床が抜けちゃった

 私達が5月の取材はどうしようか意見を出しあっていた時だった。すっかり居ついたカラメールの奥の間の暖簾がはらりと開いた。

 優花理ちゃんが、ひょいと顔を出す。


「あの、椎名さんという御方がお見えになっているのですが、いかがなさいますか」


 なぬ、椎名だと? 納品は済ませたぞ。誤植でもあったか? それとも難癖つけに来たか。

 おっしゃっ!

 己に渇を入れ直し腕まくりして奥の間から顔を出すと、椎名がちょと上がっていいかと言い出した。

 うわ~これは面倒な話に違いない。

 この危機感を伝えるべく真夏ちゃんにも目でテレパシーを送る。

 「敵艦隊見ユ警戒セヨ」

 だめだ通じない。真夏ちゃん、ぽけ~っとしてる。


 暖簾を両手で払い椎名が上がってきた。


「御子柴、忙しいところ済まないな」

「椎名さ、私もう伊藤なんだよ」

「わりぃ、俺の中ではお前は御子柴なんだよ。ダメか?」

「……分かったよ、いいよ」


椎名は六畳一間の畳部屋に上がり込むと徐に話を切り出した。


「すまねーな。真夏ちゃんもお兄ちゃんの話、聞いてくれるかな」


 私にはヤクザ言葉で、真夏ちゃんにはお兄ちゃんかい。

 けっ!


「御子柴、そう警戒すんなって」


 よく分かってるじゃない。椎名さんよ。

 私が突っ張っていると椎名は静かに真夏ちゃんに話し始めた。


「お兄ちゃんの所にテレビの取材が来るんだよ。真夏ちゃんが作ったグルメガイドマップがかわいくて分かりやすくて、持って帰ったお客さんに評判だから、誰が作ってるのかテレビで紹介したいんだって」


 ほほう、そっかそっか。出来いいもんねー。さすが『あずまなコンビ』だよ。

 それにウチの商店街はちょいちょい雑誌に載るから、そこからもテレビまで広がったんだな。うんうん。


「それで真夏ちゃんに、ちょとテレビの取材に出て貰いたいんだ」

「……えーっ!!」

「えっ!」


 びっくりした。まじびっくりした! ビックリ仰天とはまさにこの事。真夏ちゃんも両手で口を押えて目を見開いている。

 そして耳まで真っ赤にして、えー、えー、って言い続けている。色んな音程とイントネーションの「えー」が飛び出てきて面白いくらい。

 こりゃ当然の反応でしょ。私も飛び上がったもん。


「もし真夏ちゃんがOKだったら、ご両親に話しに行こうと思うんだ。お兄ちゃんは真夏ちゃんの気持ちを大事にしたいからね」


 こんな事もあるんだ。世の中って分からないなぁ。

 しかし……

 相変わらず子供の扱いが上手いヤツ。コイツ真夏ちゃんの両親と話すときは脅しすかすくせに、子供の前だとイイヤツなんだよ。

 それに証人喚問の時に両親の性格を読んで、落とすなら先にこっちだと思って来たな。

 あざとい。


「色々不安だと思うけど、そういうはお兄ちゃんとか周りの人達が一緒に何とかするから大丈夫。そういうのに負けないで、真夏ちゃんはどうしてみたい?」


 その質問に真夏ちゃんは腕を組んで考えはじめた。

 そんな急に言われて「ハイそうですか」なんて言えるわけないじゃない。ほらごらん、考え込んでるじやない。


「今すぐじゃなくても……」


 椎名が言おうとすると、それを遮って真夏ちゃんが椎名の目をキッと見た。


「ううん、今、答えるから」

 え、今!?

 そ真夏ちゃんは一拍おいて、うんと頷くと一言。


「出る。私、出たいです」


 決意みなぎる表情に小六とは思えない気迫がある。

 その気高さに私はごくりと唾を飲んだ。いや飲んでしまった。


「おー! スゲーな、よく決心したな。こりゃ、お兄ちゃんも真夏ちゃんの期待に応えないとダメだ。よし!」


 得たりやおう。椎名は満面の笑みで膝を叩いてる。


「ま、真夏ちゃんいいの、簡単に決めちゃって」

「うん、ちゃんと考えたもん。私がテレビに出たら、お母さんが変われる気がする。うまく言えないけど何かするのって無駄じゃないて分かってもらえそうだし、お父さんの言うとおりじゃないのもあるって言えそうだから」


