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職場に戻る気をなくした僕は、自宅近くの行きつけの飲み屋で一人飲むことにした。ここにはよく来る。この世界で生きていくことの希望を見失いかけたとき、かろうじてその生を肯定してくれるのはアルコールだけだった。


店内はそれほど広くない。8席ほどのカウンターと、テーブル席が3つ。平日はそれほど客も多くない静かな店だ。


僕は、カウンター席の一番奥に座ると、顔なじみのマスターにマッカランを頼んだ。シングルモルトのロールスロイス、だれだかそんなことを言っていたが、こいつはストレートでもロックでも、水割りでもうまい。


マッカラン特有の甘い香りが鼻から抜け、僕は肩の力が抜けていくのを感じた。そう、この瞬間、あの憂鬱な気分から解放される。


その時、後ろから、静かな店内にはおおよそ場違いな大きな声が聞こえた。


「おい星崎、お前仕事さぼってこんな所にいるとは、なめてんのか」


僕は後ろを振り返る。ああ、なぜ高地がこの店にいるんだ。高地孝祐たかちこうすけ、第5区アンドロイド管理局機動捜査課の課長。こいつとは腐れ縁だ。5年前から僕の上司だった。


「いえ、その、情報収集ですよ。アンドロイドの不法投棄とか、この辺は多いですから」

「ふん、まあいい」


高地は特に追及もせず、僕の隣にやってきた。こいつはいつでもなれなれしい。

僕はグラスに残っていたマッカランを飲みほした。


「今日も強制起動停止ってな。守月の報告書、ざっくり読んだぞ。何もそこまでしなくてもなあ。今のアンドロイドの身体能力にはリミッターがかけられてるうえに、セーフィティーモードが誤作動する確率も極めて低い。パルサーなんて振り回す必要ないんだよ」


僕はこの話題が好きではない。特に今日はそんな話を聞きたくなかったからこの店にいる。それに報告書はざっくりではなく、しっかり読んでほしいといつも思う。


「高地さん、明日、新型アンドロイドが配備されるって聞きましたが、どんな機体なんですか?」


高地を無視するわけにもいかず、僕は話題を変えることにした。


「まあ、配備と言っても機動捜査課への正式な配属は後日になるだろうが、明日には整備課でメンテナンスを受けることになっている。気になるの?俺も良く知らん。が、なんでも女性型モデルらしいぞ」

「機械に性別なんてないでしょう」

「でも、男性型よりいいだろう?」


高地は僕の顔を覗き込みやにやしながら言った。論理的に考えて機械に性別という概念など存在しないし、仮にあったとしても僕には興味ない。


「そういえば、今回配備予定なのは田邉重工の最新モデルらしいぞ」

「最新モデル……ですか」


何がどう最新なのか、今の僕にはどうでもいい。だがしかし、アンドロイドというのは、外見も内面も人間とほとんど変わらないということは確かかもしれない。


人間にはまねのできない知的営為を可能とする人工知能でさえも「心」を感じることは少ない。でも人間に比べて、ましてや人工知能に比べたら、はるかに知的なことを成しえない犬や猫に心を感じるのはなぜだろうか。アンドロイドがただの機械だとは僕は思う。だけど、そこには人の面影を感じざるを得ない何かが、存在するようにも思えるのは事実だ。田邉重工の作った「リバティー」という人工生命プログラムが機械に「心」を宿す、と称賛されたのもよくわかる。


「機動捜査課に配備されているアンドロイドはそもそもが試験運用であることはお前も知っているよな?」

「はい」

「本来は陸上自衛隊や警察に配備したいんだよ、国や東京都としてはね。ただ、いきなり実践配備というのは少々心もとない。だから俺たち機動捜査課がアンドロイドのしつけ教育を担当しているってわけさ」

「めんどくさい話ですね」

「まあな」


翌日、東京都第5区アンドロイド管理局には、新たにアンドロイドが配備された。整備課からの公式な説明は後日に予定されていたが、僕は高地に半ば強制的に連れられ、整備ルームでメンテナンス中のアンドロイドを見た。この日のこと、そう彼女を初めて見たときのことを、僕は忘れることはできないだろう。


専用充電ポッドの青い光に包まれ、両足を抱えたまま、静かに着座している新型アンドロイド。機動捜査を担当するアンドロイドにしてはかなり小柄であり、高地が言っていたように確かに女性型のようだ。そして”彼女”の横顔を見た瞬間、僕の頭は真っ白になった。心臓が飛び出しそう、なんていうのは何とも味気ない形容だが、それ以外にこの衝撃を何とたとえたらいいだろう。


大きな瞳。肩まで伸びている後ろ髪、身長150センチ程度しかないであろう小柄の体型。透き通るような真っ白な肌。童顔といえば童顔な顔立ち、髪型、背格好。それは5年前の――23歳の来宮アメそのものだった。


「アメ……!?なぜ……」


僕の隣で高地は平然を装っているが、内心はかなり動揺していたにちがいない。この職場で僕の過去を知る唯一の人間。ズボンのポケットにつっこもうとしていたであろう、彼の手は微かに震えていた。

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