第二章 地獄の底で
第11話 父よ
「ふぁ~あ」
マヌケなあくびとともに目を覚ます。
いつもと変わらない緑色の天井。
枕元の眼鏡ケースから眼鏡をかけて周囲を注意深く見回す。
昔買ってもらった星模様のカーテン。ハンガーに吊るしてある青鷗高校の学ラン。机の上には参考書と赤本。ゴミ箱の中には昨日買ってきたお菓子の袋がそのまま残っている。
間違いない。ここは俺の部屋だ。
「やっぱり帰ってこれるのか」
カーテンを開けると遠くには朝焼け。
枕元のスマートフォンを見ればそこにはラインの通知。
元気印のスポーツ美少女こと井上からの連絡だ。
カラオケは午後一時から四時間程、その前に昼飯らしい。
了解の旨連絡しておく。
「寝たのが十時過ぎくらいだったから、五時間くらいは寝ていたのか」
丁度、
しかしおかしい。
それなら俺が二度目に
「ま、そのあたりも柳沢さんに意見を聞くとするか」
どう転んでも今の俺はあの人に頼らざるをえない。
困った時は身近な大人に相談しましょうと母さんも言っていた。
また寝てしまうとそのまま
*
「あら、ずいぶん早く起きたのね」
「眠れなくってさ」
こっそり荷造りを行おうと思ってリビングに向かうと、母さんがコーヒーを飲んでいた。
パソコンには英語のホームページが表示されている。
これでは異世界行きに必要な物をこそこそ集めるのが難しい。
「なにそれ?」
「仕事よ。論文読んでたの」
「受験生より勉強してない?」
「あらあら、受験生がこの世で一番勉強しているとでも思っているのかしら?」
母さんはクスクスと笑うとマグカップをもう一つ持ってくる。
「飲む?」
「じゃあ貰うかな」
貰ったコーヒーを飲む。
まだ暖かい。
目の前で母さんが笑顔を見せている。
それだけでなんだか泣きそうになった。
「どうしたの?」
「い、いやなんでもない」
「本当に? 何か怖い夢でも見たんじゃないの?」
「見てない」
怖いのは魔剣を使う自分自身だ。
本当に恐ろしいものは今此処に居る。
「……ふーん」
母さんはいきなり椅子から立ち上がると、俺の背後に回り込む。
「ど、どうしたの?」
「えいっ!」
俺が振り返ると、母さんが俺を思い切り抱きしめた。
「大丈夫よ、怖くないわ」
子供の頃に戻ったような、そんな気分だった。
高校生にもなって親に抱きしめられるのは恥ずかしくて仕方ないが、そう言うと母さんが悲しみそうで抵抗できない。
「……母さん」
「なあに?」
「息が……く、苦しい……」
ともかく、こう言って穏便に離れてもらうことに決めた。
「父さんと同じこと言うのね?」
「父さんにもしてたんだ……」
「アレで結構繊細な人だったから……まだ子供だったから、アマタは覚えてないけど、結構弱音も言う人だったのよ?」
そう言って母さんは楽しそうに微笑む。
人を殺してきた俺には、眩し過ぎる笑顔だった。
*
午前十二時。
友人とランチだ。
早く起きてしまった分、源氏物語の漫画を読んで、ついでに模試の復習もできたので、何の不安も無く遊ぶことができる。
「……って訳で朝になったら携帯がベッドの下に転がってたよ」
「いやー良かった良かった! 天ヶ瀬が携帯無くしたって言った時は焦ったんだぜオレ!」
俺は家の近い井上と共に待ち合わせの場所に向かってた。
「連絡任せちゃって、迷惑かけたね」
「へっへっ、良いってことよ。いつも世話になってるしな」
井上は女子らしくない男前な仕草で鼻をこする。
「あっ、あいつらもう集まってるな」
「みたいだね」
ランチを食べる予定のファミレスの前には皆が集まっている。
井上とよく一緒に遊んでいる瑠璃川ミドリ、ミドリの幼馴染の犬吠埼タエ、そしてミドリと同じ部活の長瀬シューヘイ。
