第4話-想起-

田邉重工は日本最大の機械メーカーであり、その主力製品は、航空機、船舶、産業用ロボット、エネルギー関連、鉄道車両や、電子精密機器をはじめとするエレクトロニクス分野まで多岐にわたる。東京都との癒着は10年以上も前から指摘されており、ミネルウァ型アンドロイドの開発に成功して以降、同社が与える影響は社会、経済のみならず政治的にも大きい。なお、日本の電子通信事業体シェアの8割を占める日本通信社は田邊重工の子会社である。


田邊重工は独自の研究施設を複数、所有しており、30年以上前からアンドロイド開発、研究を行ってきた。東京都のみならず経済産業省からも科学研究費の助成を受けており、その研究開発の中心が田邊重工本社にあるシステム開発部、そして東京都5区南部、湘南エリアと呼ばれる地域に建設された人工生命開発研究センターだ。ただし、現在、人工生命開発研究センターは閉鎖されており、研究事業内容は全て本社のシステム開発部に移管されている。


-2053年(2年前)-


来宮隆きのみやたかし博士、君の論文を読んだよ。海馬に存在するエピソード記憶を電子化するという発想は素晴らしい。いつか記憶を共有できる時代も来るかもしれないな」


真っ黒なスーツに身を包んだ男が低い声で言った。髪型はきれいに整えられており、綺麗に磨き上げた靴のつま先から、上着の袖に至るまで、乱れ一つ許さぬというような気迫は、この男から、几帳面さをうかがわせても、人を寄せ付けない何かを感じ取るに十分なものがある。


「はい、近藤部長」


対称的に、今にも消え入りそうな、か細い声。


「君の隣にいるのが、あれか、例のクロノスとかいうやつか」

「はい。現在、最終調整に入っております。」

「東京都はすぐにでも配備したいのだろう。本社にも開発状況に関して何度も問い合わせが来ている」

「ご迷惑をおかけしています。数日中には稼働申請ができる状態に仕上げます」


『人工知能時間モデル開発室』と掲げられた小さなプレートが貼り付けられている扉の向こうで、2人の男が向き合っている。地下1階、薄暗いこの室内には、数台のパソコン端末と、アンドロイド専用充電ポッドが置かれている。充電ポッドにはまるで人間が寝ているように1体の女性型アンドロイドが横たわっていた。


「君の開発したアンドロイドの強化セーフティ-プログラムも大変素晴らしい。もう二度とアンドロイドによる人身事故は起きないだろう。あんな事故があった後だ。君の仕事は全社員が評価している」


近藤は、そう言いながら自分が脇に抱えている黒い鞄を、そばにあった机にそっと置くと、鞄のチャックを開け、中からA4サイズのクリアファイルを取り出した。表紙には大きく『災害対策アンドロイドの身体能力に関する調査報告』と書かれている。


「陸上自衛隊がシミュレーションした災害対策用アンドロイドに必要な身体出力に関する仕様データの予測値だ。この身体能力に関する項目を見てくれ。2ページ目に書いてある」


来宮は近藤から書類を受け取り、軽く息を吸い込むと、ゆっくりと表紙を1枚めくった。書類を見つめる来宮の表情が一瞬曇り、深く息を吐いた。


「近藤部長、この仕様通りにアンドロイドの身体機能を調整するとなると、現行の法律を違反することになります」


近藤はため息をつきながら顔を渋らせた。まるで君は何もわかっていないというように。


「災害救助用のアンドロイドなんだよ。特に地震災害が想定されている。車1台、片手で持ち上げられなくて、崩壊した建物の瓦礫の中から、どうやって人の救助活動をする?」


「お言葉ですが部長、災害用と言っても、当初の計画では、災害時、行方不明になった人間や倒壊の恐れのある建築物内の探索を目的としたアンドロイドではなかったのですか?主に探索システムの強化が目的であったはずで、身体能力の強化という話は聞いておりませんが……。アンドロイドの配備目的に関して、東京都への申請書類もそのような条件で受理されたはずではなかったでしょうか?」


「来宮君、これは正式な陸上幕僚長からの通達なんだ。この仕様でリミッター解除をお願いしたい。これは君にしかできない仕事だ。なにせ、同じ会社の人間、それも上司と言えど、社内規定で社員が開発したプログラムを他人が勝手に使用することができないのでな。」


