終章 魚づくし4~5軒目
次の店は洋食屋さん
漁港と思ってなめちゃいけない。フランスやイタリアでも魚料理は多いのだ。
プロバンズ風の建物には小高い丘がよく似合う。
丘の上に小さく見える嘯奢な洋館。目指すはそこだ。
テラコッタの屋根が乾いた空の異国情緒を醸し出している。石積みの小屋はワイン蔵かそれともチーズ工房?
気分は南欧。
それでいいじゃないか。例え吹いて来るのが演歌の風でも。
駐車場から店まで続くのんびり曲がった路地には白い玉石なんか敷かれててとってもロマンチックムード。ちょっと枯れてきたバラがアーチの茂みから顔を覗かせてたりして、ここは本当に漁港町かと思うようなヨーロッパ風の造りだ。
そして店の中は煉瓦の壁に白い桟の窓枠。
煉瓦が音を吸収するのかしら? 物静かな雰囲気のなかピアノがひっそりと聞こえてくる。
ショパンの雨だれ……
うわぁこの四人だと場違い。いやゆかりんだけOKか。
その空気を全く読まない女が一人。
「こんちわー、四人ねー。そこ座っていい?」
ぶち壊しだ。どうみてもボンジュールでしょ。
「真夏ちゃんも早く座んなよ」
真夏ちゃん言ってやれ! 「オ・ル・ヴォワール ジャポン」と!
「弥生さんって物怖じしないですよね。凄いです!」
「えっ! ち、ちがうでしょ。物怖じじゃなくて空気読まないんだよ。この人」
「なに人を貶めようとしてんの。図太くなかったら男社会でやっていけないんだよ。分かる?」
「そう思います!」
ああっ! ゆかりんが離反した!
ゆかりんは、ゆかりんは私の味方のハズだったのに。
「弥生さん、そうですよね。図太さが大事なのですね。わたくし分かりましたわ」
ええー! 何がわかったの! この瞬間に。
ゆかりんまでプロバンズの風にやられたか!
「さて、梓ちゃんがボッチになったところで頼みますか? どれどれ?」
「どれもおいしそうですわね」
「おお、ベルトを緩めたら急に元気になったね」
「はい! 今日は図太く行きたいと思います!」
「いいね」
「真夏ちゃんどうする? 魚関係全部攻める?」
「うん、行きましょう! ガンガン行きましょう」
「わたくしも負けませんわよ」
ゆかり~ん、お嬢様なんだよ。あなたはお嬢様なんだよ~。
「梓ちゃんは?」
「私は白身魚の香草パン粉焼きだけでいいです」
「何しょんぼりしてんのさ」
「いいんです」
三人が調子よく頼んだおかげでココで私達が頂いたのは、白身魚の香草パン粉焼き、鯛蒸しのベルモットクリームソース、クラムチャウダー、金目とハマグリのマリニエール、アンチョビのパイ仕立て、エビグラタン、ヒラメのムニエル、ブイヤベース、ホタテのポアレ、マグロのタルタル、そして大量のパン。
魚もいいんだけどソースが美味しくて人の皿のホワイトソースまでパンでこそいでパクパク食べてしまった。
何回パンのおかわりをしたか覚えてない。
店員さんは私のお腹を見て「お子さんの分まで食べないといけませんからね」なんて言ってくれた。
「そうなんです! いっぱい食べなきゃいけないから大変なんです」
見た目にもふんわり盛り上がったお腹をやさしく撫でながら、店員さんに説明してあげる。
それを聞いて三人がクスクス笑ってる。
「梓ちゃんは、やっぱり一番食べるね」
「真夏ちゃんも結構食べてますよ。もともと太いから目立たないけど」
「私ですか? 大分ウエストきついですよ。今日パンツだからもうボタン外しちゃいました。セーターで隠してますけど、ほら」
ちらっとセーターの下を見せる。
このパンツはサキさんが真夏ちゃんのために作ってくれたものだ。
ウエストボタンとジッパーの所の裏あての折り返しが超幅広に作られてて、ウエストはマジックテープでも押さえられるようになっている。
裏地には部分的に滑り留めがあって、お腹が大きくなってもジッパーを下げてマジックテープで留めればパンツが見えない。
そのショートパンツでもパックリV字に開いたジッパーの向こうから白いぽいんとしたモノが覗いて見える。
