3-2

術科訓練棟から外に出ると、もう日が暮れかけていた。最近は夕方6時を回ると日が落ち始める。そしてこの時期特有の涼しさが僕たちを包む。


「あまり帰りが遅くなると、整備課の石上にまた怒られるだろうから早く行こう」


僕は小声でつぶやくと、車に乗り込み、ティエラが助手席に座るのを確認してからエンジンをかけた。


甲州街道を新宿方面に向けて走る。東京の幹線道路で渋滞という現象が見られなくなったのは最近のことだ。オートパイロットの自動車も増えてきたことが原因かもしれないが、交通量自体が年々減少している。ティエラは助手席で東京の夜景をずっと眺めていた。


「そういえば、東京の夜景を見るのは初めてか?」

「うん」


なんとなく気まずい空気が漂う中、新宿が近づいてきた。このあたりは東京の中心地だ。新宿というと一般的にはどんな印象があるだろう。東京の行政を支える都庁第一、第二本庁舎ビルが存在する場所。首都圏の高層ビルを縫うように設置された高架道路、首都高速。日が落ちれば、夜空に点滅する赤い航空障害灯が高層ビルのシルエットを描きだす。


「新宿の夜景、きれいだろ?」


アンドロイドにも僕たちと同じように夜景の綺麗さとか、風景の壮大さとか、そういう景色を前に同じ感動を共有することができるのだろうか。情景というようなものが、人とアンドロイドで同じかどうかなんて、きっと誰にも知りようがない。僕はそう思う。それでもティエラは、アメがかつてそうしていたように、じっと新宿の街並みを眺めていた。


「優樹、あそこのビルの上から、この街を見てみたい」


ティエラは正面に見える日本通信代々木ビル、新宿では都庁ビルに次いで高いビルを指さしている。


「今から?」

「うん、だめかな」


5区管理局は品川にある。ここからはそれほど遠くはない。あのビルには展望台があったはずだし、まあ、少しだけなら大丈夫だろうと僕は考えていた。


「わかった。じゃ、少しだけな」

「うん」


ティエラから何かを提案されたのは多分、この時が初めてだったかもしれない。新宿の夜景は僕が好きな風景の一つだ。実際、展望台に行こうと思ったのも、ティエラが行きたいから、というよりは自分が見たかったから、という方が正解だ。日本通信社の代々木ビルは建物の形も気に入っている。巨大な時計塔、といった外観は、この街と良く似合うように思うから。


日本通信社は田邉重工の子会社であり、通信技術を専門する大手企業である。この国のネットワークサービスを一手に握り、その社会的影響力は大きい。この代々木ビル最上階には観光用の展望台がある。新宿の街並みを地上55階から鑑賞できる隠れた東京の観光スポットだ。


僕たちはビルの中に入ると、エントランス正面にあるエレベーターで展望台を目指した。30階を通過したあたりから、エレベーター昇降路の壁が、ガラス張りになり、新宿の夜景が僕たちの眼下に広がった。


高層ビルが立ち並ぶ新宿。ビルの明かりが夜空に浮かび上がる。だけれども、都会の夜空に星は見えなかった。東京上空は街の灯に照らされ夜でも明るい。星の存在など、ここに住む人たちはとうに忘れかけている。エレベーターのガラス窓に、ティエラの顔が反射していることに気が付いた。悲しそうな、寂しそうな、そんな感情が織り交ざった表情を浮かべ外の夜景をじっと眺めている。アメも昔こんな顔をよくしていた。


展望台は思ったより空いていた。平日だからかもしれない。ティエラは眼下に広がる新宿の街を眺めていた。まるでミニカーのように走る自動車の流れ、新宿駅を行きかう鉄道車両のシルエット、立ち並ぶ新宿のビル群と赤く点滅する航空障害灯。気が付けば僕もこの景色に見入っていた。


