2.記憶
2-1
「本日付で機動捜査課に配属されるクロノス型アンドロイド、彼女の呼称、つまり名前はティエラだ。クロノス型が現場に配備されるのは今回が初めて、というより厳密にはこのティエラしか存在しない」
第5区アンドロイド管理局長、
「局長、クロノス型ってなんですか」
僕のやや後方から守月のばかみたいに明るい声が聞こえる。
「クロノス型については、石上君から説明してもらおう」
「はい。このアンドロイド、ティエラさんは私が整備を担当するクロノス型アンドロイドです。クロノス型というのは従来のミネルウァ型と異なり……。星崎っ!」
整備室内に石上の甲高い声が響き渡る。
「話を聞いてましたでしょうか。ぼけーとティエラさんを眺めて、あんたロリコンですか?」
石上の声が途中から怒鳴り声に変わった。そう、石上先輩は怒ると怖い。横をみると隣で守月が必死に笑いをこらえている。
「あ、いや……」
僕は昨日、上司(といってもただの課長だが)の高地と今目の前にいるティエラの姿を見た後、お互い言葉も出ないまま、機動捜査課のオフィスに戻った。僕はあれから一言もしゃべらず、淡々と仕事を終わらせ、いつもの店で、いつものようにマッカランを飲んだ。なんだか家に帰る気もせず、深夜1時すぎまで飲んでしまった。確かに少し飲みすぎたようだ。石上はそんな僕の反応を無視して話を続けた。
「ミネルウァ型アンドロイドは人間と外見上の区別はできませんし、実際、会話をしていても人間のように見えます。しかし彼らには時間という概念がありません」
“クロノス”とは時間の神のことだ。アンドロイドの型名には神話に登場する神の名が付与されることが多い。これは田邉重工の趣味なのだろうが、アンドロイドを神に摸するのはいかがなものかと思う。人のコントロールを超えた存在、それはただの脅威に他ならない。
石上は整備室の大型モニターにミネルウァ型とクロノス型の違いについて要約された表を映し出し解説を始めた。
「もちろん、これまでのミネルウァ型アンドロイドも常時、インターネットにアクセスしていますから、今が何時何分で、それが意味するところもプログラム上は理解しています。ただ、人間と同じような時間感覚は持たず、例えば“過去”という概念についても存在するのか、しないのか、というような二値的な判断しかできませんでした。クロノス型アンドロイドは、より近い過去、より遠い過去、というように、時間の幅を人間と同じように捉えることができます。ある出来事が、それより、前にあるか、後にあるか、そういったことでは無くて、この世界を人間と同じように時系列的に捉えることができるんです。それも相対性理論上示唆される、人間個々の時間感覚と同じように……」
僕は石上の説明が全然頭に入ってこなかった。もともと石上は話し始めると非常に長く要領をえない。この日は前日に飲みすぎたアルコールが、僕の認識、理解能力を著しく低下させていたことも一因ではあったのだろうが、頭の中を石上の言葉が素通りしていく。
「石上さん、ということは、つまりティエラさんは結局のところ、何がこれまでのアンドロイドより優れているんですか?」
守月の質問は良かった。このタイミングで話を要約してもらえると非常にありがたい。
「つまり、人間との共同ミッションにおいて、人間の時系列的な行動と、完全に同期できるということです。実際の人間の行動を把握しながら、今現在の時間と、自分の行動を同期させて……」
「簡単に言えば“空気が読める”ということでしょうか?」
アルコールの代謝物、血管拡張作用のあるアセトアルデヒドが、僕の頭を締め付ける。二日酔いの僕にとって、石上の話を理解することは、いつも以上に困難だったが、守月が要約したこの一言はわかりやすかった。つまり空気が読めるアンドロイド。しかし、これまでのアンドロイドに関しても”空気が読めない”と感じたことはあまりなかった。そもそもアンドロイドに対して、そこまで人らしさを意識してこなかったし、機械に“空気を読む”なんていう振る舞いをはじめから期待してなかったからかもしれない。
「うっ、えっと、まあそういうこと……かな」
石上が不意をくらったように答えると、先ほどから時計を気にしていた上野局長が口を開いた。
「そういうわけで、ティエラには今後、機動捜査課の誰かと組んで行動してもらいたいんだが、そうだな、星崎君、よろしく頼むよ」
いきなり指名されて、僕は事態をよく呑み込めず、すぐに返答できないでいた。これまでアンドロイドと人間が組んで行動したことはなかったし、ましてやアメとそっくりなアンドロイドと行動をともにするなんて……。具体的に何をすればよいのか、身体的にも、そして精神的にも、頭の整理が追いつかない。
「上野局長、星崎はちょっと……」
高地の声はいつもに比べて覇気がないというか、彼の存在感は今朝からなんだか薄かった。昨日のこと、たぶん彼なりに気にしているのだろう。高地はそういう男だ。
「何か問題でもあるのか、高地課長」
「いえ、その……」
僕の過去について、その詳細を知っているのはこの職場で高地だけだ。僕は、ここで話しがややこしくなるのは面倒だなと思った。過去の出来事について、それを誰かと共有することで、いったい何の救いになるというのだ。結局苦しいのは僕一人だし、僕はそうした苦しみを抱えながら生きていくより他ない。
「俺、大丈夫。大丈夫です」
僕はその時、小声でそう答えるのがやっとだった。
「じゃ星崎君、よろしく頼むよ。あ、そうだ。大切なことを忘れていた。ティエラには銃砲刀剣類所持等取締法の特別規定により、有事の際は局長命令で拳銃を携帯することができる。といってもM36という旧式の拳銃を改良したものしか支給されていないが。まあ、有事というものが起こることはあり得ない話なんだが、都としても、後々は警察へのアンドロイド配備を検討しているんだろう」
「拳銃の管理などはどうなっているのでしょうか。まさかティエラにずっと携帯させておくわけじゃないでしょう」
高地の声がいつもの口調に戻っている様子に、僕は少しだけ安心した。
「拳銃は整備課で局長責任のもと管理することになっている。拳銃の出番は、まずないだろうが、都の通達により実弾による射撃訓練だけはしなければならない。うちの局にはそんな部署ないから、警視庁の訓練施設を使えることになっている。スケジュールに関してはティエラに直接聞いてくれ。では星崎君、ティエラに5区管理局の案内をよろしく頼むよ」
「あ、はい」
そう、あれはアンドロイド。クロノスだか何だか知らないが、ただの機械だ。僕は何度もそう言い聞かせて、この体のどこかに存在するといわれている心なるものを落ち着かせようと必死だった。そんな僕の動揺をよそに、ティエラは充電ポッドから静かに立ち上がって、ゆっくり顔を上げた。
「本日付で5区機動捜査課に配属されます。ティエラです。よろしく願いたします」
その声はアメそのものだった。あり得ない現実を前に、頭痛はさらにひどくなり、僕は再び冷静さを失いそうになる。人の声というものは、どうしてもその声を聞いた人の感情とリンクする。大切な誰かの、懐かしい誰かの、今はもういない誰かの、そんな声を再び耳にすることで引き起こされるこの感情は、僕の記憶の痕跡に確かな色をつけていく。
「星崎、ティエラをよろしくね。仕事が終わったら、ちゃんと整備課に連れてくるのよ。かわいいからってたぶらかしたら承知しないからね」
石上の声が僕の頭を素通りして行く。ティエラはゆっくりと僕の前にやってくると「よろしくお願いします」と言って軽く頭を下げた。
「あ、ああ」
一言だけ間抜けな声を出すことが、僕にできる精一杯の反応だった。
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