部屋にはしばらく沈黙が訪れる。時折、どこかのハードディスクの冷却ファンの稼働音が鳴り響く。


「近藤部長、このアンドロイド、本当はいったい何の目的に使うんですか?」

「言っている意味が分からないよ、来宮君。災害救助用と言っただろう」

「先日、部長は私のパソコンに不正アクセスしませんでしたか?アンドロイドのセーフティーモード解除に関するファイルに本社システム開発部の端末がアクセスしている記録が残っているんです」

「来宮君、落ち着きたまえ。そんなことは社内規定で許されていない。なにかの間違えだろう。」

「……」

「とにかく、これは業務命令でもある。ここに記載されている仕様でリミッターを解除できるようプログラミングしたソフトを早急にシステム開発部に送ってほしい。話は以上だ」


黒ずくめのスーツの男、近藤至は、少し急ぎ足で薄暗い部屋を出ていった。階段を上がる音が微かに聞こえる暗い室内で、来宮はため息をついた。


「近藤は、何かを隠している……。この仕様データ……」


来宮はパソコン端末のモニターに向かい、キーボードをたたき始めた。モニターから目を離した来宮は、隣に横たわっている微動だにしないアンドロイドを見つめひとり呟いた。


「少なくとも、東京都の製造・承認許可はこの仕様で受理されていない」



近藤は疲れ切った表情で、人工生命開発研究センターを後にすると、駐車場に止めておいた車に乗り込んだ。運転席にすわると、胸ポケットから、通信端末を取り出した。


「佐々木部長、近藤です。今お時間大丈夫でしょうか」

『通信端末で私の名前を出さないでほしい。傍受されていたらどうするつもりだ。君は几帳面な男に見えるが、あらゆる点において仕事の詰めが甘い。いつか重大なミスを犯しかねないと思うがね』


近藤の顔が蒼白になっていく。


「申し訳ございません。少々厄介なことが…」

『いつも言っているが、もう少し慎重に作業を進めてもらいたい。で、何かトラブルか?』

「うちの来宮、ああ、セーフティープログラム解除装置に関する情報をもつ唯一の社員が我々の行動を不信に思っています。」

『研究センターの来宮隆か。不審に思われているのは君であって私ではない。まあ、仕方ない。こちらでも手は打っておくよ』


********************


この国の年間自殺件数が1万人を切った時期もあった。しかし、東京都の自殺者数はそれほど大きく変化していない。対人口割合で言えば、死亡別死因における自殺件数は先進国でもトップレベルであろう。自殺による鉄道の人身事故など、人々の日常に既に溶け込んでしまっているくらいに稀な出来事ではない。駅舎やホームの改良など、東京都は積極的に自殺予防政策を進めたがその効果は曖昧であった。一時期は自殺者は減ったものの、やはり確実に死を迎えることができる急行列車への飛び込みは、昔と同じように死にたい思いを抱く人たちの一つの希望となっている。きっとその日も、そうした事故の一つとして、誰の記憶に残るでもなく、一人の男性の命のともしびが一瞬にして消えた。


「おいおい、どうしたんだ、これじゃ帰れないよ」

「なんで電車とまってんの?」


駅の構内や、緊急停止した列車の車内では、人々の不満であふれている。列車への飛び込み自殺で人が死んだことに慣れてしまうような社会に対する異常さよりも、自分の生活スケジュールが乱れてしまうことに対する怒りの感情が優先される社会。携帯通信端末で到着が遅れることをひたすら謝罪しているであろう人たち。代替の交通手段としてタクシーに乗り込む人たち。


『ただ今、中目黒駅で人身事故が発生しました。そのため東横線は上下線の運転を見合わせております。復旧のめどは今のところ立っておりません。ご迷惑をおかけします』


鉄道関係職員の事務的な説明が延々と繰り返される。そう、この日、来宮隆の死亡届が提出された。死因は自殺。


********************


5年前から何も変わっていない。プラネタリウム入場チケットの半券も、ずっとそのまま机の引き出しの中に眠っている。アメと良く足を運んだプラネタリウム、その入場チケットの半券でさえも捨てることができない。写真も当時のまま机の上においてある。だから僕は部屋の電気を決してつけることはない。君の写真を片付けてしまうのも、君を写真でしか見ることのできない事実も、いずれも僕にとっては受け入れることができない現実なのだ。だからカーテンは常に閉め切っている。夜は寝るために帰る。ただそれだけの毎日。


