先生の秘密

 翌日、清瀬家。


 急な申し出だったけど、さすがに愛娘が腹痛で倒れたとなれば、忙しいお父さんも仕事を切り上げて早く帰ってきてくれた。そして今度は落ち着いて話せた。


 お父さんは、始めはいぶかしげな眼差しで見ていたけど、私達の話を真剣に聞いてくれた。

 それは先生が初対面の無礼へのお詫びの後に、私も知らない自分の事を語ったからだ。


「僕は中学生の頃、酷い劣等生でした。体も弱く将来が不安で何時もウジウジ教室の隅で悩んでいました。そんなある日、恩師が一冊の本を紹介してくれました。その本には『心が現実を作る』とありました」


 そこから始まる長い長い独白。


「その本にビジョンシートの事が書いてありました。以前真夏ちゃんが書いたものです」

「僕は本当にこんなシートで願いが叶うのかと思いながらそのシートに取り組んでみました。願いは『金持ちになる』です。家が貧乏でしたから。そのために医師を目指しました。理由は簡単です、医者なら勉強すればなれるからです」


 ビックリした。そんな理由だったんだ。今の先生からとても想像できない。

 絶対、苦しんでる人の命を救いたいとかそういう崇高な理由だと思ったのに。

 先生が何で医者を目指したのか言わなかった訳だ。


「そんな目標を立てて恩師と相談して真剣に勉強のやり方を考えて実際にやったら、本当に成績が上がってきました、それが面白くて一生懸命に勉強をしたのを覚えています」

「でも所詮はバカな頭です。地方の医大に合格するのが限界でした。医大に入った僕はとにかく偉くなることばかりを考えてました。正直、患者が金と出世の階段にしか見えてませんでした」


 こんな事まで。わが夫とは言え人の人生なのにドキドキしてきた。

 それはみんな同じようで、真夏ちゃんもご両親も引き込まれるように先生の話を聞いている。


「そんな時、不思議な患者さんに出会ったんです。余命1年と知ってるのに妙に明るくて、その人がいるだけで病室の空気が違う。強い薬を投与してるので激しい吐き気や頭痛に襲われている筈なんですが、僕が行くとニコニコ笑ってるんです。僕は何で笑っていられるのか知りたくて足繁く病室に通いました。知りたいと言うのはウソですね。たぶんその方の魅力に取りつかれたんでしょう。僕は千夜一夜物語みたいにその方の人生を聞きました。時には僕も自分の事を話しました」


 真夏ちゃんが固唾を飲んで聞いている。いつもぽんやりしているお母さんが前のめりだ。

 不思議な清涼感がこの家に広がっていた。


「ですが体は正直です。ふくよかだった腕が骨と皮になり、はっきりていた声が枯れていく。フサフサだった髪は薬の影響で丸坊主です。僕はなんとかこの方を助けたかった。助けられずとも余命を伸ばしたかった。こんな人が早逝するのは不公平だと思いました。そんな事は今まで思ったことは無かったのに。最新の論文を読み漁り複合的な療法での改善事例がないか調べたり、八方手を尽くしましたがどうにもなりません。日々衰弱していくのを見るのが辛かった」


 先生の瞳が潤んでいる。思い出してるんだきっと。


「ある日、回診に行くとその方は自分を外に連れて行けというんです。個室への移動やイヤだと言われるのかと思いました」


「晩秋の寒空の中、車いすを押して病院の庭を回ってると『先生は医者なんか無力で何の力もないと思ってませんか。そして金のためにやってきたのに、こんな事で狼狽えるなんて自分はどうしてしまったんだと思ってませんか?』と言うんです。びっくりしました。この人はテレパシストかと思いました」


「僕が驚いていると『無力ではないです。私はあなたに会って救われたのですから。先生が変わっていく姿が私の喜びでした。人間の可能性は素晴らしい。あなたが担当医でよかった。私は最後に自分の願いを生きれてよかった。可能性を信じてよかった。ありがとうございます』と言いました。僕は何も言えませんでした」


「その方は二日後に泉下の人となるのですが、その日から自分はすっかり変わってしまったと思います。最後まで自分の可能性を信じてくれた人を見てしまったから、僕はそんな人を応援しなきゃいけない。どんなそれが恥ずかしくても周りから無駄だといわれても、あの人からバトンを貰ってしまった」


