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僕とティエラは田邊重工の旧人工生命研究センター跡地へ向かった。ここは東京都5区の南のはずれにある。沿岸部は、湘南地区と呼ばれ、海に沈む夕日を見ることができる関東地方でも珍しい場所だ。この場所は海が近いのだけれども、山も多い。起伏の激しい細い道を車で走りながら、僕は来宮隆とティエラのことを考えていた。来宮隆は記憶の電子化に関する研究をしていた。アメの記憶を電子化することでティエラの電子頭脳に……。


「まさか、そんなことできるはずない」


僕は独り言のようにつぶやいて、助手席に座るティエラを横目で見た。相変わらず彼女は無表情で窓の外の景色を眺めている。


旧人工生命研究センターはそれほど大きな施設ではなかった。やや高台に建てられたこの建物からは、湘南地区の海が一望できる。僕たちは、正面玄関の施錠を解除し、薄暗い施設内に入っていった。ほこりまみれの内部には、細い通路と、その両側にたくさんの研究室が並んでおり、まるで病院の廊下と、その病室のようだ。


「奥に非常電源装置がある」


ティエラが小声で言った。館内の明かりをつけないと、何も捜索できないほどに、内部は暗い。僕たちはゆっくりと通路の奥進み、正面の壁に埋め込まれた赤いボックスの前で立ち止まる。そこには「非常電源装置」と書かれていた。


「ああ、これか。ブレーカーが下りている」


僕は電源装置を確認すると、やや大きめのブレーカーレバーをゆっくり押し上げた。大きな作動音とともに非常用電源が駆動する。しばらくして館内の非常用照明が点灯した。これで先ほどよりも視界がだいぶましになった。


「優樹、待って。わたし、この場所を知っている」

「知っている?まさか。ティエラがここに来るのは初めてだろう?」

「うん、来るのは初めて。でもここ知っている。こっちに来て」

「お、おいちょと待て」


どうしてあつはいつも勝手に動きだすんだ。空気が読めるというクロノスだかなんだかは完全に失敗作だ。言葉数も少ないから何考えているのか、いまいちわからない。いや、いまいちというより全く分からない。アメもそうだった。でも突然、笑顔になったりするから。だから……。


僕たちは施設通路奥の階段から地下1階に下りてきた。


「ここ。この部屋」

「この部屋?」


部屋の扉には、この部屋の部署名を示していたであろう、ほこりまみれの小さなプレートが貼り付けてある。僕は指でプレートのほこりをはらった。


「じんこうちのうじかん……なんだか読めないな、何とか開発室って書いてあると思うけど」


経年劣化であろうか、プレートに刻まれていたであろう文字は消えかかっていたうえに、薄暗い館内の灯りではとても判別できなかった。


「うん、たぶん人工知能時間モデル開発室」


人工知能時間モデルとはクロノスプログラムそのもののことではないのか。クロノスはここで研究開発されていたとでも言うのか。という事はつまり、ティエラもここで開発されていた、そういう事になる。


「ティエラ、なぜここを知っている?」


ティエラがまっすく僕を見ている。瞳が大きいな、とあらためて思う。アンドロイドの瞳は、人間とほとんど同じ構造をしている。というより人間の目を構成している組織が極めて機械的だともいえる。角膜から水晶体を抜けた光は硝子体を通過し、網膜に集められる。アンドロイドの網膜はCMOSイメージセンサだが、瞳に集められる光の量を調節する虹彩まで人間のそれと同じように作られている。そしてティエラの色素の薄い茶色の瞳は間違いなくアメをモデルに作られている。


「私は以前この部屋にいたと思う。でも記憶が断片的で。良く思いだせないけど、私、確かにここにいたよ」

「わかった。この部屋に入ってみよう」


ティエラの電子頭脳には起動承認前の記憶の断片が残されているかもしれない。でもいったい何のために彼女にそんなものを残しておいたのだろうか。僕はドアノブを回して部屋に入ろうとしたが、扉は開かなかった。当たり前だ。施錠されている。


「電子キーで施錠されている。大丈夫、今解除するから」


ティエラはそう言うとあっという間に施錠を解除した。扉を開けて中に入ると、部屋は相変わらずほこりだらけだった。机がいくつかあるだけで、その他には何もない。机の引き出しにも、書類や手掛かりになりそうなものは見当たらなかった。引き上げようかと考えたその時、ティエラが何かを発見した。


「優樹、これを見て」


ティエラが部屋の奥におかれた机の上を指差している。この部屋にいくつかある机の一つのように見えるが、明らかに他の机と違っていた。


「この部分だけほこりをかぶっていない。ティエラ、ここにおいてあったもの、最近持ち出されている」

「優樹、ドアノブに指紋があるかもしれない」

「ああ、そうだ」


僕は急いでドアノブの指紋を採取作業に取り掛かったが、指紋らしきものは検出されなかった。


「ティエラ、あの机の上にあったもの、大きさはどれくらいだろう」

「横40センチ、たて60センチ、たぶん大きめのハードディスクかなにか。ほこりの蓄積状況から、昨日か今朝持ち出されたと思う」

「そうか。誰かがここに来たことは間違えなさそうだね」

「ここには来宮博士がいた」

「来宮?」

「うん、たぶん、私を設計した人」

「ティエラ、そのこと、何故わかるんだ?」

「記憶の断片を再構築している。でもうまく構成できない。私はここで作られた、来宮博士の手で。たぶんそれは確かなことだと思う」


やはり来宮隆はなにがしかの記憶に関するデータの痕跡をティエラの電子頭脳に残している。それがアメの記憶なのか、来宮隆の記憶なのか、わからないけれど、僕はこの時そう確信した。


「わかった。とりあえず、これ以上手がかりが無いから、一度戻ろう。課長にも報告しないといけない。」

「うん」


これ以上の収穫はないと判断し、僕たちは研究施設を後にした。

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