第5話之裏 狐面の裏

「どうでしたか? 柳沢さん。これで俺の住む世界のことが少しでも分かってもらえたら良いんですけど……」


 目の前の少年、天ヶ瀬アマタ君はそう言ってこちらの様子を不安そうに伺う。

 いきなり若年寄だの天文方だの言ってしまったのが良くなかったのでしょうか?


「成る程、つまり君達の住む中つ国ミッドガルズには人間しか住んでおらず、科学が発達しているのですね」

「はい、でも本当に居るんですかエルフとかドワーフとか?」

「失礼ねダーリン! あたしのパパはドワーフよ!」

「そうなの!?」

「ダインスレイブを鍛えたドヴェルグダインは、ドワーフの中でも高名な刀匠ですね」

「でも実際見てみないと信じられないですよ……」

「うちにもエルフのお手伝いさんが居ますよ。君の世界で言えば茨城の辺りにあるエルフの森で生まれた若いエルフです」

「へえ……」

「折角だ。ヒタチの、ああ失礼、茨城の落花生みそを細かく砕いたもので焼きおにぎりを作らせましょう。エルフ達の作る米と野菜は実に美味しいんですよ」

「それはありがとうございます。実は腹が減っていたんですよ」


 アマタ君は若者らしく屈託のない笑みを浮かべる。

 若者には美味しい飯を沢山おごっておけという私の義父のアドヴァイスは正しかったようです。


「わかりました。すぐにお手伝いの者を呼びます」


 私は部屋の外に出て適当なお手伝いを探す。

 丁度、ヒタチの田舎から親類の伝手を頼って出てきたばかりのエルフの娘が居た。

 先程、アマタ君に話したのは彼女のことです。

 

「そこの人、新入りですね?」

「へえっ!? 左馬之助さまぁ!?」


 偉くなるとこれだから困る。声をかけただけで怖がられると結構傷つくのですが。


「飯を用意して頂けませんか」

「朝餉ですかぁ?」

「はい、少し遅い時間ですが星の運行を観測していたところ妙なデータが出ましてね。食べ忘れてたのです」

「でぇた?」

「嗚呼、申し訳ありません。中つ国ミッドガルズ言葉です。ともかく仕事の一環なのです」

「へぇえ……」

「ヒタチの落花生味噌を持ってきてくれていましたね? あれで焼き味噌むすびを作って欲しいのです。それと蕪の味噌汁が残っていればついでにお願いします」

「わがりました。急いで持ってきます」


 五分後。


「お持ちしました。召し上がってくだせえ」


 皿に盛られた四つの焼き味噌むすびと、汁茶碗で湯気を立てる蕪の味噌汁が、エルフのお手伝いさんの手でちゃぶ台の上に並ぶ。


「それでは失礼しました」


 鰹出汁の香り、焼いた味噌と落花生の香り、鼻で呼吸するだけで腹が膨れそうですね。

 おにぎりなんか掌一つぶんの大きさが有るのが素晴らしい。料理人に作らせると美味しいことには美味しいのですが、どうしても上品な物が出てきて良くない。


「マジでエルフ居るんですね……」


 アマタ君はポカーンとした表情。初めて見るエルフがそんなに衝撃的だったんでしょうか。


「基本的に武家階級は人間ばかりですが、農民や商人には一定の割合でエルフが居ますよ。ドワーフとか小人リトルランナーとかも」

「すげえ……本当に異世界なんだ……」

「そんなことよりまずは食べて下さい。せっかくの飯が覚めてしまいます」

「はい、いただきます」

「私もいただくとしましょう」


 私とアマタ君は同時におにぎりに飛びつく。

 実はお腹が減っていたのは私も同じなのです。


「ところでレイちゃん食べなくていいの?」

「あたしはダーリンが人斬ってくれればお腹一杯よ?」

「物騒な……」


 アマタ君も随分とダインスレイブに気に入られてますね。同じプレシャス使いとしては羨ましい限りだ。

 

「2つめのおにぎりは、蕪の味噌汁に放り込んで汁かけ飯にするのもオススメですよ。丁度、エドのまろやかな甘味噌と、ヒタチの香ばしい粒味噌が、合わせ味噌のようになって……」