「うわ~肉だ~。まるまる、ぽいんぽいん」
「おへそ深~い」
「失礼だなぁ」
「確かに大分張って来ましたわね」
「弥生さんはどうなんですか?」
「私はまだそんなでもないよ。運転するから前半はセーブしてんだよ」
「お腹がつっかえてハンドルが持てなくなったら帰れなくなっちゃいますもんね」
「そんなに食うか!」
「でも、梓ちゃんさっきスイッチ入ったとか言ってたけど、いつもに比べたら少なくない?」
「私もそう思った! お姉ちゃんスイッチ入ったとき凄いもん。見てても分かるくらいお腹が膨れてくるし。わたし流しそうめん事件忘れない」
「それは皆が悪いんだよ!」
「なにそれ?」
「商店街のイベントで流しそうめんをしたことがあったの。そしたら皆が梓ちゃんに一杯食べさせようとなって、お姉ちゃんを一番下流に追いやって上からどんどんそうめん流したんだ」
「読めた!」
「そしたら、一番下流だからここで食べないと全部ダメになっちゃうじゃない。それで落ちるのが勿体ないって、流れてくるの一人で全部食べちゃって」
「だって、落ちたら食べられないんだよ」
「それがさ、いくら食べても止まんないの。もくもくと無言で食べてるのがおかしくって」
「もうやめよう。もうお終い」
「でね、上からどんどん流すからお姉ちゃん休む暇がなくて、お腹がみるみる膨らんでさ、それが凄い勢いなんだよ。ホントみるみる大きくなって」
「ストーップ、ストップ」
「で、ズボンのベルトがぶちっって切れて、ボタンが飛んでチャックもびゅって降りちゃって、それでもまだ食べてんの」
「もう! あればベルトが弱くなってたんだって、ホントだって」
私が真っ赤なのに弥生さんとゆかりんが大笑いしてる。
「もう会場中みんな大笑い」
「おっかしい、梓ちゃん」
「で続きがあって、先生に『もう止めなさい!』って怒られて、しゅんとしてモノ欲しそうに竹を見てんの。それがかわいくってさ」
「あはは、バカだ、大食いバカだ、大食いバカがここにいるよ」
「梓さん、あれはわたくしも恥ずかしかったですわ」
「もう、いやっ!」
「あれ、どんだけ流したと思う? お姉ちゃん」
「わかんないよ。食べるので精一杯だったもん」
「大なべで3つだよ。バカじゃないの。一人でなべ3つも食べるなんて」
「うわー、真夏ちゃんにバカって言われた~」
「私でも食べないよそんなに。それでもまだ行けたんでしょ」
「うん、もう少し食べれそうだった」
「楽しそうだな~。私も茜商店街に引っ越そうかしら」
「来なよ! 弥生さん! 楽しいよ、毎日!」
「でもあそこに住むと、ゆかりんみたいにぶくぶく太りそうだしな」
「わたくし太ってませんわ!」
「その腹を見てもいえるのかな」
「これは……いま沢山戴いたからですわ」
「弥生さんが来てくれたら私も安心して商店街のお手伝いを休めるよ」
「え、お姉ちゃん、商店街の事やめちゃうの!?」
「うん、今すぐじゃないけど、もしからしたら1年後くらいには」
「どうしたの?」
「実は」
「なに今日は秘密が多いなぁ」
しこたま食べたと言ってもまだ5キロも食べてないので軽い食事程度なのだが、お腹の大きさはもうりっぱな太鼓腹。
私はそれを優しくさすった。
「実は、念願叶ったの」
「ん?」
「わかんないかな。この服みて」
「ん? 念願叶って四人でお食事?」
「違うよ」
「念願かなって大食い動画を世界中にアップ?」
「そ、それは公開処刑だ~」
「念願かなって、まさか!」
「それ!」
「15キロ食えるようになった!」
「違うって! 人間の限界越えてるよ!」
「わかってるよ妊娠でしょ」
「それ!」
「えーーー!」
「本当ですか!」
「やー、おめでとー」
「無味乾燥なお祝いありがと~」
「意外に長かったよね。先生やる気になったんだ」
「大変だったよ。草食系どころか仙人系の先生をやる気にさせるのは。いっそ夜に襲いかかろうかと思ったくらい」
