最終話-意志-

陸上自衛隊の朝霞駐屯地、この広大な敷地内の北側に、装備施設本部棟はひっそりと建てられている。この建物の地下1階には、銃火器などを保管している装備管理室があり、見た目とは裏腹に重要な施設の一つだ。


佐々木孝之は装備部長室から出ると、狭い廊下を抜け、地下1階に続く階段を下りて行った。装備管理室のドア横に設置されているカードリーダーに自分のIDカードを通すと、小さなモニター画面を親指で押す。指紋認証システムのアラーム音が小さくなると、装備管理室のドアが開いた。靴音だけが響く薄暗いこの室内の奥には、5体のアンドロイドが充電ポッドに着座している。


数日前に機動捜査課より移譲され、田邉重工本社にで、災害救助用にカスタマイズされたこの機体は、現在、待機モードで稼働中である。佐々木は腕を組んだまま、充電中の5体のアンドロイドを見つめている。


携帯通信端末のバイブレータ音が室内に鳴り響く。佐々木は胸ポケットから通信端末を取り出した。


『佐々木部長、こちらの準備は完了しました』

「良くやった。近藤君、最後までしっかり頼む。計画は予定通りだ。私が指示したタイミングで、アンドロイドの管理アクセス権を奪え」

「はい」


そういって、佐々木は通信端末をいったん切ると、再度、誰かと通話をはじめた。


「ああ、私だ。通訳を頼む。――作戦は予定通り進行中だ。あとは要求さえ受け入れられれば、何も問題ない。――受け入れられない可能性?――ああ、それはないだろう。大丈夫だ。心配するな。すべては計画通りだ。――では、また連絡する」



********************


いつものように機動捜査課のオフィスのドアを開けると、高地の姿が見えなかった。


「あれ、守月一人か?高地さんは?」

「高地課長なら、上野局長と一緒に新宿の本部会議に行きましたよ」


今日、会議が予定されているという記憶はない。僕は壁に掛けられているスケジュール表を見たが、やはりいつものように空欄ばかりが目立つ。しかも局長と課長2人揃っていくなんて珍しい。


「この人で不足の時に、2人でいっしょなんてなぁ」

「なんでも緊急だそうで。高地さん、昨日もあんまり寝てなかったみたいです」


この部署はもちろん24時間対応だけど、大抵いつも高地がオンコール。つまり自宅に帰っても緊急要請に対応できるよう、準備している。一般的なアンドロイドの通常作動設定では、夜になると充電モードに移行するので、24時間対応にする必要性はあまりない。ただ、これもでも一応は特別司法警察職員なので、緊急対応できるよう準備しておかねばならない決まりになっている。


「大変だな、あの人は」


僕は自分のデスクに座ると、京浜工業地帯の捜索に関する報告書を書き始めた。あの日はまる一日歩いたが、結局手がかりなんて見つからなかった。


「守月、何見てんだ?暇ならコーヒー買ってきてくれよ」


守月はテレビでも見ているようにパソコンのモニター画面を眺めていた。


「星崎さん、これでも僕は忙しいんですよ。なにせ陸上自衛隊配属のアンドロイドを監視してるんですから」


僕は守月の隣に行き、彼が見ているモニタ-画面をのぞき込む。そこには先日、陸上自衛隊に配備されたばかりのアンドロイド5体に関する管理メニューが開いてある。


「ああ、この間までうちの課にもいたアンドロイド、あれは今、陸上自衛隊にいるのか」

「それが先輩、このアンドロイド、ものすごいんですよ。ちょっと見てください」


守月は、自分のデスクの上に乱雑にならんでいるファイルをあさると、一つのクリアファイルを取り出し、中から1枚の紙を取り出した。それは陸上自衛隊に配備されたアンドロイド5体の個体データの仕様表だった。


