第9話 Chrysoprase

「毎度…最近よく来るけど、この辺に住んでるのかい?」

 弁当屋の店主が声を掛ける。

 すっかり馴染になってしまったサナコ。

「えぇ…」

「2個ってことは…恋人か…旦那か?羨ましいね~、アンタみたいな美人とね~」

「ありがと…そんなんじゃないの…弟よ…病弱なの」

「えっ?そうかい…悪い事言ったかな~」

「いいのよ…」

「じゃあ…コレ持ってきな」

 店主は袋に味噌汁を2つ入れてくれた。

「ふふ…ありがと…また来るわ」

「毎度」


 タケルがマンションに居候して3週間が経っていた。

 サナコが物置のように使っていた部屋をタケルの部屋にして、同居というかルームシェアのような関係が続いている。

 もっとも、タケルはマンションの敷地から出ないので収入は無い。

 傍から見ればヒモという立場だろう。


「ただいま…」

 サナコも戸惑っていた言葉も、いつしか自然に発するようになっていた。

「おかえり」

 タケルが部屋に居ることが当たり前になって…その当たり前が幸せだと感じる。

 御飯を食べて、タケルの包帯を取り換える…。

 傷は、ほとんど塞がりかけている…それが少し、サナコを不安にさせる。

(傷が治れば、タケルは出て行ってしまう…)

 そんな気持ちが包帯を巻く手に宿る…。

 伝わっているのか…

「ありがとう…」

 そう言ってサナコの手に自分の手を重ねるタケル。

 でも…お互いに、握ろうとはしない。


 指を指でなぞるだけ…。


 互いに自室に戻る…電気を消すと薄いカーテンから月の光が部屋を照らす。

 サナコが窓から月を見上げる…隣の部屋でタケルも月を見ているのだろうか…。

(ずっと…こんな日が続けばいい…)

 サナコが初めて、ヒトという生き物の中で特別を感じたヒト。

 いや…区別かもしれない。

『他と違う』と認識した人。


 サナコの初恋…だったかもしれない。


 タケルはサナコの部屋で過ごす日々の中で、過去を忘れそうになっていた。

 ほんの3週間前まで、追われる身だった。

 眠ることもできずに、物陰に身を潜めるような日々…物音に怯える夜。


 ここは…安心して眠れる場所…。

 野良ネコが宿を見つけたような感覚。

 だけど…ずっとココには居られない…今日と明日では状況は変わるものなのだ。


 傷癒えるまで…それまでの仮宿。

 腹に巻かれた包帯を手で擦る…。


『もう少し…ゆっくり治って…』

 その夜…2人は別々の窓から、月に願った…同じお願い。


 I wish for…想い焦がれる…そんな夜。


 Chrysoprase…『流通量の不足とその美しい緑色から、最も高価な水晶類の1つに数えられる。石言葉は休息』

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