終章

 後日、先生が教えてくれた勉強の仕方は至ってシンプルだった。これは先生が実践した方法だって。

 ようは何のために勉強をするのか定めて、自分の力をどこに注力するか決めて、そのための勉強方法を知るだけの事だった。


「人生を通してやりたい事がハッキリしてるのか、それともやりたい事がまだ分からないのか」

 やりたい事がハッキリしてるなら、勉強は程々でいいからやりたいことを突き詰める。

 やりたい事がまだ分からないなら、とりあえず学校の勉強を一生懸命頑張る。


「学校で凄い人って言われたいのか、それとも社会で凄い人と言われたいのか」

 学校で凄い人って言われたいなら、試験に出るところだけ勉強すればいい。

 社会で凄い人って言われたいなら、社会や経済の仕組みや人の事も学ばなきゃいけない。


「勉強では全科目を頑張るのか、それともココだけは頑張るのか」

 全科目を頑張るなら、他のやりたいことは全部諦めなきゃいけない。

 ココだけ頑張るなら、それを突き詰めること。あとは普通でいい。


 そのためにどうするのかは2つしかなかった。学習は『覚える』ことと『考える』ことだけだそうだ。

 『覚える』のは自分に合った覚え方を見つけるしかない。

 真夏ちゃんは体感覚で覚えるのが得意だから体を動かしたり、体の感じに置き換えながら覚えるといいそうだ。

 でも記憶術の専門家がいるから講習に行った方がいいよだって。


 『考える』のは原因と結果を意識して言葉にするといいそうだ。黙々と考えるのが苦手なら誰かに話してもいいし、書いてもいい。

 いま学んでいることが、覚える事なのか考える事なのか意識して取り組めば、あっというまに成績なんて上がるよ。


 だって。

 ……先生。それなんで私に教えてくれなかったの!!

 私、高校受験のときも大学入試のときも、超苦しんだんですけど!

 知ってますよね。私がぐったりしてた姿!


「何、怒ってるの。梓」

「怒りたくもなります」

「なんで」

「真夏ちゃんが、帰ったあとじっくり話しますから覚悟しておいてください」

「なに、怖いんだけど」


 この教えの効果は絶大だったらしく、後日、真夏ちゃんは国語のテストを持って喜び勇んで病院に駆け込んできた。


「見て見て! 先生! 90点だよ」


 真夏ちゃんは、最近すっかり先生にご執心だ。


「凄いじゃないか、真夏ちゃんの眠っていた力が目覚めたな」

「先生のおかげだよ!」

「僕はやり方を教えただけだよ。真夏ちゃんが頑張った結果だよ。でもそういってくれると嬉しいな」


 あー! 先生が真夏ちゃんの頭をなでなでしてる。

 それは、私だけの特権なのにぃ~。



 真夏ちゃんのハブの事件はどうなったかって?

 それは後日談があって、清瀬家と伊藤家でご飯を食べにいったときのこと。

 真夏ちゃんがダイエットをする前に、仲直りパーティーで両家でホテルビュッフェに行ったのだ。


 私も真夏ちゃんもワクワク。

 だって、どんな奮発をしたのか高級ホテルなんだよ。もう一回言っちゃうけど高級ホテルのビュッフェなんだよ。

 そこのおいしい料理を、とことん食べれるなんて、なんて夢の様なんでしょう。


「楽しみだねー」

「ねー」


 そこで私達は、どんだけ食べる知らないご両親の度肝を抜いてやった。

 確かに娘はかなり食べる方だとは思ってたみたいだけど、まさかこんなに食べるとは思ってなかったみたい。

 全国区の私を師匠にするくらいだから、そりゃもう5キロ、6キロの世界じゃない訳ですもん。


 大人三人が、もうお腹一杯と言ってる時に、私たちはひょいひょい席を立って、また山盛りの料理を運んでくる。

 その積みあがるお皿を見て唖然とする二人。


 あら皆さん、私たちの前菜分しか食べてないじゃありませんこと?


 周りのお客さんも、もうあのテーブルはどうなってるんだって感じで興味深々のご様子。

 やけ食い連発で鍛えられたもんね。真夏ちゃん。


 いやでも凄いね。高級ホテル。

 ハーブ豚だよ、ローストビーフだよ、神戸牛だよ、仔羊だよ。

 オムレツふわふわ。エッグベネディクおいしい、クロワッサンすら別物!

 なに樽みたいなチーズの中で、パスタがまぜまぜされてるんですけど!