「守月、これお前が考えたのか?」


そこにはあり得ない数値が書かれていた。おそらくセーフティーモードを解除すると、こういう仕様になるのだろう。飛ぶようにティエラの背後に回った、あの盗難アンドロイドを思い出した。


「何言ってんすか、これ本物の仕様データですよ。すごいですよね。石上さんに見せたら、驚いてましたよ。これが暴走したら、誰も止められないのっ、なんちゃって」


守月は石上の口調をまねたようだったが、全然似ていない。物まねはともかく、この身体スペックは違法改造なのではないかと僕は疑問に思った。


「守月、馬鹿か。これ違法仕様じゃないか。どういう事なんだ?」

「そう思いますよね。でも個体識別番号もしっかり付与されていて、現にここで管理できてるんですよ。つまり東京都が起動承認をしているってことですよね。特例かなんかじゃないですかね。陸上自衛隊ですから」


確かに災害救助用と言ってたが、あれだけの歩行スピードが必要かと言われると、その必要性を全く感じない。歩行速度だけでない、耐久性能、腕力、握力、聴力センサーや視力センサーまで大幅にスペックアップされている。


アンドロイドの身体能力は法律の規制によって、人間の身体能力を大幅に上回るよう設定してはいけないことになっている。万が一、暴走した場合、それを止めるのが人間である限り、人の身体能力を超えたものに対して、僕たちはなす術がないからだ。


「確かに、これが暴走したらどうにもならんな。それこそ陸上自衛隊でどうにかしてもらうしかない」


その時、オフィスの自動ドアが開く音がして、ティエラが入ってきた。


「優樹、準備できた。行こう」


――そうだ、そろそろ行かないと。

守月としゃべっていたら、なんだか報告書を書きそびれてしまった。


「守月、俺とティエラは、アンドロイドの回収に言ってくるよ」

「ああ、昨日止まっちゃったやつですよね。もう10年以上も稼働してましたから」


僕とティエラはアンドロイド回収専用車に乗り込むと管理局を後にした。


********************


介護、福祉の現場では少子高齢化の影響をもろに受け、現場の人員不足は深刻だった。東京都は介護分野にいち早くアンドロイドを実用化し、この問題解決に乗り出したのだ。実用化から既に10年以上が経過している。経年劣化によるアンドロイドの故障や、予期せぬシステムエラーで自動停止する機体も最近では増えてきた。


「“大森かしわ園”……、あれだな」

「特別養護老人ホーム 大森かしわ園。間違えない」


ティエラが車に乗っていると、カーナビゲーションシステムを使う必要がない。このあたりは再開発で、すぐに街並みが変わってしまうから、カーナビが役に立たないことも結構ある。守月は方向音痴でカーナビ以上に役に立たないから、ティエラが隣に乗っていると、本当に助かる。


僕たちは高層マンションのような建物へ入っていった。ここはいわゆる高齢者施設。入居している高齢者を介護するために配備されいたアンドロイドが、昨日の夕方、何の前触れもなく起動停止してしまったとのことだ。


「お待ちしておりました。当施設の責任者をしております、田中と申します。どうぞ、こちらです」


僕たちが施設の正面玄関から入ると、待っていてくれた田中と名乗った女性が、施設の中を案内してくれた。建物内は明るく、光がたくさん入るよう設計され、清潔感もあるきれいな内装だった。


「ここです。どうぞお入りになってください」


医務室と書かれた部屋の奥には、3つほどベッドがあり、その一番奥に40代くらいの男性が横たわっていた。


「ずっと一緒に仕事をしてきました。昨日、自分からこの場所で横になって、このまま動かなくなったんです」


僕は男性が横たわっているベッドの近くに行き、彼の後頸部にあるアクセスポートを開いた。


「ティエラ、識別番号はM-168794。エラー種別は自律的起動停止。間違えないか?」

「経年劣化による電子頭脳のシステムエラー。大丈夫、既に起動停止している。このまま回収できる」


僕は施設長の女性に向き直ると、この状況を説明した。


「彼は経年劣化によるシステム異常のため、安全装置が起動し、自律的に停止しました。このアンドロイドは法律の規定で、東京都が一度回収しますが、保険福祉局に申請していただければ、代わりのアンドロイドが再配備されます」

