第2話-記憶-

「本日付で機動捜査課に配備されるクロノス型アンドロイド、彼女の名前はティエラだ。クロノス型が現場に配備されるのは今回が初めて、というより厳密にはこのティエラしか存在しない」


第5区アンドロイド管理局長、上野直純うえのなおずみの声が、狭い整備室に響く。この人、整備課長も兼任している、なかなか忙しい男だ。彼の脇にあるアンドロイド専用充電ポッドには、小柄の女性型アンドロイドが着座している。ティエラと呼ばれたそのアンドロイドは、本当にアメそのものだった。


「局長、クロノス型ってなんですか」


僕のやや後方から守月のばかみたいに明るい声が聞こえる。


「クロノス型については、石上君から説明してもらおう」


石上いしがみルナ子。彼女は整備課のエンジニアであり、僕と同い年ではあるが、立場上は僕の先輩……という事になっている。彼女はわりときつい性格なのだけど、アンドロイドの整備に関してだけでなく、コンピューター関連全般に対する知識量は、他の整備課連中に比べても、突出して優秀であると僕は思っていて密かに尊敬している。


「はい。このアンドロイド、ティエラさんは私が整備を担当するクロノス型アンドロイドです。クロノス型というのは従来のミネルウァ型と異なり……。星崎っ!」


――ああ?

甲高い声が響き渡る。


「話聞いてましたでしょうか。ぼけーとティエラさんを眺めて、あんたロリコンですか?」


石上の声が途中から怒鳴り声に変わった。そう、石上先輩は怒ると怖い。横をみると隣で守月が必死に笑いをこらえている。


「あ、いや……」


僕は昨日、上司(といってもただの課長だが)の高地と今目の前にいるティエラの姿を見た後、お互い言葉も出ないまま、機動捜査課のオフィスに戻った。僕はあれから一言もしゃべらず、淡々と仕事を終わらせ、いつもの店で、いつものようにマッカランを飲んだ。なんだか家に帰る気もせず、深夜1時すぎまで飲んでしまった。確かに少し飲みすぎたようだ。石上は僕の反応を無視して話を続けた。


「ミネルウァ型アンドロイドは人間と外見上の区別はできませんし、実際、会話をしていても人間のように見えます。しかし彼らには時間という概念がありません」


――そういえば“クロノス”って時間の神様だっただろうか。


石上は整備室のスクリーンにミネルウァ型とクロノス型の違いについて要約された表を映し出し解説を始めた。


「もちろん、これまでのミネルウァ型アンドロイドも常時、インターネットにアクセスしていますから、今が何時何分で、それが意味するところもプログラム上は理解しています。ただ、人間と同じような時間感覚は持たず、例えば“過去”という概念についても存在するのか、しないのか、というような二値的な判断しかできませんでした。クロノス型アンドロイドは、より近い過去、より遠い過去、というように、時間の幅を人間と同じように捉えることができます。ある出来事が、それより、前にあるか、後にあるか、そういったことでは無くて、この世界を人間と同じように時系列的に捉えることができるんです。それも相対性理論上示唆される、人間個々の時間感覚と同じように……」


僕は石上の説明が全然頭に入ってこなかった。もともと石上は話し始めると非常に長く要領をえない。この日は前日に飲みすぎたアルコールが、僕の認識、理解能力を著しく低下させていたことも一因ではあったのだろうが、頭の中を石上の言葉が素通りしていく。


「石上さん、ということは、つまりティエラさんは結局のところ、何がこれまでのアンドロイドより優れているんですか?」


守月の質問は良かった。このタイミングで話を要約してもらえると非常にありがたい。


「つまり、人間との共同ミッションにおいて、人間の時系列的な行動と、完全に同期できるということです。実際の人間の行動を把握しながら、今現在の時間と、自分の行動を同期させて……」


「簡単に言えば“空気が読める”ということでしょうか?」


アルコールの代謝物である血管拡張作用のあるアセトアルデヒドが、僕の頭を締め付ける。二日酔いの僕にとって、石上の話を理解することは、いつも以上に困難だったが、守月が要約したこの一言はわかりやすかった。つまり空気が読めるアンドロイド。しかし、これまでのアンドロイドに関しても”空気が読めない”と感じたことはあまりなかった。