 私も知らない先生の生い立ちだった。

 私が知ってる患者さんにやさしい温厚な先生は、この後の話なんだ。


「あの時、言い争ってしまったのは真夏ちゃんの為なんかじゃなくて自分の事を言われたからです。でもそれは私が間違っていました。本当に申し訳ございませんでした」


 プライドが高いと思っていた先生が額をこすりつけて謝っている。

 それを見て何かがいっぺんに自分の中に入ってきてしまった私はピクリとも動くことが出来なかった。


「頭を上げてください。娘の為に来てくれたのに私も言い過ぎたと思っていました。人の話を聞かんのが私の悪い癖でして、言い争いになってしまいお恥ずかしい」


 あらっと思う程、素直なあっけらかんとした対応。

 導火線も短いけど後腐れもない人だったんだ。


「ところで真夏の話を聞こうじゃありませんか。これもお恥ずかしいですが、あれから娘とは会話がなくて」

「お忙しい仕事だと聞いております」

「営業ですから夜はほどんど取引先との付き合いで。休日も接待が多いんです。それで真夏と時間を取ることもできず」

「大変なお仕事ですね」

「いや、お医者さんに比べたら」


 なんでこうやってお互い思いやれなかったんだろう。

 本当に心の持ちようって現実に現れるんだ。


「真夏」

 お父さんが優しく真夏ちゃんを促すと、真夏ちゃんは私に語った何で取材を受けようと思ったのかを話し始めた。そしてあの事件のこと。そこから始まるハブのこと。

 それを聞いたご両親はとても驚き、そして締め付けられるような表情で話を聞いていた。

 気づいてはいたと思うけど、そんなに悩んで辛い状態だったなんで聞かなきゃ分からないもの。


「真夏、ごめんなさい。あなたが苦しいときに何もできなくて」

 お母さんが声を震わせて顔を覆う。


「母さん、なんで気づかなかったんだ!」

 気の短いお父さんが怒鳴りそうになるところに真夏ちゃんが入ってきた。


「お父さんが怒鳴るから、お母さん言いたいこと言えないんだよ!」

 刹那の沈黙の後、お父さんは振り上げた拳を自分で下した。


「済まなかった。さっき悪い癖だといったばかりなのに」

「私、お父さんのこともお母さんのことも大好き。でも人の話を聞かないですぐ怒るところは嫌い。怖いんだもん」

「……母さん、真夏、怖い思いをさせてすまなかった」

「真夏、お父さんは私が頼りないから一所懸命私たちを引っ張ってきてくれたのよ。そんなお父さんに」

「知ってるよ。でも、もっと仲良くなりたいの。家族なんだから!」


 なんか空気が変わり始めてる。なんか私いま凄い現場に立ち会ってるんじゃないかしら。清瀬家が変わろうとしてる感じがする。

 なんて私がぼんやり感じてたら、先生がふと変な事を言い始めた。


「あの~、もしお互いに言いにくいとかありましたら、僕にアイデアがあるんですが」

 三人がきょとんとしてる。


「先生、それはなんですか」

「お互いの気持ちが分かる簡単な方法です」



 やったことは簡単だった、三人の役割を替えて、その役割のつもりになって言いたいことを紙に書くだけ。それを順繰りやって、後でそれを三人で話すだけらしい。

 私達はそこに立ち会ってないので、どんな本音が語られたのか、どんな会話がされたのか知らないけど、終えた後に出会った三人が劇的に変わっててコッチが驚いた。

 いやもう三人が座ってる距離が違うんだもん。ぴったり並んで座ってて。

 お母さんの声がハキハキしてるし! 元気な声を初めて聞いたよ。

 真夏ちゃんも両親も満面の笑み。

 だけどお母さんと真夏ちゃんの頬には涙の痕があった。

 何かのこだわりが涙と一緒に流れていったんだ。


 こんな簡単なことで変わるの?

 先生は白い服を着た魔法使いなんじゃないかしら?


 そしてお父さんが相好をほころばせて、真夏に勉強のやり方を教えてやって欲しいと言ってきた。

 私達は真夏のやりたいことを応援するし真夏の頑張る道を信じる。

 コイツはちょっと頑張れば、この街のガイドマップを作ること位やってのけるヤツだからって。


「伊藤先生、お願いします」

「私からも、お願い致します」

 お母さんからもお願いされちゃって、先生はもう分かりました以外の答えがないようだった。

 目が合った先生の目じりが下がっている。嬉しいね。先生。


「真夏ちゃん、がんばろう!」

「はい、先生、お姉ちゃん!」

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