第25話 二人の温泉

 夕飯前。

 カヘエの奥様であるお瀧さんが帰ってきたということで、俺達は彼女を紹介してもらうこととなった。

 彼女はカヘエよりも大分若いが、キリッとした顔立ちの美人で、一目見て芯の強さを感じさせる女性だった。


「カヘエの妻のお瀧でございます。アマタ様のお父上には夫がお世話になったようで、まことにありがとうございます。アマタ様の父君から受けた恩、これからは夫と共にお返しさせてくださいね?」

「こちらこそ夫婦共々世話になります。お仕事の手伝いもしていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします」

「ええ、お願いします。乙羽から昼間のことは聞きました。何やら因縁をつける獣人を上手くあしらったとか……しかもそちらのおレイさんはお龍と仲良く遊んでくださったそうですね。いたずらっ子だから女中達も手を焼いていたのですよ。本当に助かります」

「お龍ちゃんは元気が有って可愛くて……あたしも子供ができたらあのように育てたいと思います」

「まあおレイさんったら上手ね。あの子と仲良くしてあげてちょうだいな」

「ええ、あたしは妖精ですが、それでも良ろしければ……」

「歓迎ですわ。商売というのは多くの人に出会うこと。妖精の友達が居るというのは、あの娘が今後立派な商家の娘となるにあたって良い成長の機会になると思っています。人と妖精はもっと近い関係を気づくべきですわ」


 帰ってきたお瀧さんの勢いで喋れずにいたカヘエさんは、ここでやっと口を開く。


「実は高田屋がやっている慈善事業ってのも彼女が言い出したことでね。僕は最初乗り気じゃなかったんだが、お瀧が楽しそうなんでこっちも楽しくなってしまったという訳さ」

「今は側用人も柳沢ナノハナ様という女性だと聞きます。これからは女子おなごの時代です。おレイさんも自分の生き方を求めてアマタさんと駆け落ちなさったのでしょう? 私はそういう自らの意思によって決定した生き方を非常に好ましいと思っています。夫婦仲睦まじく、添い遂げてくださいね」

「まあ! ありがとうございます!」


 若干素が出ているな。レイちゃん。

 そんなに嬉しかったのだろうか。


「ところで」


 お瀧さんの目がキラーンと光った……ような気がする。


「どうなさいました?」


 一体何なのだろう。


「お二人とも祝言は挙げてらして?」

「……あら、まだよねダーリン」

「だな。慌ただしくてそんな暇も無かった」


 俺達の言葉を聞いた瞬間、お瀧さんが突然早口で喋りだす。


「いけませんっ! それは実にいけませんっ!! 祝言は夫婦二人にとって大事な式典です! 事情があったのは勿論分かっておりますが、当家に来た以上はきっちりと万事私がなんとかいたしましょう! ええ、なんとかしますとも!!!!」


 何だこの人、なんだか知らないがすごい勢いだ……!

 でも良い人だなこの人も……?