 エスカベシュってなんだろう、なんとフォアグラのポアレですか。

 ずわい蟹おっきい~。伊勢海老? ロブスター? 見たことないから分かんない! と思ったらチャンチャン焼きって庶民的なものあるのね。


 もちろん全部頂きました。

 最後にデザート全種類を食べて。それに飽きたらずおかわりもして。

 完全に元をとりました。いや多分大赤字にしたと思う。


「真夏、あんたいつからそんなに食べるようになったの?」

「やけ食いしてたら、このくらい食べれるようになったんだよ」

「いやそれにしても食べ過ぎだろう」

「そんなことないよ、まだいけるし、お姉ちゃんなんてまだ半分くらいじゃないの」

「いやさすがに半分は超えてるけど、もう一周してもいいくらいかな」


 えー本当かよー、て顔してる。うふふ。

 先生は見慣れてるから悠然とコーヒーなんか飲んでるけど。


「伊藤先生、あんなに食べて大丈夫なんですか?」

 元ラガーマンなので学生時代は相当食べた口みたいだけど、それを遥かに凌駕する量に不安を覚えたみたい。


「ええ、時々先天的に胃の拡張性が高い人がいるようですよ」

「でも……」

「彼らにとっては、私たちの満腹と同じようなものです。もちろん食べた分は太りますから程々がいいと思いますが」


 悠長すぎるわ。先生。


「真夏、だからこの服にしたのね。変だと思ったのよ」


 お母さんがやっと気づいたみたい。

 二人ともこうなることを予想して、真夏ちゃんはボーダーのシャツに肩落ちのゆるゆるチュニック。私はTシャツにマタニティジャンパースカート。

 いっそ妊婦に見られた方が楽でいいし、もう不自然な年じゃないからね。

 で、二人とも双子妊娠中って状態。


 お父さんが真夏ちゃんのどっぷりしたお腹に興味があるのか、そーっと触ってる。見たこともないサイズだからね。

「お父さん、触んないでよ!」

「ごめんごめん。すごいなぁ。ほんとに入ってるなぁ」

「食べたんだから、当たり前じゃない」

「俺の腹よりすごくないか」

「何言ってるのよ。お父さんのお腹の方がりっぱよ」

「そうか? 母さん」


 あらまぁ。すっかり仲良し家族だこと。


「伊藤先生、あの晩のこと、私は何度考えても狐につままれたような気がするんです」

「何がですか?」

「最初に伊藤先生と会った時と、全然印象が違ったことです」

「ああ、あのときは本当に失礼しました。あれが心が現実を作ると言うやつだと思います。初めて会った日、私は正直申して清瀬さんに不審の心があったと思います。梓も説得したい思いばかりだっと言ってました。先日お会いし時は、私たちは本当に大切にしたいものがありました。その違いだと思います」

「伊藤先生が言ってた、ビジョンシートというやつですか」

「はい、前の晩に妻と二人で書いてました」


「私、それもう一回書いてみようかな。学校のことで」


 ぽんぽんの自分のお腹を両手でさすりながら、お腹に視線を落とした真夏ちゃんがぽろりと言う。


「ちょっと諦めてたけど、修学旅行までにまた仲良くなれたらいいなって」

「うん、真夏ちゃんやってみなよ。何か変わるかもしれないよ」


 ・・・・


 真夏ちゃんはジックリ考えて、有頂天になっていた自分を見つけたそうだ。自分のはどんくさくて勉強もダメだと思ってたからテレビの取材を受けることで自慢の心になっちゃった。

 それが分かったからホームルームで時間をもらって、皆の前で謝ったそうだ。


 すごい勇気があると思う。

 ドキドキでチビりそうだったって言ってたけど、よーくわかるよ。女の子の世界は難しいから。


 素直な気持ちで謝ったら、完全に元通りになったわけじゃないけど、修学旅行の班の子とは何とかやっていけるようになったと言ってた。

 少しでも楽になれてよかった。

 ホントによかったよ。



 そして私たちのライフワーク。茜グルメガイドマップは……。


 わたしクビになりました。


 いつも通りカラメールでガイドマップを作っていたら、あ、これは居場所が無い訳じゃなくて、優花理さんがイラスト担当で、今は三人で作ってるからなんだけど、椎名がやって来て、

「御子柴、お前、ガイドマップ担当、クビだから」

 と解雇宣告。


「えー、なんで!」

 動揺が走る三人。このトロイカ体制に何の文句があるっていうの!


「なんでよ! 椎名! あんた一体私に何の怨みが」

「怨みじゃねーよ。怨みだったらもっとネチネチやってるわ。そうじゃなくて、ガイドマップは新体制でやるの。だからお前は卒業。多様な意見が入るようにメンバーをローテーションさせて、編集長は真夏ちゃんにするの。イラストは引き続き優花理さん、お願いしますね」


