5-2
僕は高地の後を追いながら、薄暗い廊下を歩いている。
――これはきっと何かの間違えだ。そうだろう?だってさっきまで……。
さっきまで……。
「ここだ。星崎、無理しなくていい。お前はそこの椅子で休んでていいから」
ステンレス製のベッドのわきには、見慣れた鞄と、靴と……。
――こんなの勘弁してくれ。この記憶を消してくれ。頼むから。誰か、頼むから。
高地が塩化ビニル製の納体袋のチャックを開ける。
「アメ……うそだろ、おい。何かの間違えだろ?」
灰色の納体袋が開いた箇所から、青白いアメの顔がのぞく。大きな瞳は閉じられ、長い髪は乱れている。
「やめろ」
「やめてくれ」
「やめてくれよ」
目を開けると、そこに高地がいた。蛍光灯の明かりがまぶしい。僕は顔をしかめた。
「おい、大丈夫か?星崎、随分寝てたな」
身体を起こそうとすると足に鈍い痛が走る。ここは病院なのだろうか。自分の置かれた状況をまだ把握できないほどに、夢で見ていた過去の記憶のインパクトが、脳内を支配している。
「足は骨折してないようだ。ただの捻挫だってよ。まあしばらくは歩きにくいだろうが湿布を貼っていれば大丈夫だと」
「捻挫……ですか」
少しずつ記憶が戻ってくる。そう、僕はティエラと共に製鉄所の中で盗難アンドロイドに襲われた。そして、そのまま意識を失ったのだろう。あの後のことを僕は全く覚えていない。
「どのくらい寝てたんですか?」
「さあ、まる1日ってとこかなぁ。お前寝不足だったのか?」
高地の間抜けな質問に、頭が整理され始めてきた。少なくとも寝不足ではない。そんなことよりティエラはあの後どうなったのだろうか。僕は、ティエラを助けるために確か……。
「高地さん、ティエラは、ティエラは無事ですか?」
「ふん、お前が俺の命令を無視したおかげで、ティエラは無事だ」
「高地さん、すみません。俺、大切な証拠を持ち去られた上に、重要な手がかりも破壊してしまったんですね」
「お前があやまるなんて珍しいな。なんだか気持ち悪い。まあ、しょうがないさ。俺がお前でも、きっとそうしただろうよ。それはそうとティエラは無事なんだが、今は長期メンテナンス中だ」
「メンテナンス?」
一瞬、不安がよぎった。アンドロイドが長期メンテナンスを受けるという話は聞いたことがない。長期にメンテナンスが必要なほどのアンドロイドにシステム異常が起きた場合、基本的には当該アンドロイドは回収対象となる。
「ああ。ティエラはあの時、盗難アンドロイドに頚部を締め付けられていたんだ。アンドロイドは呼吸をしているわけではないから、首を絞められたところで人間のように致命傷になることは無い。ただ、圧迫により内部が損傷して、何らかのシステムにエラーが起きてしまうと回収対象になってしまうだろ。今のところ、エラーは見つかっていないが、法律上、十分な調査をしないといけないらしい」
アンドロイドが身体のどこかに重大な損傷をうけると、システム全体としてどこに支障をきたす可能性があるのか、もはや判別することが困難なのだ。システムエラーがいつどこで起こるかわからないアンドロイドは、東京都が一度回収したのち、田邊重工で全システムをクリーンインストールする。そして、その際はアンドロイドのこれまでの記憶や人格は消えてしまう。
「ティエラはクロノスモデルという特殊な機体なんで、法律上もかなり特例が認められているそうだ。詳しくは俺も分からんが、整備課で問題なしと判断されれば、現場に復帰できる。」
「そうですか。それは良かった」
一瞬よぎった不安が安堵に変わるのが自分でもわかった。これまでアンドロイドに対してそんな感情を抱いたことなどないはずなのに。不思議だった。とても。
「それと星崎、お前は明日にでも退院できると言ったが、しばらく謹慎処分だ」
「謹慎?こんな時にですか?残り1体の盗難アンドロイドも見つかってないんじゃないですか?それに近藤至が持ち去った例の物についての捜査もしなければなりません」
「お前な、本部長命令無視というのは本来クビになってもおかしくないんだぞ。全く、俺がどれだけ頭を下げたことか」
高地はこれまでの捜査で分かった事を教えてくれた。僕が破壊したアンドロイドの電子頭脳は完全に破壊されたわけではなく、断片的な記録が残っていたらしい。電磁パルスの着地点がかなり狭い範囲だったから、電子頭脳のすべてが破壊されたわけではなかったようだ。
また、ティエラの開発者はやはり来宮隆だったそうだ。ティエラは来宮隆の長女、来宮アメをモデルに作られていることはもはや疑いようがない。また来宮のこれまでの研究論文から、アメの記憶の一部を、断片的にではあるけれど、ティエラと共有している可能性があると言う。そして、近藤至が持ち去ったのはハードディスクというより大型のコンピューター端末らしい。クロノスプログラムについては、アンドロイドの遠隔同期システムということらしいが、それが意味するところについても良く分からないようだ。
「高地さん、最後に一つだけいいですか」
「なんだ?」
病室を出ようとした高地がこちらを振り向く。
「高地さんはアンドロイドに感情や心みたいなものがあると思いますか?」
「お前がそんなことを聞くとは予想外だな。ティエラのことか?さあな。それを心と呼べるかはわからないが、お前から見れば、ティエラの行動の一つ一つが心そのものといえるかもしれないな」
ティエラの行動の一つ一つが心そのもの。確かに僕は、彼女の些細な行動や振る舞いに人らしさを感じることがある。それが彼女の心とどういう関係があるというのだ。僕にはまだよくわからない。
「ただなあ、アンドロイドに恋愛感情というようなシステムは想定されていないからな」
「恋愛だと?」
「冗談だよ、おれはもう帰るぞ」
心とはなんだろうか。それは社会的な相互作用に宿る主観的な現象といえるものではないだろうか。アンドロイドと人が織りなす関係の中で育まれる何か……。
心がどこにあるのか、という問いは生命とは何かという根元的な問いと不可分であるように思われる。機械と生命のあいだの境界が曖昧なこの時代、心のありかを人間だけに設定することの方が、無理があるのかもしれない。不安、曖昧性、あるいは懐疑。それを解消し、他者に安堵を与える力、それが機械であろうと生物であろうと、その力こそが心の働きなのかもしれない。
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