4-5
湘南の海に沈む夕日はきれいだ。あの空を見ていると、明日もなんとか生きようという気にさせてくれる。僕はあそこで波の音を聞いているのが好きだった。僕は海沿いの道を走って帰ることにした。
「ティエラ、海見たことあるか」
ティエラは首を振った。
「左手に見えるのが材木座海岸だ。関東地方で水平線に夕日が沈むところを見ることができる場所はそれほど多くない」
「きれいな空だね」
水平線に太陽が吸い込まれていく瞬間。空に散らばるたくさんの小さな雲たちが、その反射光に照らされ、青と赤の間の幻想的な景色を作り出す。どうしようかとても悩んだのだけど、僕はやはり話すべきだと思った。
「ティエラ、この写真見てくれ」
僕は携帯通信端末を胸ポケットから取り出すと、1枚の画像を表示させティエラに見せた。
「これ、わたし?」
ティエラの驚いた表情を見たのはこの時が初めてだった。ティエラはじっと写真に見入っている。
「いや違う。来宮アメだ」
「来宮博士の娘……」
「ティエラを作ったのは来宮隆に間違えない。俺もそう思うよ。そして博士は自分の娘と全く同じ外見、声、しぐさを表現できるようプログラムを作った」
「なぜそんなことしたんだろう。それに声やしぐさが同じだって、なぜ優樹にわかるの?」
「……アメは死んだんだ。5年前に。俺とプラネタリウムを見た帰りに、アンドロイドの暴走事故に巻き込まれて」
ティエラの電子頭脳はきっと彼女の個人データを住民登録データベースから検索しているに違いない。そう、ティエラには隠し事はできない。
長い沈黙が車内を包む。やはり言わなければよかっただろうか。少し後悔し始めたとき、ティエラの小さな声が聞こえた。
「優樹……アメさんのこと好きだった?」
僕は助手席のティエラに視線を向けた。ティエラもこっちを見ている。夕日が沈み、空から赤い色が薄くなって藍色になっていく。もうすぐ闇が訪れる。
ああ、好きだった。とても。しかしそんなこと、今ここで言ってどうする。僕はティエラの質問に答えることができず、ただ車を走らせていた。
「わたし……」
「ティエラ、ごめん。俺は大丈夫。もう5年も前の話だから。話しておいたほうが良いかと思ったんだけど……。なんだかごめん」
大丈夫なわけなかった。でも、それを今ここで、どんなふうに言葉にして、どんなふうに振舞えばよいのか、僕には良く分からなかった。
「ごめん、変な話をしてしまった」
さらに沈黙が続く。気まずい空気はどんどん重くなる。
やっぱり言わなければよかったという後悔、そして僕は焦燥に駆られながら、少しだけ車のアクセルを踏み込んだ。
その時、急にティエラが大きな声を出した。川崎を過ぎたあたり、僕たちは京浜工業地区にさしかかっていた。
「優樹、あそこ識別番号不明のアンドロイドいる」
あまりに突然だったので、僕はびっくりしたが、確かに前方に誰かいる。見た目は30代の男性、そう僕たちが新宿の代々木ビルで見たあの男だ。急いで車を止めると、その音に気が付いたアンドロイドは逃走を始めた。
「ティエラ、あいつ手に大きな箱みたいなもの持ってた」
「あれ、たぶんハードディスク。研究センターにあったやつだと思う」
僕は携帯通信端末を取り出しイヤーレシーバーを耳にはめた。高地に緊急連絡するためだ。
「高地さん、盗難機体のうち1体と思しきアンドロイドを発見しました。詳しくは後程報告しますが、重要証拠物件を所持して逃走中です」
『星崎、了解。すぐに応援をよこすから、安全な場所で待機していてくれ』
「すぐにって、どれくらいですか?このままだと逃走されます。」
『いいか、お前たちは絶対に手出しするな、応援が行くまで待機していろ』