「もう行こう、石上先輩に怒られる」


腕時計を確かめ、僕は歩き出した。

その時、突然ティエラに腕をつかまれた。


「優樹、あれ見て」


ティエラが指差す方向に、30代くらいの男性が非常階段の扉を開けようとしてるのが見えた。


「あの人、人間じゃない」

「このビルに配備されているアンドロイドだろう。ここは1区の管轄だから、配備されているアンドロイドも東京都の中で一番多い。別に不思議なことじゃないだろ?」


実際、街のいたるところにいるアンドロイドは場所によっては人間よりもその個体数が多い。このビルにアンドロイドがいても全く不自然なことはない。


「ちがう、管理用ネットワークシステムに接続されてない。個体識別番号が不明」

「まさか、そんなわけないだろ。じゃ、あれは東京都の起動承認を得てないアンドロイドってことになっちまう。それは違法行為……って、おい」


僕の話が終わらないうちに、ティエラは男が消えた非常階段へ向けて走り出していた。


「おい、まて。そもそも本当にアンドロイドなのかよ。俺には人間に見えたぞ」


そういった後で、僕は自分でもおかしいことを言っていることに気が付いた。アンドロイドと人間を瞬時に見分けることは、僕たち人間には不可能だ。そして、管理用ネットワークシステムに繋がれていないアンドロイドとは、つまり東京都の起動承認を得たアンドロイドではないことになる。違法製造あるいは違法起動。いずれにせよ犯罪行為だ。


僕は急いでティエラを追いかけ、非常階段の扉を開けた。


「ティエラ?」


階段の下にティエラが横たわっていて、こっちを見上げていた。


「ごめん、見失った」


見失った、というよりはむしろ、ティエラが階段で転倒したと言う方が正解だ。ティエラの見たものが人間なのか、アンドロイドなのか、良く分からなかったが、僕は念のため上司の高地に連絡を入れておいた。


ティエラと機動捜査課のオフィスに戻ると守月しかいなかった。


「守月、高地さんは?」

「定時であがりましたよ。なんでも今日は、娘さんの誕生日パーティーだそうで。プレゼント買わなきゃだ、何とか言って、なんだか楽しそうに帰っていきました」


こんな時に、のんきな上司だ。報告書を片付けなければならなかったけれど、時間も時間なので、僕はティエラを先に整備課へ送り届けることにした。


「星崎、何してんの、ティエラさん転んじゃったじゃないの」

「ああ、すみません。階段で、その……」

「あのな、ティエラさんに無理させんなと、これで何回目ですか」


毎回予想通りの展開にうんざりする。石上の怒鳴り声は想定内といえど、さすがに1日の終わりでは疲労感が増す。


「ルナ子、大丈夫、優樹は悪くない」


ティエラは充電ポッドに座りいつものように膝を腕で抱えると、そういった。


「何言ってのティエラ、こいつがちゃんと見てないから、こういうことになったのよ」


そう言って石上はいつものように僕をにらみつける。


「私が展望台に行きたいっていったから。ごめんなさい。」

「は?展望台?あんたらデートでもしてたの?」


デート、まあそういわれれば、そういうことになるかもしれないが……。


「違いますよ、何かの誤解でしょう。とにかくティエラは大丈夫そうでしょうか?」


めんどくさくなって僕は話題を変えた。でも、なんで僕はこの時、機械の心配などしたんだろうか。機械に心が宿る、もしそうなのだとしたら、それは受け手の人間の問題なのかもしれない。僕がそう感じるから、機械に心があるように思う。それはつまり、心が機械に存在論的な仕方で宿っているのではなく、どちらかといえば、僕の認識論的な仕方で宿るものなのではないだろうか。僕はこのとき、漠然とだけど、そんなふうに考えていた。


「うん、まあ特に問題は無いと思うけど、いちおう見ておくね」


僕は整備課を出ると、報告書を書くため、自分のデスクに向かった。

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