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やはり、かなり動揺していたのだろうか、この時、どこをどう案内したあまり記憶が残っていない。ただ、僕は上野局長に言われたとおり、ティエラを連れてこの管理局を歩いたことは間違いない。


ここはたいして広い施設じゃない。やたら領収書にうるさい経理課があって、アンドロイドをメンテナンスする整備課があって、僕らのオフィスである機動捜査課がある。そしてオフィスの脇にはめったに使われない会議室と、その奥には狭い局長室、裏口から外に出ると、ちょっとしたスペースに自動販売機とベンチが置いてある。まあ、それが全てだ。


これまで東京都1~5区、それぞれの管理局に配備されていたアンドロイドは、機動捜査課での試験運用を終え、陸上自衛隊東部方面総監部へ引き渡される予定らしい。なんでも災害救助用アンドロイドとして配備予定だとか。そのため、これまでうちの課にいたアンドロイドも今朝、製造元の田邉重工に引き渡された。そこで一度メンテナンスを受けることになっている。ティエラもまた、ここでの試験運用を終えれば警察でも陸自でもどこかに配備されるのだろうし、それは僕の知ったことじゃない。


ティエラとともに、機動捜査課のオフィスに戻ると、高地がいた。


「星崎、ちょっといいか」


高地は僕の腕をつかむと、やや強引に会議室へ向かった。薄暗い会議室に入ると高地は入り口の扉をゆっくり閉め、椅子に座るように促した。


「なあ、お前、大丈夫か?あのアンドロイド、ティエラは確かに……」


確かにアメそっくりだ。というよりアメそのものだ。僕自身いったい、何がどうなっているのか、訳が分からないと言うのが正直なところ。ただ、これ以上、高地に迷惑をかけるわけにはいかないと思った。


「大丈夫ですよ、高地さん。心配かけてすみません」

「そうか。お前が大丈夫だってんなら、いいが」

「高地さん、一つだけ聞いてもいいですか?」

「おう」

「アンドロイドの顔を決める時に、何か法律上の規定とか、基準みたいなものはあるんですか?」


これまで僕はアンドロイドの顔について深く考えたことはなかった。でもよくよく考えると、彼、彼女らの顔というのは実在の人間をモデルにしているのだろうか。それとも設計者の趣味で作られるものなんだろうか。アンドロイドの顔をこれまでたくさん見てきたけど、実在の人物に似ているアンドロイドは1体も存在しなかった。


「『アンドロイド製造及び管理に関する法律』はお前も名前くらい聞いたことがあるだろう?この法律では今現在において生存している人間の顔と全く同じアンドロイドを作ることは原則違法としているんだ」


高地の説明によれば、田邉重工は東京都の住民登録データベースを使って、都民の平均的な顔のプロットを作成し、男性モデルか、女性モデルか、それと年齢、あるいは配属予定の業種など、いろんな要素で補正をかけてアンドロイドの顔を決定していくらしい。


「だから実在の人物と同じ顔になることは1%もない」

「そうですよね。きっとこれは何かの偶然……なんですかね」


偶然という言葉に対して、僕たちはある先入観を持っている。たんなるといった言葉を添えなくとも、それらを価値のないたんなるものとして見てしまうという先入観を。


「あるいは特例か……。すまんな、俺も詳しいことは分からん」


僕たちが会議室から機動捜査課のオフィスに戻った、ちょうどその時、多摩川河川敷にて、アンドロイドが転落し、自立歩行不能との連入電があった。管理区分としては「アンドロイドの異常行動」に分類される。あくまで書類上の区分だが。


アンドロイドの異常行動といっても、その多くが誤作動かエラー、あるいは事故による自立制御不能状態だ。実際、僕らの仕事といえば、東京都の所有物であるアンドロイドが故障した際に、それを安全に回収すること、それ以上でも、それ以下でもない。他にあるとすれば、アンドロイドと関わった人たちの思い出をも奪い去ってしまうことだろうか。擬人化された機械に、どうしても人間の面影を感じてしまう、それが人だろう。記憶が共有されれば、例え機械といえど、そこに残るのは思い出に他ならない。


「星崎、とりあえず守月と一緒にいってくれ。ティエラはこちらで対応しておくよ」


高地はそう言って、早くいけと言わんばかりに目で合図してきた。彼なりの気遣いなのだろう。僕は守月と共に、オフィスを後にした。



都心の喧噪から、それほど距離はないはずなのに、多摩川河川敷付近には建築物も人も、ほとんど存在しない。都心から離れると、東京はたいていこんな感じだ。東京湾まで続くこの巨大河川の向こう側は、かつて神奈川県と呼ばれていたが、今はただただ、東京都が広がっている。