「彼はこのまま修理できないのでしょうか」

「システムエラーを起こしているので、再起動するには、内部システム全体を交換する必要があります。その際、彼の記憶や人格も消えてしまいます」

「そうですか。彼はもう……」


********************


「ティエラ、アンドロイドの寿命ってどれくらいなんだ?」


帰りの車の中で僕はティエラに聞いた。公式な仕様ではアンドロイドに寿命という概念はない。機体そのものは、再利用が可能だし、アンドロイドに期待されている役割は、減少した生産年齢人口がもたらした労働力不足を補うことである。そこには本来、人間性というものはあまり求められていないのだ。つまり大方の人はアンドロイドを消耗品として見ている。


ただ人工生命リバティーはアンドロイドの中で成長を続け、現場で長く稼働していると、人とのコミュニケーションもうまく取れるようになっていく。長年一緒に働くことで、人によっては大事な職場の仲間、という認識が芽生えることも多い。こうしたアンドロイドが経年劣化で起動停止してしまうと、心的なストレスを受けてしまう人も確かに存在する。東京都ではこのような“アンドロイドロス”つまり、アンドロイドを失ったことによる心的ストレスを少しでも軽減するために、アンドロイドの個人所有を認めていない。


「アンドロイドに寿命と言う概念はないけど、これまでの東京都の回収データによると、起動承認を得てから、起動停止まで、平均11.5年」

「そうか、だいたい10年くらいか」

「わたしも10年たったら、こわれてしまうのかな」

「ティエラ……」


限られた時間だと、最初から分かって生きていくこと、それは今の僕にはとても想像のつかないことだ。生きている時間の中で死というものを知るには他者の死を見るしかない。ティエラはアンドロイドの“死”を見ることで、自分にとっての死というものと、必然的に向き合わざるを得ないのかもしれない。


「10年もたてば、電子頭脳の記憶とか、そういうのも失わずに再起動できる技術が生まれているはずだよ。きっとね」

「うん」


僕は助手席に座るティエラを見た。いつも窓から外の景色を見ているティエラだけど、今は僕の方を向いている。


「優樹、ありがとう」


その時、携帯通信端末が着信を知らせた。僕は携帯通信端末をハンズフリーモードに切り替え応答した。


『高地だ。今どこにいる』

「高地さん、お疲れさまです。今、大森付近です」

『そうか。近くだな。緊急で伝えたいことがある。寄り道せずに帰ってきてくれ』

「了解です。緊急って何かあったんですか」

『近藤至の計画、その一部が判明した。アンドロイドの密輸計画だよ』

「密輸??」

『詳しくは後で話す。すぐに帰ってきてくれ』


よほど忙しいのだろうか。高地は突然、通信を遮断してしまった。


アンドロイドはたとえ国内でも東京都以外に持ち出すことはできない。すべてのアンドロイドは東京都で管理しているというのに、それを国外に輸出することなんて、どうやったらできるんだろう。僕はこの時、なぜか漠然とした不安を抱えていた。

――なんだか嫌な予感がする。


********************


僕たちが管理局につくと、既にみんな集まっていて、高地はすぐに説明を始めた。事態が深刻な状況なのは高地の顔つきを見ればわかる。


「上野局長は新宿の本部管理局にいる。当分帰れそうにない。それで、とりあえず俺が状況を報告する」


1区~5区の管理局局長は新宿にある本部管理局でいまだ会議中らしい。こんなことは初めての経験だった。


「端的に言おう。近藤至の計画はアンドロイドの朝鮮連邦共和国への密輸だ。この件に関して、陸上自衛隊の関与が示唆されている。これは星崎たちが回収した、例の盗難アンドロイドに残っていた電子頭脳から、映像データの断片を再構築して判明したことで、おそらく事実だ」


