第18話 崩壊する世界の境界

「う……ここは?」


 儂は目を覚ますと真っ白な部屋の中に居た。


「目を覚ましましたか。様」

「な、なにものじゃ!?」


 目の前に居たのは狐の仮面の男。

 なにやら白い着流しを着て、まるで幽霊のようじゃのう。


「私ですよ」


 そう言って男は仮面を外す。

 驚くことに、見知った顔。

 儂の友人である柳沢左馬之助ではないか。


「おお柳沢殿! 驚かせるでない!」

「いやはや申し訳ない。色々事情が有りましてな」

「一体此処は何処なのじゃ?」

「奉行所で我々が賊に襲われたことは覚えておいでですか?」

「賊?」

「おや、記憶が混乱なさっているようですね」

「なに、奉行所に賊が? 儂は知らんぞそんなこと!」

「無理も有りますまい。賊は目にも留まらぬ早業で貴方に斬りかかりました」

「むむむ、まったく覚えておらぬ……」


 柳沢が此処に居るということは、此奴が儂を助けてくれたということじゃろう。

 やはり持つべきものは友じゃのう。


「徳川様の御代を脅かす悪党、放っては置けませぬ。賊については今頃常右衛門様が食い止めているかと思われます」

「おお、それはよい! 普段の素行はアレじゃが奴は強い! いかなる賊とて遠からず討ち取ることもできよう!」

「ええ、ですから鳥居様はしばらくここで身を隠していてください。此処は私が己のプレシャスで作り出した空間です故」

「分かった。しかし柳沢殿、お主プレシャスを使えたのか?」

「これは我々二人だけの秘密としておいて下さい。我が妻にすら、全てを明かしている訳ではないのですから」

「安心せい! 他ならぬ柳沢殿の頼みならば冥土まで持っていってやろうぞ!」

「そうですか、それはとても助かる……時に鳥居様」

「なんじゃ?」

「賊にはエゾ訛りが有りました。何か存じておりませんか?」


 エゾ?

 またエゾか。

 今朝捕まえた天ヶ瀬とやらもエゾの出だったな。


「何やらエゾの方で胡乱な動きが有るようでな」

「そうなのですか?」

「うむ。誅手だか仕事人だかを名乗る連中に藩主が殺されて以来、あちらの方では幕府の権威がガタ落ちじゃ。このまま放っておけば良からぬことが起きると思っておったが……」

「気になる話題ですな」

「そうか? いや、実は儂もエゾに間者を放っていてな……はて、この話は前にしたか?」

「はて、今聞いたような気がしますが……」

「そうかそうか、なら良い。ともかくその間者からの情報を待っている状況じゃ」

「情報は何時頃受け取る予定で?」

「半月後、丑三つ時にサカイの港で受け取る予定じゃよ」

「その話……私にも一枚噛ませていただけないでしょうか?」

「構わぬ。というよりも柳沢殿に協力してもらえるならば百人力じゃ!」

「光栄です。それでは今後もよろしくお願いします。私は周囲の様子を伺って参りますのでしばしお待ちを」


 柳沢殿はそう言うと、この白い部屋を出て行く。

 はて、急に眠くなってきたのう……。


     *


 私はお宿ねこまたのDr.アルカードが滞在している一室に戻り、彼とミーティングを行うことにしました。

 鳥居から奪った情報について共有するのが目的です。


「貴方の医学で肉体を保持し、私のプレシャス或阿字譜ネクロノミコンで魂を無理矢理定着させる。そして薬を嗅がせて夢現にすることで、長期間に渡って情報を搾り取るという訳ですね」