僕と守月は多摩川にかかる首都高横羽線の巨大な橋を通過していた。アンドロイド回収車両を運転する僕は、橋の中央付近で横風にあおられ、ハンドルを取られそうになる。


現場は、多摩川河川敷にある東京都水道局の川崎浄水場であった。施設の老朽化のために改築工事を行っていたらしいが、その作業に従事していたアンドロイドが転落。電子頭脳に問題はなさそうだが、姿勢制御システムにエラーが生じているらしく、自立歩行できない状態だった。


アンドロイドが転落した場合、事故か事件か調べる必要がある。人間は正当な理由なくアンドロイドに不利益を被るような行為をしてはならないことがアンドロイド製造及び管理に関する法律に定められているからだ。


「一応、法令の規定に従って捜査を行います」


守月が事務的な口調で浄水場の管理責任者と思しき50代の男に伝えた。僕たちには東京都の特別司法警察職員として捜査権が認められている。


「はい、お願いします。よろしければ監視カメラの映像がありますので、見ていただければと思います」


状況的に転落事故であることは、ほぼ明確ではあったけれど、書類作成上、なんらかの確証を得ておく必要があった。監視カメラの映像は決定的だった。


この日は確かに風が強かった。このアンドロイドは強風にバランスを崩し、地上3階ほどの高さから、転落したようだ。腰部を強打しており、腰椎に埋め込まれている姿勢制御装置が破損したらしい。アンドロイドの体は意外にもろい。いや、人間のように繊細といったほうが良いのかもしれない。どのみち彼は回収後、田邉重工に引き渡される。一度事故を起こしたアンドロイドはいかなる理由があるにせよ、全システムをクリーンインストールするのだ。どこに故障が起きているのか、もはや人間でもわからないほどに、アンドロイドを駆動している組織は複雑だからだ。


「あの彼は無事に修理できるのでしょうか。もうかれこれ10年近く、私たちと一緒に過ごしてきた仲間なんですよ。」


作業員の責任者は、転落現場付近のベンチに腰掛けているアンドロイドを見ながら、そういった。


「大丈夫ですよ。法律の規定で、東京都が一度回収しなければなりませんが、修理後すぐに復帰できるはずですよ」


しかし、クリーンインストール後のアンドロイドの記憶は完全に消滅し、人格は全く別物になってしまうのだけれど……。


僕はベンチに腰掛けているアンドロイドに近づいて、そっと取り出したパルサーの引き金を引いた。


“がくん”彼の人工筋肉繊維が弛緩していくのが分かる。この人工筋肉は理論上、人間の筋肉の4000倍もの収縮力を有する。現状の設計ではそこまでの出力は無いだろうが、リミッターが外れてアンドロイドが人間に立ち向かってきたら、僕たちはひとたまりもないだろう。


*****


「星崎さん、なんであのまま回収しなかったんですか?あれは起動停止なんてしなくても、どのみち動けなかったじゃないですか。この車であれば安全に回収できたと思いますよ」


回収車の助手席に座る守月がぼそりと言った。確かに起動停止する必要はなかった。あのアンドロイドは動けなかっただけで電子頭脳になにかトラブルを抱えていたわけではない。


「ああ、そうかもしらんな」


少しのあいだ沈黙が流れる。

姿勢制御装置が壊れただけ、まあ、普通はそう思うだろう。でもどこのシステムに異常が起きているか、製造元の田邉重工ですら特定が難しいのだ。結局クリーンインストールされるのなら、アンドロイドの異常行動案件として、あの場で彼の電子頭脳を破壊したほうが安全だろう。


「あ、すみません、なんだか……」

「いや、いいんだ。ただな守月、アンドロイドは東京都の所有物だ。配備というのはあくまでリース契約のようなものに過ぎない。現状、個人でアンドロイドを所有することは許されていないんだ。だからこそ、俺たちの仕事は、異常行動をとりうるアンドロイドの強制起動停止を行う事、アンドロイドによる人身事故を絶対に起こさないよう、アンドロイドを監視することだ」

「星崎さん……」


少し、言いすぎただろうか。僕は自分の発言を後悔することが良くある。あの時以来、なんとなく感情を制御でいなくなってしまう自分が嫌いだ。


人間の英知を結集したミネルウァ型アンドロイド。ミネルウァとは知恵を司る女神。旧世代の人間がアンドロイドを構想した時、人間を超えた知的能力の存在に憧れを抱いたのはごく自然のことかもしれない。しかし、その力を機械に宿した時、それは同時に人間に脅威をもたらす存在にもなり得る。そうではないか?


「いや、守月、お前のやり方でやればいい。俺には俺のやり方がある、それだけだ」


再び訪れた沈黙に、僕は少し気まずくなり、車のアクセルを踏み込んだ。

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