“来宮隆”この名前に見覚えがあった。そう、あれはアメの告別式の時、アメの父親を初めて見たときのことだ。確か研究者だと聞いていたが、まさか田邊重工の社員だったとは知らなかった。今思えば、アメは自分の家族について、ほとんど何も話してくれなかったように思う。

――アメの父親がティエラを作ったのか。


そうとしか考えられなかった。僕はいつものように窓のカーテンを開けることなく、自分の部屋を出た。


第5区アンドロイド管理局では、僕たちが田邊重工本社ビルで見つけた “来宮ファイル”の解析が進められていた。また押収した書類やパソコン端末から、近藤至そして、来宮隆に関する情報が断片的にであるもののいくつか得られた。


「来宮隆は4年ほど前に、田邊重工の人工生命開発研究センターに赴任している。かれはそこで記憶の電子化に関する研究と、人工知能時間モデルに関わる研究をしていたようだ」

「人工知能時間モデルというのは何でしょうか」


いくら整備課長を兼任しているからと言って、上野局長にそんな専門的なことが答えられるはずないのだが、石上は興味をひかれたのだろう。


「人工知能時間モデルというのは今、ティエラに実装されているクロノスプログラムのことだ」


「ああ、そういえば“空気が読める”ってやつでしたよね」


守月はクロノスプログラムについて、以前そんな要約をしてくれた。しかしティエラは全く人の話を聞かないし、歩く速度も遅いし、空気を読めるような代物ではないという気がする……。ただ、ティエラは来宮隆、つまりアメの父親が作ったことは間違えないだろう。そしてアメの父親は自殺、いや不審な死を遂げている。上野局長だって、それはわかっているはずた。


「ということはティエラは来宮隆という人が作ったんでしょうか」


高地が動揺していることはすぐにわかる。5年以上彼と一緒に仕事をしてきた。普段は何事にも動じない強い精神力を持っているような隙のない顔つきをしているが、彼のメンタルは非常に繊細だ。口うるさいが、あの人は自分の発言について、その一言一言をいつまでも気にするようなタイプの男。女々しい、なんて誰かは言うかもしれないけれど、僕はそういう彼が嫌いじゃない。


「それについては現在調査中だ。ただ、来宮隆は現在のアンドロイドセーフティープログラムの基本設計を作り上げた人物だということは間違えない。新型のセーフティ-プログラムがアンドロイド実装されて以来、アンドロイドによる人身事故は起きていないことは皆も知っているだろう。その開発に関わった人物のようだ。ただ、セーフティ-プログラムに関しては、その後の開発が近藤がいたシステム開発部へ移管されている」


上野局長は淡々と語っているが、おそらく来宮は自分の娘の事故以来、アンドロイドの安全性を高めるために人生を捧げる決意をしたのだろう。


「それと先日、星崎とティエラが新宿で目撃した識別番号不明のアンドロイドは、盗難にあった3体のうちの1体である可能性が高い。そしてこれらのアンドロイドはセーフティープログラムが解除されている可能性がある」


僕らが廃棄物処理センターの脇で見つけた頭部が破壊されたアンドロイドには、セーフティープログラムのリミッターを解除するソフトウエアがインストールされていた痕跡があると言う。頭部を破壊したのは、その証拠を消すためだったようだが、人工筋肉の摩耗状況から、現行仕様での行動を大きく超えるような稼働を行っていた可能性が示されたらしい。解除ソフトをインストールし、その動作状況に監視して試験運用でも行っていたのかもしれない。となると残り2体もリミッターが解除されている可能性が高いということか。


