4.想起

4-1

田邉重工は日本最大の機械メーカーであり、その主力製品は、航空機、船舶、産業用ロボット、エネルギー関連、鉄道車両や、電子精密機器をはじめとするエレクトロニクス分野まで多岐にわたる。東京都との癒着は10年以上も前から指摘されており、ミネルウァ型アンドロイドの開発に成功して以降、同社が与える影響は社会、経済のみならず政治的にも大きい。なお、日本の電子通信事業体シェアの8割を占める日本通信社は田邊重工の子会社である。


田邊重工は独自の研究施設を複数、所有しており、30年以上前からアンドロイド開発、研究を行ってきた。東京都のみならず経済産業省からも科学研究費の助成を受けており、その研究開発の中心が田邊重工本社にあるシステム開発部、そして東京都5区南部、湘南エリアと呼ばれる地域に建設された人工生命開発研究センターだ。ただし、現在、人工生命開発研究センターは閉鎖されており、研究事業内容は全て本社のシステム開発部に移管されている。


-2053年(2年前)-


「来宮隆博士、君の論文を読んだよ。海馬に存在するエピソード記憶を電子化するという発想は素晴らしい。いつか記憶を共有できる時代も来るかもしれないな」


真っ黒なスーツに身を包んだ男が低い声で言った。髪型はきれいに整えられており、綺麗に磨き上げた靴のつま先から、上着の袖に至るまで、乱れ一つ許さぬというような気迫は、この男から、几帳面さをうかがわせても、人を寄せ付けない何かを感じ取るに十分なものがある。


「はい、近藤部長」


対称的に、今にも消え入りそうな、か細い声。


「君の隣にいるのが、あれか、例のクロノスとかいうやつか」

「はい。現在、最終調整に入っております。」

「東京都はすぐにでも配備したいのだろう。本社にも開発状況に関して何度も問い合わせが来ている」

「ご迷惑をおかけしています。数日中には稼働申請ができる状態に仕上げます」


『人工知能時間モデル開発室』と掲げられた小さなプレートが貼り付けられている扉の向こうで、2人の男が向き合っている。地下1階、薄暗いこの室内には、数台のパソコン端末と、アンドロイド専用充電ポッドが置かれている。充電ポッドにはまるで人間が寝ているように1体の女性型アンドロイドが横たわっていた。


「君の開発したアンドロイドの強化セーフティ-プログラムも大変素晴らしい。もう二度とアンドロイドによる人身事故は起きないだろう。あんな事故があった後だ。君の仕事は全社員が評価している」


近藤は、そう言いながら自分が脇に抱えている黒い鞄を、そばにあった机にそっと置くと、鞄のチャックを開け、中からA4サイズのクリアファイルを取り出した。表紙には大きく『災害対策アンドロイドの身体能力に関する調査報告』と書かれている。


「陸上自衛隊がシミュレーションした災害対策用アンドロイドに必要な身体出力に関する仕様データの予測値だ。この身体能力に関する項目を見てくれ。2ページ目に書いてある」


来宮は近藤から書類を受け取り、軽く息を吸い込むと、ゆっくりと表紙を1枚めくった。書類を見つめる来宮の表情が一瞬曇り、そして深く息を吐いた。


「近藤部長、この仕様通りにアンドロイドの身体機能を調整するとなると、現行の法律を違反することになります」


近藤はため息をつきながら顔を渋らせた。まるで君は何もわかっていないというように。


「災害救助用のアンドロイドなんだよ。特に地震災害が想定されている。車1台、片手で持ち上げられなくて、崩壊した建物の瓦礫の中から、どうやって人の救助活動をする?」


「お言葉ですが部長、災害用と言っても、当初の計画では、災害時、行方不明になった人間や倒壊の恐れのある建築物内の探索を目的としたアンドロイドではなかったのですか?主に探索システムの強化が目的であったはずで、身体能力の強化という話は聞いておりませんが……。アンドロイドの配備目的に関して、東京都への申請書類もそのような条件で受理されたはずではなかったでしょうか?」


