第6話 お宿ねこまた

 結局、目を覚ましてから三日間、俺は柳沢さんの家に滞在した。

 四日目の朝、柳沢さんは俺を地図だらけの私室に招いてこう切り出した。


「当座のお金を渡しておきます。旅人という体で旅籠に宿泊しながら、この世界の常識や習慣などを学んで下さい」

「それと同時に仕事を探すんですね」

「その通り。この世界で行動する為に必要な法については、この三日間で教えて差し上げましたが、生活についてはやはり実地で学ぶのが一番ですから」

「分かりました。宿は……」

「紹介状を書いておきました。昔なじみの経営する旅籠です。詳しいことはこちらに書いてあります」


 柳沢さんは書状と手形とお金を風呂敷に包んで俺に渡す。

 

「この手形は貴方の戸籍です。法を守って清く正しく暮らしてくださいね」

「戸籍! 良いんですか!?」

「内緒ですよ」


 お茶目にウインクをする柳沢さん。おじさんなのにやたら可愛い。


「ありがとうございます!」

「それと、勝手ながらこの世界に馴染む為の服も用意させてもらいました。試しに着てみてもらえますか?」


 渡された衣装に身を包み、鏡の前に立ってみる。

 シックな雰囲気を醸し出す黒い羽織。萌黄色をした暖かなあわせの長着。小豆色に近いくすんだ赤と、柔らかい白が入り交じる帯は、如何にも風雅だ。その下には白の襦袢。これだけだと洒落ているだけだが、赤い襟巻マフラーがアクセントになることでハッキリとした個性も主張している。

 少し派手だが悪くない。


「お心遣い痛み入ります」

「下駄も黒塗りに赤い鼻緒となってます。」

「ここまでしていただいて良いのですか?」

「気になるならば口止め料とでも思って下さい」

「成る程……恩に着ます」

「ふふ、誠意と礼儀が通じる相手を、誠意と礼儀で遇したまでのこと。合理的な判断です。貴方が気にすることはありません」 

「ははぁ……ではありがたく受け取ることに致しますよ」

「ええ、次に向こうに戻ったら旧式のスマートフォンを持ってきてくださいね。ドワーフの技術者に分解させたいので」

「分かりました」


 俺は一礼して柳沢さんの私室を退出し、自らの寝室に戻る。

 三日間過ごした寝室の真ん中には、畳んである布団の上にレイちゃんがお行儀よく正座していた。


「ダーリンどうしたのー?」


 俺が入ってくるなり彼女はぴょこんと飛び上がる。


「行くよレイちゃん」

「何処に?」

「此処を出て宿に泊まる。本格的に狩人の仕事を始めるよ」

「また随分急ね?」

「むしろのんびりしすぎたくらいだよ。元の世界に戻らなくちゃいけないんだから」


 俺は刀掛けの籠釣瓶村正ダインスレイブを手に取り、スマホを懐に放り込む。眼鏡ケースから取り出した眼鏡をかければ、外を歩く準備は万端だ。


「ダーリン、なんかお洒落じゃない?」

「柳沢さんから貰っちゃった」

「ふーん。あたしもなんか欲しいなあー」

「仕事が見つかって、お金が入ったらね」

「はーい!」


 レイちゃんが俺の肩の上に乗る。

 一先ず、俺達は柳沢さんから教えられた旅籠へと向かうことにした。


     *


 俺達は柳沢さんの屋敷を出て、エドの街の表通りを歩く。

 三度笠を被った小人リトルランナー(ホビットではないらしい)の旅人や、眼鏡をかけたエルフの女性、股引姿のドワーフの大工、頬に傷が有る着流しの狼獣人。

 様々な種族の人が居る。事前に聞いていたものの、実際に見てみると中々面白い光景である。

 特に獣人はすごい。子供の頃にDVDで見た宮﨑馳夫の名探偵ホームズと同じくらいの獣具合で、それぞれにどの動物のモチーフかが違うのだ。虎獣人と犬獣人の息子がパンダ獣人などということもある。