朝鮮連邦共和国は朝鮮半島に広がる日本の隣国であり、30年前に南朝鮮と北朝鮮が統一されて生まれた国家であったが、未だ内戦がやまない地域である。


「密輸って、東京都のアンドロイドを国外に持ち出すんですか」


守月の声もいつもとは違う緊張感が感じられる。アンドロイドは人の管理無くしてその存在を許されない。東京都以外に持ち出すことはあってはならない。


「そういうことになる。どのような方法で密輸するかについてまでは、分かっていない。なにせ、断片的なデータしか回収できていないから、事実関係の詳細は現在も調査中だ」


アンドロイドを密輸するには輸送ヘリか、船舶が必要だろう。アンドロイドだけでなく、充電ポッドや長期に使用するためには整備端末も必要になる。


「で、これまでの手がかりから推測すると、陸上自衛隊に配備されたアンドロイド5体、あれが密輸対象になる可能性がある。これはまだ確定した情報ではない。ただ、可能性としてはそれが一番高い」


「それって、守月が担当している機体ですよね?」

「ああ。そうだ。管理体制を強化してくれとの通達が出ている。いつでも遠隔起動停止ができるよう、既に本部局長の命令書もここにある。万が一の場合、強制機動停止の承認は俺がやる」


「高地さん、あの機体、身体機能のリミッターが解除されているように思うんですが」


石上が指摘する。


「ああ、リミッターは解除されている。東京都の特別承認だ。しかし、これにも近藤の関与が示唆されている。あらかじめ、リミッターを外したアンドロイドを5体用意したかった、たぶんそれだけだ。災害救助用とか、そんなのは名目上の問題。だから盗難したアンドロイドでリミッター解除後のテスト運用を行っていた」


そうか、やはりあの盗難アンドロイドはリミッター解除後の試験運用を行うために持ちだされたものだったのか。


「密輸計画はたしかだが、その方法を含め、それ以上はあくまで推測に過ぎない。事実関係の詳細は本部管理局と警視庁が調査中だ。だが可能性としては十分あり得る。陸自に配備されたアンドロイドの動きに注意してくれ」



********************


佐々木は、田邉重工製の21式大型トラックに乗り込むと、エンジンをかけた。最大22名の乗員を載せることができるこの大型トラックに、今は佐々木一人しか乗っていない。朝霞駐屯地の正門前で守衛の自衛隊員に呼び止められ、一旦停車した。


「佐々木陸佐、どちらへ」

「訓練だよ」

「本日、訓練は予定されておりません。積み荷を確認させて下さい」


自衛隊員が車の後方に回るのを確認すると、佐々木はアクセルを思いっきり踏んだ。バックミラーに映る守衛の自衛隊員があわてた様子で、通信端末に向かって何かを叫んでいる。きっと応援を読んでいるのだろう。


佐々木はトラックを運転しながら、胸ポケットに手を入れ、携帯通信端末を取り出す。


「近藤君、準備は良いか」

『はい、佐々木部長、いつでも大丈夫です』

「臨海副都心経由でそちらに向かう。アンドロイドは無事に収容し、現在輸送中だ。もう、ここらで良いだろう。遠隔操作プログラムに切り替えろ」

『了解しました』

「そちらに着いたらまた連絡する」


********************


自分のデスクに戻った僕はコーヒーを一口のむ。解決したかに見えた近藤の事件は、しっかり進行していた。まさかアンドロイドを密輸なんて……できるはずがない。いくらリミッターが解除されているからと言って、管理ネットワークにつながっている以上、あのアンドロイドは僕らの管理下にある。管理ネットワークにつながっている限り?


そういえば、近藤が持ち去った大型のコンピュータ端末は、アンドロイドの整備端末だったのではないか……。となると、彼の企みはアンドロイドの遠隔操作!?