「東京都アンドロイド管理局の全捜査員に盗難機体を捜索せよとの本部局長命令が出ている。ただし、標的アンドロイドは破壊せずに回収だ」

「リミッターのはずれたアンドロイドを起動停止せずに回収ですと?」


高地が声を荒げた理由は良く分かる。リミッターの外れたアンドロイドが抵抗した場合、人間の身体能力でそれを抑えることは困難だ。武装した警察の特殊部隊にでも出てきてもらわなければ、標的アンドロイドの回収は難しいだろう。


「証拠保全とアンドロイドの電子頭脳データ解析のためだ。心配しなくていい。我々の仕事は捜索であり回収ではない。実際に回収するのは警察、それも特殊急襲部隊の仕事となる。ただ、今回の件は、危険を伴う可能性が高い。ティエラに拳銃携帯を許可する。星崎君、ティエラと共に行動してくれ。その他、捜査の指揮は高地課長に任せる。以上、解散」



5区機動捜査課の現在の状況はあまりよろしくない。この事件の最中に、田邉重工より陸自に移送された災害救助用アンドロイド5体の管理業務を開始せよと、東京都より通達が来たそうだ。田邉重工でカスタマイズされた災害救助用のアンドロイドは既に陸上自衛隊東部方面総監部へ配備済みとなっている。


「守月、すまない。陸自のアンドロイドの件はお前に任せたい」

「はい、課長。大丈夫です」

「わからないことは整備課の石上に聞いてくれ」


業務負担増加に、さすがの高地も頭を抱えていた。


********************


機動捜査課には守月しかいない。みな盗難されたアンドロイドの捜索に出てしまっているからだ。守月はパソコン端末を操作し、管理ネットワークのメニュー画面を呼び出すと、陸自に配備されている5対のアンドロイド管理データを確認した。


「配備場所、稼働状況、特に問題なしだな。陸自の所有だから、問題がおこった方がまずいとは思うけど。災害救助仕様ってどれくらいの性能なんだろう」


守月は興味本位でアンドロイドの個人データにアクセスをした。田邉重工でメンテナンス、つまり陸上自衛隊仕様にカスタマイズしていることは知っていた。ただ、その実際の身体能力データについては公式な発表はなされていなかった。


「ちょっと待て、これ本当にアンドロイドの身体スペックなのか」


パソコンのモニターには通常のアンドロイドの身体能力をはるかに超える数値が並んでいる。守月は自分の机の右わきに乱雑においてある内線電話をもつと、整備課に電話した。


『はい、整備課石上です』

「あ、石上さん、守月です。ちょっと今大丈夫ですか?」

『どうしたの?』

「このあいだ陸上自衛隊に配備された災害救助用アンドロイドの個人データを見てたんですけど、身体スペックが異常な値を示しているんです。この管理システム壊れちゃったんじゃないかと思いまして」

『ばかね、管理システムが壊れたら大問題よ。まって、今いく』


機動捜査課にやってきた石上は、いつも賑やかなオフィスに守月一人しかいないことに気づいて、ちょっと意外な顔をした。


「そっか、みんな捜査に出ちゃったんだね」

「はい、一人で留守番状態です。そんなことより石上さん、これ見てください」

「どれどれ」


石上は守月の隣にすわりパソコン画面を除いた。


「これは……」

「驚きますよね。体重がめちゃくちゃ重くなってるのは分かるんです。ただ歩行速度、耐荷重量、腕力などの数値が異常ですよ、これ。何かの間違えですかね」

「守月、これセーフティーモードのリミッターが完全に解除されているんじゃないの?」

「まさかそんなことは無いでしょう?だって東京都の起動承認まで得てるんですから。その証拠に個体識別番号があって、この端末でこうして管理できるんですよ。きっと特別規定か何かなんじゃないですかね」

「ああ、そう……よね。確かに災害救助仕様だから、特別に許可されたものかもしれないけど……」

「どうしたんですか石上さん」

「もしこれが暴走したら、たぶん誰も止められないっ」



********************


僕とティエラは田邊重工旧人工生命研究センター跡地へ向かった。ここは東京都5区の南のはずれにある。沿岸部は、湘南地区と呼ばれ、海に沈む夕日が見れる関東地方でも珍しい場所だ。この場所は海が近いのだけれども、山も多い。起伏の激しい細い道を車で走りながら、僕は来宮隆とティエラのことを考えていた。来宮隆は記憶の電子化に関する研究をしていた。