「うっ、えっと、まあそういうこと……かな」


石上が不意をくらったように答えると、先ほどから時計を気にしていた上野局長が口を開いた。


「そういうわけで、ティエラには今後、機動捜査課の誰かと組んで行動してもらいたいんだが、そうだな、星崎君、よろしく頼むよ」


いきなり指名されて、僕は事態をよく呑み込めず、すぐに返答できないでいた。これまでアンドロイドと人間が組んで行動したことはなかったし、ましてやアメとそっくりなアンドロイドと行動をともにするなんて……。具体的に何をすればよいのか、身体的にも、そして精神的にも、頭の整理が追いつかない。


「上野局長、星崎はちょっと……」


高地の声はいつもに比べて覇気がないというか、彼の存在感は今朝からなんだか薄かった。

――昨日のこと、気にしているのだろうか。

高地はそういう男だ。


「何か問題でもあるのか、高地課長」

「いえ、その……」


僕の過去について、その詳細を知っているのはこの職場で高地だけだ。僕はここで話しがややこしくなるのは面倒だなと思った。過去の出来事について、それを誰かと共有することで、いったい何の救いになるというのだ。結局苦しいのは僕一人だし、僕はそうした苦しみを抱えながら生きていくより他ないじゃないか。


「俺、大丈夫。大丈夫です」


僕はその時、小声でそう答えるのがやっとだった。


「じゃ星崎君、よろしく頼むよ。あ、そうだ。大切なことを忘れていた。ティエラには銃砲刀剣類所持等取締法の特別規定により、有事の際は局長命令で拳銃を携帯することができる。と言ってもM36という旧式の拳銃を改良したものしか支給されていないが。まあ、有事というものが起こることは想定されていないが、都としても、後々は警察へのアンドロイド配備を検討しているんだろう」


「拳銃の管理などはどうなっているのでしょうか。まさかティエラにずっと携帯させておくわけじゃないでしょう」


高地の声がいつもの口調に戻っている様子に、僕は少しだけ安心した。


「拳銃は整備課で局長責任のもと管理することになっている。拳銃の出番は、まずないだろうが、都の通達により実弾による射撃訓練だけはしなければならない。うちの局にはそんな部署ないから、警視庁の訓練施設を使えることになっている。スケジュールに関してはティエラに直接聞いてくれ。では星崎君、ティエラに5区管理センターの案内でもしてやってくれ」


「あ、はい」

――なんだか適当な感じだな。


そう、あれはアンドロイド。クロノスだか何だか知らないが、ただの機械だ。僕は何度もそう言い聞かせて、この体のどこかに存在するといわれている心なるものを落ち着かせようと必死だった。


そんな僕の動揺をよそに、ティエラは充電ポッドから静かに立ち上がって、ゆっくり顔を上げた。


「本日付で5区機動捜査課に配備されます。ティエラです。よろしく願いたします。」


――ああ、声もアメそのものではないか。


頭痛はさらにひどくなり、僕は再び冷静さを失いそうになる。人の声というものは、どうしてもその声を聞いた人の感情とリンクする。大切な誰かの、懐かしい誰かの、今はもういない誰かの、そんな声を再び耳にすることで引き起こされるこの感情は、僕の記憶の痕跡に確かな色をつけていく。


「星崎、ティエラをよろしくね。仕事が終わったら、ちゃんと整備課に連れてくるのよ。かわいいからってたぶらかしたら承知しないからね」


――何を言っているんだ、石上。あれは機械だ。

ティエラがしなやかな動作で僕の前にやってくる。身長も、なんとなくぎこちない歩き方も……。

――いや機械だ。


「よろしくお願いします」

「あ、ああ」


一言だけ間抜けな声を出すことが、僕にできる精一杯の反応だった。


************************


やはり、かなり動揺していたのだろうか、この時、どこをどう案内したあまり記憶が残っていない。ただ、僕は上野局長に言われたとおり、ティエラを連れてこの管理局を歩いたことは間違えない。


