第10話 闇中の光、その名は剣【第一章完】

 レイちゃんが居たお陰で、魔獣を避けて山を降りることができたので、麓まで向かうのに時間はかからなかった。

 俺達は近く村にたどり着き、お律が物盗りに襲われていたと説明して村の医者を呼んでもらった。俺が血まみれだったせいで少々騒ぎになったが、お律の説明も有ってなんとか信じてもらえた。

 その後、親切な農家の方に部屋と布団を貸してもらうと、お律はすぐに眠ってしまった。


「おうい、患者は何処だぁ」


 しばらくすると、部屋の戸が開いてエルフが現れる。

 金髪碧眼、筋骨隆々の大男だ。

 どうやら彼が医者らしい。俺は座ったままペコリと頭を下げる。


「来ていただいてありがとうございます!」

「お前さんが天ヶ瀬アマタか。おいらはアルカードだ。この村の外れで医者をやっている」


 エルフの医者はそう言うとニカッと笑う。


「アルカード?」

「エルフ式の名前は人間式の名前とちょいと違うんだ。人間式に言うなら角庵かどあんとでも呼んでくれ」


 大國長庵を思い出すのでそれは嫌だ。


「アルカード先生と呼ばせていただきます」

「分かった。お前さん、エルフに会ったのは初めてか?」

「いえ……話したのは二度目です。俺の田舎は人間ばかりだったもので」

「成る程。まあ取って喰いやしねえから安心しな」

「とんでもないですよ! それよりも治療の方をお願いします。お金はお宿ねこまたという旅籠に預けておりますから、心配なさらないで下さい」

「ねこまた? ほう……奇遇だな」

「奇遇?」

「いんや、後で話そう。まずはそこの眠っている姉ちゃんの診察からだ」


 アルカード先生は、お律の目や喉の様子、心音や血色、脈について細かく調べ始める。

 しばらく調べた後、先生は自信たっぷりの様子でこちらを見て頷く。


「うむ。少し薬を嗅がされてたみたいだが、それ以外は五体満足。何処も悪いところは無いから安心しねぇ。今は安心して眠っちまっているみたいだが、起きたら駕籠でもなんでも呼んで宿まで連れていくとしようや」


 医者は簡単にお律を見るとそう診断を下した。

 良かった。何か毒でも飲まされていたらと心配していたが、そういうことは無さそうだ。


「先生、ありがとうございます!」


 俺はペコペコと頭を下げる。


「ところでアマタよ」

「なんですか先生?」

「この娘さんよりおめえさんの方がよっぽど良くねえ」

「えっ」

「妖精かなにかに憑かれているんじゃねえか? 筋肉は強張っているし、目も充血気味、それにおいらが部屋に入ってきてからずっと立ち上がらねえ……立ち上がれねえんだろ?」

「た、確かに疲れてますけどそれは野盗を追い払ったからで……」

「まあ待ちねえ。別に当てずっぽうじゃあねえんだ」


 アルカード先生は俺の話を無視して続ける。


「身体にも神経にも相当な負荷をかけている。だが妙な薬の匂いはしない。となれば狐か妖精に憑かれているってのが筋だ。だが狐のような獣臭さはしねえし、やけに高そうな刀を持っている。となれば、なあ?」


 俺はレイちゃんに話を聞こうと彼女を探す。

 だが何時の間にかレイちゃんは居なくなっていた。


「……」


 斬ろうか?

 いいや、斬るべきではない。

 斬ればあっという間に俺は犯罪者だ。

 それにこの先生は良い人だ。きっと俺のことを心配しているからこう言っている。

 良い人を斬るのは駄目だ。超えちゃいけない一線だ。

 これと見定めた悪党以外は斬っちゃいけない。その時こそ、俺が俺ではなくなる。


「アルカード先生」

「ん?」

「聞かずにおいちゃいただけませんか?」


 仮に俺が妖精に憑かれ、魔剣に心奪われているとしても、今この話をこの人に聞かせる訳にはいかない。巻き込んでしまう。それに何より、レイちゃん無しでは俺は生きていけない。


「……分かった。どんな事情が有るかは聞かねえよ」

「恩に着ます」

「ただな、アマタよ」

「何ですか?」

「森の妖精に憑かれた人間は森の中で死ぬ。海の妖精に憑かれた人間は海で死ぬ」


 アルカード先生はその青い瞳で俺を真っ直ぐに見据える。


「……お前さん、安らかには死ねないぜ」


 俺は剣で死ぬとでも言いたいのか。


「どうやって死のうと、死ぬまで懸命に生きればそれで良い。それが生命の価値になります。違いますか?」


 そう答えるとアルカードさんはニヤリと笑う。


「達観してるじゃねえか。わけえのに」

「色々有ったもので」

「ふむ……良いぜ、気に入ったよ。もうちょっと素直だと言う事無しだが、まあ良いさ」

 