 ……それを聞いて目頭が熱くなった。やっぱり鵜飼の鵜じゃない真夏ちゃんは天使だよ。

 それに引き換え、ただ食べ歩いてる自分が情けなくなって、その場に崩れ落ちそうになった。

 私、自分の弱さに負けて真夏ちゃんを甘やかしてたのかもしれない。

 それなのに椎名は、真夏ちゃんを信じてこんな大きな話を持って来た。

 ふと、先生の言葉が頭をよぎった。

「梓、僕に甘えてない」

 甘えてた。先生といるのが楽しくて浮かれてた。バカだ私。24にもなって全然大人じゃない。

 真夏ちゃんより子供じゃない。


「お前、何泣いてんだよ」


 美しいモノに触れた感動と、情けなさと、自分のバカさ加減が分かった慟哭からか自然に泣いていたらしい。それを椎名に見られたのが嫌だった。いや椎名で良かったかもしれない。先生じゃなくて。


「何でもない。私も真夏ちゃんを応援するよ。一緒に頑張ろうね」

 涙を拭いて真夏ちゃんを応援しょう。


「はぁ? 何いってんのお前? 御子柴も出るんだよ。決まってんだろ」

「へ?」


「はぁぁぁぁいぃぃぃ?」


 ・・・・


 その後の椎名の段取り力は凄まじく、さすが茜商店街をここまでした手腕だよ。あっという間に真夏ちゃんの両親を説き伏せ、収録スタッフとの引き合わせを行い、採寸もしてないのに揃いの衣装ができ、当日巡る店との交渉が完了していた。

 ご丁寧に台本まで出来てて、穴埋めすると私達のコメントになるようなってるし。


 嗚呼、太平洋一人ぼっち、いや二人ぼっち。潮に流され着く島は何処かな。

 余りの激動に取り残された私達は、する事もなく足を放り出してぽけ~としてたら、「早く来月号の取材に行ってこい」と発破かけられる始末。

 トホホ。


 ・・・・


 で、あっというまに収録当日。

 私達の中では、テレビ局から来るお笑い芸人とアナウンサーを引き連れて、順番通りに店に案内して台本通りにコメントを言えばお仕事お仕舞いちゃんちゃんだと思っていたのだが、とんでもない引っ掛け待っていた。


 私はまた大人のズルい世界を知ってしまったよ。

 来たのは某男性アイドルグループ。あれー? お笑い芸人じゃないのー??


 ちょっと抜け出してこっそりスタッフに聞くと、生の驚きが欲しかったのでちょっと細工しましたとのこと。

 いや、聞いてないよ!!

 私はいいよ、そんな興味がない若手アイドルグループなんて。もともと年上好みだし。でも真夏ちゃんが直撃だよ!