長瀬を除いて普段はあまり話さない相手だが、今日は井上が居るので会話に困ることは無いだろう。
「おーい!」
井上はみんなに向けて駆け出す。
離れていく背中を見つめながら、俺は平和な日本に生きる幸せを静かに噛み締めた。
*
「いやー、楽しかったなカラオケ!」
「またレパートリーが増えたよね、ユウナちゃん」
「まあねー。アマタみたいに洋楽は無理だけど」
「天ヶ瀬君、あれ何の曲だったの? うちのお父さんが聞いていたから聞き覚えは有るんだけど……」
ミドリのお父さんは丁度世代ぴったりだったか。
話が合いそうだ。
「クイーンのボヘミアン・ラプソディだよ」
母親に「人を殺してしまったよ」と泣き言かます曲なので、ある意味俺には丁度良い曲である。
「そういや皆、晩飯どうする?」
「あたしマック寄りたいな!」
「タエはマックか、オレは良いけどミドリちゃんは?」
「私もそれで良いな」
「どうする長瀬? マックみたいな雰囲気だけど」
「俺は沢山食えるなら何も気にしないぞ」
「それならマックじゃなくてロッテリアとかどうかな!」
「ロッテリア! それは良い! 実に良い! ハンバーガーを十段重ねて食べてやろうじゃないか!」
長瀬がやる気満々で目を輝かせている。
昼間に一人でパスタとピザをお代わりしていたのにまだ食えるのか。
伊達に重量挙げやってないな。
「じゃあロッテリアに決定だ! 行くぜ皆!」
平和だ。
実に平和だ。
俺の居る世界って本当に幸せで恵まれていたんじゃないだろうか。
「どうしたアマタ? なんかボケーッとして」
「いや、何を食おうか考えていて」
「腹ペコキャラは俺一人でいいぞ、天ヶ瀬。かぶるじゃないか。ただでさえ名前が被っているのに」
「悪かったな長瀬」
俺は自然に笑顔を浮かべていた。俺は今幸せだった。
*
「じゃあ模試お疲れ様でした! 乾杯!」
「乾杯!」
「かんぱーい!」
「乾杯」
「……乾杯」
俺達はコーラで乾杯する。散々歌ったせいか若干声がかすれ気味だ。
ポテトとかバーガーとか、こういうジャンクな味わいが懐かしいあたり、もう大分向こうの世界に毒されているのではなかろうか。
この不健康な肉汁と食塩の味! こんな大雑把な油とソースの美味しさ! 冷えてるシャキシャキのレタス! もう認めるしかないじゃない!
皆も食べようロッテリア!
「いやー、模試おつかれとは言うもののあれだよね」
「どうしたのタエ?」
「ユウナちゃん、既に大学合格決めてるよね」
「やめてタエ! そういうこと言うの良くない!」
「あはは、確かに合格しちゃってるからねえ。でもタエちゃんも公募推薦とかで決めちゃうんじゃないの?」
「それはそれ。決まるまではストレスよ」
「やめてくれない二人共!? そういうことなんで私の前で言うかな!」
「「ごめん」」
犬吠埼と井上の声が重なる。
この二人は得意なことも、好きなことも正反対の筈なのだが、ミドリが間に立っているせいか不思議とよく話をしている。
楽しそうだ。
「わかれば宜しい」
瑠璃川は腕を組んでウンウンと頷く。
「ミドリはシューヘイと一緒の大学に行くつもりなんでしょう?」
しかしここで瑠璃川選手、井上に茶々を入れられてずっこける。
「本人の前で言わないでよ!」
「分かるかいユウナ。この子達毎日熱々でねえ」
「大丈夫だよ、皆知ってる!」
「だったら、なおのこと言わないでよ!」
長瀬の方を見てみると俺は何も知らないぞ、という顔でハンバーガーに舌鼓を打っている。
こいつのメンタルの強さは見習いたいものだ。
俺と目が合った長瀬は困ったような顔でこちらに微笑んだ。あんまり困った顔なものだから、俺も思わず苦笑してしまう。
ああ、なんて平和で、幸せな日曜日なんだろう。
*
「アマタはさ。将来何をしたいの?」
「俺か?」
帰り道、俺は井上を送っていた。