待機している場合じゃない。あのハードディスクには今回の事件に関わる何かがある。アメの、いやティエラの記憶断片に関する何かかもしれない。なんとかハードディスクだけでも手に入れなくてはいけない。ここで見失うわけにはいかないが、僕たちの任務は当該アンドロイドの回収ではなく捜索だった。管理局本部長命令無視は懲戒処分だろう。僕は一瞬、戸惑ったがティエラはすでに行動を開始していた。
「優樹、いこう」
「おい、ティエラ待てって!」
ティエラがアンドロイドを追って走り始めたのだ。またいつものパターンだ。イヤーレシーバーには高地の怒鳴り声が鳴り響いている。命令だ、なんだかんだ。僕には関係の無い話だ。ティエラを一人で行かせるわけにはいかんだろう。
アンドロイドを追って僕たちは廃墟となった製鉄所の奥に入っていく。日が暮れてしまった今、屋内の内部は目視困難な状況だ。鉄骨が床のあちこちに散乱していて、気を抜くと躓いてしまいそうだ。アンドロイドの姿は見えない。
その時、背後から車が急発進する音が聞こえた。振り返ると、黒塗りのセダンが走り去っていくのが見えた。
「しまった。逃げられたか」
「ちがう、あの車、近藤至が運転している。ハードディスクは持ち去られてしまった。例のアンドロイドは、まだここにいる」
「高地さん、ティエラの映像データ見てますか?」
『ああ、今見ている。近藤至に間違えないようだ。しかしお前たち、いい加減、応援が来るまで待機していろ。例のアンドロイドは危険だ』
「優樹、来る。気をつけて」
イヤーレシーバーに響く高地の声が、隣にいるティエラの声にかき消される。その時何が起こったのか一瞬わからなかった。僕の体は鈍い衝撃と共に宙を舞い、その数秒後に地面に思いきりたたきつけられた。
「うう……」
目を開けると、そこにはあの盗難アンドロイドがいる。僕の体は、まるで鉛を取り付けられたように重く、そして足を挫いてしまったのか、自分の意志で動かすことができなかった。ティエラとの距離はだいたい10メートルといったところだろうか。ティエラは拳銃を構えて盗難アンドロイドに対峙している。
その時、盗難アンドロイドの体が一瞬、宙に舞ったかのように見えたが、次の瞬間ティエラの背後にその機体はいた。そしてティエラの細い首を両腕で締め上げ始めた。ティエラの小さな体は容易に持ち上げられ、彼女の両足が地面から離れた。全てがあっという間に起きた出来事だった。その機動スピードは異常な速さだ。
「あの歩行スピード、まるで飛んでいるみたいだ。リミッターが解除されている」
ティエラの手から拳銃が鈍い音を立てて地面に落ちた。このままではティエラが危ない。僕はバークパルサー腰から引き抜くと盗難アンドロイドに向けて構えた。下手をすると、電磁パルスがティエラの電子頭脳にまで影響してしまうかもしれない。僕はパルサーの電磁パルス発射モードを半径1㎝以内に狭めるnarrow《ナロー》モードに設定した。
「ここから標的までの距離はぎりぎり2メートルか」
「優樹……それを使っては……だめ……」
ティエラの微かな声が聞こえる。早くしないとティエラが死んでしまう。死ぬ?僕は照準を合わす。
イヤーレシーバーから高地の声が鳴り響いていることに僕は改めて気が付いた。ティエラの視覚情報は管理ネットワークシステムを経由して機動捜査課でモニターできる。状況を把握した高地が叫んでいるのだ。
『星崎、パルサーをしまえ。標的を破壊してはだめだ』
「ティエラを見捨てろってんのか、高地さん」
『……』
僕はパルサー構え続ける。もう少し左。そうだ、あと2mm。ここだ。
『星崎、やめろ!!』
僕は引き金を引いた。鈍い音とともに、ティエラの背後にいる盗難アンドロイドの姿勢がぐらつく。そしてティエラの小さい体が地面にゆっくり落ちるのが見えた。少し遅れて盗難アンドロイドが崩れ落ちる。
「起動停止……できたか」
僕はそのまま意識を失った。
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