「いや、これは本当にまずいかもしれない」


僕が独り言のようにつぶやいたその直後、守月が叫び声を上げた。


「星崎さん、これ、見てください」


守月の表情が完全に固まっている。


「どうしたんだ?」


僕は守月が指を指している、アンドロイドの管理モニターを見た。陸上自衛隊配備中の5体アンドロイドすべてが、ブラックアウトしている。


「管理ネットワークの接続が遮断されました。5体のアンドロイド、全て」


この国でテロ事件が起きたのは何年振りだろうか。いや、そもそもこの国でテロ事件なんてものがあっただろうか。国家を揺るがす事態に、行政はなす術を知らない。この時までに訓練を続けてきたであろう、警察の特殊急襲部隊も、世界秩序を回復するには経験が少な過ぎた。本部管理局から帰ってきた上野局長がすべてを説明してくれた。


悪夢のような今回の事件は、佐々木が朝霞駐屯地から5体のアンドロイドを強奪し、輸送用トラックで逃走したところから始まる。同時期に失踪中の近藤は日本通信社横須賀ビルにあるオフィスの一画で、この5体のアンドロイドの管理権を東京都から奪い、遠隔操作モードを起動させた。


さらに、ヘッケラー社製のMP7、つまりサブマシンガンと実弾数千発が朝霞駐屯地の装備管理室から不正に持ち出されていた。当然ながらそれらの銃火器はアンドロイド5体に装備され、完全武装したアンドロイド5体は近藤の遠隔操作により、横須賀ビルを制圧。勤務していた社員80名を人質にとり、日本国政府に対して、輸送用ヘリコプターの調達と3億5千万円もの多額の身代金を要求した。ヘリコプターは朝鮮連邦共和国へのアンドロイド輸送目的であることは明確であった。


「われわれの予測はほぼ的中してしまった。おそらく、人類史上、最悪のアンドロイド事故、いや事件だ」


そう言った上野局長が深いため息をつく。管理用ネットワーク回線が遮断された今、アンドロイド管理局で遠隔起動停止を行うことは不可能となってしまった。


「輸送ヘリと身代金の用意はいつまでに行えばよいのか、犯行グループから指示は出ているんですか?」


高地はこういう時でも、わりと冷静だ。


「明朝8時まで」

「警視庁の動きは?」

「特殊急襲部隊が出動しているが、人質の奪還は難しい。なにせテロリストと行動を共にしているアンドロイドは、視覚センサー、聴覚センサーが大幅にスペックアップしているうえ、全地球測位観測システムにも常時アクセスできる。警察の動きを瞬時に察知してしまうんだよ。それに人が対峙して勝てるような相手ではない。5体全ての身体能力が極めて高いうえに、サブマシンガンで武装している」

「それじゃ、どうしようもない……ということじゃないですか」


沈黙が僕たちを包む。そう、もはや手の打ちようがないことは目に見えていた。時間だけが過ぎていく。そんななか、沈黙を最初に破ったのはティエラだった。


「わたしのプログラムを使えば、起動停止できる」


皆が一斉にティエラを見る。


「ティエラ?何言ってるんだ」


僕はこの時、その意味をよく理解していた。そう、それで理論上はうまくいく。だけどそんなことをしたら……。僕は胃の底から湧きあがる不安感と闘いながら、平静を保とうとした。