「来宮君、これは正式な陸上幕僚長からの通達なんだ。この仕様でリミッター解除をお願いしたい。これは君にしかできない仕事だ。なにせ、同じ会社の人間、それも上司と言えど、社内規定で社員が開発したプログラムを他人が勝手に使用することができないのでな」


部屋にはしばらく沈黙が訪れる。時折、どこかのハードディスクの冷却ファンの稼働音が鳴り響く。


「近藤部長、このアンドロイド、本当はいったい何の目的に使うんですか?」

「言っている意味が分からないよ、来宮君。災害救助用と言っただろう」

「先日、部長は私のパソコンに不正アクセスしませんでしたか?アンドロイドのセーフティーモード解除に関するファイルに本社システム開発部の端末がアクセスしている記録が残っているんです」


近藤の目が泳ぐ。微かな動揺を隠せないでいる様子が分かる。


「来宮君、落ち着きたまえ。そんなことは社内規定で許されていない。なにかの間違えだろう。」

「……」

「とにかく、これは業務命令でもある。ここに記載されている仕様でリミッターを解除できるようプログラミングしたソフトを早急にシステム開発部に送ってほしい。話は以上だ」


黒ずくめのスーツの男、近藤至は、少し急ぎ足で薄暗い部屋を出ていった。階段を上がる音が微かに聞こえる暗い室内で、来宮はため息をついた。


「近藤は、何かを隠している……。この仕様データ……」


来宮はパソコン端末のモニターに向かい、キーボードをたたき始めた。モニターから目を離した来宮は、隣に横たわっている微動だにしないアンドロイドを見つめひとり呟いた。


「少なくとも、東京都の製造・承認許可はこの仕様で受理されていない」



近藤は疲れ切った表情で、人工生命開発研究センターを後にすると、駐車場に止めておいた車に乗り込んだ。運転席にすわると、胸ポケットから、通信端末を取り出した。


「佐々木部長、近藤です。今お時間大丈夫でしょうか」

『携帯通信端末で私の名前を出さないでほしい。傍受されていたらどうするつもりだ。君は几帳面な男に見えるが、あらゆる点において仕事の詰めが甘い。いつか重大なミスを犯しかねないと思うがね』


近藤の顔が蒼白になっていく。


「申し訳ございません。少々厄介なことが…」

『いつも言っているが、もう少し慎重に作業を進めてもらいたい。で、何かトラブルか?』

「うちの来宮、ああ、セーフティープログラム解除装置に関する情報をもつ唯一の社員が我々の行動を不信に思っています。」

『研究センターの来宮隆か。不審に思われているのは君であって私ではない。まあ、仕方ない。こちらでも手は打っておくよ』


この国の年間自殺件数が1万人を切った時期もあった。しかし、東京都の自殺者数はそれほど大きく変化していない。対人口割合で言えば、死亡別死因における自殺件数は先進国でもトップレベルであろう。自殺による鉄道の人身事故など、人々の日常に既に溶け込んでしまっているくらいに稀な出来事ではない。駅舎やホームの改良など、東京都は積極的に自殺予防政策を進めたがその効果は曖昧であった。一時期は自殺者は減ったものの、やはり確実に死を迎えることができる急行列車への飛び込みは、昔と同じように死にたい思いを抱く人たちの一つの希望となっている。きっとその日も、そうした事故の一つとして、誰の記憶に残るでもなく、一人の男性の命のともしびが一瞬にして消えた。


「おいおい、どうしたんだ、これじゃ帰れないよ」

「なんで電車とまってんの?」


駅の構内や、緊急停止した列車の車内では、人々の不満であふれている。列車への飛び込み自殺で人が死んだことに慣れてしまうような社会に対する異常さよりも、自分の生活スケジュールが乱れてしまうことに対する怒りの感情が優先される社会。携帯通信端末で到着が遅れることをひたすら謝罪しているであろう人たち。代替の交通手段としてタクシーに乗り込む人たち。


『ただ今、中目黒駅で人身事故が発生しました。そのため東横線は上下線の運転を見合わせております。復旧のめどは今のところ立っておりません。ご迷惑をおかけします』


鉄道関係職員の事務的な説明が延々と繰り返される。そう、この日、来宮隆の死亡届が提出された。死因は自殺。

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