8-4

自分のデスクに戻った僕はコーヒーを一口のむ。解決したかに見えた近藤の事件は、着実に進行していた。それも最悪の方向で。


「まさかアンドロイドを密輸なんて……できるはずがない。いくらリミッターが解除されているからと言って、管理ネットワークにつながっている以上、あのアンドロイドは僕らの管理下にある」


僕はそうつぶやいたあと、急に不安に襲われた。


「管理ネットワークにつながっている限り?」


そういえば、近藤が持ち去った大型のコンピュータ端末は、アンドロイドの整備端末だったのではないか。となると、彼らの企みはアンドロイドの遠隔操作ということもあり得る。つまり、管理権限を僕たちから奪うこと。その直後だった。後ろにいる守月が叫び声を上げたのは。


「星崎さん、これ、見てください」


守月の表情が完全に固まっている。


「どうしたんだ?」


僕は守月が指を指している、アンドロイドの管理モニターを見た。陸上自衛隊配備中の5体アンドロイドすべてが、ブラックアウトしている。


「管理ネットワークの接続が遮断されました。5体のアンドロイド、全て」


この国でテロ事件が起きたのは何年振りだろうか。いや、そもそもこの国でテロ事件なんてものがあっただろうか。国家を揺るがす事態に、行政はなす術を知らない。この時までに訓練を続けてきたであろう、警察の特殊急襲部隊も、世界秩序を回復するには経験が少な過ぎた。管理局本部から帰ってきた上野局長がすべてを説明してくれた。


悪夢のような今回の事件は、佐々木が朝霞駐屯地から5体のアンドロイドを強奪し、輸送用トラックで逃走したところから始まる。同時期に失踪中の近藤は日本通信社横須賀ビルにあるオフィスの一画で、この5体のアンドロイドの管理権を東京都から奪い、遠隔操作モードを起動させた。


さらに、ヘッケラー社製のMP7、つまりサブマシンガンと実弾数千発が朝霞駐屯地の装備管理室から不正に持ち出されていた。当然ながらそれらの銃火器はアンドロイド5体に装備され、完全武装したアンドロイド部隊は近藤の遠隔操作により、横須賀ビルを制圧。勤務していた日本通信社社員80名を人質にとり、日本国政府に対して、輸送用ヘリコプターの調達と3億5千万円もの多額の身代金を要求した。ヘリコプターは朝鮮連邦共和国へのアンドロイド輸送目的であることは明確であった。


「われわれの予測はほぼ的中してしまった。おそらく、人類史上、最悪のアンドロイド事故、いや事件だ」


そう言った上野局長が深いため息をつく。管理用ネットワーク回線が遮断された今、アンドロイド管理局で遠隔起動停止を行うことは不可能となってしまった。


「輸送ヘリと身代金の用意はいつまでに行えばよいのか、犯行グループから指示は出ているんですか?」


高地はこういう時でも、わりと冷静だ。


「明朝8時まで」

「警視庁の動きは?」

「特殊急襲部隊が出動しているが、人質の奪還は難しい。なにせテロリストと行動を共にしているアンドロイドは、視覚センサー、聴覚センサーが大幅にスペックアップしているうえ、全地球測位観測システムにも常時アクセスできる。警察の動きを瞬時に察知してしまうんだよ。それに人が対峙して勝てるような相手ではない。5体全ての身体能力が極めて高いうえに、サブマシンガンで武装している」

「それじゃ、どうしようもない……ということじゃないですか」


長い沈黙が整備室を包む。そう、もはや手の打ちようがないことは目に見えていた。時間だけがただ虚しく過ぎていく。そんななか、沈黙を最初に破ったのはティエラだった。


「わたしのプログラムを使えば、起動停止できる」


皆が一斉にティエラを振り返る。充電ポットに座るティエラは表情一つ変えずにそういった。


「ティエラ?何言ってるんだ」


僕はこの時、その意味をよく理解していた。そう、おそらく理論上はうまくいく。だけどそんなことをしたらどうなるかは誰に説明されるまでもなく明らかだ。僕は胃の底から湧きあがる不安感と闘いながら、平静を保とうとした。


「そのアンドロイドは通常のインターネット回線には接続されているから、わたしのクロノスプログラムを起動させれば、5体のアンドロイドすべてを遠隔起動停止できる」


そんなことは分かっている。しかし、そうすることで、君も起動停止してしまう。


「そんなことをしたら、ティエラも起動停止してしまうんだよ」


石上が泣きそうな声で叫んだ。


「でも、そうするしかない」


高地が椅子から立ち上がって、会議室をゆっくり見渡す。


「おい待て、まだ時間はある」


高地の言葉にはっとする。落ち着かなくてはいけない。こんな状態では、何も考えられないし、何も決断できない。


「とにかく、今は本部長の指示に従い、全職員ここで待機だ。現場に言っても俺らができることはない。星崎、ちょっといいか?」


高地は上野局長の方を見ると、ゆっくりうなずいて、おぼつかない足取りの僕の手を引き、会議室まで連れて行った。

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