7-2
機動捜査課と整備課の職員が会議室に集まると、上野局長が話し始めた。
「ティエラの電子頭脳に組み込まれているクロノスプログラムについて、解析が概ね終了した。クロノスプログラムの機能については、ほぼ分かったと言っていい」
守月の目が輝いている。彼が機動捜査課に配属された理由を僕は知らないが、守月は工学部出身でどちらかといえばエンジニア向きだ。
「当初、クロノス型アンドロイド、つまりティエラは、従来のミネルウァ型アンドロイドと異なり、人間の時間感覚と同じような概念を持っていると田邊重工から説明があった。人の行動と完全に同期できるために、例えば警察の捜査員とアンドロイドが共同でミッションを行う際、ミネルウァ型アンドロイドとは比べ物にならないほど円滑に行動連携できるというシミュレーションデータが示されていたんだ。しかし、こうした事実は、その信憑性も含めてクロノス型アンドロイドの本来の性能ではないことが分かった」
やはり田邊重工でさえもクロノスプログラムの本当の意味を知らなかった。相対性理論上示唆される、人間個々の時間感覚なんて、客観的なデータとして再構築しようがないのは守月でも分かっている。日本のエリート集団が集まる田邊重工システム開発部が、このことを理解していないはずがない。
「人間との共同ミッションにおいて、人間の時系列的な行動と、完全に同期できるというのはあくまで建前だ。もちろんそうした試験データもあるようだが、これについては来宮自身が書いた論文にミネルウァ型アンドロイドとの行動様式に統計学的な有意差を認めなかったと記されている」
「局長、それはつまりどういうことですか?」
守月は自分のわからないことを明確にして、質問するのが上手い。なんとなく受け流してしまいそうだが、ここは確かに重要なところかもしれない。
「来宮はクロノス型アンドロイド試作機、これはティエラの前身モデルなんだが、それと、ミネルウァ型アンドロイドを比較して、人間との同期性、つまり共同ミッションの成功割合を評価した研究を行っていた。その結果によれば、いずれのモデルにおいても、ミッション達成率、主観的同期性評価などのアウトカムに統計学的な有意差を認めなかった。これは当初、我々が受けたティエラの機能に関する田邊重工の説明は、でたらめとは言わないまでも、何の根拠もない話だったということになる」
ティエラは確かにミネルウァ型アンドロイドと変わらないのかもしれないけれど、僕には他のアンドロイドにないものを持っているような気がするのは、おそらくアメの存在なのだろう。他のアンドロイドと違うのは、ティエラが、アメの非宣言的記憶と宣言的記憶の両方を断片的にではあるが共有しているからなのだ。
「では、ここからは石上君に説明してもらおう」
「はい。では私がクロノスプログラムの機能について説明します。が、その前に、アンドロイドの管理システムについてあらためて説明させてください。アンドロイドは二つのネットワーク回線に常時接続されていることは皆さんもご存じだと思います。」
そうアンドロイドにはネットワーク回線が二つ接続されており、一つは通常のインターネット回線だ。これによってアンドロイドはネットワーク上の様々な情報にアクセスし、学術的知識や人間の行動スタイル、テキスト化されたあらゆる情報を入手することができる。ティエラが田邉重工システム開発部の強制捜査の時、来宮隆の生存状況や、来宮アメの名前を瞬時に答えられたのも、東京都の住民登録データベースにインターネット経由でアクセスできるからなのだ。
「そしてもう一つは管理局専用の東京都アンドロイド管理ネットワーク。アンドロイドの位置情報、内部のシステムエラー、アンドロイドから送られてくる視覚映像など、東京都がアンドロイドの管理に必要とする情報のやり取りは全てこの回線から行っています」
アンドロイド専用管理ネットワーク回線のセキュリティは世界的にも高レベルなものだ。事実上、アンドロイドと人を明確につなぐ唯一の回線ネットワークともいえる重要なものだから。管理ネットワークに接続されていないアンドロイドは僕らの管理下にないということ。アンドロイドを起動する際は、必ず管理用ネットワークに接続登録をする必要があり、その管理番号として、アンドロイドには1体1体に個体識別番号が付与されている。
