第3話 魔剣双克

「ふふ、すごいすごい! プレシャス頼りの雑魚だと思ってたのになあ!」


 おまなは嗤う。

 余裕のつもりか。殺し合いが楽しいのか。


「……さて、参ったな」


 周囲は長槍を持った侍に囲まれた上、おまなは俺より遥かに速い。

 逃げることはできない。


「どうしたのお兄さん? 先手は貰ったし、次はお兄さんの手番で良いよ?」 


 俺は目の前の黒い和服の少女を無視してレイに話しかける。


「さっきはありがとう。レイちゃん。下手したら最初の一撃でやられてた」

「きゃはは! いーってことなのよー!」

「一つ聞いてもいいか?」

「なあに?」


 俺は刀を真っ直ぐに構えながら、おまなとの間合いを測る。

 三歩よりも近づかれたら、先程のように姿を消した時に反応ができなくなる。

 だが三歩よりも離れたら、今度は逆におまなが機動力任せに一方的に切り込んでくる。

 この三歩の間合いを維持し、レイとの作戦会議を続けなくてはいけない。


「あのおまなって娘、さっきから異常な速度で動いているが、あれはプレシャスの力か?」

「違うわよ、多分」

「なに?」


 おまなが僅かに踏み込むような素振りを見せる。

 しかし、先程の突撃ほどの殺気が感じられなかったので、その動きには応じずあえて待つ。

 フェイントが通じないと見ると、おまなも無理に踏み込んではこない。


「さっきから見ていると動きに少しずつフェイントを入れたり、短距離を全速力で走る特殊な体捌きを使ってるわ。いわゆる縮地ね」

「縮地?」

「急加速と急停止、そして闇夜に紛れる黒い服。人間の目の錯覚を誘い、まるで瞬間移動みたいに立ち回るの」

「成る程……良いことを聞いた」


 乱れていた呼吸が整う。こいつと話していると調子は狂うが、調子が狂っている時は一周回って落ち着くみたいだ。

 落ち着いてからおまなの方を見てみると、彼女は不思議そうな顔で俺のことを見ていた。


「ねえねえ、さっきから聞いていたんだけど……もしかして君って自分のプレシャスとお話しているの?」

「お前も聞こえるのか?」

「あははは! おかしいの!」

「何がおかしい?」

「僕はそういうの好きじゃないなあ……だって君みたいになりたくないし?」

「なに?」

「君、すごい勢いで刀に飲み込まれてるでしょう? なまじ声なんて聞こえるからそうなるんだよぉ?」

「俺が、飲み込まれているだと?」

「あははは! なーんにも知らないんだー! かわいそー! かわいそー!」


 おまなはケラケラと笑う。

 あの蔵で籠釣瓶村正ダインスレイブを握った時から、確かに何か変な感じはしていた。もしかすると本当に俺の中で何かが変わっているのかもしれない。

 だけど、籠釣瓶村正ダインスレイブとレイちゃんが居なければ俺はもうとっくに殺されていた。

 それにこれは夢だ。朝になれば記憶も曖昧になるのに、一々気にする必要は無い。

 