「なにそれ!」

「聞いてませんわ」

「え、え、聞いてないです! 椎名さん」


「前からそういう話があったんだよ。金銭的な負担も大きいし、御子柴は土日の訪問診療の充実に頑張ってほしいって話もあったしな」

「で、でもなんで私が編集長なんですか!」

「いや、単純に適任だからだよ。ガイドマップの出来を見ても議会の受け答えを聞いても、クレーバーだったから誰も異論がなかったぜ」

「で、でも私、小学生ですよ」

「だから話題になるんだよ。真夏ちゃん。それに来年は中学だろ。桂木も中学でCグルのマネージャーデビューだしな」

「誰ですか、桂木って!」

「あ、知らねーか。まぁ俺の右腕だからそのうち会うよ」

「優花理さんは、真夏ちゃんのサポートをしてあげてくださいね。なんなら一緒に食べ歩きレポートもお願いします」


 コイツ、優花理ちゃんに気があるな。

 あからさまなんだっつーの。優花理ちゃん絶対だまされないで。


「あら、私もご一緒してもよろしくて。でも梓さんみたいにたくさん食べられませんわよ」

「いいんですよ、こいつは満腹バカなだけですから。優花理さんは1、2店、ちょっと味見でいいんですから」

「なんだと! 椎名! ば、ばかはお前だ!」

「うっせ! 食いすぎて死ね」

「うがー! 餓死しろ!」


「お姉ちゃんたちは仲良しだなぁ」

「いいわけないでしょ!」


 というわけで、私は食べ歩きから外されてしまった。

 それを実子ちゃんにグチりに行ったら、それ椎名くんが気を利かせたんだよと教えてくれた。


「え、どういうこと?」

「御子柴は先生との時間が大事だろだって、それと真夏ちゃんにもっとこの街を好きになってもらいたいから、色々な人と合わせたいんだって。いつだったかの議会で言ってたよ。これ内緒だよ」


 ……やべ。餓死しろって言っちゃった。

 そうか、あいつ、この街の為にそんな細かいことまで考えてるんだ。

 私のことも……。


 バカ、なにやってんのさ。お人好しはアンタだよ。

 でも、それが椎名の願いか。


 は~、しょうがない。今度、優花理ちゃんとご飯の機会でも作ってあげよう。

 もちろん危険だから私も入るけど。


 ・・・・


 我病院は期待に応えて、土曜の午前は診療。午後は訪問診療となった。あと先生の希望で深夜や日曜の急患に対応するため病院の裏口にホットラインが設置された。

 ホットラインはめったに鳴らないけど、いつでも対応する気構えを持ち続けなければならないので気が抜けない。

 これが結構大変。

 時々いたずら電話とかもあって、これも辛い。みんなイタズラ電話はダメだよ。


 ということで、日曜は休みだけど遠くに遊びに行けなくなって、ちょっと寂しい日々を送ってます。

 今、近郊に提携病院を探してるんだけど、なかなか見つからないんだよね。

 志を同じくするお医者さん急募です。


 土曜の休みがなくなったけど、私たちは訪問診療の移動中がデートタイムになった。

 お互い白い服で毎週デート。腕を組んで歩くんだ。

 私が先生の左腕に抱き着くと、先生は重い重いというんだけど、まんざらでもない様子。本当は私がひっつき虫なだけなんだけどね。


「梓、なんか大きくなってない」


 あら、先生気づきましたか。

 太らないって思ってたけど、やっぱりやけ食いはダメね。ちょっと太ってました。

 でもここはしらばっくれちゃおう。

 いくら隠し事なし、言いたい事を言おうねと言っても、触れちゃダメなこともあるのよ。先生。


「先生、ナースワンピースって胸が大きく見えるんですよ」

「そうかなぁ」


 そうしておいてくださいな。

 それが妻への優しさってものです。旦那様っ。



 私はず~と先生と一緒になりたかったけど、それは結婚することじゃなかった。

 大変だったときは、もうバラバラになっちゃうかと思ったけど、こんな事があったからこそ、私達はやっと夫婦になれたと思う。


 それは真夏ちゃんも同じ。

「お姉ちゃん、なんか最近ウチ、家族って感じがするんだ」


 それって真夏ちゃんの言葉を借りると、恋人から夫婦、そして家族になったって意味だと思う。

 家族ってなるんじゃなくて、なっていくものなんだ。

 発見! 私いまイイコト言ってる!



 ついでに椎名のことだけど、グルメガイドマップは目論見が当たって、街全体のお客さんが随分増えたみたい。

 茜商店街の周辺商店も、茜商店街の議会や行政部、通称『茜ノ国』に参加してくれるようになって、おかげで椎名が経営するサービス会社もお客が増えたそうだ。

 よかったね、椎名社長。こんど奢ってね。



「梓、ガイドマップ作りを外されちゃったけど良かったのかい?」

「先生、心配してくれるんだ」

「まぁね、真夏ちゃんと食べ歩きするの楽しみにしてたし」

「う~ん、正直言うともっとやりたかったけど、いつかは終わらせなきゃいけなかったし。真夏ちゃんのためにも」

「真夏ちゃんは梓にいろんなモノをくれたみたいね」

「うん、随分年が離れてるけど妹じゃなくて親友だよ。だからちょっと寂しいかな」

「そっか寂しいか、じゃ僕らも頑張らないとだめだな」

「ん?」

「だから、それだよ。ウチにも天使が来てくれないかなって」


 先生が鼻の頭をポリポリ掻きながらソワソワしてる。


「なんだよ」


 そんな照れる先生に私は思いっきり飛びつくんだ。


「先生!! 先生、大好き!!」

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