第13話 地の獄

「鳥居さんよ、連れてきたぜ」

「うむ、ようやった。この狩人町奉行・鳥居庸蔵が褒めて遣わす」


 俺は驚くべき早さでお縄にかけられ、新撰組の屯所に連行されたかと思うと、すぐに奉行所のお白州まで引っ立てられた。

 アルカードさんが山崎に渡していたとやらのお陰で、扱いは丁重である。

 正直に言えば、問答無用で殺されることは無いと踏んでいたが、まさか何事も無くここまで来られるとは思わなかった。

 となれば、後は時間を稼いで柳沢さんあたりの助けを待つとするか。


「はいはい……じゃあ天ヶ瀬、素直にこちらのお奉行さんに洗いざらい吐いちまいな。素直に言えば悪いようにはしないからさ」

「待て待て。新撰組。お主らの権限は捕らえるところまでだ。裁きと取り調べはこちらでする。お主らは大人しくしておれ」

「危険な捕り方に自分の部下を使わずに、美味しいところだけかっさらおうってか?」

「やけに庇うな? 袖の下でも受け取ったか?」

「ところで押収品はこっちで引き受けてもいいが、どうする?」

「……ふん」


 鳥居は押収品の話を出されるとすぐに黙り込む。

 押収品というのはおそらく籠釣瓶村正ダインスレイブのことだろう。

 