「そのアンドロイドは通常のインターネット回線には接続されているから、わたしのクロノスプログラムを起動させれば、5体のアンドロイドすべてを遠隔起動停止できる」


――そう、そんなことは分かっている。しかし、そうすることで、君も起動停止してしまうんだ。


「そんなことをしたら、ティエラも起動停止してしまうんだよ」


石上が泣きそうな声で叫んだ。


「でも、そうするしかない」


高地が椅子から立ち上がって、会議室をゆっくり見渡す。


「おい待て、まだ時間はある」


高地の言葉にはっとする。落ち着かなくては。こんな状態では、何も考えられないし、何も解決できない。


「とにかく、今は本部局長の指示に従い、全職員ここで待機だ。現場に言っても俺らができることはない。星崎、ちょっといいか?」


高地は上野局長の方を見ると、ゆっくりうなずいて、おぼつかない足取りの僕の手を引き、会議室まで連れて行った。


********************


高地が部屋の扉を閉める。


「星崎。実はさっきのティエラの提案。あれはすでに本部局長会議でも話が出ていた。クロノスプログラムを起動させ遠隔起動停止が成功すれば、この件は解決する可能性が高い。しかし、ティエラは正常起動している。つまり、所有法人の代表者が強制起動停止の同意書にサインしなければ、本部局長命令と言えど、起動停止をさせるような行為をアンドロイドに対して実行できない」

「本部局長はクロノスプログラムの発動命令を出しているんですか?」

「ティエラの承諾と所有法人、まあこの管理局だが、その同意が得られればな」

「そんな……なんてこと……」


大切な誰かの存在が、その確かなぬくもりが消えてしまうことほど悲しいことはないだろう。僕はそれを痛いほど知っている。ここでまたそれが繰り返されるというのか。もしそれが運命なのだとしたら、僕はこの運命にどう向き合えばよい?


「ティエラは受け入れている。星崎、タイムリミットまで数時間、ティエラのそばにいてやってくれ。後はお前に任す」


そう言って高地は僕の肩を軽くたたくと、一枚の書類を手渡してきた。


『アンドロイド強制起動停止に関する同意書』


僕は震える手でそれを受けとった。高地が部屋を出て行ったあと、僕は会議室の椅子に座りこみ、しばらく動けなかった。涙があふれてきて、どうにも止まらなかった。


人間の進化を「生物学的な進化」と「技術的な進化」に分けるとするならば、ここ数百年においては後者による進化が急速に進んでいることは間違えない。人間の機械化、その果てに、人間組織の何を残せば機械ではなく人といえるのだろうか。こうした問いから明らかなのは、“人たらしめる基準”が社会から要請されるものであることに他ならない。アンドロイドと人間との間に、もやは明確な境目など存在しないのだ。ティエラの強制起動停止なんて考えられない。僕はどうしようもない無力感と絶望感に包まれながら、涙を流し続けた。


どのくらい時間が経っただろう。夕日は沈み、あたりが暗くなる。ここは、いつもと何も変わらない品川の街。しかし、横須賀では今でも、武装アンドロイドと、警察の特殊急襲部隊が、それぞれの思いを錯綜させながら対峙している。この国は決してテロリストとは交渉しない。それは十分に分かっている。取るべき手段が一つしかないことも。


ドアの開く音がした。僕は顔を上げることもできない。誰かが入ってきて、こちらに向かってゆっくり歩いてくる気配を感じる。


あの足音……。すぐ後ろにいる。小さな手が僕の目の前にかかる。後ろから抱きしめられている。


「優樹、わたしは大丈夫」


僕はティエラの手を握る。こぼれ落ちそうな涙を必死でこらえながら、しばらくそうしていた。


「同意書、サインしてほしい」


僕は顔を上げた。机の上におかれた一枚の書類をあらためて見る。さきほど高地に渡された強制起動停止の同意書だ。ティエラがクロノスプログラムを使うことにより、ティエラも起動停止してしまうため、所有法人代表の同意書が必要なのだ。本来では上野局長がサインするはずなのだが、高地が配慮してくれたのだろう。


「これにサインしてしまえば、ティエラは消えてしまう」

「わたしは消えないよ。ずっと、優樹のそばにいる」


僕は後ろを振り返り、ティエラを見た。ティエラは笑顔だった。


どうして、こんな時に……。


僕はこの時、ティエラの意志を理解した。彼女は自分が消えてしまうことを受け入れている。これしか方法がないこと、この方法でないと世界の秩序を回復できないこと。すべての覚悟を決めているからこそ、彼女は笑顔でいられるんだと。僕は椅子から立ち上がり、そのままティエラを抱きしめた。