「これおまな! 無駄口を叩かず奴を殺せ!」

「はーい! ちょっと待っててね、父上パパ


 再びおまなは全身から力を抜いて身を屈める。

 今度こそ見逃すまい。俺は彼女の姿をっと見つめる。


「行くよ?」


 だがそれでも、おまなは俺の目の前から姿を消す。

 殺気を感じる前に、俺は籠釣瓶村正ダインスレイブを背後に振るう。

 これは当てずっぽうだ。


「遅いよっ!」


 すると左側から急におまなが現れて俺に斬りかかる。毎度背後から攻撃するのが好きみたいだからヤマを張ったのが失敗した。

 俺は咄嗟に左手で持ちっぱなしだった鞘で、おまなを迎撃する。


「暗殺秘剣――」


 その瞬間、おまなの身体が宙へ浮かび上がった。


「――足鐔そくたん!」


 おまなはまるで蝙蝠のように闇夜を舞い、俺の繰り出した鞘の上に飛び乗る。

 そして愕然とする俺目掛け、包丁正宗ティルヴィングを繰り出した。


「鞘を踏み台にしただとぉっ!?」

「ダーリン危ないッ!」

「死ぃ――ねっ!」


 三つの声が重なる。絶体絶命。

 だがその時、一陣の風が吹いた。

 折しもよく晴れた夜のこと。

 一日中太陽に照りつけられ、よく乾いていた庭の土は風で舞い上がり、俺とおまなの視界を奪った。


「きゃっ!?」


 その結果、揺れる鞘の上で、おまなはバランスを崩す。

 勿論、土埃で視界を奪われたのは俺だって同じだ。

 俺も、おまなも、奪われた視界の中で同時に剣を繰り出す。

 手に肉が裂ける柔らかな手応え。

 耳に絹を裂くような悲鳴。


「ば、バカな! おまな! 儂の娘が! 負けるなど!」


 視界が開けると、俺の足元でおまなが蹲っていた。

 打刀である籠釣瓶村正ダインスレイブと、短刀である包丁正宗ティルヴィングのリーチの差が勝敗を分けたのか。


「くっ!」


 おまなは俺を睨む。

 むせ返るような血の香り、荒い呼吸、蹲って隠している腹のあたりに深手を負ったか。

 俺は少女の首元に刃を突きつける。


「命までは取らない。俺をここから逃がせ」

「逃が、せ? どういう……こと?」

「武器を捨てろ、お前を人質にしてここから逃げる」


 おまなはその言葉を聞いて俺に微笑む。


「この傷じゃ、多分無理だよ……だって途中で死ぬもの。見せられないけど、臓物モツだって今にもこぼれそうで、さ……」


 おまなは苦しげに呻く。


「あーあ、こんな……殺られ方するなんて酷い話だよなあ。僕、まだ、十二……」


 子供らしい口ぶりが逆に痛々しい。


「喋るな、傷が開く」

「お兄さん、優しくしてくれるなら、このまま此処の人を殺さずに逃げてくれないかな。ちょっと変かもしれないけど、家族なんだ」

「善処する」

「ふふ、嬉しい。ついでにさ……」

 

 おまなは俺にしか聞こえないように小さく呟く。


「楽にしてくれるともっと嬉しい」

「……」

「この家さ。田舎の貧乏な農民エルフや質の悪い金貸しのせいで身を持ち崩した職人ドワーフの子供とかを商売に使っててさ……」

「……良い、喋るな」

「僕も本当は売られてきた子でさ。父上パパは実の娘として大事にしてくれたけど、それでも、ああいう子達を見る度に……」


 蹲ったおまなの下に、何時の間にか血溜まりができていた。

 コヒューという空気の抜ける音もする。

 あまりにも嫌な夢だ。


「……分かった。もう良い」


 俺は刀を振り上げる。


「ありがとね」

「礼を言われる筋合いは……」

「ダーリン何か変!」

「えっ?」


 何時の間にか、おまなは邪悪な笑みを浮かべて短刀を構えていた。


「本当にありがとう! 僕に騙されてくれて!」


 おまなは突如身を躍らせ、俺の心臓に短刀を突き出す。

 俺も反射的に刀を振り下ろすものの、今からでは回避できない。

 このままでは相打ち。そう思った時だった。


「おまな!」


 大國長庵が俺達の間に割り込む。まさか、娘が俺に不意打ちをかます為に一芝居打っていたのに気づかなかったのか!?


「なに!?」

父上パパ!?」


 かくして、二振りの魔剣が一人の男を切り裂いた。


「やだ……父上パパ……!」

「逃げろ……今のお前では……」


 それだけ言うと、大國長庵は目の前で事切れた。

 思いもよらない事態に俺を含めその場に居た全員が動揺する。


「長庵様!?」

「長庵様が死んでおられるぞ!」

「なんであんな橋の下から拾ってきたような娘の為に!」

「やってられるか! 俺は降りるぞ!」

「俺もだ!」


 周囲を囲む長庵の部下達、そして宝屋は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始める。

 おまなだけが、父を貫いた自らの両手を見つめ、震えていた。


「僕が……父上パパを……」


 ここで目の前の少女にトドメを刺すのは容易い。

 だがここから逃げ出す為に、それをする必要は無い。

 

「行け、父親の遺言を守れ」


 俺は刀を鞘に収める。

 少女は俺に明確な憎悪の篭った一瞥を投げかけた後、逃げ出そうとして足を止める。


「なんだ?」


 おまなは腹を抑えたまま振り返る。

 歩けるとはいえ、やはり彼女の黒い和服は大部分が血で赤く染まっている。


「……別にお兄さんが悪い訳じゃないよね」

「そうだな」

「じゃあ、今回は僕からお兄さんに貸しておく」

「ところでさ」

「なに? さっさと医者の所に転がり込みたいんだけど」

「さっきの話、どこまで本当なんだ?」

「君に答える義理は無いよ」


 そう言って彼女もその場を立ち去った。


「ダーリン……?」


 レイちゃんがバツの悪そうな声で俺を呼ぶ。

 理由は分かっている。


「どうした? ああ、さっきのことなら気にするな」

「気にするなって?」

「俺が飲み込まれているだの、声が聞こえるのが危ないだのって話だ」

「……えっと、さっきはバタバタしてたから話せなくって……」

「だから気にするなって」


 きっと、それだけではないことは分かる。

 最初にレイちゃんとした会話から、彼女が話すことのできる相手は今まで居なかったのだろう。

 だから、気にはしない。

 それにどうせこれは夢なのだから。


「さて、そろそろ起きる時間みたいだな」


 ゆっくりと視界がぼやけていく。

 レイちゃんが何かを言っているのは分かったが、もう俺にはそれが聞こえなかった。

 俺の意識は闇の中へと飲み込まれていった。

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