「エドは色々な人が居るなあ」

「ダーリンの故郷はどうなの?」

「俺の生まれたところは人間ばっかりだった」


 柳沢さんから渡されたメモによれば、屋敷を出てから道なりに二十分ほど歩けばその宿には着くそうだ。

 そしてこれから泊まる宿の周囲は旅人の為の宿屋と狩人の為の寄合所が集まっているので、多少変わった言動をしていても奇異な目では見られないのだとか。

 ちなみに目印は猫の看板、店の名前は“お宿ねこまた”である。


「しかしさ、レイちゃん。魔獣狩りなんて何をやるんだろうか」

「魔獣を探して殺したり、魔獣が沢山居る場所にしか生えない薬草をとってきたり、色々有るわよ?」


 ああ、要するに俺の世界の狩りゲーと一緒か。だがそうなると逃げ回る魔獣を追いかけるのが面倒になりそうだ。


「魔獣探しか……」

「安心なさいなダーリン。魔獣なんて人間の匂いを嗅いだら向こうから寄ってくるんだから。そこをズバァーッよ!」

「魔獣相手でも戦えるのか?」

「あたしの言う通りにやれば魔獣でも問題無く戦えるから安心してね!」

「成る程ね。ならば問題無いか」


 今まで剣を握ったことなんて無い癖に、自分でも不思議なくらい落ち着いている。

 自衛の為に人を斬るよりは、食べていく為に獣を斬る方がまだマシだと感じているのだろうか。


「ちなみに刀は魔獣に良く効くのよ」

「そいつはまたなんで?」

「刀の作り方のせいよ。刀って砂鉄を取り出す為に清い川に土を流して、神社の火で鍛えるでしょう? すると自然に霊力が宿り、魔的な存在に通用するって訳なのよ」

「成る程、詳しいな」

「まあねー! ところでダーリン。あの建物って教えられた旅籠じゃないかしら?」


 レイちゃんが指差す先を眺めると、確かに猫の看板の旅籠がある。

 柳沢さんから渡された手紙によれば、あの看板がお宿ねこまたの目印だ。


「案外早く着いたな。荷物を置いたら少し町を見て回ろうか」

「さんせー!」


 俺達はお宿ねこまたと書かれた看板を掲げる店の引き戸を開け、中へと入った。


     *


「貴様、日夜国の為に働く我々から金を取るつもりか!」

「にゃあ……ですがお客様、うちの店では種族も身分も関係なしで一泊二百文と決まっておりまして……」


 宿に入ると背が高くて人相の悪いお侍さんと、桃色の和服を来た三毛猫獣人のお姉さんが揉めていた。


「ええい無礼な! 儂らに獣人共と同じだけ金を払えというか!」


 侍が刀に手をかける。


「にゃああああ! おやめ下さい!」


 猫のお姉さんは涙目で悲鳴を上げる。

 よし、お姉さんに味方しよう。


「どうするのダーリン?」

「戦闘準備」

「だいぶプレシャスの力に影響されてるわねえ?」


 レイちゃんの言うことは正しい。

 彼女の言う通り、俺の中で殺人に抵抗が無くなってきている。

 今でさえこうなのだ。

 これ以上殺しを続ければ俺が俺じゃなくなるのではないかという不安は有る。


「こんな俺は嫌か?」

「いいえ」


 だけど、だからどうしたってんだ。

 泣く女の子を放っておいて、明日食う飯が美味いかよ。


「ちょいと待ちな! 随分乱暴じゃあねえか!」 


 俺は大声を上げて人目を集める。怒った時の祖父を真似したべらんめえ口調だ。いかにも喧嘩っ早い江戸っ子らしくて、こういう場には似合うに違いない。

 それに、口調を変えることで気持ちも戦う為の状態に切り替えられる。


「お、なんでいなんでい?」

「喧嘩か! 喧嘩だぞお!」

「お武家様同士で何かやってるのかい?」

「いんや、あの若ぇ方は髷を結っていねえ。狩人じゃあねえか?」


 俺が派手な服装をしていたこともあり、表通りを行く人々の視線はすぐに集まった。


「お主、何者だ!」


 侍は俺に気づいて詰め寄ってくる。


「へっ、名乗る程の者じゃございやせん。そう仰るお侍さんこそ、一体何処の家中のお方で?」


 すらすら出るべらんめえ口調。今は亡きおじいちゃんと再放送の時代劇に感謝である。


「ふん、儂は家ではなく、大志を以て国に仕えているものぞ! そこらの御家人風情と一緒にするでないわ!」

「へえ……左様で。そいつぁたいしたもんだ」

「なんだお主……やる気か?」

「おお怖い。そういうお侍さんこそ、昼日中ひるひなかの往来で抜こうっていうんですかい?」


 俺は後ずさり、あの男の方が先に刀に手をかけていることが道行く人によく見えるように誘導する。

 柳沢さん曰く、武士に絡まれた時は相手に先に抜かせてから反撃し、無礼討ちに失敗させれば、お咎めは無いそうだ。

 

「何を言っているのだお主? ふふ、武士を舐めておるようだな……」


 まあ、そもそもだ、

 こんな往来で暴れたら、間違いなく官憲に目をつけられる。

 あの浪人だってそんな馬鹿なことをする訳が無い。

 適当に捨て台詞でも吐いて逃げ出すに違いない。


「良いか小僧! 刀は差して嬉しい収集品ではないのだ!」


 浪人は高笑いを上げながら刀を抜いた。


「え゛っ」


 信じられない馬鹿だな!?

 いや、馬鹿の行動が見抜けなかった俺が馬鹿なのか!?