ここはたいして広い施設じゃない。やたら領収書にうるさい経理課があって、アンドロイドをメンテナンスする整備課があって、僕らのオフィスである機動捜査課がある。そしてめったに使われない会議室と、その奥には狭い局長室、裏口から外に出ると、ちょっとしたスペースに自動販売機とベンチが置いてある。まあ、それが全てだ。


これまで東京都1~5区、それぞれの管理局に配備されていたアンドロイドは、機動捜査課での試験運用を終え、陸上自衛隊東部方面総監部へ引き渡される予定らしい。なんでも災害救助用アンドロイドとして配備予定だとか。そのため、これまでうちの課にいたアンドロイドも今朝、製造元の田邉重工に引き渡された。そこで一度メンテナンスを受けることになっている。ティエラもまた、ここでの試験運用を終えれば警察でも陸自でもどこかに配備されるのだろうし、僕の知ったことじゃない。


ティエラとともに、機動捜査課のオフィスに戻ると、高地がいた。


「星崎、ちょっといいか」


僕は、オフィスの脇にある、めったに使われることのない会議室に連れて行かれた。高地は会議室の扉をゆっくり閉めると、椅子に座るように促した。


「なあ、お前、大丈夫か?あのアンドロイド、ティエラは確かに……」


確かにアメそっくりだ。というよりアメそのものだ。ただ、これ以上、高地に迷惑をかけるわけにはいかないと思った。


「大丈夫ですよ、高地さん。心配かけてすみません」

「そうか。お前が大丈夫だってんなら、いいが」

「高地さん、一つだけ聞いてもいいですか?」

「おう」

「アンドロイドの顔を決める時に、何か法律上の規定とか、基準みたいなものはあるんですか?」


これまで僕はアンドロイドの顔について深く考えたことはなかった。でもよくよく考えると、彼、彼女らの顔というのは実在の人間をモデルにしているのだろうか。それとも製造者の趣味で作られるものなんだろうか。アンドロイドの顔をこれまでたくさん見てきたけど、実在の人物に似ているアンドロイドは1体も存在しなかった。


「ああ、俺も詳しくは知らんのだが、アンドロイド製造及び管理に関する法律っていうのがあって、今生きている人間の顔と全く同じアンドロイドを作ることは原則違法なんだ」


高地の説明によれば、田邉重工は東京都の住民登録データベースを使って、都民の平均的な顔のプロットを作成し、男性モデルか、女性モデルか、それと年齢、あるいは配属予定の業種など、いろんな要素で補正をかけてアンドロイドの顔を決定していくらしい。


「だから実在の人物と同じ顔になることは1%もない」

「そうですよね。きっとこれは何かの偶然……なんですかね」


偶然という言葉に対して、僕たちはある先入観を持っている。といった言葉を添えなくとも、それらを価値のないものとして見てしまうという先入観を。


会議室からでると、多摩川河川敷にて、アンドロイドが転落し、自立歩行不能との連入電があった。管理区分としては「アンドロイドの異常行動」に分類される。あくまで書類上の区分だが。


アンドロイドの異常行動といっても、その多くが誤作動かエラー、あるいは事故による自立制御不能状態だ。実際、僕らの仕事といえば、東京都の所有物であるアンドロイドが故障した際に、それを安全に回収すること、それ以上でも、それ以下でもない。他にあるとすれば、アンドロイドと関わった人たちの思い出をも奪い去ってしまうことだろうか。擬人化された機械に、どうしても人間の面影を感じてしまう、それが人だろう。記憶が共有されれば、例え機械といえど、そこに残るのは思い出に他ならない。


「星崎、とりあえず守月と一緒にいってくれ。ティエラはこちらで対応しておくよ」


************************


都心の喧噪から、それほど距離はないはずなのに、多摩川河川敷付近には建築物も人も、ほとんど存在しない。都心から離れると、東京はたいていこんな感じだ。東京湾まで続くこの巨大河川の向こう側は、かつて神奈川県と呼ばれていたが、今はただただ、東京都が広がっている。