 アルカードさんは俺の胸をトントンと叩くと拳を突き出す。


「これは……?」

「グーを出せ、グーを」


 俺も拳を突き出して軽く合わせる。


「よし、これでいい。お前は剣客としてその姉ちゃんを守った。外道ではない。なら善であれ悪であれおいらの患者だ」

「患者、ですか」

「おう。だからお前さんに何が有ったとしてもとやかく言わない。別に妖精憑きになっても身体を壊すことは無いからな」

「ありがとうございます」


 俺は座ったまま深く頭を下げる。


「なあに、こいつは男と男の約束だ」

「本当に助かります」

「ま、それはそれとしてな」


 アルカードさんはにやりと笑う。


「なんです?」

「お前さんの身体、無茶しすぎでボロボロだ。徹底的に治療がしたい。ねこまたまで戻るぞ。ああ、腕が鳴るなあ」

「お宿ねこまたを知っているんですか?」

「あそこに泊まる狩人にしょっちゅう薬草採りの依頼を出しているのはおいらだぜ」

「あれ、もしかしておミケさんって知りません?」

「ああー! もしかしてあいつが言っていた若い狩人ってのはお前さんの! なんでえ水臭い! 最初から言えってんでえ! じゃあ遠慮は要らねえな! 最初っからきっちり厳しく治療するから覚悟しろよ!」


 ゴキリ、ゴキリと拳を鳴らすアルカードさんに、言い知れぬ恐怖を覚えたものの、それを言い出すことは出来ない俺なのであった。


     *


 三時間後。俺は無事に治療を終了して、お宿ねこまたの布団の上で転がっていた。


「整体はもう懲り懲りだよぉ……」


 治療は無事に終わった。

 しかし俺は布団の上で激痛にもだえていた。

 お灸、針、そして手もみ。

 そこに南蛮渡来だか中つ国ミッドガルズ渡来だかのカイロプラクティックを加えたアルカード・タスクオーナー先生の治療は、拷問にも等しい激痛を伴った。

 特に両足、脹脛と腿が痛く、まともに動かせない。


『慣れない山野を無理に歩いたからだろうな。肩や腕は大したことなかったが、足腰が酷い有様だったよ。ま、明日になったらすっきりしているだろうからしばらく大人しくしてな』


 そう言って俺の部屋を後にしたアルカードさんは、今は隣の部屋でおミケさんに酌をされて大酒を飲んでいる。今日は泊まっていくつもりらしい。

 明日の朝もバキバキされたら流石に死んでしまうかもしれない。


「ダーリン、こっぴどくやられたわねえ?」

「レイちゃん……俺、死ぬのかなあ……」

「大丈夫大丈夫。あたしが守るもの!」

「そっかあ……レイちゃんは良い子だなあ」

「えへへ、褒められちゃった。でもあの人に会えて良かったわ。あたし、人体の知識とか無いから、ダーリンの身体のこと全然気づかなかったわ」

「疑われた時はひやっとしたけどな」

「嬉しかったわよ。庇おうとしてくれて」

 

 俺達は顔を見合わせて笑う。


「それで、これからどうするの?」

「まずは眠って、それから考えようかなって思うんだ」

「柳沢さんの所には行くの?」

「行くよ。もう少し話を聞きたくなった。それに今日殺した相手は幕府の要人の関係者だろう? 何か有った時に、あの人に迷惑がかからないように、報告だけはしておかないと」

「あっ、そうだったわね」

「あの人、きっと喜ぶんだろうなあ……」


 今からあの鋭い瞳が機嫌良さそうに垂れ下がるのが目に浮かぶ。


「でしょうねえ。ダーリンが今度こそ自分達の仲間になるって思うに決まってるもの。誘われたらどうするの?」

「やるつもりだよ。誅手の仕事」

「本当?」

「金山奉行の長庵や天狗使いの万作みたいな悪党がこの世界には居る。奴らのような連中の非道を放っておくことは俺にはできない」


 斬っても罪悪感を覚えないとも言う。だが、このどす黒い思いは胸の底に封じよう。そういう気持ちは有るが、それに支配されるつもりはない。


「ふーん、楽じゃないわよ? ああいう連中を斬るのは。例えば貴方が殺した長庵だって、貴方が来るまでにはあのおまなって子を使って何度も刺客を撃退していたんだから」

「そうだな。簡単じゃないだろう。でもさ、レイちゃん。君が居ればできるよ」

「あたしが……ね」

「君が必要だ」

「知ってるわ」


 そう言ってレイちゃんはニコッと微笑む。

 彼女は寝転ぶ俺の胸の上に降りてきて、正座する。


「ねえ、ダーリン」

「どうしたんだレイちゃん?」

「分かったの。あたし、ダーリンのこと大好きよ。剣としてじゃなくて、こうして此処に居る私が、女の子としてダーリンが好きって思っているの。」

「俺を?」

「ええ、そうよ。だから昼間は怒ったんだって分かったの」


 レイちゃんの重みが胸にのしかかる。

 だが、これは嫌ではない重たさだ。


「変かしら?」

「いいや、まったく」


 剣に命をかける剣士が居るのなら、剣士に命をかける剣が居ても良い。

 ましてレイちゃんは人間と同じ心が有る。ならば何もおかしいところは無い。

 

「わあ……嬉しいわ! 嬉しい!」

「そうか、それは良かった」


 レイちゃんが無邪気に喜ぶ姿を見ていると、俺も心の中の濁った思いが清められていくような気がした。


「ダーリン、ここで眠っていい?」

「好きにするといい」


 レイちゃんは小さな体で布団の中に入り込む。

 胸の上に柔らかい身体とさらさらした布の感触が伝わった。

 なんだか暖かい。殺しの後にささくれだった心には良く染みる。


「ダーリン、携帯鳴ってるわよ?」


 レイちゃんが枕元の携帯を指差す。

 時間の表示が狂っていた筈なのに、正常に表示されている。

 曜日は日曜、時間は午前三時。日付は模試の翌日になっている。

 意識が薄れ始める。無事に帰ることを祈りながら、俺は意識を手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る