「あの浪人抜いたぞ!」

「喧嘩どころじゃねえな、こいつは!」


 そうか、この手の馬鹿なチンピラは、人目が有ると逃げることができなくなるのか。


「どうした! ここで頭でも下げれば許してやらんでもないぞ?」

「ははぁ! おやめ下さいお武家様、もし万が一手打ちに失敗すれば腹を召さねばならぬのですよ?」


 俺はカラカラと笑う。


「貴様……口ばかりはよく回るようじゃのう!」


 浪人は叫ぶばかり、切りかかってくる気配が無い。

 俺は刀に手をかける。

 俺は迷わない。勝負は一瞬で決める。


「どうした? やらないのか? その刀は飾りじゃあないんだろ?」

「おのれ……おのれおのれおのれおのれ!」


 滅茶苦茶な叫び声を上げながら浪人者が切りかかってくる。


「――ふふ」


 口元がニヤついてしまう。

 自分でも不思議なくらい、殺しが待ち遠しくて、殺しが楽しみで、体中が熱くなってくる。大國長庵の屋敷の時と一緒だ。

 でもおかしい。

 まだ刀も抜いていないのにこんなに熱くなるなんて。


「きぇええええええい!」


 驚く程ゆっくりに見える浪人の動き。蝿が止まりそうだ。

 首を落とすか、腕を断つか、それともあの浪人のなまくらを真っ二つにしてから返す刃で胴を真っ二つにしてくれようか。

 色々考えた結果、懐に潜り込んでから刀を抜いて、心臓を一突きにしようと思った。

 何せ店の軒先を汚したくない。


「そこまでだ!」


 そんなことを考えながら、俺が刀を抜く寸前のことだった。

 俺の背後から、浅葱色の羽織を纏った男が突如として現れ、浪人に向けてタックルをかます。

 枯れ葉のように吹き飛んだ浪人。羽織の男はその上に跨ると、浪人から刀を奪い、そのまま浪人の顔面を数発殴っておとなしくさせる。


「ぐぅ……何者だ……お主……?」

「新撰組の山崎進だ! 市中を騒がした不穏分子を逮捕する! 神妙にお縄に付きやがれ!」


 山崎と名乗った男は鮮やかな手つきで浪人を縛り上げると、背中に誠の一文字が入った羽織を見せびらかす。

 野次馬達は慌てて散り散りになり、うっかり逃げ遅れた俺に笑顔の山崎が近づいてくる。


「いやあお兄ちゃん、大変だったみたいだねえ。近頃は食うに困ってヤクザまがいの真似をする浪士も多いんだよ」


 関西弁のようなイントネーションの標準語。大阪あたりの出身なんだろうか。


「あ、あの……」

「ああ、そうそう。念のために身分証見せてくれるかい?」


 此処で抵抗すれば俺もあそこで転がる浪人と同じになる。

 俺は観念して大人しく柳沢さんから貰った手形を見せた。


「ふむ……へえぇ、天ヶ瀬アマタ。狩人か。エゾの山奥からねえ。こいつは失礼した。ま、びっくりしたかもしれんがエドを嫌いにならんでくれ」

「あはは……ありがとうございます」

「ただよ」


 山崎は俺の耳元でそっと囁く。


「人斬りたくて持て余してるなら新撰組うちに来な。退屈はさせないぜぇ?」

「なっ……!?」

「ほなさいなら


 山崎はこともなげにそう言うと、浪人を引っ立ててエドの町へと消えていった。


「無茶しすぎたな」

「気をつけなきゃ駄目よダーリン? 只の人間でも鋭い奴は居るんだから」

「悪かった。ともかく宿に入ろうか」

「ええ、急ぎましょう。今日は二人でしっぽりね!」

「大声で変なこと言うんじゃないよ」

「あん、いけず」


 人が戻ってくる前に俺も宿の中へと戻る。

 と、すぐに先程の猫獣人のお姉さんが俺めがけて飛んできた。


「にゃー! お兄さん大丈夫だった!??」

「申し訳ありません。お騒がせしま――うっ!?」


 お姉さんは俺を思いっきり抱きしめる。

 いかん。胸が、身長の割に大きな胸がめっちゃ当たってる。

 そして凄い良い香りがする。何かのお香を焚き染めているのだろうか。

 猫耳だし、桃色の着物もすごく肌触りが良いし、これは……これは……!

 これは健全な青少年にはとても良くない……!


「だ、大丈夫です。俺一人が粋がったばかりに、危うく迷惑をかけてしまうところでした。申し訳ございません」

「私は見に行けなかったけど、お兄さんが無事だったんなら何よりだよぅ!」

「大したことじゃありません。それよりもこれを……」


 俺は懐から柳沢さんに貰った手紙を取り出し、お姉さんに差し出す。


「あら? これは? ああ、もしかしてお兄さんが旦那さんの言っていた人ね!」

「姓は天ヶ瀬、名はアマタ。以後しばらくこちらのお宿でお世話になります」


 そう言って俺は照れ隠しに笑った。

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