「まあ良いわ。詳しくは聞かぬ。だからあれを持って来い」

「はいはい、ほな取りに行ってきますわ」

「うむ。行け、く行け」


 鳥居は満足げに頷くと、山崎をお白州から追い出す。

 そして俺の方を向いてにんまりと微笑む。


「さて、天ヶ瀬アマタ。本来ならばお主には山中にて御家人が斬り殺された事件の下手人ではないかという疑いがかかっておる。故に今すぐ調べねばならぬところだ」

「はあ……そうですか」

「だが、朝早くだし、風も強い。この白洲の上では埃も舞う。故に少し別室で話を聞かせてもらおうか」

「へ、へえ?」


 断ることもできないまま、俺はお白州から地下へと引っ立てられた。

 蝋燭の灯りしかなく、朝早くだというのに薄暗い。

 しかも牢の中からトイレの嫌な匂いが漂ってくるし、奥の方からは発狂した男の叫び声まで聞こえてくる。

 最悪だ。


「天ヶ瀬アマタ、お主プレシャスを持っておるな?」


 両手を縄で縛られたままの俺に、鳥居は尋ねる。


「儂はプレシャスコレクターでな。プレシャスには目が無いのじゃ」


 俺の返答を待たずに鳥居は続ける。


「どうじゃ、お主の持っているプレシャスを売らぬか? そうすればこの牢からも無罪放免で放してやろう」

「無罪……!?」

「儂は狩人町奉行じゃ。この狩人達の町で起きた事件ならば、罪の軽重など思いのままじゃ。狩人は誰も儂に逆らえん」


 鳥居はニコニコとした笑みを浮かべたまま俺に告げる。


「お主が頭を縦に振り、プレシャスの名さえ教えれば、今すぐに縄を解き、明るい外に出しても良い」

「……」

「さもなくば、此処に居る者達のようにこの地下牢に繋がねばならなくなる」

「何故俺に?」

「簡単な話よ。一度主を持ったプレシャスは、捨てられねば次の担い手のものとはならぬ。下手に主を殺しても、臍を曲げて力を貸さぬ。まっこと度し難い美術品故な」

「だから売れ、と」

「そうじゃ。幕府で出世していく為にはプレシャスの力が欠かせぬ故な。贈り物にして良し、使い手が見つかればなお良しだ。ほら、寄越せ。寄越さぬか」

「断ったらどうするつもりだ」

「罪人は牢に入れるのが決まりじゃからのう。特にお主はプレシャスで御家人を殺した下手人じゃ。沙汰が降りるまではこの岩牢の中じゃ」

「最初からそのつもりで……俺を?」

「当たり前だ。身に覚えは無かろうが、丁度昨日松平家の次男が殺されてな。誰かに罪を引っかぶせる必要が有ったのじゃよ」


 身に覚えはない? 身に覚えはある。確かこの前殺した奴が万作とか松平とか言っていたような気がする。


「ふざけやがって……」


 本当に殺したと思われると色々不味いので、俺はそう言って鳥居を睨みつける。

 すると、俺の両隣に居た鳥居の部下が揃って俺に刀を突きつける。

 下手に動けば此処で殺されるか。


「怒ったか? 無駄じゃよ無駄無駄」

「……」

「ぬはははは! 暗闇の恐怖を知らぬから強気で居られるに違いあるまい。先の見えぬ無間の闇の中で、少し頭と肝を冷やすが良い!」


 無人の牢の一つが開けられ、俺はその中に放り込まれる。

 牢は岩をくり抜いて作られたもので、片隅にトイレ代わりの小さな穴がついている。

 穴の中には水が流れているが、小さい穴なのでここから脱出はできないだろう。


「それではさらばだ! 明日また答えを聞きに来るぞ」


 蝋燭の光が消え、真っ暗闇が訪れる。

 江戸時代の牢は集団で入っているのが普通だと聞くが、此処はそうではないらしい。


「まあそれまでにお主が答えられる程正気を保っていればだがのう! ぬははははは!」


 下品な笑い声と、奥から聞こえる男の吠え声。

 早速、頭の中がどうにかなりそうだ。

 冷えた床の感覚を頬で味わいながら、どう動くかを考えてみることにした。


     *


「……ふぅ」


 先程からずっと男の吠え声が続いている。

 目は暗闇に慣れた筈だが、真っ暗で何も見えない。

 蝿かなにかが近くを飛んでいる。

 この牢屋での生活に十日以上かかった場合、現実で俺が十時間以上眠ったことになってしまう。

 そうなれば、俺は学校に行けなくなるし、母さんも眠りっぱなしの俺の異常に気づいてしまう。

 脱出までのタイムリミットは一週間か。

 

「ふふ……」


 とはいえ、俺は決して焦ってはいなかった。

 山崎さんに連れられて新撰組の屯所に向かった時、彼から多少の便宜を図ってもらっていた。妙だとは思っていたが、鳥居庸蔵が俺を嵌めていると分かっていたから、山崎さんも協力的だったのだろう。


「ふふふ……」


 今の俺の腹には、新撰組の監察方が変装に使う特殊な腹巻きが巻かれている。肉襦袢のようなものだ。

 そしてこの中に、向こうの世界から持ってきた古いスマホや腹を下した時の薬を入れている。これはおミケさんがに言われて新撰組の屯所まで持ってきたものだ。

 そのというのはもはや言うまでもないだろう。

 

「はははは……!」


 俺は脱出できる。絶対にできる。そう思わなければやってられない。

 ここは暗い。暗すぎる。心のバランスが保てない。

 狂った男の吠え声が四六時中聞こえる暗室なんて、とてもじゃないが俺には無理だ。

 三日どころか、あと一日保つかも分からない!


「ちょっと、うるさいんですけど。せっかく二度寝してたのに」

「あっ、ごめんなさい」


 あれ?

 咄嗟に謝ってしまったけど、何か聞き覚えの有る声だぞ。


「久しぶりだね、アマタ」


 壁だ。壁の方から声がする。

 俺は牢の奥の壁に耳を当てて声の元を探る。

 壁に小さな穴が開いていて、そこから声が聞こえているのか。

 俺は穴に向けて小声で問いかける。


「その声、もしかして……おまなか」

「ふふっ、そうだよ。地獄にようこそ。どうして来ちゃったの?」


 間違いない。

 金山奉行・大國長庵の屋敷で斬り合ったおまなだ。

 

「そういう君こそなんでこんな所に」

「話すと長いんだよね。あの屋敷から逃げ出した後、父上パパの知り合いの医者の家に転がり込んだんだけど、そいつがとんでもない変態でさあ。斬って逃げたんだよね。それから浮浪児達の用心棒とか、辻斬りとか、色々やっていたんだけど、結局捕まっちゃった」

