先生の罵声が飛んでも、パニックになっている私は自分の事で精いっぱいだった。

 涙を袖で拭きながら先生に言われるままに真夏ちゃんをベッドに寝かせて服をめくり診察の準備をした。

 その間、先生が怒鳴り声がずっと響いてる。


 先生は、真夏ちゃんのポンポンになったお腹を診て、あっという間に状況を察したらしい。


「大食いしてるのか。状況を話せ」

「真夏ちゃんが、学校でなんか辛いことがあったみたいで」

「バカかお前は! 診断につながる情報を話せと言ってるんだ!」

「は、はい! こ、こに来るまで4,5キロのご飯を食べました。最後に激辛のカレーとピザを食べてる時に手が止まって、急に腹痛を訴え始めました」


 先生の質問に真夏ちゃんが答えるのがベストなんだけど、あまりに腹痛にとても話せる状態ではなかったので私が知ってることを全部話した。


「お前がついてて何をやってるんだっ!!!」


 遂に本気で怒鳴られた。

 でも怒られたことで、私はやっと我を取り戻したと思う。


 ・・・・


 問診や触診、超音波検査で、どうやら先生は原因を把握したらしい。

 そして緊急度は低いと判断して一本の注射を打った。


 その投薬が効いてか、いま真夏ちゃんは平静を取り戻して寝ている。

 精密検査は必要だけど、安定した姿を見て私もやっと一安心することできた。


 真夏ちゃんを二人で囲みながら、先生が静かに私に話しかける。


「お前が急患を作ってどうする」

「……」

「やっぱり俺の言ったこと理解してなかったな」

「はい」

「分かっただろ。お前がしくじれば大事な人が死ぬぞ」

「はい」

「救いたくても救えないのが医療の冷酷な現実だ。なら救える患者がいるなら少しでも早く、すこしでも苦しみを軽くしたいと尽くすのが俺達の責任だろう」

「はい」

「今日、ここに俺もお前もいなかったら、どうなっていたと思う」

「……」


 その通りだ。まったくその通りだ。


「俺はお前に甘かった。たまたま重篤患者がいなかったから、お前可愛さで甘くなった」

「違うんです! 私こそ浮かれてて。先生に甘えて猫被ってて。バカでした」

「それは俺もだ。医療現場に家庭を持ち込んでしまった」


「先生ごめんなさい。この半年の私がほんとの私です。看護師なのに自分のことばっかり、嫌な事があったら大食いして、家事も適当でゴロゴロしちゃう」


「……知ってるよ。そしてお茶目でお節介で、わざわざ人のために火の中まで栗を拾いに行くんだ」

「ごめんなさい」

「いいんだよ。そんな梓が好きになったんだから」


「先生。私先生の事ちっとも知らなかった。でも仁木さんから聞いたり、先生が私の事を怒ってくれて、私、患者さんと真剣に向き合ってる先生のことが、もっと好きになった」

「お互い、本当の自分じゃなかったな」


「今までごめんなさい」

「今まですまなかったな」


 一緒に謝って、一緒に微笑んだら、自分でも不思議なくらい二人の間にあった溝がすーっと消えて行った。まるで蜃気楼のように、わだかまりがその場から消えた瞬間だった。



「……先生。俺って言うのもカッコいいよ」

「うるさい、調子にのるな」

「へへ、ごめん」


 照れ笑いで誤魔化す先生と、診察ベッドの上でスヤスヤ眠る真夏ちゃん。

 やっぱり真夏ちゃんは天使だった。

 身を挺して私達の仲を繕ってくれた。


 私はそんな、ちょっとプクプクの天使ちゃんがかわいくて、スースー寝息をたてる真夏ちゃんのおでこにチュッとキスをした。

 今度は私が真夏ちゃんを助ける番だ。


 ・・・・


 真夏ちゃんは予後観察で潰瘍と分かった。そこに辛いもの急に大食いしたため腸に強い刺激が加わり一時的な狭窄が起きたのだろうという診断だった。

 先生は私が子供の頃に起こした症例をその後調べて、この主訴における症例の可能性を記憶していた。

 あの現場に立ち会ったのに手当できなかった者の責任だと言っていた。


 ・・・・


 翌日、私達は清瀬家に謝罪に行くことにした。

 でもその前に、何を謝るのか、これを超えて僕らはどんな未来を創るかが大事だろうと先生に言われたので、私達は真夏ちゃんを介抱しながら、よっぴいてビジョンシートに取り組んだ。