町には電灯があり、交番があり、信号があり、驚く程平和で、居心地の悪い生ぬるさまで感じさせられる程だ。
「俺は……できれば医者になりたいなあって思うけど」
「そういうことじゃなくってさ」
「じゃないのか」
「例えばお医者さんならお医者さんになって何をしたいのかなあって思って」
「……人の命を救えればそれで良いかな。とにかくこの手で……自分の力で……」
殺すばかりがこの手では無いと思いたい。漠然とした憧れのままに突き進んでいた道だったけど、俺は何時の間にかそう思うようになっていた。あんな経験をしているお陰かもしれない。
「そっか、人助けが楽しくてしょうがないのか!」
「かもな」
「オレが走るようなもんだな!」
「お前ほど真剣に打ち込んでいるとは思えないけどな」
「スポーツ選手でもなきゃ高校生なんて助走期間みたいなものだよ」
「随分年寄りくさい事を言うな」
「あ、体育の小林先生にチクっちゃうぞ?」
「やめてくれ。あの人は怖い」
俺は笑う。
井上も笑う。
井上は俺のことを勘違いしている。俺は人助けが楽しいのではない。
確かに人を助けるようなこともしているが、そうじゃない。
俺は良心の呵責が無い人殺しを楽しんでいるだけの、ろくでもない悪党だ。
目の前で笑う井上が、なんだか遠い世界の人間のように見えた。
*
井上を家まで送り届け、俺は帰宅した。
家には誰もいない。
手紙だけが置いてある。
「……さて」
手紙には晩飯が冷蔵庫に入っていることと帰ってくる時間が書かれていた。
職場の友人と飲みに行ってくるらしい。
「晩飯要らないって言ったのに……明日朝かなこれ」
冷蔵庫の中にはほうれん草のおひたしと堅焼きのベーコンエッグ。
そのまま明日食っても良さそうなメニューだ。
炊飯器の中にご飯もあるし、次の転移に備えて持って行くものを選んだら、このままシャワーを浴びて寝ても良いかもしれない。
「シャワー浴びる前に……手を合わせておくか」
家の仏間にある父の仏壇に手を合わせると、頭を下げる。
「父さん、なんだかんだ俺は普通に楽しく高校生をやっています。受験生ですが、今日は模試明けなので遊んできました」
家には俺以外誰も居ない。
母さんが帰ってきてこの話を聞かれたら、きっと心配されてしまう。
俺は自分の気持ちに整理をつける為、父の仏壇に向けて
「父さん、最近妙な夢を見るんだ。夢の中で俺は握ったこともない日本刀を握って、襲ってくる侍や悪代官を斬りまくるんだよ。信じられないだろ? この前なんて天狗まで斬ったんだぜ。なんだかそうしないと、夢の中から帰ってこれないみたいでさ」
溜息をつく。
返事は無い。
返事されたら困る。
「何が怖いってさ。生き物を殺しているのに特に抵抗を感じないんだよ。殺されそうだから仕方なかったとは思うんだけど……それにしたって少しは迷えって思うんだけどね」
手を合わせて頭を下げる。
「でも、今からそっちに行ったら父さんも母さんも泣くもんな。クラスメイトも井上くらいは泣いてくれるんじゃないかなって思う」
顔を上げる。
「だから俺、やるよ。この世界で生きる為に戦う。その為にあっちで人を殺すけど、それで迷ったりはしない。だって殺そうと思えば俺は殺せるんだから。でもね――」
でも――もし、俺が自分の中の怪物に抵抗できなくなった時は、俺に一言で良いから教えてくれ。そしたら、俺頑張れるから。
「――うん、見守っててよ。父さん」
仏壇の真ん中で優しく微笑む遺影。
大丈夫、俺はまだ人間でいられる。
だって俺の周りには、素敵な人が沢山居るから。
鳴らしたおりんの音が今日はやけに優しかった気がした。
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