 おにぎりを味噌汁に放り込む。

 同じ味噌でも焼くのと湯に溶かすのでは香りが違う。

 これはその二つを同時に楽しめるのです。実に合理的です。

 アマタ君は私の食べる姿を見てごくりと喉を鳴らし、同じように食べ始めてくれました。


「ああ、確かにこれは……!」


 気に入ってくれたみたいです。中つ国ミッドガルズ人も味覚はそれ程変わらないのですね。


「ところで左馬之助さん。食事中にこんなことを聞くのもあれですが……」

「なんです?」

「学者で、幕府の高官の貴方がなんで暗殺者なんて……?」

「ちょっと、ダーリン!? その話は終わったでしょう!」

「いや……気になって、つい」

「うふ、ふふ……気になるのも無理はありますまい。話しても良いとは思っています」


 やはり殺しには興味が有るようだ。無理もありますまい。剣術の天才は今まで数多く見てきましたが、アマタ君のような人斬りの天才は中々居ない。

 自分の才能を自覚しつつある彼にとって、誅手の話は興味深いものでしょう。


「うふ、ふふ……それは貴方が誅手仲間になってくれたら教えましょう」

「俺が……」

「貴方なら良い誅手になれます」

「だとしてもやりませんよ」

「躊躇いなく断りますね。私が幕府の高官と知ってもそこは変わらない……気に入りましたよ」

「誅手というのは抵抗が有りますが、貴方は俺とレイちゃんの命の恩人です。何時かこの恩は返させて下さい」


 素晴らしい。確かな倫理観を持ちながら、自分が生きる為には躊躇いなく刃を抜こうとする。

 先程、私の誘いを断った時もそうだ。あの殺気に満ちた瞳、もし断れば殺すなどと私が言っていたら、逆に殺されていたに違いありません。勿論、この私がそんな頭の悪い真似はしませんけど。

 部下ではなく、我が大望の為の同志として……この少年が欲しい。

 

「嬉しいこと言ってくれますね。まあしばらくは此処でゆっくり傷を癒やしなさい。貴方の家の準備や戸籍の偽造も有りますから。此処で聞いた話は他言無用ですよ?」

「言う訳有りません! ここまでしてもらって!」

「それは助かります」


 良い返事です。ますます気に入った。

 やはり欲しい。


「貴方はプレシャスの力で記憶を喪失してしまった侍と言ってあります。しばらくはその設定で大人しくしていてくださいね」

「何処かへ行くのですか?」

「ええ、ちょっと職場へ」


     *


 私が幕府天文方ウラニボリの局長室にやってくると、珍しい先客が居た。妻だ。幕府天文方ウラニボリを統括する若年寄・柳沢ナノハナです。

 今日も龍の刺繍がされた豪奢な緋色の着物を纏い、髪にはべっ甲で出来た牡丹の簪を付けている。一人で来るとは不用心だが、何か重要な相談でもあるのでしょうか。


「婿殿、そこに座りなさい」

「……はい」


 正座です。

 天文方はその業務の特殊性故に、出勤時刻にゆるい職場の筈なのですが、私だけは遅刻すると上司かみさんに怒られます。何故なら天文方の奇人変人の上司は私ですが、私の上司はかみさんだからです。


「遅刻に対する申し開きは有りますか?」

「いやあ申し訳ない。連絡が届いてなかったかい? 昨晩思わぬ星が出ていてね。過去の記録と比較検討を行う為に書庫に篭っていたんだよ」

「城中ではもう少しかしこまってはいかがかしら? わたくしは若年寄、貴方はその直属機関である天文方の局長。夫婦めおととはいえ、立場は明らかでしょうに」

「おっしゃるとおりでございます。でも局長室ならば誰も覗くことはできないですし、少しくらい砕けてても……」

「そもそもね! 貴方も柳沢の家に婿として来たのならばもう少しそれらしく! 伝統とか! 格式とか! 規律とか! 秩序とか! そういうものを大切にしてくださらないかしら!?」