「どうやったの? ねぇどうやって?」
「お姉ちゃん! いま何か月?」
「まだ2ヶ月。食べづわりでお腹が空くと気持ち悪くなるんで、それで食べてるのもあるんだけど」
「梓ちゃんは、生まれた時から食べづわりでしょ」
「なによそれ。またバカにして、もう」
「赤ちゃん早く見たいな。私と14才違うんだよね。ちょうど私とお姉ちゃんの年の差だね」
「ホントだ! 私と先生も14才違うんだよ」
「凄い偶然」
「そっか、今度は私がお姉ちゃんの子のお姉ちゃんだ」
「ステキな偶然に感動してる所、悪いんだけど、ど・う・や・っ・て・ヤッたのよ」
「弥生さん、言葉を選びましょうよ」
「こっちは切羽詰まってんだ教えろ! 包み隠さず教えろ! 全部教えろ!」
胸倉でもつかむ勢いだ。怖いです弥生先輩。
「実はなんもしてないの」
「え?」
「スケスケのエロ下着とか太ももチラリとか、いかにもムラムラしそうな深夜番組みたいなポーズとか甘い喋り方とか色々と試したんだけど全然ダメで」
「うんうん」
「もういいやと思って、普通に先生に甘えてたら何か急にやる気になったんだよ。先生が」
「なに? それ? 意味わかんない」
「でしょ、男の人ってわかんないと思ったわ」
「まぁアンタの先生、大食い女が好きなんでしょ。ちょっと変態はいってんじゃないの」
「違います!!!」
「あ、わたし分かる気がする」
「え、中学生風情が何を!」
はやっ! 振り向く顔にボブの髪が後れて頬にかかる。
なに必死こいてんだ弥生さん。
「瑛太がね、瑛太って人の事触るの好きなんだけど、私からじゃれつくと凄い嬉しそうなんだよ。でも私がいいよって言うと何か違うみたいなんだよね」
「なんじゃそりゃ、のろけ話か」
「きっと殿方にも襲いかかりたいタイプと、安心すると元気になるタイプがいらっしゃるのではないですか」
そんな悠然と言われても、紅茶でも飲みながらなら様になるけど、今あなたの手にあるのは鮪のタルタルですよ。言葉と仕草は選ぼうよゆかりん。
「お嬢様言うね~」
「今のはお母様に絶対内緒です!」
「先生は絶対襲いかかるタイプじゃないな、男性ホルモン少なそうだもん」
「あれで熱い人なんです! ね、真夏ちゃん」
「うん、凄い人なんだよ。私の恩人なんだから」
「へー、でもよかったじゃない食欲と性欲が満たせてさ」
「だから言葉を選んでください! ここお店ですよ。おしゃれな」
でも長かったようで短かった気がする。小学5年で先生に会ってから15年以上も……。
満願成就だよ。
・・・・
5軒目はお寿司。
旬の魚で握ってくれるお寿司屋さんで、なんと酢飯じゃない!
初めて酢飯じゃないお寿司を食べたんだけど、何で普通のお店が酢飯なんだろうと思うくらい、すんなり入ってくる。
興味が沸いて板前さんに聞いてみたら、鮮度がいいから魚臭さが出ない。だから酢飯にする必要が無い。寿司は酢と合わせると魚の旨みが変わるから無い方が良いのだそうだ。
私ここの店、すごい気にいった!
お寿司って変なサービスでネタが大きすぎる所があるけれど、シャリとネタのバランスって絶対大事だと思うんだ。ここのお店はそのバランスが最高にいい!
それにネタが素晴らしい。私の好物のトロ。お寿司をひっくり返して口に含むとトロの脂のふわっと溶けて舌に広がり、そしてひと噛みするとシャリと混ざって、口の中につるっとほろけていく。
そして酢飯じゃないからご飯の甘さと絡み合って、歯にふつふつとつぶされていくお米の感触。
幸せ絶頂っ!
するする入るから止め所がない。
トロだけ食べ続けたい、後先考えず食べ続けたい。今食べてるのに食べ足りない、そんな衝動に襲われるほど。
でもアジも血生ぐささがなくておいしいし、エビもプリっとして下処理も上手、カツオも締まってておいしいし、それにウニも油臭くないしスズキも、ああっ! どれもおいしい。
お魚さんの細胞の一粒一粒がイキイキ口の中で弾ける!