僕と守月は多摩川にかかる首都高横羽線の巨大な橋を通過していた。アンドロイド回収車両を運転する僕は、橋の中央付近で横風にあおられ、ハンドルを取られそうになる。


現場は、多摩川河川敷にある東京都水道局の川崎浄水場であった。施設の老朽化のために改築工事を行っていたらしいが、その作業に従事していたアンドロイドが転落。電子頭脳に問題はなさそうであるが、姿勢制御システムにエラーが生じているらしく、自立歩行できない状態であった。


アンドロイドが転落した場合、事故か事件か調べる必要がある。人間は正当な理由なくアンドロイドに不利益を被るような行為をしてはならないことがアンドロイド製造及び管理に関する法律に定められているからだ。


「一応、法令の規定に従って捜査を行います」


守月が事務的な口調で浄水場の管理責任者と思しき50代の男に伝えた。


「はい、お願いします。よろしければ監視カメラの映像がありますので、見ていただければと思います」


状況的に転落事故であることは、ほぼ明確ではあったけれど、書類作成上、なんらかの確証を得ておく必要があった。監視カメラの映像は決定的だった。


この日は確かに風が強かった。このアンドロイドは強風にバランスを崩し、地上3階ほどの高さから、転落したようだ。腰部を強打しており、腰椎に埋め込まれている姿勢制御装置が破損したらしい。アンドロイドの体は意外にもろい。いや、人間のように繊細といったほうが良いのかもしれない。どのみち彼は回収後、田邉重工に引き渡される。一度事故を起こしたアンドロイドはいかなる理由があるにせよ、全システムをクリーンインストールするのだ。どこに故障が起きているのか、もはや人間でもわからないほどに、アンドロイドを駆動している組織は複雑で繊細なのだ。


「あのは無事に修理できるのでしょうか。もうかれこれ10年近く、私たちと一緒に過ごしてきた仲間なんですよ。」


作業員の責任者は、転落現場付近のベンチに腰掛けているアンドロイドを見ながら、そういった。


「大丈夫ですよ。法律の規定で、東京都が一度回収しなければなりませんが、修理後すぐに復帰できるはずですよ」


――記憶は消え、人格は別物になってしまうけれど。

僕はベンチに腰掛けているアンドロイドに近づいて、そっと取り出したパルサーの引き金を引いた。


“がくん”彼の人工筋肉繊維が弛緩していくのが分かる。この人工筋肉は理論上、人間の筋肉の4000倍もの収縮力を有する。現状の設計ではそこまでの出力は無いだろうが、リミッターが外れてアンドロイドが人間に立ち向かってきたら、僕たちはひとたまりもないだろう。


************************


「星崎さん、なんであのまま回収しなかったんですか?あれは起動停止なんてしなくても、どのみち動けなかったじゃないですか。この車であれば安全に回収できたと思いますよ」


回収車の助手席に座る守月がぼそりと言った。確かに起動停止する必要はなかった。あのアンドロイドは動けなかっただけで電子頭脳になにかトラブルを抱えていたわけではない。


「ああ、そうかもしらんな」


少しのあいだ沈黙が流れる。

姿勢制御装置が壊れただけ、まあ、普通はそう思うだろう。でもどこのシステムに異常が起きているか、製造元の田邉重工ですら特定が難しいのだ。結局クリーンインストールされるのなら、あの場で彼の電子頭脳を破壊したほうが安全だろう。


「あ、すみません、なんだか……」

「いや、いいんだ。ただな守月、アンドロイドは東京都の所有物だ。配備というのはあくまでリース契約のようなものに過ぎない。現状、個人でアンドロイドを所有することは許されていないんだ。だからこそ、俺たちの仕事は、異常行動をとりうるアンドロイドの強制起動停止を行う事、アンドロイドによる人身事故を絶対に起こさないよう、アンドロイドを監視することだ」

「星崎さん……」


――少し、言いすぎただろうか。

僕は自分の発言を後悔することが良くある。あの時以来、なんとなく感情を制御でいなくなってしまう自分が嫌いだ。


人間の英知を結集したミネルウァ型アンドロイド。ミネルウァとは知恵を司る女神。旧世代の人間がアンドロイドを構想した時、人間を超えた能力の存在に憧れを抱いたのはごく自然のことかもしれない。しかし、その力を機械に宿した時、それは同時に人間に脅威をもたらす存在にもなり得る。そうではないか?