そして、同意書にサインをした。


********************


僕たちは結局、そのまま朝まで、会議室に二人でいた。高地も、石上も、守月も、上野局長も、経理課の人達も、誰一人、この部屋には来なかった。

――夜が明け始める。タイムリミットの8時まであと少ししかない。


「優樹、行こう。みんなが待ってる」


僕はうなずいて、会議室のドアを開けた。狭い廊下をティエラと手をつなぎながらゆっくり歩き、整備課のメンテナンスルームの扉をあける。5区管理局のみんながここで待っていた。


ティエラを充電ポッドに座らせると、僕はそばにいた高地に一枚の書類を手渡した。


「高地さん、これ。お願いします」


ティエラの強制起動停止に関する同意書だ。高地は無言だったが、書類を受けとると、大きくうなずいた。


石上は自分の机に向き直るとパソコン端末を操作し始めた。僕は充電ポッドに座るティエラの隣に座った。ティエラの小さな手を握ると、ティエラは僕の手を握り返してくれた。涙がこぼれそうで、僕は顔をあげられない。


「優樹、あなたに出会えてよかった」

――ティエラ。

涙が頬を伝う。

「わたしのために泣いてくれて、ありがとう。またいつか、またいつか、星空をみよう」

「うん、そうだな」

「新宿の夜景も」

「ああ、そうだな」

「湘南の海も」

「ああ」

「わたしはいつでも、優樹のそばにいるから」


ティエラは石上の方に顔を向けると、軽くうなずいた。


「大丈夫。ルナ子、始めよう」


石上はうつむいていたけど、彼女も泣いていた。


「守月、例の5体のアンドロイド、個体識別番号を読み上げて」

「はい。M-990001、M-990002、M-990003、M-990004、M-990005。以上5体です」


石上のキーボードをたたく音だけが鳴り響く。


「準備完了。上野局長、指示をお願いします」


「優樹、またね」

ティエラは微かにほほ笑んだ。僕はいつもこの笑顔を見たいと、そう思っていた。またいつか、またいつか、君の笑顔に逢いたい。

「ティエラ……」


「陸上自衛隊配備アンドロイドM-990001~5番、並びに第5区機動捜査課配備アンドロイドC-980001番の強制起動停止実行を許可する」

「許可命令確認。遠隔起動停止……実行」


「また会おうね、優樹」

「うん、また……」


握りしめたティエラの手から力が徐々に抜けていくのが分かる。ティエラの瞳が閉じられていく。30度しかないティエラの体温はどんどん冷たくなっていく。


「遠隔起動停止完了。標的アンドロイド、及びティエラ起動停止しました」

――いつかまた、またきっと会おう。


アンドロイド5体とティエラが起動停止した後、僕は何が起きたのかよく覚えていない。世界から音が消えてしまったと錯覚するほどに、誰の声も頭の中には入ってこなかった。僕はしばらくティエラのそばにいた。まるで寝ているように、そして、何か楽しい夢でも見ているかのように、彼女はとても穏やかな顔をしていた。


横須賀では、武装したアンドロイドが起動停止した後、警視庁の特殊急襲部隊がビル内に潜入。80名の人質は無事保護され、近藤は逮捕された。佐々木は、ビル屋上にて自殺を図ろうとしたところ、警察官に保護された。史上最悪のアンドロイド暴走事案と言われたこの事件であったが、公式の発表では死傷者は一人も出なかったそうだ。


ティエラは起動停止後、5区管理局のアンドロイド回収車両に運ばれた。田邉重工本社へと運ばれるのだ。車を運転するのは高地。そして、5区管理課職員全員がティエラを見送った。

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