「アンドロイドに何らかの異常を認めた場合、当該地区の管理局機動捜査員が現場に行き、状況を確認したうえで、所有法人の同意をとり、その場でアンドロイドを回収もしくは起動停止することが法律上、定められていますが、特例も認められています」
ちなみに、現場での直接目視による異常行動案件については所有法人の同意は書面で残す義務がない。もちろん、捜査員は事後報告書を書かねばならないのだが、法律上定められているのは、所有法人への“配慮”である。そう、僕これまで、異常行動を起こしたアンドロイドに対して、起動停止以外の選択をしたことがなかった。
「その特例とは、緊急時において、迅速に起動停止しないと、アンドロイドが人や物に重大な危害もしくは損害を加える可能性が高い場合です。その場合、各地区の機動捜査課は、本部長命令に基づき、管理ネットワークを使った遠隔起動停止の実行が認められています。なお、その際は当該地区アンドロイド管理局職員の起動停止承認書への押印が必要となっています」
非常にややこしい手続きが必要なのは、アンドロイド製造及び管理に関する法律に、アンドロイド保護条項があるためだ。東京都のアンドロイド管理局職員でさえ、アンドロイドに対して遠隔起動停止を実行することは許可されていない。遠隔起動停止を行うには管理局本部長の命令書が必要なのだ。
遠隔起動停止命令が発令されても、すぐに遠隔起動停止が実行できるわけではない。当該地区の機動捜査課における任意の職員が、標的アンドロイドの起動停止を承認する必要がある。これは本部長命令単独でのアンドロイドの起動停止行為を避けるためだ。現場の状況確認が十分でなく、また所有法人との連絡が取れない緊急時、単独命令だけでアンドロイドを破壊することは人権的な問題であるという指摘があり、当該地区の機動捜査課職員が承認書にサインする規定になっている。
「前置きが長くなりました。結論から言うとクロノスプログラムは管理ネットワークを経由せず、通常のインターネット回線を経由してアンドロイドの起動停止が行えるプログラムです。個体識別番号情報を入力し、クロノスプログラムを作動させるだけで、その識別番号が付与されているアンドロイドの起動停止を行うことができます。これは一種のウイルスプログラムなんです」
管理ネットワークを使わずに遠隔起動停止ができるプログラム、それがクロノス。来宮隆はいったい何の目的でこのプログラムを作ったのだろうか。
「クロノスプログラムはティエラの電子頭脳の中に、断片的に残されていましたが、整備課の端末内で再構築に成功しました。ティエラの後頸部にあるアクセスポートを経由してパソコン端末で操作可能です。個体識別番号はアンドロイド5体まで入力することができますが、遠隔起動停止は1回しかできません」
石上の説明は毎度のように長いが、今回に限っては順序良く、そしてわかりやすく話そうとしていることが良く分かる。
「石上、1回しか使えないってどういうことだ」
高地が初めて口を開いた。どちらかといえば武闘派の高地にはなかなか難しい話だったかもしれない。
「クロノスプログラムを作動させるとティエラの電子頭脳に対してもウイルスプログラムが作動してしまうからです。つまり遠隔起動停止を行うと、ティエラ自身も起動停止してしまう、そういうことです」
クロノスプログラムを発動させるということはティエラの死を意味する。いや、正確には電子頭脳が破壊されるだけだ。システムをクリーンインストールすればティエラとしての機体は何度でも復帰できる。でも彼女の今を形作っている記憶や人格は消えてしまう。
「なんでそんな仕様になってんだ?」
高地の声が大きくなる。確かに、何故こんな仕様にしたのか、その目的は理解しがたい。
「来宮隆はこのシステムを近藤に発見されないよう、極秘で開発していた形跡がうかがえます。このシステムを作動させたら、その存在そのものも消さなければいけない、そんな理由があったのかもしれません。今現在、このプログラムの使用目的は不明です」
「というわけだ。石上君、ありがとう。みんな大体は理解してもらえただろうか。質問は後で石上君にしてくれ。それでは解散」
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