「用心棒?」

「うん、同世代の子供達の中なら紛れ込めるかなあと。ま、僕みたいな化物すぐにボロが出て追い出されたけどね」

「そうか……怪我は無事だったのか?」

「あの変態、腕だけは良かったからね。お腹に大きなキズが残っちゃったけど……」


 殺されかけたとはいえ、女の子の身体に傷を遺してしまったのは申し訳ない。

 だが謝るのも違うし……どうしようか。


「なんにせよ、生きていて良かった」

「そう言ってくれるのって、もうアマタだけだなあ……」


 おまなは嬉しそうに呟く。

 本当に俺だけだったのだろう。

 大國長庵の屋敷でも、逃げ惑う長庵の部下達はこの子を見捨てていた。


「ねえねえ」

「なんだ?」

「アマ兄って呼んで良い?」

「急だな?」

「だって僕達、兄妹みたいなものでしょう?」

「兄妹?」

「アマ兄、人を斬る時に本当に楽しそうな顔をするんだもん。一発でわかったよ。僕と同じタイプの、どうしようもない壊れた生き物なんだって」

「やはり、俺は楽しそうにしているか?」

「うん!」


 おまなは嬉しそうに声を弾ませる。

 そうか、彼女がそう思うなら間違い無く俺は殺しを楽しんでいるのだろう。


「そうか、そうか……」

「悲しそうな声出さないでよ、アマ兄。僕は君のお陰で救われたんだよ?」

「だが俺はお前の父を殺した。憎まれこそすれ親しまれるのは……」

「じゃあこう言おうか」

「何だ?」

「――僕を一人にしないで」


 返す言葉が見つからない。

 そうだ。

 こいつを殺さずに見逃したのは俺の選択だ。

 こいつの父親を奪ったのは俺の刃だ。

 こいつが此処に居るのは俺のせいだ。

 

「…………」


 俺はこの少女程、血に魅せられているつもりは無い。

 だけど俺だって、一歩間違えればこの子と同じようになっていたかもしれない。

 そう思うと、この子を放っておけない。


「俺は――」


 俺はお前を殺さなかった責任が有る。

 そう言いかけた時、おまなは更に言葉を続ける。


「ねえアマ兄。後生だよ。ここは地獄なんだ。男の方は分からないけどさ。女性の方の牢は囚人達が毎晩何処かに連れ出されるんだ。僕はまだ子供だし、包丁正宗ティルヴィングを渡すまでに自棄にならないようにって、呼ばれないけどね。何させられてるのか、考えたくもないや」

「……そうか」

「そっちの牢にさ。ずっと叫んでいる人居ない?」

「ああ、居る。お陰でこうやって小声でお前と喋っても目立たない」

「そっか。その人、奥さんと一緒に此処に囚われていたんだけどね。奥さんのほうが昨日死んじゃったんだよ。着ていた服の切れ端で首くくってさ。優しい人だったのに」

「……そう、か」

「男の人、おはつって叫んでるんだと思う」


 そう言われると先程からの叫び声が悲壮に聞こえてくる。

 狂人の叫び声と考え、不快だとばかり思っていたが、急に聞くのが辛くなってきた。


「そうか……そうだったか」


 それと同時に腹の底でゆらゆらと火が燃えてくる。

 コロセ、コロセ、と俺の中で声が聞こえてくる。


「アマ兄、僕はこんな所で死にたくない……まだ死にたくない。僕、まだ何もしてないし知らないのに……」


 よし、殺ろう。


「行こう、おまな。鳥居って男、生かしちゃおけねえ」

「アマ兄……!」


 そう呟くおまなの声の中に、本当に救われたような色合いが有って、それがまたなんとも悲しい。この子は本当にどうしようもない。

 だけど俺も嬉しかった。俺も一人にならずに済みそうだ。

 どうしようもないのは、どうやら俺も同じらしい。

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