第7話 旅籠の夜と混浴と

 不逞の輩を追い払った後、俺は狩人協会から旅籠に配られる求人を眺めて時間を過ごした。今日は色々騒ぎが有って、あまり顔を出したくなかったし、何より疲れた。

 籠釣瓶村正ダインスレイブを握った後はどっと疲れが来るのだ。

 俺でもできそうな狩人協会の求人をリストアップして、優先順位付けを終えるとすっかり日も傾いていた。


「にゃにゃーん! お邪魔するよお兄さん!」

「アマタでいいですよ」


 夕飯の時間になると、先程店先で出会ったお姉さんが部屋まで料理を運んでくれた。

 彼女の名前はおミケさん。早くに親を亡くして以来、親戚の伝手を頼ってこの旅籠で働いているらしい。


「はいはい、それじゃあアマタさん。晩御飯持ってきました」

「待ってました。献立は?」

「今日は焼き魚とエノキの味噌汁と山盛りの柴漬け。ご飯はおかわり自由だから、一杯食べてね」


 それは良い。春先の鯵は油が乗ってて一味違う。

 

「焼き魚?」

「まあ伊勢焼きだけどね。うちも料理人少ないから」

「伊勢焼き?」

「お魚を蒸して、それから焼き目をつけるの。もしかしておにーさん旅は初めて?」


 試しに伊勢焼きの鯵を一口食べてみる。


「なにせ田舎の出なもので物を知らないんですよ……ああ、美味しい」


 鯵は塩味がきついが、米に合って非常に美味い。

 いや……この塩味こそが、米の甘みを引き立てるというものだ。

 しょっぱい味ばんざい! お米ばんざい!


「にゃるほど……でも良い時に来てくれたよ。さっきはありがとね」

「いえいえ、そういえばあの野郎が払ってなかったお代はどうなりました?」

「後で奉行所からお金も届けてもらえたよぅ。あの浪人、こっそり隠し持ってたみたい!」

「そうでしたか……あの時は考えなしに飛び出しちゃったけど、お店に迷惑かけずに済んで安心しました」

「迷惑だなんてそんなそんな! アマタさんみたいな上客にゃ何時までも居て欲しいくらいだよ」

「何時迄も居たいのは山々なのですが、預けたお金でどれくらい滞在できますかね?」

「さっき預かったお金は店の金庫に入れておいたから、この一月くらいは安心してお仕事を探してね」

「一先ずの拠点としては十分な期間かな……今日からしばらくお世話になりますね」

「うんうん、アマタさんみたいな人なら大歓迎だよ! たっぷりお世話してあげるからねー?」


 そう言っておミケさんはしなだれかかってくる。

 食事中だというのに近い。ご飯とか盛ってもらう距離じゃない。

 服の下から当たっているよ! おミケさん!


「お酒とか飲むかい? 今日は助けてもらったから、お礼におごっちゃうよ?」

「お酒ですか。飲んだことが無いのですが……」

「あら? そうなの、もしかしてお坊さんかなにか?」

「うちの田舎じゃ酒は二十歳からなんですよ」

「へえ、そういうところも有るんだ。でもここはエドだし、気にすることはないよ」

「え、あ、じゃあ少し……」

「ふふ、後で持ってくるね」


 凄い。おミケさんからめっちゃ良い香りがする。甘い香りだ。

 これはもう味噌汁のかつおだしとかそういう話をしている場合じゃない。

 天ヶ瀬アマタ18歳の何かが危ない……!