「ははぁーっ! 全くおっしゃるとおりでございます……!」


 土下座です。

 婿養子の立場なので、頭が上がりません。


「……まあ良いわ。今日は相談が有ってきたのよ」

「いかが致しました?」

「昨晩、金山奉行の大國長庵が殺されましたの。ご存知?」

「存じております。噂になっておりました。なんでも押し込み強盗だの、魔獣が突然現れただのと……」

「そう、屋敷に居た者はほぼ全員殺された。唯一の例外は病弱だった長庵の娘で、彼女は現在行方不明。どうしたら良いと思う?」

「ナノハナ、貴方はどうしたいのですか?」

「左馬之助、?」


 私は黙って頷くと、懐から一冊の古びた本を取り出す。

 これこそが私のプレシャス“或阿字譜ネクロノミコン”。

 死者を呼び出す禁忌の力を持つ魔術書です。誅手の仕事にも欠かせません。


「展開時間には限界があります。何を聞くつもりですか?」

「下手人、そして宝屋との裏取引の証拠の隠し場所よ!」

「わかりました」


 ナノハナは私が死人を呼び出せることを知っていても、死人の意識を操れることを知らない。

 故に、彼女に偽の下手人の情報を流すことは容易い。

 すると彼女は偽の情報を信じて、自信満々でリークする。

 そして今度はナノハナを探っている人々が、私の流した偽情報を真相への手がかりだと信じてしまう。

 すると私の存在は表に出ないまま、人々は私の意のままに動き、私の目的は達成される。

 ――天ヶ瀬アマタは守られる。


「其は永久に横たわる死者にあらねど、測り知れざる永劫のもとに死を越ゆるもの。或阿字譜ネクロノミコン――展開」


 或阿字譜ネクロノミコンが青白く輝き、半透明の姿になった大國長庵が現れる。

 私は或阿字譜ネクロノミコンを握りしめながら、長庵に問いかける。


「長庵、貴方を殺した下手人を話しなさい」


 私はこっそりと或阿字譜ネクロノミコンに指で天狗と書き入れる。

 こうすると呼び出した魂に簡単な暗示をかけることができます。


「天狗じゃ……天狗の仕業じゃ……」

「宝屋との裏取引の証拠は何処に隠しました?」

「…………」


 おっと、自我が曖昧な状態でも喋らないとは驚きだ。

 半透明の大國長庵の首をつかみ、ゆっくりと締め上げる。


「このような乱暴な手段は嫌いなのですが……」


 外道相手に構うことは無い。

 丁寧ぶるのは止めにしよう。

 指の力を更に強く入れる。


の気はあまり長くないぞ。地獄にも極楽にも行けなくされてえのか」

「あああああああああ!」


 悲鳴を上げる長庵に構わず、その魂を素手で削り、歪めていく。この魂が多少擦り切れようと、情報さえ聞ければ構わない。死人が一人消えても、誰も困りはしない。


「エ、エドの! けほっ! ごほごほっ!」


 話す気になったようだ。手を離す。


「港の宝屋と懇意にしている昆布問屋の倉庫、床の隠し扉から地下に……」


 それだけ言うと半透明の姿になった大國長庵の足元に、青白い炎が灯る。

 炎は瞬く間に長庵を包み込み、彼は苦悶の叫び声を上げながら姿を消した。

 ……残念、時間切れですね。

 乱暴な事をしたのが良くなかったのでしょうか。


「だ、そうです。一度呼んだ相手は、二度と呼べません。今の情報を新撰組なり火付盗賊魔獣改方なり、好きな所に上手に売り飛ばして下さい」

「良い仕事だわ左馬之助……さすがはわたくしの婿殿、ですわね?」

「お褒めに預かり恐悦至極」

「固くなるのではありません。どうせこの部屋は私達だけなのですから……ねぇ?」

「やれやれ、何時もながら困ったお方だ……」

「ねえ」


 ナノハナは私の顎をクイッと掴んで、私の瞳をじっと見つめる。


「なんです?」

「何か欲しいものはある? 今、わたくしとても機嫌が良いの」


 丁度良い。頼もうと思っていたことが一つあったのです。


「それならば……一人分の戸籍を作ってもらいたいのです」

「戸籍? てっきり家に早く帰れと小言でも言われるのかと思ったのに」

「そちらもお願いしたいですよ。ですが、これは天文方の仕事に関わることで……貴方にしか頼めません」

「そう……良いわ。今度はどんな悪いことをなさるのかしら? 何時か教えて欲しいものね」

「うふ、ふふ……秘密はお互い様でしょう? 我が家の廊下に積み重なる貴方宛の進物の数々を見れば……」

「言いっこ無し、ですわ? 貴方の潔癖は知っていますが、わたくし達は夫婦でしょうに? 子供に泣かれるわよ?」

「ふふ、分かってますとも」


 これで良い。

 こうすれば天ヶ瀬アマタの裏側は、私だけの秘密となる。

 彼は百年ぶりの中つ国ミッドガルズ人。この閉塞した世界を変える為、彼を守り、また導くのはこの私の役目なのですから……。

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