――アメの記憶をティエラに。


「まさか、そんなことできるはずない」


僕は独り言のようにつぶやいて、助手席に座るティエラを横目で見た。相変わらず彼女は無表情で窓の外の景色を眺めている。


旧人工生命研究センターはそれほど大きな施設ではなかった。やや高台に建てられたこの建物からは、湘南地区の海が一望できる。僕たちは、正面玄関の施錠を解除し、薄暗い施設内に入っていった。ほこりまみれの内部には、細い通路と、その両側にたくさんの研究室が並んでおり、まるで病院の廊下と、その病室のようだ。


「奥に非常電源装置がある」


ティエラが言った。館内の明かりをつけないと、何も捜索できないほどに、内部は暗い。通路の奥に赤いボックスが壁に埋め込まれており、そこには「非常電源装置」と書かれていた。


「ああ、これか。ブレーカーが下りてる」


僕は電源装置を確認すると、やや大きめのブレーカーレバーをゆっくり押し上げた。大きな作動音とともに非常用電源が駆動する。しばらくして館内の非常用照明が点灯した。これで先ほどよりも視界がだいぶましになった。


「優樹、待って。わたし、この場所を知っている」

「知っている?まさか。ティエラがここに来るのは初めてだろう?」

「うん、来るのは初めて。でもここ知っている。こっちに来て」

「お、おいちょと待て」


――どうしてあつはいつも勝手に。ほんとに空気が読めるのかあれは。

言葉数が少ないから何考えているのか、いまいちわからない。いや、いまいちというより全く分からない。アメもそうだった。でも突然、笑顔になったりするから。だから……。


僕たちは施設通路奥の階段から地下1階に下りてきた。


「ここ。この部屋」

「この部屋?」


部屋の扉には、この部屋の部署名を示していたであろう、ほこりまみれの小さなプレートが貼り付けてある。僕は指でプレートのほこりをはらった。


「じんこうちのうじかん……なんだか読めないな、何とか開発室って書いてあると思うけど」


経年劣化であろうか、プレートに刻まれていたであろう文字は消えかかっていたうえに、薄暗い館内の灯りではとても判別できなかった。


「うん、たぶん人工知能時間モデル開発室」


――人工知能時間モデルってクロノスプログラムのことだよな。クロノス!?


「ティエラ、なぜここを知っている?」


ティエラがまっすく僕を見ている。瞳が大きいな、とあらためて思う。アンドロイドの瞳は、人間とほとんど同じ構造をしている。というより人間の目を構成している組織が極めて機械的だともいえる。角膜から水晶体を抜けた光は硝子体を通過し、網膜に集められる。アンドロイドの網膜はCMOSイメージセンサだが、瞳に集められる光の量を調節する虹彩まで人間のそれと同じように作られている。


「私は以前この部屋にいたと思う。でも私の記憶が断片的で。良く思いだせないけど、私、確かにここにいたよ」

「わかった。この部屋に入ってみよう」


ティエラの電子頭脳には起動承認前の記憶の断片が残されているかもしれない。でもいったい何のために彼女にそんなものを残しておいたのだろうか。

僕はドアノブを回して部屋に入ろうとしたが、扉は開かなかった。当たり前だ。施錠されている。


「電子キーで施錠されている。大丈夫、今解除するから」


ティエラはそう言うとあっという間に施錠を解除した。扉を開けて中に入ると、部屋は相変わらずほこりだらけだった。机がいくつかあるだけで、その他には何もない。机の引き出しにも、書類や手掛かりになりそうなものは見当たらなかった。