「ちょっと貴方! ダーリンに近いわよ! 密着禁止!」


 そんな俺の思いを察知したのかレイちゃんが俺とおミケさんの間に割って入ってくる。


「ダーリン? 何それ知らない。アマタさんって妖精にも懐かれてるんだね。エゾから来たって聞いたけど、もしかしてかなり腕の立つ剣士様なの?」

「ちょっとあたしの事愛玩動物扱いしないでくれるかしら!?」


 どうしよう。

 夕飯時なのにやかましい。


「……とりあえず、ご飯おかわりおねがいします」

「はいはーい!」


 おミケさんはご飯をテキパキ盛ってくれる。

 それにしても焼き魚とお米が美味い。

 外はパリパリ、中はフワッと。

 中華料理では蒸し魚が最上とされるそうだが、この蒸し加減の絶妙さを見るとそれは正しいのかもしれない。


「この鯵、只の鯵じゃないですね?」

「さすがアマタさんお目が高い。蒸す時にちょいと工夫をしてるのよ」


 ご飯が進む。良く進む。単純にしょっぱいだけじゃなくて、さりげなく山椒の香りや醤油ダレの香りもさせてる。

 こうやってご飯を次々食わせる訳か。ええい、なんと素晴らしい。


「工夫?」

「それは秘密だよ。だけど食べたくなったら何時でも来てちょうだい」

「商売上手だなあ」

「にゃはは」

「ダーリン! 何呑気に食べてるのよ! もう!」

「レイちゃんも食べるか?」

「あ、あたしは……妖精だし。食べ物とか要らないし」

「飯ってのは必要だから食うもんじゃない。レイちゃんも一口くらいは試してみなよ」

「……ま、そこまで言うなら? 別に良いけど……」

「はい、どうぞ」


 俺はほぐした魚の身を差し出す。

 レイちゃんはそれを小さな口で頬張り、もぐもぐと咀嚼する。

 俺はすかさずお米を差し出す。

 またもレイちゃんはそれを小さな口で頬張り、もぐもぐと咀嚼する。


「……」

「どう?」

「まあ、美味しいわ。こういう人間みたいなことをするのも悪く無いのね」


 俺とおミケさんは顔を見合わせてニンマリと笑った。


     *


 食後、この後は時間が有るというおミケさんに部屋に残ってもらって、少し彼女に相談をすることにした。


「良ければこちらを見てもらえませんか?」


 俺は宿に置いてあった狩人協会からの依頼書の写しを差し出す。

 崩し字なものだからとても読みづらかった。


「にゃにゃ、これは……」

「ダーリンが選んだ依頼書の写しよ!」

「簡単そうなものを選んでみたんですが、こういうのには不慣れなもので」

「にゃるほど。そうねえ……薬草採取、害獣駆除、どれも初めて受ける依頼としては悪くないと思う。ただこの洞窟探索は止めといた方が良いと思うにゃ」


 おミケさんは依頼書の一つを指差す。

 それはエドの郊外に有るという小さな洞窟の探索だ。

 なんでもゴブリン……もとい子鬼が住み着いて、駆除をしなくてはいけないのだとか。


「何故です?」

「魔獣に襲われても逃げられないんだよ。新人が子鬼相手に調子に乗って、洞窟に誘い込まれて、挙句に囲まれて返り討ちなんてよくある話なのさ。あいつら弱った獲物には残忍だからねえ」

「成る程、覚えておきます」


 前回の経験から、籠釣瓶村正ダインスレイブを抜くと体力を消耗することは分かっている。気をつけなくては。


「他になにか気をつけることはありませんか?」

「そうねえ……アマタさんもまだ疲れが残っているだろうし、一番楽そうなこのあたりが良いんじゃないかしら?」


 おミケさんは薬草採取の依頼を指差す。


「これですか?」

「丁度、うちのお得意さんにお医者様が居てね。少しこの薬草を持ち帰ってくれたらきっと喜んでくれるよ」

「成る程……」

「狩りは怪我も多いし、これを機にお近づきになって損は無いかなあって思うんだよね」


 異世界ではどんな病気にかかるか分からない。

 魔獣とかいう良く分からない生き物が居る世界では、尚の事だ。

 柳沢さんのように、頼れる人との繋がりを増やしておくことは決して損にならない筈だ。


「じゃあこれにします。レイちゃんもこれで良いか?」

「あたし? なんであたしに聞くの?」

「一緒に行動しているだろう。レイちゃんの意見を無視することはできない」

「そう? ダーリンが求めているならあたしも意見を言おうかしら。ねえねえミケさん?」

「にゃ、どうしたんだい妖精ちゃん?」

「ちゃんは止めなさいよ! じゃなくて、その薬草採取って斬り合いとかあるの?」

「依頼書のここに書いてあるね。わいばーん? だったかを斬ると、報酬増額らしいよ。それ以外にも狩った魔獣から毛皮を剥ぎ取って売り飛ばすのも許可されているから、余裕があったらやってみると良いかも」

「そう、だったらあたしも暇しないで済みそうね。ありがと」


 レイちゃんが比較的おミケさんに歩み寄りを見せている……!

 先程の焼き魚が彼女の中で何かを変えたのだろうか?