「わぁ……ありがとうございます! やったわねダーリン!」

「あ、ああ……そうだな」


 祝言に乗じてカヘエの動きを探るなり、始末の段取りをつけるなり、できることは多そうだ。


「ははは、今日はそのへんにしておきなさいお瀧。アマタ君がすっかり面食らってるじゃないか」

「あらごめんなさい。夕飯は用意させているから、まずは皆でゆっくり食べるとしましょう。お二人の今後はそれから話せば良いもの」


 そう言ってお瀧さんは心底楽しそうに笑顔を見せた。


     *


 高田屋の一家との夕食の後、俺達は家についている湯殿を使わせてもらうことになった。

 旅館にでもついていそうな広い湯船、源泉掛け流しの温泉。客人用の湯殿というだけあって装飾も一々凝っていて素晴らしい。


「いやー凄かったわね。鯛のお吸い物」


 レイちゃんは湯船の中で何の遠慮もなく身体を伸ばしている。

 できるだけ視界に入れないように気をつける俺。

 普段の小さなレイちゃんだったらまだしも、今のレイちゃんの裸を見るのは流石に恥ずかしい。


「口に含んだ瞬間にこう……スーッと染みて……。疲れた身体にありがたいよ」

「人間の食べ物って案外馬鹿にできないものね。最近はすっかり嵌っちゃったわ」

「塩味と旨味の奔流を三つ葉がこう……クッと引き締めるんだよ」


 拳を強く握りしめる。

 あの味を思い出すと語りに熱が入ってしまう。


南蛮風卵焼オムレツも美味しかったわ。あれは味付けがお出汁じゃなかったわね?」

「あの風味はオリーブオイルだね。カヘエさんが投資しているオリーブ農家でとれたオリーブオイルを使っていた筈だよ。チーズはエゾから北前船で輸入したとか」

「素敵ねえ……いっそ此処に居着いちゃった方が良いんじゃないの?」


 俺はしばし沈黙する。

 レイちゃんの目は真剣そのものだ。

 あながち冗談でもないのだろう。


「……この家、幸せそうだよな」

「そうね」

「俺達みたいなのがさ……あんまり迷惑かけちゃいけねえよ」


 俺もレイちゃんも、本来なら人の中で生きていちゃならない存在だ。

 それに、どのみち此処で誰かを斬るのだ。長く留まることはできない。


「そっか……分かったわ。あのね……」


 レイちゃんは俺に見えるようにゆっくりと口をパクパクとさせる。

 すると、頭の中に直接彼女の声が響く。


『この屋敷の地下に何か有るわ。微弱だけど生きている人間の気配がする』


 俺の心の声が彼女に伝わるように、彼女の声も俺に伝えられるのか。

 これは知らなかった。


『能力が成長したのよ。ダーリンのお陰でね』


 そう言ってレイちゃんは微笑んだ後、思いっきり伸びをして溜息をつく。


「あたしも人みたいに生きてみたいわ。人の笑顔が羨ましいの。あんな風に笑ってみたい」

「俺達には難しいな……」

「駄目なの?」

「やっちゃ駄目って理屈は無いさ。俺達は俺達の路を辿って探せば良い」

「……そうね」


 レイちゃんが湯船の中を移動して俺の隣に座る。

 

「何時かダーリンが自由に向こうの世界に帰れるようになったら、どうする?」

「どうするって?」

「どっちの世界で暮らすの?」

「向こうで人は殺せないからな……」

「じゃあこっち?」

「こっちにばかり居る訳にはいかないさ」

「ずっと行き来するつもり?」

「今更引き返せないよ。一度味わってしまったら、人斬りの味なんて忘れられる訳がない。それでも超えちゃいけない一線が有る。だったら今のような生活を続けるしかないのさ」


 レイちゃんは俺の肩にそっとしなだれかかる。

 温泉で火照った身体の熱と、白くきめ細やかな柔肌と、震える肩。

 

「刀だったら、怖いなんて思わなかったのかしら」

「どうだろうな。俺は怖いだなんて思ってないんだよ」

 

 人のような刀。刀のような人。

 きっと俺達は出会うべくして出会ったのだろう。


「きゃっ!」


 俺はレイちゃんの肩に腕を回し、抱きしめる。

 柔らかい身体の感触。子供のように華奢な肢体だが、スラリとして均整が取れているとも言う。

 ああ、心臓の音がしない。妖精だからだろうか。なんだか少し悲しい。


「だ、大胆ね……ダーリン」


 レイちゃんは驚いたのか、固くなっている。


「俺がお前を守る。怖い思いなんてさせない」

「ダーリン……あたしで良いの?」

「お前が良いんだ。」

「そう……そっか。あたしの声を聞いてくれたのが貴方で、良かったわ」

 

 俺達はそうやってしばらく二人で身を寄せ合いながら、湯船に浸かっていた。

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