5-3
翌日、僕は朝から病院を追い出されるように退院した。謹慎処分中であったが、自宅に帰る気にはならなかった。この5年、僕は寝るためだけに自分の部屋に帰る、そんな生活をしていたから。今更、持て余した時間をあの空間で過ごす気にはなれなかった。僕の足は自然と、5区管理局の整備課へ向かっていた。
「おい星崎、お前は謹慎中だぞ?」
機動捜査課の前を通り過ぎると、後ろから高地の大きな声が聞こえた。
「機動捜査課に用はありませんよ」
僕は振り返らず、適当に答えておいた。機動捜査課のオフィスに隣接する整備課のメンテナンスルームに行くと、石上が忙しそうにパソコンのキーボードを叩いていた。
「石上さん、ティエラは大丈夫でしょうか」
また怒られるだろうと、内心穏やかではなかったのだが、石上はパソコンのモニターから目を話し、淡々と説明をしてくれた。例の盗難アンドロイドによる頸部圧迫での部品損傷は軽微であり、ティエラの内部システムに異常はないとのことだった。
「ティエラの全システムは問題なく動いている。でももう少し確認が必要だけど」
「石上さん、俺ここにいてもいいですか?」
「ティエラはこのメンテナンスが終わるまでずっとスリープ状態。ここにいてもティエラと会話できるわけじゃないし、作業の邪魔よ」
「作業の邪魔はしません。だから、ここに居させてくださいっ」
石上は僕の声にちょと驚いた顔つきをしたが、彼女は了承してくれた。
「邪魔したらたたき出すからね。あ、もうこんな時間。私、お昼食べてくるから」
そう言って石上は外に出ていった。一人、整備課に残された僕は、部屋の隅に乱雑に積み上げられている折りたたみ椅子を一つ持ってきて、ティエラの座る充電ポッドの近くに置いた。ティエラは青く光る充電ポッドに深く腰掛けて瞳を閉じている。
ティエラは人ではない。そしてアメはもう死んでいる。前者の事実は容易に受け入れられるものであったけど、後者の事実は受け入れることが難しい、そんな思いを僕は持ち続けていた。だけどティエラと行動を共にするようになり、自分でも何かが変わっていく気がしていた。ティエラにアメの姿を重ねざるを得ないことは確かだけれど、そこにはティエラとしての存在もしっかりと感じている。だから僕はあの時、本部長命令を無視したんだ。
「無事で良かった。ティエラ」
******
「あ、石上先輩、またコンビニ弁当ですか?」
「なんか文句でもあんの?」
管理局の裏口にある自動販売機とベンチ。昼休みになると、石上は大抵ここで、コンビニ弁当をほおばっている。そこに守月が通りかかったのだ。昼休みの行動パターンなんて誰でも毎日同じ、これはどの職場でもたいてい変わらない。
「いや、文句なんて無いですけど、栄養バランス悪いすよ」
「男が栄養バランスなんて気にしてんじゃないわよ。ああ、そう言えば星崎、今日なぜかうちに来てるわよ」
「へ?星崎さん、謹慎中じゃないんですか?」
守月は石上の隣に腰を下ろし、缶コーヒーのプルトップを開けると一口飲んだ。
「整備課にいきなりきてさ。ティエラにべったりしてて。なんなんだあいつは。最初から気持ち悪いやつと思ってたけど、やっぱりだね」
守月の表情から笑みが消えていく。守月はあまり暗い表情をしない。彼はどんなに疲れてても明るく振る舞う。そんな彼の表情に石上も気づいたようだ。
「どうしたの?守月君」
守月はうつむいたまま、缶コーヒーを両手で握りしめている。
「石上先輩、来宮アメさんのこと聞きました?」
「うん?ティエラを作った来宮隆の娘さんでしょ?自分の娘そっくりにティエラを作ったって話は聞いたよ」
「そうなんですけど、彼女、もうとっくに死んでるんですよ」
「それも聞いたわよ。アンドロイドの暴走事故に巻き込まれたあの事件でしょ?」
「星崎さん、5年前、彼女と付き合ってたって。星崎さんと会っていたその日にあの事故に巻き込まれたんだって、高地さんが教えてくれました」
「……」
「だからティエラと星崎のことはそっとしてやれって」
「う、うそ」
石上の目から大粒の涙が落ちていた。
******
整備課に帰ってきた石上は終始無言だった。
「石上さん、なんかごめんなさい。邪魔して」
「いや、いいのよ」
いつもとちがう石上の雰囲気に僕は驚く。やはり機嫌悪いのだろうか。僕は彼女の邪魔にならないように折りたたみ椅子を部屋の隅に置き直した。その後も石上は無言で作業を続けていた。
結局、僕は午後もずっと整備課にいた。ティエラの横顔を眺めながら、今はただ、彼女が無事に目覚めることを祈っていた。ティエラと出会って、僕は変わったように思う。アンドロイドなんて所詮は消耗品、ただの機械だと思っていた。システムに異常が起きたアンドロイドを回収するのが僕の仕事だと、ずっとそう思っていた。アメのような事件を二度と起こしてはならないと。
ティエラは無表情で言葉数は少ないけれど、愛想笑いばかりを作り、無駄なことばかりじゃべる他のアンドロイドよりもよほど人間らしいと思った。この差異がミネルウァ型とクロノス型の違いなのか僕には良く分からない。でもティエラを助けようとしたあの時、僕はティエラをアンドロイドとしてではなく、人間として見ていたことは確かだ。
「星崎、私は帰るけど、あんたはどうする?」
僕は腕時計を見た。もう19時を回っている。
「石上さん、今日は仕事の邪魔して、すみませんでした。もう少しここにいてもいいですか?」
「ティエラのシステムは全て正常よ。明日の早朝から自動で復帰するよう設定したから、朝にはもう普通に会話できる。ここにいたいなら、そうすればいい」
そう言って、石上はこの部屋の鍵を僕にくれた。
「戸締りよろしくね~。あとパソコンはシャットダウンしなくていいから。じゃね」
石上が帰ると管理局にはもう誰も残っていなかった。経理課はもちろん、機動捜査課も照明が消えている。
「今日はみんな早いな」
いや、定時で帰るのが普通なのだろう。残業代も出ないのに残業せざるを得ない、この職場環境がおかしいのであって、これがむしろ普通だ。
僕はティエラのそばに座りなおした。うつむいたまま座り続けるティエラ。このままずっと目が覚めなかったら、と考えると、僕はいつの間にか自分が涙を流していることに気が付いた。
「なにしてんだ俺は……」
機械を相手に泣いている自分はおかしいのだろうか。パソコンの調子が悪いからと言って泣く人はまずいない。でもティエラを前に僕は泣いている。機械とは違う何か。それは言葉にはできないけれど確かに存在するように思えたんだ。心のようなものが。
僕はティエラの手を握ってみた。アンドロイドの体温は30度ほど。これはティエラを構成している電子部品から発生している熱であり、正常起動時は40度以上になることはない。少し冷たい手だけど、その感触は人間の手と変わらない。
「誰かの手を握るなんて5年ぶりだな」
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