 もう一度、真夏ちゃん達とやり直したい。


『私達は真夏ちゃんのご両親とどうなりたいのか』

『それに対して今の私たちの心の声は、創りたい現実はどんなものか』

『私達はどう変わるか、どんな心で関わるか』

 先生と話しながら、このシートを書いて行く。


 本当に久しぶりに夫婦だと思える時間。

 先生との距離が凄く近い。先生の息が聞こえるくらい。

 先生のちょっとヒゲの伸びた顔が目の前にある。久しぶりに顔を見た気がする。

 うー、ドキドキしてきた。

 いけない、いけない! 見とれてる場合じゃない。



「私は真夏ちゃんのご両親とは家族ぐるみのお付きあいがしたい。笑ってご飯も食べたいし、頼られたいし頼りたい」

 そんな事を言うと、また飯の話かと先生が茶化す。

「いいの、本当の私は食べることしか考えてないって分かったでしょ」と微笑み返し。

 いいカンジだ。私、何で猫かぶってたんだろう。


 ご両親との話に戻ろう。

 本当はそう願ったはずなのに、真夏ちゃんのご両親とは互い攻撃しあう敵になっちゃった。

 それは真夏ちゃんを守るためだったけど、結局守るどころか、あの場で真剣で切り合いをして、あまつさえ本人を主戦場に放置してしまった。

 そして一番辛いときに、真夏ちゃんを守れる人を失わせてしまった。


 私のあの時の心は、『ご両親を私の言うとおりに従わせようとした心』。ご両親の事もご両親と真夏ちゃんとの関係も何にも知らないのに。

 それを先生に暴露すると、「その心はもしかしたら梓のクセかもしれないよ」と言われた。


「どうして?」

「梓は椎名くんの協力要請がくると、また私をはめたって怒るだろ。それは従う事と従わせる事への拘りなんじゃないのかい」

「それは椎名が……」


 そう言いかけて、ハタと思い当たる節があった。私、上下関係で考えるクセがあるかも。椎名は私より凄いとか思っちゃうし。

 年下の人が苦手なのって自分が上でなきゃっていう思い込みなんじゃ。

 弥生さん達とご飯食べるときも楽しいのにイジられるとぶーぶー言ってるし、それって一番下の立場がイヤだからじゃないかしら。


 ……ちょっと待てよ。

 これ真夏ちゃんにも当てはめてるんじゃないの? もしかして。

 怖いけどちゃんと聞こう。


「もしかして私、真夏ちゃんに上下関係を当てはめてた?」


 先生はうーんと唸って、想像通りの答えを言った。


「してるね。最初からそうだったと思う。だから妹みたいって言って連れまわしてたんじゃないの。私の天使ちゃんとか言ってただろ」


 ひー! やっぱり。


「梓の所有物だよ、それじゃ」

「うう」

「それに勉強のときも本人より梓の方が張り切ってグイグイ引っ張ってたろ」

「……」


 やめてください。先生。もう結構です。もう自覚しましたから。死者に鞭うつことなど。


「梓のボタンの掛け違いはそこじゃない? グルメガイドマップを作ってる時のお姉さん風は、横から見ててちょっと痛いくらいだったし」


 まだ言うか。先生。意外にしつこい。


「もういい。十分分かったから、それ以上言わないで。だったら先生だって何かあるんじゃないの」

「だからそれだよ、自分が上か下かに拘りがあるって」


「いやー!!」

 恐ろしい。自分のクセって。もう何も言えない。


「怖いわ。自分が」

「でも大発見じゃないか」

「うん、これちゃんと謝りたいよ。真夏ちゃんにもご両親にも。そうかあのお父さんの性格からすると、こいつ何様かと思ったよね」

「そりゃ分からないけど。真夏ちゃんのお父さんのこと知らないから」

「そうだね。だったら先生は何であの瞬間ブチ切れたのさ。そこまで冷静に人のこと分析しといて」

「……あの時、俺は真夏ちゃんの可能性を否定された事が、自分を否定されたように思えたんだ。それでお父さんを力ずくで屈服させたくなった」

「先生も人の事言えないじゃない」

「そうだな」


 ここまで分かれば、どんな心で関わるかは簡単だった。

 上も下もない年上も年下もなく友人でありたいし、あんなに怒らせたのに、それでも私達の食べ歩きを認めてくれたことにお礼を言いたい気持ちになった。

 何より真夏ちゃんと出会わせて戴いたことに感謝したい。もしここで縁が切れてしまっても感謝こそすれ怨みはない気持ちだ。

 そして許してもらえるなら、これからも真夏ちゃんの成長を見守らせて欲しい。


 それだけ。

 真夏ちゃんは、素敵な思いでを沢山くれた親友だから。

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