 何にせよ偉大な一歩である。


「ああ、でも二人共気をつけておいて欲しいことがあるの」

「なんですか?」

「何かしら?」

「此処最近、宿屋の間じゃあ話題になっているんだけどね。依頼を受けた新米の狩人が帰ってこないことが多いのよ。魔獣じゃなくて物盗りって噂もあるから、気をつけてちょうだいね?」

「成る程……ありがとうございます」

「狩人狙いの物盗りかしらねえ?」

「いえいえ、アマタさんとレイちゃんは無事に帰ってきてね?」

「勿論よ! あたしが居る限り、ダーリンは絶対に守るんだから!」


 物盗りなら返り討ちにしても心が痛まなさそうだ。

 

「ところでおミケさん。風呂ってのは有るのかな?」

「あ、お風呂? 近くの銭湯の割引券配ってるから、それ使って入ってきてくれるかな?」

「ありがとうございます。それじゃあちょっと行ってきますね」

「うんうん、お布団引いとくね」

「お願いします」


 今更だが、レイちゃん連れて風呂入るのなんだか気恥ずかしいな。


「あ、ダーリン。あたしなら大丈夫よ、姿消せるし」

「ああ、そう?」

「あっはっは! お二人さん、そんなの気にすることないよ?」


 俺達の会話を聞いていたおミケさんが笑い出す。


「え? どーゆーことよ?」

「だってこっちの銭湯って混浴だもの」

「なんと」


 混浴! 混浴か!

 そいつはすごいな! テンション上がってきた!


「やっぱりアマタさんエドの習慣を知らないんだね?」

「ああ、はい。繰り返しになりますが、田舎の出なもので……」

「うんうん分かった。此処は一つミケお姉さんが教えてあげようじゃないの」

「そいつは丁度良い。よろしくお願いします」

「よーし! お姉さんと一緒にお風呂行こっか」

「仕事は良いんですか?」

「なーに、これもお仕事お仕事。あの紹介状を読んだ旦那さんから、アマタさんは大切なお客だって言われてるからね」


 ジーザス……!

 ありがとう、生まれてきたことにありがとう。

 父さん母さんありがとう。なんかもう全てにありがとう。


     *


「にゃー! やっぱお風呂は良いねえ!」

「そうですね! 最高です!」

「今日はつかれただろうし、旅の疲れも癒やしなよ」

「そうしますよ」


 最高だ……。

 きれいなお姉さんが風呂に居る。

 老若男女と様々な人が一つの風呂に入っているので、当然ながらきれいなお姉さんだけではないが、それでも綺麗なお姉さんが同じ湯船に使っているのはなんとも言えぬ興奮が有る。

 とはいえ、ジロジロ見るのは良くない。

 周囲の男性陣を見てみると、上手いこと視線を逸して目に映らないようにして、仲間達と四方山よもやま話に興じている。

 あくまで見ないスタンスで、しかし視界の隅にチラリと映るのを楽しむのか。

 これがエドの粋だねぇ! 分かるとも!

 ……ここらへんの人情の機微は、異世界でも変わらないものなんだな。


「アマタさん、大丈夫? 熱くないかい?」

「へっ!?」

「もうやだねえ? のぼせちまったら嫌だよ?」

「だ、大丈夫。大丈夫です」


 声をかけられて思わずおミケさんの方を見てしまう。

 三毛猫のような体毛に覆われているが、お湯の中に浮かぶ白くてたわわな二つの果実や、薄紅色の頂上や、くびれた腰などがどうしても目に入ってしまう。

 いかん。

 これは実にいかんぞ。

 深呼吸だ。

 これがエドでは普通のことなんだ。

 良からぬ事を考えているのは俺だけだ! きっと!

 そもそも姿を消しているけど、レイちゃんだってこの近くに居るんだぞ!

 ああそれにしてもおミケさん背が低いのに出る所が遠慮なく出てるなあ! 

 少し目に入っただけなのに、顔が熱くなってきた気がするぞ!

 やめろ、落ち着け俺。こんな所で一体何を考えているんだ心頭滅却心頭滅却心頭……。

 

「アマタさん? ちょっと大丈夫かい?」

「だ、だいじょぶです……」


 あ、やめて! 肩に手で触らないで! ドキッとしちゃう!

 胸も当たってる! 柔らかい! 包まれたい!

 そしてなんかクラクラしてきたし、意識が薄れていくような……。


「にゃー!? アマタさんのぼせたんだね!? 顔真っ赤じゃないのさ! あがるよ!」


 熱い風呂には慣れているつもりだったが、エドはやはり温度が違った。

 俺はおミケさんに手を引かれ、力なく浴槽を出たのであった……。

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