引き上げようかと考えたその時、ティエラが何かを発見した。


「優樹、これを見て」


ティエラが部屋の奥におかれた机の上を指差している。この部屋にいくつかある机の一つのように見えるが、明らかに他の机と違っていた。


「この部分だけほこりをかぶっていない。ティエラ、ここにおいてあったもの、最近持ち出されている」

「優樹、ドアノブに指紋があるかもしれない」

「ああ、そうだ」


僕は急いでドアノブの指紋を採取したが、指紋らしきものは検出されなかった。


「ティエラ、あの机の上にあったもの、大きさはどれくらいだろう」

「横40センチ、たて60㎝、たぶん大きめのハードディスクかなにか。ほこりの蓄積状況から、昨日か今朝持ち出されたと思う」

「そうか。誰かがここに来たことは間違えなさそうだね」

「ここには来宮博士がいた」

「来宮?」

「うん、たぶん、私を設計した人」

「ティエラ、そのこと、何故わかるんだ?」

「記憶の断片を再構築している。でもうまく構成できない。私はここで作られた、来宮博士の手で。たぶんそれは間違えない」


やはり来宮隆はなにがしかの記憶に関するデータの痕跡をティエラの電子頭脳に残している。それがアメの記憶なのか、来宮隆の記憶なのか、わからないけれど、僕はこの時そう確信した。


「わかった。とりあえず、これ以上手がかりが無いから、一度戻ろう。課長にも報告しないといけない。」

「うん」


これ以上の収穫はないと判断し、僕たちは研究施設を後にした。


********************


湘南の海に沈む夕日はきれいだ。あの空を見ていると、明日もなんとか生きようという気にさせてくれる。僕はあそこで波の音を聞いているのが好きだった。僕は海沿いの道を走って帰ることにした。


「ティエラ、海見たことあるか」


ティエラは首を振った。


「左手に見えるのが材木座海岸だ。関東地方で水平線に夕日が沈むところを見ることができる場所はそれほど多くない」

「きれいな空だね」


水平線に太陽が吸い込まれていく瞬間。空に散らばるたくさんの小さな雲たちが、その反射光に照らされ、青と赤の間の幻想的な景色を作り出す。どうしようかとても悩んだのだけど、僕はやはり話すべきだと思った。


「ティエラ、この写真見てくれ」


僕は通信携帯端末を胸ポケットから取り出すと、1枚の画像を表示させティエラに見せた。


「これ、わたし?」


ティエラの驚いた表情を僕はこの時、初めて見たかもしれない。ティエラは写真に見入っている。


「いや違う。来宮アメだ」

「来宮博士の娘……」

「そう、ティエラを作ったのは来宮隆に間違えない。俺もそう思うよ。そして博士は自分の娘と全く同じ外見、声、しぐさを表現できるようプログラムを作った」

「なぜそんなことしたんだろう。それに声やしぐさが同じだって、なぜ優樹にわかるの?」

「……アメは死んだんだ。5年前に。俺とプラネタリウムを見た帰りに、アンドロイドの暴走事故に巻き込まれて」


長い沈黙が車内を包む。しまった、やはり言わなければよかったか。少し後悔し始めたとき、ティエラの小さな声が聞こえた。


「優樹……アメさんのこと好きだった?」


僕は助手席のティエラに視線を向けた。ティエラもこっちを見ている。夕日が沈み、空から赤い色が薄くなって藍色になっていく。もうすぐ闇が訪れる。


――ああ、好きだった。とても。しかしそんなこと、今ここで言ってどうする。

僕はティエラの質問に答えることができず、ただ車を走らせていた。


「わたし……」

「ティエラ、ごめん。俺は大丈夫。もう5年も前の話だから。話しておいたほうがほうが良いかと思ったんだけど……。なんだかごめん」


大丈夫なわけなかった。でも、それを今ここで、どんなふうに言葉にして、どんなふうに振舞えばよいのか、僕には良く分からなかった。


「ごめん、変な話してしまった」


さらに沈黙が続く。気まずい空気はどんどん重くなる。

――ああ、やっぱり言わなければよかった。

僕は焦燥に駆られる。


その時、急にティエラが大きな声を出した。川崎を過ぎたあたり、僕たちは京浜工業地区にさしかかっていた。


「優樹、あそこ識別番号不明のアンドロイドいる」


あまりに突然だったので、僕はびっくりしたが、確かに前方に誰かいる。見た目は30代の男性、そう僕たちが新宿の代々木ビルで見たあの男だ。急いで車を止めると、その音に気が付いたアンドロイドは逃走を始めた。