「いや、守月、お前のやり方でやればいい。俺には俺のやり方がある、それだけだ」


************************


機動捜査課のオフィスへ戻ると、案の定、高地に呼び出された。何を言われるのかは大抵わかる。いつものことだ。


「お前というやつは本当に……。アンドロイドだって、人格や心のようなものがあるし、彼らと関わっている人間たちと記憶を共有しているんだぞ。確かに異常行動機体は一度回収しなきゃならない。ただ、少しやりすぎじゃないか。回収時には所有法人への配慮も必要だと、行動規範に書いてあるのはお前も知っているだろ?」


――ああ、分かっている。十分に分かっているつもりだ。


「お前、ここに来る前は整備課のエンジニアだったんだろ?アンドロイドにも俺ら人間と同じ人格があるってことをお前が一番良く分かっている気がするんだがな。」

「こいつらはただの機械ですよ。人格なんてものはリバティーという人工生命プログラムの生み出した表象に過ぎない。暴走したら起動停止する、それが僕らの仕事じゃないですか」


――なんだ、今日はどいつもこいつも。

別に理解してほしいわけじゃない。ただ僕は同じ話を何度も聞きたくないだけだ。僕には僕のやり方がある。法令に違反しない限りは僕は自分のやり方を貫きたい。


「アンドロイドにもアイデンティティがあるんだ。星崎、なあ、せめて回収時には所有法人の代表者と別れの挨拶くらいさせてやってくれ」

「機械にアイデンティティがあるとするならば、それは機械であることのみでしょう。僕には関係の無い話です」


――アイデンティティなんてものは人間ですら保てていないじゃないか。


「高地課長。上野局長がお呼びです。局長室までお願いします」


緊張感が張りつめた部屋に、懐かしい声……いや、ティエラの声が聞こえた。


「ああ、わかった。すぐ行くよ。星崎、すまん、少し言いすぎた。報告書を書き終わったら、ティエラを整備課まで送ってくれ」


――整備課まで送る?子供じゃあるまいし。


僕はため息をつき、それでも気を取り直しながら、自分のデスクに座り、パソコンのモニターと向き合う。なんとなく机の位置が移動しているような気がして隣に目をやると、ティエラのデスクは僕の隣に用意されていた。


僕が書類を作っているあいだ、ティエラは黙って僕の隣に座っていた。

彼女が隣にいる、それだけで気が散ってしまう。何かを話したいわけじゃない。彼女はアメではないことは分かっている。ただ過去の記憶が僕の仕事の邪魔をしている。そう、ただの記憶だ。


「あの……」


報告書を概ね書き終えたころ、隣で座っていたティエラが話しかけてきた。


「ああ、どうした?もう少し待っててくれ。すぐに終わらすから」


デスクの片隅においてある冷めたコーヒーを口に運ぶ。報告書ほど、めんどくさいものはない。こういう書類仕事が一番嫌いだ。誰も読まないこの書類を毎日毎日書いて、ただ延々と時間を浪費してく。


「君のこと、何て呼べばいい?星崎優樹……だよね。優樹でいいかな?」


いきなりティエラに名前で呼ばれ、僕は口に含んだコーヒーを吐き出しそうになった。


「ああ、まあ、なんでもいいよ」


動揺した僕の心を悟られないように、平静を装いながら、報告書を添付するためのメールアプリケーションを起動する。そういえば今朝、僕はティエラに自己紹介もしていなかったことに、今更ながら気が付いた。


************************


局長室と言っても会議室より狭い空間だ。5区管理局の一番奥にある部屋。昼間でも外の明かりが届かない、薄暗い場所である。


「高地課長、すまんね、いそがしいところ。陸自に引き渡したアンドロイドは東京都の管理局全体で5体、これは災害救助用として配備するそうだ。すでに田邉重工でメンテナンスが行われている。それで、こんなことを言うのは大変心苦しいのだが、5対のアンドロイドの管理業務をを5区で行ってほしいと通達を受けている」