「相変わらず悪趣味じゃねえか。柳沢左馬之助様よ」

「まあまあ悪く言わないで下さい。Dr.タスクオーナー」


 アマタ君に半殺しにされ、残っていた囚人にリンチされた鳥居様を助けるのは一仕事でした。

 とはいえ私は柳沢左馬之助。柳沢家の婿であり、誅手の元締めでもあります。なれば岩牢から死に体の男一人連れ出す程度、訳もありません。


「それで、お前さんの狙いとやらは果たせたのかい?」

「勿論。鳥居の抱えていた情報網についてはかなりの割合で把握しつつあります」

「おいら達を追う連中は全員始末せにゃならんからな」

「勿論ですよ。我らの狙いを知られる訳にはいきませんからねえ」

「今、世間じゃ誅手への取締は厳しい」

「我々がエゾのマツマエ藩の藩主を殺したからですね」

「その通りだ。連中はおいら達が幕府転覆を目論むテロリストか何かだと勘違いをしているんだろうさ」


 私とアルカードさんはくすくすと忍び笑いを漏らす。


を転覆させて何になるというのでしょうね」

「ああ、その通りだ」

「我々が狙うはこの世の人心。そして……」

「おっと、それ以上は口に出しちゃいけねえよ。左の字」

「そうですね。まだ全てはこれから、これからなのですから……」

「ところで次の仕事ってのはどうするんだ? アマタにとっちゃ初仕事だろう?」

「アマタ君、やってくれるんですかね? アタミの宿に彼を運んでからというもの、眠りっぱなしではないですか」

「まさか今更断れねえだろう?」

「ですが……次の相手は……」

「アマタと同じ中つ国ミッドガルズ人だろう?」

「ええ、アマタ君以外にも、この外つ国ウートガルズに入り込んでいるものが居たとは……」

「策謀を巡らせるのはお前さんだけじゃないってだけさ。それよりも今はアマタの覚悟や殺しに対する姿勢を見定めようや」

「それもそうですね。現場のことは貴方におまかせしますよ」

「任された。だがサポートは頼んだぜ。元締めボス

「任されました。ところで大國長庵の娘は?」

「おまなちゃんか。アマタがこの前中つ国ミッドガルズから持ち込んだ“抗生物質”ってのが効いている。あれがもっとあれば早く良くなりそうだぜ」

「それは何より。ですが勝手に使っても良かったんでしょうか? アマタ君がこっそり持ち込んだものでしょう?」

わりいとは思ったんだが、事態が事態だったんでな。おミケさんを通じてアマタの荷物から失敬させてもらった。すげえよありゃ。そのうちもっと沢山持ってきてもらえるように頼むつもりだ」

「おミケさんですか。今回も彼女にはお世話になりましたね」

「ああ、あの娘の瞬間移動のプレシャスは毎度役に立ってるぜ」

「お呼びになりましたか?」


 襖を開けておミケさんが現れる。

 両手には酒の入ったお盆。私達の為に用意してくれたみたいですね。


「おや、おミケさん!」

「酒か! こいつは良いね!」

「にゃん! 今日はお二人に私からの奢りです!」

「ありがとうございます。お仕事はまだ有りますか?」

「にゃあ……アマタ君の部屋の片付けをしたいんですよね」

「おや、失念していました。それでは私達だけで一杯やっているので、どうぞお構いなく昼の仕事に戻って下さい」

「うんうん。それじゃあ失礼するよ……ああそうそう」

「どうしました?」

「次の仕事には――」


 普段の優しく甘い猫なで声から一転。

 怖気立つ冷たい声で彼女は言う。


「――ちゃんと、混ぜてくださいね、ボス」


 彼女はそう言い残して姿を消してしまいました。


「分かってますよ……」


 やれやれ、そういえば次の仕事の標的は彼女にとっても因縁の相手でしたね。

 まったく困ったものですよ。


     *


 俺は奉行所から脱出した後、ねこまたとは異なるやけに豪華な旅籠へと案内された。その時にはフラフラで宿の名前も覚えておらず、布団を用意して倒れ込むように寝た訳だが……。


「おっはよーダーリン!」


 レイちゃんの声で慌てて起きると、いつもと変わらない緑色の天井。元の世界だ。俺の居た世界に戻ってきている。


「ああ、おはよう」


 灯りを点け、枕元の眼鏡ケースから眼鏡をかけて周囲を注意深く見回す。

 昔買ってもらった星模様のカーテン。ハンガーに吊るしてある青鷗高校の学ラン。机の上には参考書と赤本。ゴミ箱の中は空っぽ。

 間違いない。ここは俺の部屋だ。


「と言ってもまだ深夜一時だけどね」

「そうか、向こうではまだ一日も経ってなかったな」


 身体にだるさが残っている。

 ……いや、待て。そういう問題じゃない。


「レイちゃん」

「なあに?」

「なんでお前が此処に居るんだ?」

「……あら? ここどこ?」

「…………」

「ねえ……なにここ、もしかして中つ国ミッドガルズ?」

「まあ、そうなるな」


 信じられないがレイちゃんがこちらの世界に来ている。

 こいつは一体どういうことだ?


「やった! ダーリンの故郷に来ちゃったって訳ね! 里帰り!」

「アマタ、夜中なのにうるさいわよ!」


 マイルームのドアが開け放たれる。

 扉の向こうには母さん。

 レイちゃんは驚いて振り返る。

 母さんも驚いて目を丸くする。


「……二人共、まずは落ち着いて話を聞いて欲しい」


 どちらかが叫び出す前に、そう言っておくことしか俺にはできなかった。


     *


「……という訳でこちら妖精のレイちゃん」

「はーい! はっじめましてー!」

「こちら母の天ヶ瀬百合です」

「ええ、はじめまして。ねえ……私、飲みすぎている訳じゃないのよね。ちゃんと家まで電車で帰ってきたのよね?」

「母さん、残念ながら素面に近い状態かと思われます」

「そう……レイちゃんは妖精なの? ティンカーベルみたいな?」

「大体合ってる」


 母さんは額に手を当てて小さく呻く。


「どうしましょうお父さん……」


 俺が一番どうしようもない状態なことだけは分かって欲しい。


「元気すぎるのが玉に瑕だけど、人懐っこくて朗らかな良い子なのでどうぞ仲良くしてあげて下さい」

「それは良いわ。それは良いんだけど……」

「な、なんでしょう母さん」

「どうして二人は出会ったの? 一体何が有ったの?」

「それは……」


 沈黙。

 どう答えるべきか。

 不安そうにこちらを見るレイちゃんの瞳。

 母さんだって同じだ。むしろ母さんの方が事態を把握できていない分、驚きも大きいことだろう。

 俺は、どうしたら二人を悲しませずに済むのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る