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旧大田区、品川区から川崎、横浜にかけては現在、東京都第5区と呼ばれている。そして東京湾沿岸には、かつて日本の高度経済成長を支えた京浜工業地帯が廃墟として未だに残っている。荒れ果てた文化財となってしまった工場団地は、財政がひっ迫する東京都の経済事情ではどうにも対処することができず、もう何年も放置されている。おそらく、東京都の治安悪化はこの旧京浜工業地区エリアが原因だろう。犯罪発生割合は第5区がずば抜けている。


そう、みんな分かっている。だけどこの場所には誰も関心がない。関心を向けるほど、この世界の人たちは心に余裕があるわけじゃないんだ。それは僕も含めて。

そんな廃墟の中を僕たちは速足で歩いている。


「星崎さん、あそこ見てください」


5区アンドロイド管理局機動捜査課捜査員、守月隆秀もりつきたかひで。彼は新人だが、なかなか頭がいい。彼の指さす方向には清掃用と思われるアンドロイドが見える。朽ち果てたコンクリート壁の脇に座り込んでいるアンドロイドは、こぎれいな40代くらいの男性に見えるが、あれは人ではない。


全く動こうとしないのは電子頭脳に何らかのエラーが生じて、セーフティーモードが機動しているからなのだろう。おそらく定期メンテナンスもろく受けることができずに、何年も稼働し続け、その経年劣化のなれの果ての姿なのだ。この地区の清掃用アンドロイド所有法人はアンドロイドの管理を事実上放棄してしまっている。


「守月、お前はここで待っていろ」

「大丈夫ですよ、あれセーフティーモードが起動していますから、自立歩行できないですよ」


アンドロイドによる人身事故はこの5年間起きてはいない。それはあの事件以来、アンドロイドには強化されたセーフティ-プログラムのインストールが義務づけられたからかもしれない。アンドロイドに深刻なエラーが発生した場合、安全な場所で待機するようプログラムされているうえ、アンドロイドの強力な収縮力を生み出す人工筋肉には可動制限リミッターがかけられている。かりに電子頭脳が壊れ、自己防衛プログラムが暴走したとしても、待機モードが優先されるため、近づかなければ人に危害が加わることは理論上なくなった。


機動捜査課捜査員は、回収対象となったアンドロイドが、人に危害を加える可能性がある場合、当該アンドロイドの強制起動停止実行権が認められている。しかし、拳銃などの銃火器携帯許可権を有しているわけではない。万が一のケースでは、小型の電磁パルス発生装置を用いて、至近距離からアンドロイドへ発射する。バークパルサーと呼ばれるその装置は、拳銃のように見えるが、いわゆる音響兵器の一種だ。2メートル以内の距離であれば、人体に危害を加えず、標的アンドロイドの電子頭脳を確実に破壊することができる。これが機動捜査員に許可されているアンドロイド強制起動停止の基本的な手段である。


僕は動けなくなっているアンドロイド近づき、歩きながらパルサー腰から引きぬいた。


「星崎さん、そこまでやる必要ないです。そのまま回収しましょう」

「アンドロイドをなめるなよ守月。あいつらに心なんてないからな」


僕はもの言わず、うずくまっている清掃用アンドロイドの背後、わずか数センチのところから、パルサーを構え、その引き金を引いた。鈍い音がして、パルサーから電磁パルスが発射された瞬間、アンドロイドがこちらに顔を向けたように見えた。しかし放たれた電磁パルスは、容赦なく彼の電子頭脳を破壊した。


「機動停止完了」


人工筋肉が弛緩し、ゆっくりと横たわっていくアンドロイドの姿はまるで人が死を迎えるその瞬間のように見える。しかし、それは人ではない……ただの機械なのだ。



*****


「星崎さん、いつも派手っすね」


アンドロイド回収専用車を運転しながら守月が、ややあきれたように言った。僕たちは5区管理局のある品川へ向かっている。本来ならば、管理局に戻り、アンドロイド回収に関する報告書を作成せねばならないのだが、今日はあまり気分がすぐれなかった。


「守月、すまん適当に報告書いておいてくれ、俺はちょっと用事が有るんで、ここらで降りるよ」

「あ、星崎さん、それはないすよ。仕事さぼるんですか?」


そう言いながらも守月はゆっくりとブレーキを踏み込み、車を路肩に寄せた。

気分がすぐれない原因は決して体調が悪いとか、そういうわけではない。夏が終わるからだろうか。この時期になるとどうしても5年前を思い出してしまう。僕は、ただただ繰り返される単調な日々にとても疲れていたんだ。出先から自分のオフィスに戻るのがたまらなく嫌になる日があった。


「今度、飯でもおごってやるから勘弁しろ」

「はい、わかりましたよ。でも星崎さん、明日は例のアンドロイドが整備課に搬送される日らしいですよ。局長から何か説明があるかもしれないですし、遅刻しないで下さいね」

「そういえば、明日はそんな日だったか」


新規アンドロイドの配属。上司から聞いてはいたが、僕にとってはあまり興味のない話だった。適当に返事を返し、僕は車を降りた。


第一京浜、この道は今も昔も変わらない国道15号線。僕は一人で歩いた。あの時の退職願は受理されなかった。僕はこの第5区で、エンジニアではなく機動捜査課の捜査員として現場にいる。僕はいったい何をしているんだろう、と自問自答し続けながら、気が付けば5年の月日が流れていた。


雑居ビルの隙間に太陽が吸い込まれていく。秋が近いこの時期は、昼間の暑さとは対称的に、この時間は少しひんやりする。車通りなんてほとんどないこの第一京浜に、僕の影だけが長くアスファルトに横たわっていた。

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