なんておいしさの幸せにどっぷり浸かっていたら、真夏ちゃんも衝撃を受けたらしく真顔でバクバク食べてるし。
そうでしょ、そうでしょ、たんとお食べ、限界までお食べ。ここは穴場だもん。
とおもったら、弥生さんも真顔でガツガツ食べてる。
「ここネタごとに温度変えてんだよ。凄いこだわりだよね、感動だよね。それにしても旨いよね」
あんたが紹介した店でしょうに。なにマジ食いしてんの。と思ったら、ゆかりんまで怖い顔で食べてる。
「ゆかりん、さっきあんなに食べたのに大丈夫」
「はい、もうお腹一杯なんですけど、おいしくて手が止まらないんです」
「おじさん、シメサバ!」
弥生さんが次の品を注文。
「あ、わたくしもお願いします」
「……」
「ゆかりんなら、もっとおいしいお店に行ってるんじゃないの」
「いいえ、そんなにお金持ちではないですもの」
「すみません、エンガワをお願いします」
真夏ちゃんが次の品を注文。
「あ、わたしもっ」
「そんなに焦らなくても。自分のお腹をみてよ。もう一杯じゃないの」
「まだもう少し食べられますからっ」
「ゆかりん……」
「優花理さん、私もそんな感じで大食いになったんだよ」
ニヤリとその口! 左だけ上がってるよ。真夏ちゃん!
「えっ……でも……今ならこのお寿司なら構いません!」
愚かな、ゆかりん。
自らダークサイドに落ちたか。
私もここで食いつぶれるつもりだったけど結局ここで食べたのは60貫たらず。
座り直して本気出すぞと気持ちを入れたら、弥生さんに「まだ半分からね! ここで終わんなよ!」と恫喝されたのでこの位で止めておいた。
その弥生さんはセーブ解除、一気に130貫を平らげた。
勢い余って玉子を頼んであわや罰金かと思ったけど、玉子に巻かれた海苔に救われる始末。自分で作ったルールすら忘れる旨さだったよ。お陰でお支払が凄い額に。
真夏ちゃんはここまでコンスタントに食べてきたところに、更に100貫近くを食べて、お腹は小結状態。四股名は真夏盛ってところ。
ふんわりセーターはこんもりセーターになって胸よりお腹が出ている。
サキさんによると、太っているほどダブダブの服はNGだそうだ。
胸は強調した方がいいし、二の腕も太ももも半端に出すよりはきっちり出した方がいいんだって。
太ってるとインプットされていると、見えないところはお肉だと頭が勘違いして見えてしまうからだそうだ。
今日の真夏ちゃんのファッションは胸回りがふんわりしたセーター、腰回りは飾りのベルトで押さえて、ボトムは黒の軽いショートパンツに同じく黒のニーソックス。むっちりした太ももがチラッと見えるのがかわいい。
ですが、これほど食べるとサキさんのアドバイスも全く無意味で、ただただお腹が目立つばかりです。
そしてゆかりんは……
「うーん」
唸ってます。
「苦しいです」
でしょ。あなた私たちと一緒になって食べる人がいますか。
「お寿司が喉まできいてます」
と言いながら、口を押さえてよろよろ車まで歩いてくる。
愚かなゆかりんのために私たちは途中でスーパーによって、ゆるゆるの服を買ってあげたのでした。
で、私達が選んであげたのはハイジみたいな、すぽんとかぶるお洋服。
「うわぁ、似合わねー」
弥生さん、あんたが選んでそれはないでしょ。
「もっとちゃんとしたの選んでください」
「だってそれしかないんだよ、ゆかりんのお腹に合うの。あとは皆大きくてずるずるだよ」
「あはは、ゆかりん。どっちがいい。ずるずるとハイジと」
「皆さん、いじわるですわ」
「そうだ優花理さん。あそこに学生服のコーナーがありますよ。ジャージとか買ったらどうでしょうか」
「ええ、それはもっとダメな気がします」
「はひゃひゃひゃ、そうだよ。真夏ちゃん。ジャージだったら狸腹が目立つだろ」
「狸!」
「鏡みてみろって横から。すごいよ」
そういわれて横になって自分の姿を見るゆかりん。
「……お腹が剃ってますわ」
「だろ!」
「もう、みなさんったら」
結局、優花理さんは縦ロールのハイジになりました。
「かわいい、ゆかりん」
そんなお買いもので楽しみつつ、途中でイカ焼きとか、かまぼことかの店を見つけては、ちょいちょい止まっておつまみを食べて海岸沿いを風になって駆ける。
「あーあ、一杯食べて大笑いしたら暑くなっちゃった。アイス食べたいね」
「あっ! 梓ちゃん、罰金!」
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