 真夏ちゃんは、ど直球の大ファンでした。リハーサルで顔みた瞬間から全く何も入ってない感じ。

 ぽ~っとしちゃって何を話しても上の空。

 うわ~、これが恋する乙女ってやつ? 本当に好きな人の前だと、うる目で黒目がちになるんだ。始めて見た。

 それより脚がフラフラだよ。大丈夫? いやダメでしょ。


「あの~、相方の真夏ちゃんが、本当にファンだったみたいで、あのとおり使い物にならなくなってしまいました」

「いいです。いいです。むしろOK! 何かあってもどうせ編集しますから問題ありませんよ」


 こんなスタッフとのやりとり前にもあったぞ。不安だ。できるだけ私がフォローしなくちゃ。

 ということで、男性アイドルグループの所に行き、「真夏ちゃんが大ファンで今ぽ~っとしてるからご迷惑をかけたらごめんなさい」と先に謝っておいた。

 でも後々思い起こすと、ここで私が要らない事を言っちゃったせいで彼らが悪ノリして大事になったのかもしれない。

 私はまた真夏ちゃんを甘やかして、余計なことをしてしまったのかもしれなかった……。



 収録が始まると、アイドル君たちは必要以上に真夏ちゃんにタッチしてくるのだ。

 気のせいじゃない。明らかに意図的に触ってる。


 私達は茜色のベレー帽に真っ白い雪うさぎのコートを着てたんだけど、その袖のモコモコのファーが気持ちいいと言って真夏ちゃんの手を握っちゃう。

 すると真夏ちゃんは湯でタコになってモジモジ。

 それが「かわいい~」と囃し立てて、代わる代わるに手を握ちゃう。


 かと思えば、真夏ちゃんのベレーの帽子をひょいと取って自分の帽子と取り替えっこ。

 男性アイドルは背も高いので、真夏ちゃんが帽子を取ろうとし背伸びをしても両手をバタバタするだけで届かない。

 それまた「わかいい、真夏ちゃん」とワイのワイの。


 そんな、ちちくりをずっと繰返しながら、グルメガイドマップを紹介してコロッケ屋さんまで先導するのは真夏ちゃん、食べるのは私という役割分担が。

 5人組のアイドル君達からは、「あずぼんさんはめちゃめちゃ食べすから」というという所だけ紹介されて、お店につくたびに全員から5個のコロッケを食べさせらるし。

 私は食いしん坊キャラで決定ですか。別にいま食べたくないんですけどっ。


 途中、アイドル君と真夏ちゃんの「コロッケあーんごっこ」とか、真夏ちゃんとコロッケの店を当てる「利きコロクイズ」とか交えつつ、ほとんどこれってバラエティ番組じゃないかしら。

 本当にグルメガイドマップの紹介になってるの? 本当にいいの? こんな調子で。


 そんな不安を抱きながら収録も終盤に差し掛かったとき、アクシデントが起きた。


 真夏ちゃんが、グルメガイドマップを指示して次の店を紹介しようとしたとき、アイドル君の一人が真夏ちゃんの頭の上からひょいとマップを取ったのだ。

 真夏ちゃんは、それを取り返そうとして一歩踏み出して手を伸ばしたところ、態勢を崩してそのアイドル君の胸の中に飛び込んじゃった。

 その子は男の子だけあって真夏ちゃんを両手で受け止めて尻餅をついただけで済んだんだけど、この抱きつき事件が学校で炎上しちゃったのだ。


 撮影自体は無事、穏便に終了したんだよ。

 そのアイドルの子も収録後に楽しい現場になるように真夏ちゃんを一杯いじっちゃてごめんねと言ってくれたんだけど。

 因みに私を食いしん坊キャラにした謝罪はなかったけど。


 本放送では編集もちゃんとされててグルメガイドマップの紹介になってた。

 だけど、その抱きつきシーンは面白いハプニングということで残っちゃったのだ。


 もう、真夏ちゃんの学校は大変だったらしい。

 同年代の女子ナンバーワン人気の男性アイドルグループの胸の中になんて、女子グループで何が起こるか明らか過ぎる。



 ここからは、後日、真夏ちゃんから泣きながら聞いた話。


 テレビ放送の翌日、クラスに入ったら教室が氷ついたそうだ。

 撮影の前は、真夏スゴイなんて言われていたから、その落差に驚いたと。

 皆にはお笑い芸人が来るよなんて言ってたから、ウソついてこっそり自分だけ憧れの男性アイドルグループに会った裏切り者になっちゃった。

 それを知った女子のグループが怒って、その夜のうちに皆に連絡したらしい。

 クラスは一瞬のうちに、真夏ちゃんをハブにすることで一致団結していたという具合だ。


 男子はそこには入ってないけど、当然そんな風になっている女子グループに無力なわけで、いま真夏ちゃんはクラスで完全孤立状態になっている。

 もちろん先生が仲良くしましょうなんて言って、どうにかなる問題じゃない。


 女子の仲間外れは陰湿だ。幸運な事に私はやられたことはないけど、私のクラスにもそういうのはあった。

 トイレとかお昼とか体育の時とか巧妙にボッチにさせられる。

 微妙な言葉尻でディスられたり。擦れ違いざまに聞こえよがしに嫌味を言われたり。

 それが永遠と続くから、じわじわとメンタルにくる。


 なにより真夏ちゃんは、いま家族ともギスギスしてるから本当に孤立無援だ。

 この街のなかで私と優花理ちゃんと実子ちゃんくらいしか味方がいないかもしれない。

 それを思うと心が痛んで痛んでしょうがなかった。

 でもどうしたらいいかも、まったく分からない。

 思い余って全く関係ない琴音にも相談したけど、ごめん何もできないよと言われてしまった。

 時が解決するか何となくもういいかって空気になるまで待つしかない。だって誰が主犯かなんていないんだから。ハブは空気が作ってるんだから。


 そう、空気。


 実は我が家でも、あの収録ではイザコザがあった。

 収録が平日だったから、その日は午後はお休みをもらったんだけど、先生は明らかに不満そうな顔。

 でも、すれ違い夫婦だから何も言わない。


「先生、不満なんでしょ、だったら言ったらいいじゃない」

「ダメっていってないじゃない。いいよ、行ってきても」

「ダメって顔してるじゃない」

「……」


 先生は、そのままぷいと背を向けてソファに座って本に顔をうずめてる。

 もう何も言ってくれないの。


 もう、泣きたい。もう、いや。

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