「陸自の所有なんですから、陸自でやれば良い話でしょう。なんでいっかいの都道府県職員が関与せねばならんのですか。こっちは人手が足らんのですよ」


「わかっちゃいるよ、高地君。ただこれは東部方面総監からの直接命令なんだ。私の立場も理解してくれ。既に東京都も承認している。すまんが頼むよ。ああ、そういえば機動捜査課に配備した新型のアンドロイドはどうだ」


「ティエラの仕様データを見ましたよ。あれは機動力という観点からすれば一般人と変わらん代物じあないですか。むしろそれ以下といったほうがいい。いったい、何の役にたつんですか?」


「機動捜査課のアンドロイドが活躍せにゃならん時代など永久に来ないと思うがな」


************************


やっつけ仕事で書き終えた報告書のファイルをメールに添付する。メールを作ることさえもめんどくさい。こういう時、仕事のできるやつはテンプレートを作ってコピーペーストとかするのだろうなぁ、と思ったりもするけれど、そのテンプレートを作ることさえもめんどくさい。”めんどくさい”が循環して余計にやる気を削いで行く。


「ティエラ、終わったよ。行こう」


僕は小さくため息をついて、時計を確認すると20時を回っていた。


「これで残業代が出ればまだいいが。整備課の石上はもう帰っちまっただろうか」


僕は独り言のようにつぶやき、立ち上がると、ティエラと一緒に機動捜査課のオフィスを出た。隣の整備室に目をやると、予想に反して、石上はパソコンに向かって作業をしていた。


「星崎、遅い。ティエラに無理させるなとあれほど言ったでしょう?」

「ごめん、遅くなりました」


僕はとりあえず、あやまっておいた。この時間に大きな声を聴くと、精神的にかなり消耗する……。


ティエラは静かに充電ポッドに腰を下ろす。充電灯が充電中を示す青色にともる。青い光に包まれた充電中のティエラを見ていると、やはり人ではないのだな、とあらためて思う。見た目も、会話も、しぐさや行動も、人のそれと変わらない。自分で考え、学習もする。だけどアンドロイドなのだ。


初めてティエラを見たときのように、彼女は両足を抱え、そして僕の方に顔を向けた。視線が合う。彼女に視線と言うものがあれば……だけれども。


「優樹、今日はありがとう」


どこかで聞いたような。

――いいいや、違うだろう。


「“ゆうき”?あんたたち、いつからそんな関係なの?ティエラ、もしかして星崎に変なことされたの?星崎、てめえ、ティエラさんになんかしたら承知しないからな!」


――はあ?

僕は今日、浄水場に行って、アンドロイドを起動停止して、守月に説教され、高地に説教され……、まあ、もうどうでもいい。とにかく最悪な1日だ。


「なんもないですよ。俺、もう帰りますね」


僕はそういって整備室を後にした。扉越しに石上の声が聞こえる。ティエラの今日の一日のアクティビティデータを解析し直してるんだろう。ティエラにはあんなに優しく話せるのに、なんで僕にはあんなにきついしゃべり方なのだろうか、こればっかりは永遠の謎ではある。


「ティエラ、今日は疲れたでしょう。お疲れ様。アクティビティデータをみてるけど、異常なさそうね。なんともない?」


石上はパソコン端末のモニタをチェクしながら、ティエラに話しかけた。ティエラの1日の活動状況は整備課のパソコン端末でデータベース化され、東京都全体で共有できるシステムになっている。ティエラの視覚映像から身体出力データまで、あらゆる記録がデータベ―スとして蓄積され、今後のアンドロイド運用に生かされていくのだ。


「ルナ子?」

「うん、何?」

「星崎優樹ってどんな人?」


石上はパソコンのモニタから目を離すと、やや驚きの顔つきでティエラの方を向いた。


「やっぱあんた、あいつに何かされたの??」

「わたし優樹を知ってる」

「へ!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

Androidでは正しく
設定できないことがあります。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

新規ユーザー登録無料