「ティエラ、あいつ手に大きな箱みたいなもの持ってた」

「あれ、たぶんハードディスク。研究センターにあったやつだと思う」


僕は通信携帯端末を取り出しイヤーレシーバーを耳にはめた。高地に緊急連絡するためだ。


「高地さん、盗難機体のうち1体と思しきアンドロイドを発見しました。詳しくは後程報告しますが、重要証拠物件を所持して逃走中です」

『星崎、了解。すぐに応援をよこすから、安全な場所で待機していてくれ』

「すぐにって、どれくらいですか?このままだと逃走されます。」

『いいか、お前たちは絶対に手出しするな、応援が行くまで待機していろ』


待機している場合じゃない。あのハードディスクには今回の事件に関わる何かがある。アメの、いやティエラの記憶断片に関する何かも……。

――なんとかハードディスクだけでも手に入れなくては。


「優樹、いこう」

「おい、ティエラ待てって!」


ティエラがアンドロイドを追って走り始めた。

――いつものパターンか。

イヤーレシーバーには高地の怒鳴り声が鳴り響いている。

――命令だ、なんだかんだ。僕には関係の無い話だ。ティエラを一人で行かせるわけにはいかんだろう。


アンドロイドを追って僕たちは廃墟となった製鉄所の奥に入っていく。日が暮れてしまった今、屋内の内部は目視困難な状況だ。鉄骨が床のあちこちに散乱していて、気を抜くと躓いてしまいそうだ。アンドロイドの姿は見えない。


その時、背後から車が急発進する音が聞こえた。振り返ると、黒塗りのセダンが走り去っていくのが見えた。


「しまった。逃げられたか」

「ちがう、あの車、近藤至が運転している。ハードディスクは持ち去られてしまった。例のアンドロイド、まだここにいる」


「高地さん、ティエラの映像データ見てますか?」

『ああ、今見ている。近藤至に間違えないようだ』


「優樹、来る。気をつけて」


ティエラが突然大きな声を出した。


――あ?

その時何が起こったのか一瞬わからなかった。僕の体は鈍い衝撃と共に宙を舞い、その数秒後に地面に思いきりたたきつけられた。

「うう……」


目を開けると、そこにはあの盗難アンドロイドがいる。僕の体は、まるで鉛を取り付けられたように重く、そして足を挫いてしまったのか、自分の意志で動かすことができなかった。ティエラとの距離はだいたい10メートルといったところだろうか。ティエラは拳銃を構えて盗難アンドロイドに対峙している。


その時、盗難アンドロイドの体が一瞬、宙に舞ったかのように見えたが、次の瞬間ティエラの背後にその機体はいた。そしてティエラの細い首を両腕で締め上げ始めた。ティエラの小さな体は容易に持ち上げられ、彼女の両足が地面から離れた。全てがあっという間に起きた出来事だった。その機動スピードは異常な速さだ。


「あの歩行スピード、まるで飛んでいるみたいだ。リミッターが解除されている」


ティエラの手から拳銃が鈍い音を立てて地面に落ちた。

――このままではティエラが危ない。

僕はバークパルサーを構えた。

――下手をすると、電磁パルスがティエラにまで影響してしまうかもしれない。

僕はパルサーの電磁パルス発射モードを半径1㎝以内に狭めるnarrow《ナロー》モードに設定した。


「ここから標的までの距離はぎりぎり2メートルか」

「優樹……それを使っては……だめ……」


ティエラの微かな声が聞こえる。

――お前を死なせない。

照準を合わす。

――早くしないとティエラが死んでしまう。死ぬ?


イヤーレシーバーから高地の声が鳴り響いていることに僕は改めて気が付いた。ティエラの視覚情報は管理ネットワークシステムを経由して機動捜査課でモニターできる。状況を把握した高地が叫んでいるのだ。


『星崎、パルサーをしまえ。標的を破壊してはだめだ』

「ティエラを見捨てろってんのか、高地さん」

『……』


僕はパルサー構える。もう少し左。そうだ、あと2mm。ここだ。


『星崎、やめろ!!』


僕は引き金を引いた。鈍い音とともに、ティエラの背後にいる盗難アンドロイドの姿勢がぐらつく。そしてティエラの小さい体が地面にゆっくり落ちるのが見えた。少し遅れて盗難アンドロイドが崩れ落ちる。


「起動停止……できたか」


僕はそのまま意識を失った。

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